ミチル×手塚

 一緒に年越しカウントダウンしようぜ、という男が、マンションのドアを叩いたのは、紅白が始まる数分前のことだった。
 二十代も半ばのくせに上下ともジャージという風貌の福士は、「寒いっ、寒すぎるだろっ」などと言いながら、部屋の主である手塚を押し退けて、一目散にリビングのこたつに向かって駆けていく。そうして、テレビの電源を入れると、「おっ、ぎりぎり始まってないじゃん、紅白」と、口元を緩ませながら、こたつ机に顎を置いた。
「いきなりなんなんだ」
 そこにきてようやく口を開いた手塚は、福士が手土産に持参して、床に放り出している六本入りビールのケースを持ち上げた。冷蔵庫にしまおうとしたところで、二本は出しておいてグラスに注いでくれと言われる。
 溜息をついて、グラスに注いだビールを福士の目の前に置いてやりながら、「年末は恋人と過ごすんじゃなかったのか」と、問う。
「俺朝ドラは土曜にまとめて見る派なんだよ」
 手塚の問いかけを無視した福士は、そんなことを言ってビールをちびちびと飲んだ。あまり酒には強くない男だ。たかがビールでも喉に通すペースは遅い。
 仕方なくこたつに入った手塚が、空のグラスを差し出すと、雑な手つきで注がれる。いやに泡の多いビールだ。
「注ぐのが下手だな」
「うるせえよッ」
「恋人は、」
「実家に帰った」
 テレビでは浜崎あゆみが歌を披露していて、おそらくはファンでもないくせにそちらに真剣な視線を向ける福士が、ようやく手塚の質問に応えた。
 数日前の仕事納めの日に、福士が年の瀬は恋人と過ごすのだとにやけていたことをしっかりと覚えている手塚は、「どうして」と、尋ねる。どうしてもこうしてもねぇよ、と返した福士は、珍しくふてくされた顔をしていた。
 どうしてもこうしてもないなら仕方がない、そう納得して、それ以上は追求しない。とにかく福士は、恋人に期待を裏切られたのだ。彼が自分の恋人にどれだけ惚れ込んでいるのか知っている手塚は、ほんの少し同情した。どうせ一人で過ごす予定だったのだから、と福士がここで年を越すことを許容することにする。
 福士ミチルは、務めている会社の同期だった。部署は違うが、仕事終わりにはよく二人で飲みに行く。最近では、福士が手塚の家に転がりこんで来て、家で飲むことも珍しくはなくなっていた。
 ここまで生きてきて、なにをやらされても他人に劣るということは滅多になかった手塚と比べれば、福士は酷く凡庸な男だった。昔テニスをしていたという彼は、会社の入社式の日に、「お前、手塚国光だろ」と、殆ど初対面の手塚に声をかけてきたのだが、手塚は福士を覚えてはいなかった。
 更に言えば、堅物で口数の少ない手塚とは対照的に、福士は頭も口も柔らかい。仕事中以外は、いつだってふざけたことばかり言っている。
 そんな風に、噛み合わせの悪そうな二人だが、なかなかどうして上手くやっている。入社してから出来た知人の殆どが、表情にあまり起伏のない手塚といると居心地悪げな態度を見せる中で、福士だけはそんなことは気にせずにいつだって浮かれているので、手塚は彼と二人でいると気が楽だったのだ。
「おっ、あの子可愛いな」
 少し高い声を出したミチルが指を指したのは、青い衣装を着たアイドルだった。しかし人数が多すぎるので、その中のどれを指したのかは分からない。
「名前が分かるのか」
「分かるわけないだろォ、フィーリングだよ、フィーリングッ」
「そうか」
「お前、どの子がいいと思う?」
 あの子かっ、それともあの子かっ、と福士が人差し指をくるくると動かす。相変わらず落ち着きのない奴だ。もしかすると早くもアルコールが体に回りつつあるのかもしれない。
「オォッ、回ったゾッ、すげー回ったッ」
 アイドルがバク転、バク宙を決めながらステージを横切るのを見て、福士が歓声を上げる。すげーな、すげーよな、と手塚の肩を叩く。たしかに大した物だ、と手塚も思う。
