どうしてそんな無神経なことを聞いたのか、わからない。わからないけれど、市川さんにはわかったのかもしれない。無知であるがゆえに厄介な子供の質問に答えるときのようなあわい苦笑がほんのり浮かんでいた。


「真っ白だな。何もない、空白さ」


その瞳のように? そう思った浅はかさを恥じる。彼に自身の瞳の色が見えるわけがないのだ。手をついて身を乗りだし、隣に座る彼の痩けたほほに触れる。ひどく蒸した夏の日だというのに乾いている。反面、縁側の木についた私の手のひらはじっとり汗ばんでいる。


「なんだ」
「こっちを、こっちを向いて下さい」


滑らせるように指を離すと、市川さんは正確にこちらをとらえ顔を振り向けた。老いてなお分かるほど、うつくしい顔だ。ただ遠くを見つめている瞳がかなしい。そう長くもないこれから先において、この人が私を見ることはない。ただ彼の前には白い闇が横たわるばかりで、私を確かめる術がない。触れる指先も届く声も、私のかたちを結ばない。彼の中の私は想像でしかない。心のかたちと同じように。


「ずっと、真っ暗なんだと思ってたんです。黒なんじゃないかって。それはすごく怖いことだと」
「大して変わらんよ、どちらでも」
「そう、そうなんです、だから今は」


その白い世界に私が映らないのがこわい。
私の見る世界には確かに彼がいて、細く枯れた体も白い髪も、色鮮やかにそこにあるというのに、市川さんの世界に私はいない。
市川さんの、枯れ枝のような大好きな指が私の頭に触れる。それから額を撫で、両目の上をたどり、鼻筋を通って唇にたどりつく。愛撫よりももっと確かな意志を持って。ちいさな四角に刻まれた記号すら読み取ってみせる繊細な指先が、私のかたちを確かめるためにふるわれているのが分かる。目を閉じてみる。光の方向だけがぼんやり明るい暗闇に身を投じて、その指先がたどる皮膚にすがる。耳朶の裏を通って後頭部に回った手だけを、視覚以外の全てでとらえる。市川さんもそうならいい。私が触れるとき、彼が触れるとき、全てでもって私を理解してほしい。
蝉の声が遠ざかって、私は手探りで市川さんに手を伸ばす。空いた手でそれを捕らえて、彼はおそらく肩に導いた。遠ざかって遠ざかって、蝉の声もどこかの家の風鈴もついに聞こえなくなった。偽物の暗闇が白い海になる。溢れたなまぬるい涙を、彼の指先がさらった。