もう子供じゃないと思っていたけれど、私の思う大人なんてまやかしに過ぎなかったのだ。家賃や光熱費やその他もろもろの生活費を一人で払えるようになったこと、人前であまり興奮しなくなったこと、自分のミスに責任を取れること。なかなか難しいかもしれないけれど、そんなのは子供だってやればできる。

二人で旅に出るのは初めてだった。珍しくふたりでお昼ごはんを食べて、天気がいいので午後からは布団でも干そうかと考えていたら、赤木さんが急にあちこち電話をかけ始めた。私は言われるがままに一泊分の下着と服を一揃い準備して大きなボストンバックに詰め込んだ。ジッパーを閉めたところではっとして、どこへ行くんですか、と訊ねたら、湯布院、とだけ返ってきて、呆れるよりも先に連れて行ってもらえる喜びで頬が緩む。
駅につくと迎えの車がもうあって、夕方ごろ老舗っぽい立派なたたずまいの旅館に着いた。広すぎる玄関とか従業員総出のお出迎えとかなんだか敷居の高そうな雰囲気に尻ごみしていちいちまごつく私を見て、赤木さんは心底楽しそうに笑う。


「そんなにびくつかなくたっていいだろう」
「だってこんなすごいとこ泊まったことないんですよ…!」


自然と小声になる私に比べて、赤木さんは私の家にいるときと全く変わらない態度でいる。慣れているのだろう。女将さんについていくと、ふたりで使うには広すぎる部屋に案内された。透かし彫りのテーブルとか重量感のあるガラスの灰皿とか、つい一泊いくらなんだろうと無粋な計算を始める私をよそに、手ぶらもいいところの赤木さんは箪笥からタオルと浴衣を持ちだしていた。慌てて私も準備をしながら、この人ほんとに思いつきだったんだな、といまさらながらちょっと感動した。





「寝タバコは危ないですよ」


真っ白くて糊のきいたシーツの上に寝そべって興味なさそうにバラエティを眺めていた赤木さんは、私の小言など全く耳に入らない様子で目を伏せて灰皿をそばに寄せた。浴衣姿で左腕を枕代わりにして右膝を立てた格好はあまりに目の毒で、のぞいた鎖骨のくぼみ、筋ばった腕、やせた足。艶、というのはこういうことなのだろう。豊かな色、ああ確かに豊かな「色」だ。だからついそんなつまらないことを言ってしまう。この非現実な空気をすっかり換気してしまいたいのだけど、赤木さんは意地悪そうにニヤニヤしているので、どうにかはぐらかそうとしてしまうこころごと全部お見通しらしかった。細長い指先にはさんでいた煙草をくわえると、空いた右腕を広げてみせる。くらくらした。


「ほら、来な。ヨシカ」


くぐもった声でも笑い混じりなのが分かる。どうして私は、この人の前では分かりやすいこどもなのだろう。平気なふりも上手になったし、楽しいも嬉しいも悲しいも全部上手く調節できるようになったのに、その中のひとつだって赤木さんには通じない。自棄になって、その胸の中に納まると、憎らしい口元から煙草を奪って灰皿に押し付ける。私が最後に見たのはちょっと驚いた珍しい顔で、赤木さんが最後に見たのはきっと眉間に皺を寄せる真っ赤な顔だったろう。苦い味が口いっぱいに広がって、結局こういうところがこどもなんだ、私は。