皇妃と皇子 == == == == == 数多いる皇帝の妃。 中には私より若い者までいた。 「レイシー様」 かつては敬称なく、幾度も呼んだ名前。 さらりとした黒髪を耳にかけながらこちらに向く。一瞬きょとんとするが、大輪が花咲くような柔らかな笑顔が浮かぶ。 「まぁ、シュナイゼル殿下!」 皇妃自らを庭園の手入れをしていたらしく、白い手袋は土で汚れている。 ここは皇宮の外れにある離宮、レイシーのための居住地。 ……なのだが、彼女はどうも植物園にでもしたがっている節がある。 皇帝との間に子をもうけなかった妃は、皇族と言えど立場が弱くその多くが実家に帰ってしまう。皇宮にいても割り振られる宮殿は手狭で、護衛も僅かだからだ。 レイシーも大貴族の出ではあるが、子供もなく、新参の皇妃のため、陰口も少なからず聞こえていた。 ーー皇宮に手入れのなってない温室があるなんてねぇ そう蔑んだ皇妃もいた。 だがそれらの声は、皇帝がこの庭園に立ち入るようになって聞こえなくなった。いや、その姿さえ消えた。 「(父上とレイシーの間に愛情なんてものは感じないのだがね…)」 親子ほどに年の離れた2人。 愛情などあるはずもなく、その地位への執着もない。 それなのにレイシーはここに留まっている。 「様なんて畏れ多い。天下の宰相閣下のご来訪とあらば、勇んでお迎え致しましたのに」 「父上を足繁く通わせるお茶が飲んでみたくてね」 手袋と帽子を取ってこちらに来たレイシーの腰に手を添え、日陰にエスコートする。 「私もいただけるかな?義母上」 「殿下はお疲れのようだから、とってもよく効くお茶を淹れてさしあげますよ」 氷の微笑を浮かべ、私の手をつねったまま言った。 きっとそのとってもよく効くお茶とは、この庭園で育てている薬草を煎じた、高い効能に反して恐ろしい苦味のするお茶だろう。 「冗談だよ」 私だって年下の幼馴染みが義理でも母親だなんて思えない。 護衛からも隠れる柱にレイシーを押し付けた。 「本当は君に会いたかった。 ……レイシー」 彼女が驚いている間に、その首筋に顔を埋めて胸一杯に息を吸い込めば、香水とは違う甘い香りがした。 困ったお人……と苦笑する声に続き、小さな手が私の頭に触れ細い指が髪の間に差し込まれる。 「困っているのは私の方だよ。 私が本国にいない間に皇妃になるなんて……」 「殿下がまごまごしてるからこうなっちゃうんですよ」 昔の口調でそう言われると後悔の念しか湧かない。 レイシーのこととなると私は後悔してばかりだ。 いつもいつも迷って後手に回る。 「……君は私を選んでくれるものだと思っていたよ」 好かれている自覚はあったし、普段から遠回しだがアプローチは欠かさなかった。 だがそれは私の勝手な妄想だった。 「ちゃんと選んで待ってましたよ」 顔を上げれば、レイシーの照れたような、それでいてどこか拗ねている顔。 「私はいつまでだって待つつもりだったのに、早く結婚しろって怒られて……気付いたらとんとん拍子でこうなっちゃったの」 本当に、自分の決断力のなさには辟易する。 もっと早くにこの想いを伝えていれば、レイシーは離宮で庭いじりなんてしていなくて、私の隣にはずっとレイシーがいてくれたのに。 「…だからって皇妃なんて、どうにもできないじゃないか」 私の力をもってしてもどうにもできない。 手の届かない相手になってしまった。 それが悔しくて、慰めてほしくて、自分を選んでほしくてレイシーに顔を寄せる。 もしこの行為を許してくれるならレイシーを……。 「ーー駄目ですよ殿下」 艶やかな唇の前に立ちはだかる指一本。 それが答えだった。 ((一度決めたら梃子でも動かない)) == == == == == == == == == == 「仕方がないね……」チュッ 「ーー!全然仕方がなくないじゃないですか」 「妥協だよ。唇は駄目だというから」 「額ならノーカウントだとも言ってません」 | → |