 手塚は、彼女たちのパフォーマンスを素晴らしいものだと思った。あれだけの人数の集まった狭いステージで、あれほど派手に踊れる状態になるまでにはたくさんの練習を積み重ねてきたに違いない。テニスをしていた頃の自分と、どこか重なるものも覚える。客席に笑顔を届けるその姿を美しいと思うし、可愛いらしいとも思う。
「やっぱあの真ん中の子がいいかもなァ」
 それでも、彼女たちの中から一人、好みの少女を選ぶということは難しい。手塚には、女の好みというものがなかった。それは彼が、異性に興味を持てない人種だからだ。
 しかしそんなことは露程も知らない福士は、手塚が指さした適当な少女を見つめて、「鶏ガラみたいな女が好みなんだなー」と、笑った。
 そんな福士が最終的にこの子だ、と指したのは、肌の色が少し黒い、太腿の主張の激しい二十歳過ぎの女だった。恋人に似ているのか、と手塚が問うと、「少しも似てないですけどッ」と、強い口調で返される。
「理想と現実は違うもんだろォ? いや、うちの彼女もあの子に負けないくらい可愛いけどな」
 もう少し肉がつくといいんだけどなーと、結局は恋人のところへ意識を向けてしまうのが、彼らしい。しかしこれ以上放っておくと、福士が彼女と年の瀬を過ごせなかったことを思い出して凹んでしまうのではないかと考えた手塚は、「年賀状はどうした」と、話題を逸らした。空になったグラスにビールを注いでやることも忘れない。
「去年作った住所録がパソコンに残ってたから今年は楽勝だったな」
「それはなによりだ」
「お前は、誰に送った?」
「学生時代の友人くらいだな」
「どうせお堅い内容なんだろ。俺には?」
「送ってない」
「なんでよっ」
「お前は会社の同僚だろ」
 二人の務める会社では、原則社員間では年賀状を送り合わないことになっている。
「まあ、俺もお前には送ってないけどな」
 それなら食って掛かるな、と言いかけて、こいつはその場のノリだけで口を開く男だと、口をつぐむ。
「彼女にも送ったんだけど、元旦には見れないよなぁ」
「実家に帰っているなら無理だろうな」
「元々の予定通りうちに泊まってても見れなかっただろうけど……はあ」
 かくりと音がなりそうな勢いで肩を落とした福士の正面で、ゴールデンボンバーの「女々しくて」が流れ始めたのが滑稽で、手塚は不覚にも口元をゆるめそうになった。
「クッ、なんて挑発的な歌なんだ……ミチルちゃん、泣いちゃう」
 しょうもないことを言ってグラスに注いだビールを一気に煽ったミチルが、手塚の元へグラスを差し出す。渋々ビールの缶を傾けた手塚が、「頼まれもしていない一気飲みをするな」と、たしなめると、「男には飲まなきゃやってられないときがあるのよッ」と怒鳴られた。どうしてそこでカマ口調になるのだ、という疑問はひとまず飲み込んでテレビに視線を向ける。
「あのふわふわのバチ、どう思うよ」
「あれをバチと呼ぶのはどうかと思うが」
「なんでぇー太鼓叩く棒はバチだろ。ごぼうだって、太鼓叩いたらバチになると思うんですケド」
「あんなもので叩いたらすぐに折れるだろう」
「そこを折らないように叩くのがプロだろ」
「……もういい」
 ふざけているくせに、存外我の強い福士との会話は、こうして適当なところで話を区切らなければ、延々と続いていく。現に二人がつまらないやりとりをしている間にゴールデンボンバーはステージ上から消えていた。
「AAAってなんで白組なんだろうな」
 そうしてまた中身の無い会話が始まる。手塚は福士には適当な相槌だけ返せば充分だと判断して、ビールのグラスを傾けた。
 貰い物のワインがあったことを思い出して、立ち上がる。ちょっとッ、どこ行くのよッ、とまたもやカマ口調で呼び止められたが無視をした。
