泣き虫泣き虫とよくからかわれた。転んでは泣き、風船の割れる音で泣き、大人の大きな笑い声にすら泣いていた私は手足が伸びるのと同じ速度でいつの間にかそれをやめてしまった。相変わらずなのは痛いのも大きな音も悲しいことも苦手なこと。
成人を迎えずとも、どんどん泣くことができなくなっていく。心に澱んで溜まる。お腹一杯に抱えてソファーで丸くなって夜を越えて、また日が昇れば消化不良と睡眠不足で剣呑な顔つきのまま学校に行く。
誰も彼も本当はそうなんだとふと気がついた。昼下がりの教室はさざめく笑いで満ちている。 猛スピードで景色が遠ざかって、あの子の控えめな微笑みもあいつの歯を剥き出した笑顔も全部、そういうどこにもいけない悲しみの上にそっとかぶさっているのがよく見えた。風が吹きぬけるように沈黙がさっと通って、ちらりとのぞく疲れた顔は昨日脱衣場の鏡で見た私だった。みすぼらしい乳房の下に浮き出る肋骨と股の間の黒々した繁みの生々しさがおぞましくて、いつも出来るだけ顔の方を注視することにしている。光のない目を見つめ返しているだけで身に覚えのない疲労感が襲ってくるどんよりとした顔だ。
泣きたいのかもしれない。笑うなり泣くなり大きな振れ幅があれば、こんな倦怠感とおさらば出来るのかもしれない。そうだ、泣いたり笑ったりがとても得意な人がいた。ふと浮かんだ顔にどうしても電話をかけなければならない使命感に駆られて、そっと教室を出ても、机を囲んでいた友達たちは何も言わなかった。





留守番電話に接続します、の留守辺りでかすれた間抜け声が聞こえた。この人はまた平日のこんな時間まで寝てたのか、と呆れ混じりに口角が無理なく上がる。


「もしもし、カイジさん? 寝てた?」
「んー……で、何だよ?」


カチッカチッ、と電話の向こうで100円ライターを付ける音がして、そういえば何の用向きもなく言い訳も用意していなかったのに気がついてさてどうしようと沈黙する静かな間に、煙を吐く深い息が聞こえた。電波を介して私の肺に直接吹き込まれたようで、少し苦しい胸をそっと押さえる。


「あのさ、これからカイジさんちに行ってもいい?」
「ハアっ……!?お前なあ、その、学校とかあるだろうがっ……」
「いいじゃん」


だってこんなに苦しいんだよ。
だからって今ここでカイジさんちに逃げて隠れたって何も変わりやしないのは知ってる。この苦しいの全部融けてしまうことなんかないのも分かってる。それでも私は今、とてもカイジさんに会いたかった。


「……何かあったのか」
「別に何もないよ。ないんだけどね」


カイジさんはもう一度ふーっと長い息を吐くと、気をつけてこいよ、とだけ言った。何でこう、いつまでもグズグズのニートだし、女子高生に手を出すことも出来ないヘタレのくせに。その先は罵倒なのか愛なのか頭の中でさえ上手く言葉に出来なくて、同級生たちよ、これがいとおしいと云うものではないか、と大層な口調で呟くしかなかった。代わりにうん、と声に出して頷くと素っ気なく通話は切れて、喧騒から遠い昇降口でスチールの下駄箱からローファーをぽいと放った私の足はガラスの靴でも履くように恭しく、軽やかだった。とろけたバターがかかったような、カイジさんの頭の中みたいな昼だった。