欲しかったものがもう手に入らないとわかってからのわたしはすごくて、毎日のように泣いて暮らした。気に入りの冷たい布団に包まれて目を閉じる瞬間は大好きだったけれど、夜のうちには眠れないことも多くて、瞬く間にぬるまった布団を足の向こうに蹴散らしてはベランダの網戸を音を立てて引き開けてた。そこにべつだん面白いと思えるものはなかったけれど、面白くないと思うことも心外であったので、安アパート群の向こうにわずかに見えるあかるい国道を眺めては、こんな深夜に走る物好きな車を指を折って数えた。生まれ落ちたその瞬間から、脳みその腐敗は始まっている。最近のわたしはとみにそう思う。光よりも早い速度で細胞が死んでゆく。そんなことを考えているとまた目の奥がかなしくなってきて、いいぞいいぞと思いながらよろよろひねり出す涙がひとつぶ。

そうこうしているうちに、なんだかあやしい気持ちになってくる。わたしは、あの人がほんとうに欲しかったんだろうか。実はそうでもなかったんじゃない。ねぇ、どうなの。そこんところ。
そうと気づいた瞬間はいつも圧倒的に絶望的な気持ちだ。もっと大切なものがあればいい。この身を投げ打つ勢いで、燃えるような情熱で、こころから愛したいと思えるものがあればいいのに。そうやって無意味に通り過ぎる車のヘッドライトを数えているうちに、わたしの中でわたしの知らないうちに、ただただ愛が死んでいくことがかなしい。燃える想いがなくなることがかなしい。永遠に好きでいれるものは、結局現実ではありえない。それはただの幻想だ。

あの人の背中を必死で追いかけたこの夜のことも、いつかは褪せた思い出になるのだろうか。手に入らないものを泣いて、だけどそれが一番心地よい温度の涙であると、あの人は知っているのだ。わたしはそう思っている。だから、彼が振り返りもせずに言ってのけた科白だって、極上のもののように感じられるのだ。

「今度は俺か」

追いかけるように聞こえてきた、網戸をきりきりと引っかいたような音に、ようやくその人が笑っていることに気がついた。わたしはおどけた足音を立ててその人の隣に立って、街灯に照らされたやせた横顔をじっと見つめる。その人は決してわたしを見てくれない。わたしはいつもその横顔をうっとりと見つめるだけだ。薄い唇、若竹のようにまっすぐで細い指に挟まれたタールの強い煙草、この人をかたちづくるものはなにもかもうつくしい。うつくしく見える魔法だ。赤木さんの、決してわたしを正面から見据えることはないからだすべてに縋り付いて、その足首に腕を巻きつけて、このうえなくだらしない笑みを口元に浮かべて、この世の果てまでも引きずられていきたいと思ったけれど、そんなことは冷静に考えてできるはずがない。だけどそれ以上にこの人との距離を埋める方法は考えつかない。想いがないなら身体だけでも、なんて、とんだ三文小説みたいな考えだ。

「違う、今度はほんとう」

この時だけはほんとうにそう思っているのだと、こころを込めて、わたしは頷いた。赤木さんがまた笑う。くつくつと、内臓をよじらせるように体を揺らして笑う。馬鹿なわたしでも、この人は今、おもしろいから笑っているわけではないことはわかる。

「あぁ、そうだな」

言ったらそれは子供にするように乱雑で横柄で、だけど巧妙にやさしいやり口であると思う。赤木さんが目線を落とす。そして、さまようように地面を這ったそれが、ぴたりとわたしの黒目とかち合って、そして、とてもつめたく微笑んだから、わたしは、ああ、やっぱりこの人は誰よりも特別な人なのだと、胸がじんと熱くなる。

「だけど、やめときな」

わたしにはわからない世界で生きるひと。燃えるような情熱を手にしたわたしには、その全てをわかり、愛せるような気さえするのです。だけどあなたの瞳がそれは不可能だと教えてくれます。しかし焦がれてやまない、それが幻想だとわかっていても、その幻想がなくては駄目なのだと、今、この瞬間だけは本気で思っている。



121008






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これが届いたときの!!おれのきもちが!!わかるか!!!(真剣)ほんとにもう二度とないと思っていましたありましたおめでとうございますありがとうございますシャバドゥビタッチ号泣もうだめだこいつ
神域が神域すぎて嗚呼…と耽美なためいきが漏れます

みずけさまありがとうでした!!