 手塚が二人分のワイングラスとワインの瓶を机に置くと、福士は微妙な表情を浮かべた。今日は飲めないんだよ、と何故だか小声で呟く。
「明日は休みだろう」
「そーなんだけどーカノジョからー連絡が、」
 恋人から連絡がある、そう言い切られる前にグラスにワインを注いでやる。一杯だけでも飲めと、視線をよこしてやれば、それでも無理だとは言えない男だと知っている。
「ちょっとだけよ」
「ゆっくり飲めば悪酔いはしない」
「けど俺って酒に弱いじゃん」
「どうしてだろうな」
「体質だよッ、体質。けどなあ……子供も弱かったら困るよな」
「生まれるのか」
「予定はないけど」
「そうか」
 テレビに視線を向けながらも、安堵の溜息を零しかけている自分が情けなくて、手塚は空のビアグラスを指先ではじいた。福士から、恋人の話を聞くと複雑な気分になる。自分の恋人を大切に出来る男なのだな、と思うと心がほころぶが、ノロケ話を聞かされると心臓が痛くなるのも事実だ。
「お前は、いないのか」
「何がだ」
「カノジョだよ」
「そんなものはいない」
 出来たこともない――いや、学生時代に一人だけいた。まだ自分が同性愛者であるということを認める覚悟のなかった頃、当時クラスメートだった少女からの告白を受けて、ひと月ばかり交際していた。部活で忙しかったことも関係したのか、手を握ることも出来ないまま別れた。あれが最初で最後の異性との交際だ。
「モテるのになーおっかしいんじゃねぇの。好きな子くらいはいるんだろ」
「――どうだろうな」
 好きな相手ならいる。自分のすぐ傍に腰掛ける馬鹿面の男のことが好きだ。
「なんだそれ、お前女にトラウマでもあるのか」
「女にはない」
 口に出してから、これでは男にはあると言っているようなものだな、と眉をひそめたが、勘の悪い男は、「んーよく分かんねぇな」と、言っただけだった。こんな男と付き合っていけるような女がいるだなんて、世の中は不思議だ。福士の恋人は、どんな女なのだろう。福士に似た浮かれた女だろうか、それとも手塚のように無口な女だろうか。彼の話を聞く限りは、普通の女のようだが、詳しくは知らない。
 手塚が1年ほど前まで付き合っていた恋人は、酷い男だった。性欲に歯止めがきかないらしく、一人暮らしの狭い家に手塚以外の男を連れ込んでセックスばかりしていた。そうしてその痕跡を完全には消さずに手塚の心をかきむしるのだ。不満を言えば殴られた。自分の方が背が高く、ガタイもよかったが殴り返すことは出来なかった。嫌われるのが怖かったからだ。
 そんな男と別れられたのは、福士のおかげだった。福士が、恋人のノロケ話をするのを聞いている内、心を傷つけられるだけの付き合いを続けていることが虚しく思えてきたのだ。。
 自分の言動が手塚を動かしたことなど、福士は知るよしもないのだろうが、あれ以来手塚は福士に好意を抱いている。セックスがしたいだとか、キスがしたいだとか、そこまで具体的なことは考えないが、ただ漠然と、こんな男と付き合ってみたいと思う。手塚の知る限り、彼は恋人を大切にする男だし、滅多なことがない限り人を傷つけるようなことも言わない。
「おっ、ももクロさん出てきたゾッ」
「ももクロちゃんじゃないのか」
「どっちでもいいだろッ」
「たしかにそうだな」
 いい加減な男だ。しかし不満は覚えない。真面目でつまらない男など、自分一人いれば充分だ。
「ピンクが可愛いよな」
 そう言って頬を緩めた福士は、多少肉付きのいい女を好むのかもしれない。手塚は写真すらも見たことのない脳内の福士の恋人に、丸みを足してみながら、空になった彼のグラスに、ワインを注ぎ足す。
「これ以上飲まされたらくってりしちゃうだろ」
「元々気は抜けているだろう」
「失礼ねっ」
 そう言いながらも、意外にも律儀な男はグラスを傾ける。かなり酔いが回っているらしく、こたつ机に投げ出したもう一本の腕からは力が抜けていた。
