わたしは人よりもずっと、自分のことが大好きだった。自覚してしまえばそれはひどく羞恥を煽る事実だったが、人に露見さえしなければなんてことはなかった。私は注意深くそのことを知られないようふるまった。ぎりぎりのバランス感覚は不器用な私にはたいへん難しいことであったから、いまだかつてばれたことがないかと問われればそうではないと言い切れる。だがわたしは人というものがそう他人に興味など抱かないことをよく知っていたために、薄々感づかれていようが平然とそのふるまいを続けた。案の定いまだかつてそのことを指摘した人間は一人もいない。それは喜ばしく、また寂しいことだった。

けれど、アカギはそうではなかった。板についた道化師のような狂ったふりをすっかり見透かされて、ただただ怯えた笑みを浮かべたわたしをながめる目に温度がない。冷たくも暖かくもなく、そこにはなにもなかった。それなのにアカギは知りたいと言った。そんな真似をする理由を。そういえば、その問いには答えられなかったままだ。今ならば、はっきりと分かるのに。





お久しぶりです、赤木さん。
そんな風に呼びかける俺の後ろから手がぬっと伸びてきて、大量の供え物からマルボロを選んで抜き取る。乾いて血管の浮いた手の甲、飾り気のない指先と順番に視界から消えてつい目で追った。ビニールの包装をためらいなくはがし、中の紙をひきちぎると、平然とポイ捨てしてみせる。風にさらわれたごみたちはすぐに見えなくなった。


「祟られますよ」


語気を強めて言うと、ヨシカさんは目を見開いて少しだけ俺を見つめ、それから何事もなかったようにタバコに火をつけた。深く煙を吐き出して、喉を引きつらせて笑う。その間の取り方と笑い方は、赤木さんによく似ていた。


「なんだ、ひろくん幽霊なんて信じてるの」
「そういうことじゃないでしょう、もっと故人を悼んでください。お墓参りだって全然こないし」
「フフ…また小言」


俺の後ろからかがんで手をのばすと、指先にはさんだまだ長いタバコの火のついた方を上にして線香立てに突き刺した。体を億劫そうに起こすと、パンパンと手を二回打ち合わせる。それで満足そうに息をつくものだから、俺は言葉をなくして黙るほかなかった。


「さて、帰ろうか」


俺が立ち上がるよりも先にヨシカさんはよっこらしょ、と手桶を後ろ手に担ぐ。つい口をついてそんな掛け声が飛び出したことにびっくりしたのか動きを止めた後、歳だねえ、とくすくす笑った。確か赤木さんと同い年だったヨシカさんは3つ年上になっていた。その背中は3年前よりも少しちいさく見えた。



てっきり結婚しているものだと思っていたから、2人の名字が違うのに初めは驚いた。ヨシカさんは赤木さんのことをアカギと呼んでいたのにも。どうしてか聞いたこともあるけれど、2人とも曖昧に笑うばかりで、はっきりと答えをくれた覚えがない。
席につくなりコーヒーを2つ頼んだヨシカさんは、さっきくすねた煙草をさっそくテーブルの上に置きながら、ついでとばかりメニューに手を伸ばし俺の前に放る。


「好きなの頼んでいいよ」
「もうそんな年じゃありませんよ」
「そっか、じゃあわたしこのガトーショコラ食べよ」


メニューを元の場所に戻し、ヨシカさんは煙草をくわえた。何度かライターをかちかちやるが、オイル切れなのかなかなか火がつかない。そばにあったマッチを擦り差し出すと、少し笑って顔を近づけた。コーヒーを持ってきた店員にガトーショコラの追加を頼んで、その後ろ姿を眺める。なにも変わらない。赤木さんが死ぬ前と。こんな日くらい悲しそうな顔のひとつくらい見せてもいいと思うのだが、ヨシカさんは何事もなかったかのように静かだ。


「…かなしくないんですか」


この人を見ていると、まるで赤木さんが死んだことすら嘘のように思えて苦しい。もういないその人のせいで俺に空いた穴すら、なかったみたいにされたくない。ヨシカさんは少し驚いた顔をして、一口コーヒーをすすってあち、と舌を出した。カップを戻し俺の目を真っ直ぐに見つめる。何を考えているのかちっとも伝わってこない御簾の向こうのような目で。


「昔、アカギが一緒に来るか残るか決めろって言ってきたことがあってさ」
「…?何の話です?」
「わたしは一も二もなく、家族とか友達とか生活とか全部かなぐり捨てて奴についてった。自分がそんなもの全然大事じゃない冷たい人間ってことは分かってたからね。だけど、そのうち気がついた、わたしは自分の人生のためにならその唯一無二の存在のアカギからも離れられるってこと、わたしは結局、自分のためにしか生きてないってこと」


それは何よりも深く、わたしを突き落とす事実だった。そのことに気づきたくなくて、わたしは人を突き放して生きることができなかったなんて、発狂しそうなほど絶望したね。たぶんアカギは、そのことを知ってたんじゃないかな。でもわたしとこんな年まで一緒にいてくれた。だから、


「アカギが死んだことはとてもかなしいけど、だからってわたしは死なないし、そのことで生き方は変わらない。そういう冷たい人間なんだ」


ヨシカさんの目は、虚ろなかなしみに満ちていた。それも自分のためのかなしみでしかないのだと思うと、この人はとても哀れな生き物に見えた。それでもいいのだろう。赤木さんだけがそのことを知っていてくれたのなら、ヨシカさんにとってそれ以上に幸せなことは何もないのだろう。目頭を押さえた俺の前で、ヨシカさんはやっぱりなんでもないようにケーキを頬張って、いまいちだったなあ、と微笑んだ。