#37 桜井さんをお出迎え 01
「みおりねーおっきくなったらパパとけっこんするのーっ」
近頃の美織は特にパパのことがお気に入りだ。
子どもはこんなだったと大人の私が思い込んでいたよりも子どもの成長は早く、二歳になれば好き好みを明確に示す。持ち物全般にピンクを好む。パパとお出かけするときはレースにリボンのついたワンピースを着ていく。
鏡台の前で私が口紅を塗るのを指をくわえて見守っている。
三歳ともなればもっと明瞭な形で自我が発達する。
『パパとけっこん』
そんな風に思う幼い時分が私にもかつてあったのだろうか。
年齢と共に記憶が失われたのか或いは生来父への固着を持たなかったのか、
――確かめる術が私には残されていない。
「ママあ? おぽんぽ痛いの?」
私のこころの動きに彼女は敏感だ。
「ううん、平気よ」浮かびかけた一抹の寂しさまで見ぬかれた感じがする。その透きとおった父親似の瞳に。「ね。美織はけっこんってどういう意味なのか知ってる?」
「んー?」生地に触れた指を口に運びかけて美織はやめた。私が見ているのに気づいてだ。
大人がいるところで悪さをしようとはしない。
「好きなひととーずーっとずーっと一緒におることぉーっ」
「美織はパパと一緒に、二人でいたいんだね」
「んーんっ。ママとおじーちゃんとぉ一緒ぉー」
誰かを育てることとは、自分の価値観を問いなおすことに等しい。
「美織がパパを好きなことね、パパに言ってあげるとパパすごく喜ぶと思うな」彼に言わない程度の恥じらいも発達している。
「ほんとお?」
「型、抜き終えたでしょう。剥がしてみようか。ほらこんな風に……」
ハートや星のかたちよりも隙間の生地を手に取る。「びらびらーってなっとるん。これも焼くんが?」
「こんな風に丸めてね、もう一個作れるわよ」粘土をこねる要領で美織は生地に没頭する。「なんのかたちにする?」
「ハートぉ」
「美織はハートが好きだからね」
顔をあげてきひっと笑った。
パパのことを思いながらハートを生成していくのを見守る。
パパのことを想う私の喋り方はパパにすごく似ている。
――私に浸透する、和貴の影響力に気づかされる。
鼻歌を歌う曲選が美空ひばりなのにも笑った。
おじいちゃん子でもある。
自分のなかから生まれいでた弱々しい生命体。
からだが小さくて和貴はすごく心配をした。
それがいまは同じ年の子よりも身長が大きく育ち、すこしのコンプレックスを抱いている。
僕たちよりおっきくなりそうだね、と和貴は笑った。
いつの間に彼のことに考えが及ぶ、そんな行為を私は繰り返している。
――いつか、美織も誰かを好きになり、唯一を知る。
このひとをこの手で幸せにしたいという独占欲や、
このひとの笑顔が欲しいという、強烈な衝動を知ることだろう。
もうすぐ、あのひとは帰ってくる。
平均的な父親かそれ以上に娘を溺愛する和貴には、いまの時期を楽しんで欲しいものだ。
私が型に抜いた生地を鉄板に並び終えると美織は大きなハートを作り終え、「できたっ!」と叫ぶ。
美織は私よりも器用だ。
んっふふ、と笑いながら鉄板の空けておいた場所に生地を載せる。私が三歳児だった頃はこんなに手がかからなかったのだろうか、今度母に訊いてみよう。
玄関のインターホンが鳴る。
「あーパパパパや絶対っ!」
「手を、洗いなさい美織」
「はいはーいっ」
素早く台所に回り水でゆすいでタオルで拭いて玄関にひとっ飛び。
微笑ましい気持ちと。
いつか美織がこんな風に出迎えない日が訪れたとしたら和貴は、……寂しがるかもしれないなという気持ちで見送る。
エプロンを外して私も続く。