「あいつ、今頃何やってるかな」
「家族と紅白を見ているんじゃないのか」
「そうだよな、ガキ使は録画して二人で見る約束してるし」
「……仲がいいんだな」
「かーわいいんだよ。お前も早く恋人作った方がいいぞ。好きな相手、みつけ、」
「好きな相手ならいる」
 手塚がそう呟いた瞬間、福士は瞳をすーっと細めた。そうして手塚の言葉には答えを返さないまま俯いてしまう。
 何かを気まずがるような反応に、手塚は僅かに動揺した。自分が同性愛者であることも知らないはずの男が、この気持ちに気付いているのではないかと疑る。
「お前は、知っているのか」
 福士はやはり何も言わない。俯いたまま、黙りこんで、手塚にそれ以上言うなと言っているように見えた。
「俺はお前のことが、」
 どうせ知られているのなら、胸の内に留めておいても仕方ない。叶わないことなど分かっているのだから、全て吐き出してしまおうと思った。
 しかし手塚が、お前のことが好きだ、と言い切る前に、福士の頭が大きくブレた。大きな音をたてて額をこたつ机にぶつけた目の前の男が、小さく呻く。しかし、それでも顔は上げない。
 突然のことに驚いた手塚の耳に、スースーという規則正しい呼吸音が入り込んでくる。ゆっくりと頭を持ち上げてみれば、福士の瞳はぴったりと閉じられていた。そこにきてようやく、手塚は男が酒に弱いのだという事実を思い出す。先程俯いていたのも、手塚の気持ちに気づいていたからではなく、眠っていただけなのだろう。
 溜息をつきそうになるのを堪えて、テレビに視線をやると、既にももクロさんは退場していて、恐ろしい数のアイドルが画面を占領していた。福士が起きていれば、彼女たちを見て先程のように騒いだのだろう。
 あの子が可愛いだの、その子は可愛くないだのと、中身のないことをぺらぺらと休みなく話し続ける福士を想像した手塚は、口元を緩めた。
 こたつから露出した肩を震わせている男のために、毛布をとってきてやろうと立ち上がった瞬間、机の上に置かれている男のスマートフォンがメールを受信する。馴染み深い受信音に誘われて、なにげなくそちらに視線をやると、液晶画面にどこかで見たような女の名前と、数行の文章が表示されていた。
“お父さんに結婚の話をしました
怒ってなかったよー('-'*)
近い内に一緒にお父さんに会いに行こうね
それじゃあ、良いお年を(o^∇^o)ノ”
 内容を理解した瞬間、心がすーっと冷めていくのが分かった。福士は恋人にプロポーズをしたのだ。そうして、彼の恋人はその話をするために実家に帰ったのだろう。
 机に頭をのせた状態のまま眠り続ける福士の体を床に引き倒し、こたつ布団を肩にかけてやる。メールを見てしまったせいか、冷たい廊下を歩いてまで、福士のために毛布を取りに行ってやる気は失せていた。
 傷ついた自分の隣で呑気な顔をして眠る男が小憎たらしかった。福士にも、彼の恋人にも罪はないことはもちろん分かっているのだが、なかなか冷静になれない。そんな自分が情けなくて、手塚は俯いた。
 あと二時間も経てば年が明けるのに、こんな気分にさせられるとは思いもよらなかった。どうしてこんな日にうちに来たのだ、と眠る男を睨んだが、男が家に尋ねてきたときには確かに嬉しかったのだと思い出すと、視線を逸らした。
 男には飲まなきゃやってられないときがあるのよッ、という、福士の言葉の意味が分かった。手塚にとっては今がそのときだ。しかしグラスにワインを注ぐ気力も湧かない。
 空になったグラスをこたつ机の端に寄せた手塚は、眼鏡を外して机に突っ伏した。
 次に目が醒めたときにはきっと新しい年がやってきている。新しい年を迎えた自分の心が、今よりは穏やかであることを祈りながら、手塚はゆっくりと瞳を閉じた。

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