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日付が変わるよりも早く店を出た二人は、木吉の家に向かった。二人が花宮の家で体を繋げたのは初めて男とセックスをしたあの日一回きりだ。あれ以降は隣の部屋の人間と顔を合わせづらくなるのでセックスをするときは木吉の家に行くようにしている。木吉の家もアパートの一室であることには変わりないのだが、角部屋なうえ今は隣に入居者がいないので近所の人間に気を使う必要もなかった。
花宮の家では酒を飲んで適当な会話を交わすことくらいしか出来ないが、お互い若い身なのでふたりきりになれば自然と体を重ねたくなる。そういう理由もあって木吉が花宮の家に足を運ぶことは少なくなったし、セックスをしたあとは体を動かす気力が残らないので花宮は男の部屋で眠る。そんなことを週に何度も繰り返すので花宮は木吉の家に半分住んでいるような状態だ。このいい加減な男相手にこうも依存した生活をおくっていることに、花宮は不安を覚えないでもなかったが、しかし先程ゲイバーで男の言った言葉を思い返すと向こうひと月は不満もなく過ごせそうな気もしていた。
「今日は機嫌がいいんだな」
先にシャワーを浴びてベッドに横たわっていた花宮の頬を撫でた木吉はそんなことを言った。男の発言のおかげで機嫌はいいにはいいが、まさかそれが表情に現れてしまっているとは思わなかった花宮は顔の筋肉を固める。小さく笑った木吉が花宮の唇に自分のそれを重ねた。触れるだけのキスをして、木吉が花宮を抱き寄せる。
「俺はお前の本質を見れてないのかもしれない」
「はあ、意味分かんねぇよ」
「火神が微妙な顔をしてた」
「お前が俺が女だったら見向きもしてないって言ったときだろ。んなこと気にしても仕方ねぇよ。火神とは価値観が合わなかっただけだろ。俺はお前が俺が女でもいい、とか訳分かんねえこと言い出したら店出てたぞ」
「本当か。危なかったな。火神の真似してそう言った方がお前は喜ぶかもしれないとも思ったんだ」
「根っからのゲイの男にそんなこと言われても真実味ねぇし」
「違いない」
軽い口調で言った木吉が花宮の唇を太い指で撫でる。反射的に口を開いてそれに噛み付くと「熱いな」と言われた。手首を掴んで更に深く指を銜え込む。普段自分の中をかき回している男の指の形を確かめるように、舌を動かしているうちにいやらしい気分になってきた。
早く男の太いモノを受け入れたい。服を脱ぐ段階にすら至っていないにも関わらず花宮のそれは兆しはじめていた。いつだったか木吉が自分のことを淫乱だと笑っていたが、不本意ながらその通りだと思う。花宮はセックスが好きだった。木吉とするセックスが、ではなく男とするセックス全般が好きなのだ。
唾液で濡れた指を口内から引き抜かれ、その指で腹をなぞられると、いよいよか――と腹筋が引きつった。この先訪れるであろう快楽への期待から目尻に涙が滲む。
「火神は黒子がチームメイトじゃなかったらあいつを好きにはならなかっただろうな」
唐突に話を再開されて、花宮は嫌な表情を浮かべた。火神や黒子のことになど少しも興味はない。とにかく今はセックスがしたい。
「……どうでもいい」
「黒子が女だったら二人は一緒にバスケが出来なかったんだ。それなのに女の黒子も火神は好きになれるって言っただろ。俺にはあいつの言葉の意味が分からなかった。
俺は今の花宮のことが好きだ。お前が男に生まれてきてくれて本当によかったと思ってる」
「同じような話さっきも聞いたぞ」
うんざりしたように言うもののやはり万更でもない。すっかり機嫌を良くした花宮は、いつの間にか自分に覆いかぶさっている男のナニを布越しに足の指で弄んだ。
「もう勃ってる」
「お前もだろ」
木吉の膝が花宮のそれに擦り付けられる。背筋をかけのぼった甘い痺れが涙腺を刺激した。熱い息を漏らした花宮はゆっくりと口を開く。
「火神のことはもういいのか」
すると途端に真面目な顔になった木吉は、しかし頼りない口調で「どうせこれ以上考えても分からないだろ」と言い、膝を動かした。
*
「花宮、」
「んだよ……」
低い声で返事をして、顔を上げる。機嫌が悪いわけではないが疲れているのであまり明るい声は出せなかった。
