風呂場からの水音で目を覚ました。半分閉じたような目で布団をまさぐると、シーツはすでに冷えきっていていつになく彼女が早起きしたのだと伝える。体を起こしてみると、きちんと閉じていなかった遮光カーテンの隙間から朝日が沢田の目を刺した。どうやらいつにないことをしたのは自分の方だと分かった。布団の周りを囲んでいた脱ぎ散らかしたままの衣類にワイシャツが見当たらなかったので、下着とスラックスのみ身につける。汗でじっとりした髪に指を通して後ろに流しながら、沢田は誘われるようにふらふらと風呂場に向かった。





引き戸は開け放ってあり、脱衣所にはもうもうと湯気が立ち込めていた。沢田のワイシャツを羽織った後ろ姿は、シャワーを浴槽の中に向けている。後ろからのぞきこむと、真っ白くてざらざらした泡でいっぱいになっていた。


「朝っぱらから泡風呂とは、こりゃまた豪勢だな」
「あっ、おはようございます」


夢中になりすぎてたった今沢田に気がついたヨシカは上機嫌な笑みを見せる。いつも低血圧で、起こそうものなら焼き切れそうな視線のレーザービームとドスの効いた声で場馴れした沢田もたじろぐような脅しをかけてくる彼女の珍しい様子に、沢田は素直に首を傾げた。


「ウチのシマの子がくれたんですよ。バレンタインだからって」
「おいおい、いつから女同士のイベントになったんだ?」
「そういう時代みたいですよ」


ヨシカは沢田が若頭を務める組の上部組織の舎弟で、一般的に言えば企業の理事会クラスの人間でありせいぜい課長か部長程度の沢田は特に極道の世界における上下を鑑みれば口をきくことすら躊躇われるような存在であった。なにせ自分の親父よりも立場は上だ。膨大な縄張りを持つヨシカの組であれば、それが息のかかった風俗店のキャストであることは容易に想像できる。そして彼女が断りきれなかっただろうことも。


「どうせひとりじゃこんなの虚しくなるから、沢田さんちで使おうと思ってたんです」
「…そうか」


ぬいぐるみにつめる綿のかたまりに似た泡をお椀にした片手にすくってはしゃぐさまは年相応の女の子というやつで、初めて会ったときの怜悧なまなざしは影をひそめていて沢田の胸はかあっと熱くなる。
湿度のせいか、ワイシャツの薄い白を通して刺青が窺えた。体温が高いのか、鳳凰の赤は本当に燃えるように鮮やかだ。指先でそっと触れながら、ささやく。


「それは誘ってるってことでいいんだな」


薄布越しの皮膚がぴくりと揺れてひきつる。こんなにも無防備で分かりやすいことを、自分以外の誰が知っている。そう思うとおかしくなって、初めから噛み殺す気のない笑いが漏れた。


「どうせ手間だ、一緒にはいっちまおう」
「……沢田さん、わかってたでしょう。全部」


まあな、と答えて下を脱ぐと、ヨシカもふてくされて眉間にシワを寄せたまま、湯を泡立てていたシャワーを止め素肌の上に羽織っていたワイシャツを潔く脱ぎ捨てる。沢田と同じ、細かい傷の多い体だ。その一つ一つにどうしようもないほど温もりを覚える。ワイシャツを受け取り自分の身につけていたものごと洗濯かごに放り込みヨシカをひょっと抱き上げる。そのまま泡風呂に沈めたらみじろいで沢田の腕から逃げ出し向かい合うように座った。膨れっ面がなんだか照れくさいのと嬉しいのを混ぜたようなかわいい色合いを帯びて見える。その素朴さが本当のお前なのにと、何があっても言えない本音を押し殺す。
腕にまとわりつく泡をすくいとって頭に乗せてやった。せめていまだけは、このちいさな泡の海でだけは、やわらかいいきものでいてほしい。沢田の視線の温度に気がついたか、ヨシカは眉を下げて口角を下げて笑った。