夜の雨のにおいだ。湿り気を帯びた、どこまでも静かな、しん、と頭の中が冷えて立ちすくんでしまいそうなにおいだ。外は強烈な斜陽で真っ赤に染まっているというのに、いったいどこからするのだろう。私のものでは決してないそれが鼻をかすめた時、ふいに胸の真ん中を秋風にさらされたような気になって、私しかいないのに洗濯物を畳む手を止めて、物音に気がついた若い鹿みたいに周囲をうかがう。縮こまった心臓が安心したようにいきいきと脈打ち始めてようやく、私の意識は半身だけ畳まれたTシャツに戻った。



黒というのは、もしかしたら透明なのかもしれないとアカギを見ているといつも思うのだ。無を色にした姿なのかもしれない。とりとめもない思いつきを遊ばせながら、3日ぶりのその怜悧な顔を見あげた。アカギも私を見下ろしているけれど、いつも通りの鉄面皮である。


「おかえり」


そう言うとアカギは少し目を見開いた。私が日に焼けて赤茶けた畳に転がったままだったからだろうか。それとも私にとってはあり得ないことだけれど、唐突に消えてなんの連絡もなく3日も留守にしたことを責めるだろうと思っていたのか。そうしたらこの男にもちょっとは罪悪感なんていう人間らしさのかけらくらいはあったのかとほっとするけれど、どうだろう、アカギが内心をやすやす暴露するはずもないので、それは知りようのないことだった。


「ただいま」


中身の詰まったビニール袋をちゃぶ台の上に無造作に放ったアカギは、そのかわりに灰皿をひきよせて胡座をかいた。今度は私が目を見開く番だった。ちり紙同然の扱いを受ける札束にではなく、そんな言葉がアカギから飛び出すとは思わなかったのだ。 アカギはそんな私を見て、紫煙と一緒に笑いを吐き出す。


「なにをそんなに驚いてるんだ」
「……いや、そうなんだよね」


そうか、ここはアカギの帰る家なのか。

ゆったりと体を起こして、私もアカギのハイライトに手を伸ばす。特にアカギが何も言わないので、そのまま一本抜き取って唇に差す。ふと思いついて、アカギの首筋に鼻をあてがった。すん、と嗅げばやっぱり夜の雨のにおいがした。