情事が終わったあとは酷く気だるい。花宮は出すものを出したあとにもう一発だのなんだの言いだせるタイプではなかった。射精後の敏感な性器を刺激されると痛みにも似たくすぐったさを感じてしまう。今まで付き合ってきた女たちは花宮の言う敏感が性的な意味を伴わないことを察せず射精後の性器に触れたり舐めたりする者も少なくはなかった。その点木吉は同性なので行為が終わったあとに性器に触れる様な真似はしない。木吉の方は射精後も行為を継続出来るらしいが、我慢してもらっていた。
普段はへらへらと笑っていることの方が多い男がいやに真剣な表情を浮かべているので花宮は少々戸惑った。男は何を言いだそうとしているのだろうか。セックスの時間をもっと長くとりたいだとかそういう話だったら困る。射精後の性器に触れられることこそないものの、花宮は木吉よりも早く出すことの方が多いのだ。遅漏の男に付き合って揺さ振られ続けているとどうしたって性感を拾ってしまうので触れられてもいないそれが勃ち上がってしまい少々痛い。せめて射精後三十分はおいてくれ、と無茶なことを言いたくなるくらいだ。これ以上長いこと行為を継続されたら間違いなく体を壊す。
まだ何も言われていないうちから頭を悩ませる花宮を男がじぃっと見つめている。動揺が表情に出てしまっていただろうか、と花宮は気まずげに視線を逸らした。
「もう一緒に住まないか」
「はあ?」
予想外の言葉を受けて眉間に皺が寄った。これならセックスの時間を伸ばせと言われた方がましだと思う。
「嫌なのか」
花宮は黙り込んだ。なにも木吉と一緒に生活するのが嫌だと言っているわけではない。
花宮は付き合いはじめに予想していたよりもずっと木吉との付き合いに馴染んでいるし、今では男のいない生活など考えられない。二十数年間生きてきて初めて好きになった相手だ、こいつを逃したら次はないかもしれないとも思っている。
しかし同棲するとなれば話は別だ。花宮は男が、同棲は思う存分セックスをするためにするものだと言っていたことを覚えているし、自分があっさりとその意見に同意してしまったことも忘れてはいない。セックスは好きだが、それだけのために一緒に暮らすのは虚しい気がした。とはいえ、現在は出すものを出して冷静な思考回路を持ち合わせているものの、性交の最中にこの話を持ち出されたらあっさりと了承してしまっていただろうと思うので、このタイミングで話を持ちかけることによって選択の余地を与えてくれた木吉には感謝したい。
首をゆっくりと横に振ると、木吉が苦笑いを浮かべた。まだ早すぎるか、と言われて初めて自分達の交際が始まって三ヶ月しか経っていないのだと思い出す。
「いや、十年付き合おうがお前とは一緒に暮らしたくねぇよ」
「そう言われると流石に傷付くな」
声のトーンが低い。珍しく本当に傷付いたらしい。花宮はベッドから降りると男の隣に腰掛けて、その大きな手に頬擦りをした。こんな恥ずかしい真似、木吉以外にはしたことがない。
「一緒に暮らしたいってセックスしたいからだろ。なんか、虚しくねぇ」
ぽつりと呟くと、隣の男が驚いた様に息を飲んだ。それから力が抜けた様に笑って「そう思われても仕方ないな」と言う。
「確かにセックスはもっとしたい」
「頻度が増えるのは別にいい」
「だけどそれだけじゃなくてもっと不変的なものがほしい」
「……らしくねぇな」
「自分でも思った。だけど、たまには恥ずかしいことを言ってもいいだろ」
「今晩のお前はかなり恥ずかしい」
「二人に影響されたのかもしれないな」
花宮は木吉の後輩達の顔を頭に浮かべる。奴らは青いことばかり言っているし、数時間前の火神の発言は少々いただけなかった。しかし奴らの青臭くも真っ直ぐな、自分が正しいと信じて疑わない傲慢さを羨ましくも感じる。
「二十四年も生きてきて初めて人を好きになったんだ。これを逃したら後がないと思うのも無理ないだろ」
「……俺たち案外似た者同士だな」
同じようなことを花宮も先ほど考えたばかりだ。
「お前はなんで俺なんだろうな。他にもっと性格いい男いただろ」
「人を好きになるのに理由なんて必要なのか。だいたい後付けだろ」
殆ど恋なんて知らない男が分かった様な口をきくのがおかしくて花宮は口角を持ち上げた。なんの受け売りだ、と尋ねると、テレビで聴いた歌だとあっさり答えられる。
「薄っぺらいなお前」
「それこそお互い様だろ」
それもそうだと花宮は笑う。そういえば近頃は笑うことが増えた気がする。木吉のおかげだろうか、とこっ恥ずかしいことを考えた花宮は未だ自分の頬に触れたままの男の手の甲に爪を立てた。
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