#55 the object of my affection
「美味しかったねーごはん」
「よそで食ってもおまえの飯が美味いのが不思議だな」
「ですか? 気持ちの問題じゃないですか? 執着ですとか愛着という」
「認める」
 寄り添ってみる。
 寒いんだもん。
 二月はまだまだ冬を残す。頬を切る風、気持ちの問題であたたかい。
「……飯くらい作れねえと大変だろうな」
「安田さん?」彼、思い出し笑いをしている。ひーくん好き好きーって人前でも抱きつける彼女さんの感じがちょっと羨ましい。「でもね、愛がなくってご飯が今ひとつってのと、ご飯がすごく美味しいのに愛がないっていうのと。どっちがいいかな」
「料理の腕はどうにかなる、その気さえあれば。練習したり調べたりすればな。愛情に関しては……一緒に過ごせば自然と情は湧く。つまり。選べないな」
 あら。
「意外だな。あなたがそんな風に言うだなんて」
 愛こそすべて。
 そう言って欲しくもある。
 女はそういう結論が大好きだから。
 頭をそっと撫でるのは慈しみのつもり? それとも同情の余地?
 愛情の介在でしょうか?
 見あげて、うすい下弦の月から彼に目を移す。ふっ、とやわらかい息が溶けていく。消え失せる白い正体。紛れていく真性。
 あたしその顔大好き。
 名残り惜しく離れてみる。公衆の面前でべたつくよりは、二人きりの世界を謳歌したい。おうちで、思いっきり。
 後ろ見ても誰もいない。
 静かな世の中。
 都会の真ん中もこんな感じであってもいい。情報にアクセスしたがるみんな欲張りさん。
 あなたも、あたしも。
 信号待ち。
 ずっと止まらなかった彼が、止まった。
 閑散とした場所、道路挟んでデパートの地下、既に閉店。
 高い、高い、鏡の張られた壁。
 トラックが通りすぎる。
 前だけを見ている。
 彼が。
 手を、取った。
 手袋越しの彼の手。
 ふっと身を屈めたと思ったら。
 並んでいた男女が。
 向こうの、鏡で。
 驚くあたしを取り残して。
 重なった。
 冷たいなかにのこるぬくもり。
 ほんのりいちご風味の。
「なっ……、」
 青信号。
 前後左右、
 誰もいない。
 こちらの驚きを楽しんでおいて、
 横断歩道を闊歩する、靴先。
「ま。ま、ま」
 押さえてしまう。
「待ってよ!」

 駆け出す。
 追い越す。
 渡りきって、正面から問い詰めてみる。「あの。ねー外でそそそんなこと。しないでよっ」
「よく動く口だ」
 なぞらないっ! 「酔ってるでしょあなた」
「すこしな。手を貸せ」

 甘えたがりのあなた。

 お酒一口でそんないく?
 お料理にだって入れなかったんだから。みりんはフタあけてアルコール飛ばしたもん。

 指絡ませたくなるくらいあたしのこと、好き?

「まあな」

 右にした鏡にさっきまで映っていたんだ。
 トラックの運ちゃんだってきっとびっくりした。

 ……ああ。

 攫われたあたしの味。
 残されたあなたの風味。

「突然奪われるのが好きならいつだってやってやる」
「予告しちゃ驚きにならない」
「いまからやってやるから」

 驚くなよお前は。

 目を閉じて待ってしまった。

 ない。

 頬を、つつかれた。

「かっ……らかわないのっ」

 肩をすくめ、浅く笑い、歩き出す。

 繋いだ手は離さないまま。

「あたし、」

 あなたの正体なんてきっと生涯分からない。
 気まぐれで気ままで。
 どうして純真で純情で。
 ふわふわとした、春を含む風に乗って。
 あたし。

 連れてかれたい。
 ついていきたい。

 さらってよもっとあたしのこと。

「そんな目をするなよ」すこし握って彼は言う。「いまから、」

 いっぱい声を出せるとこに連れてってやるから。



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