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 木吉と花宮が付き合い始めて三ヶ月が過ぎた。彼らの関係は驚くほど穏やかに淀みなく進んでいる。花宮が木吉の家を訪れることも珍しくはなくなっていたし、二人揃ってゲイバーに顔をだすこともある。
 そうして今晩も男を連れ添い何気ない気持ちで店の敷居をまたいだ花宮は、店の奥、カウンター席に座る一人の男の姿を目視した。火神がいる。三ヶ月前に男とこの店で出会ったときのことを思い出した花宮は唇を噛んだ。注意して見ると男の隣には彼の恋人である影の薄い男も腰掛けている。
 店に入って一歩目のところで後ずさりを始めると、木吉に手首を掴まれた。どうかしたのか、と尋ねてくる男はどうやらまだ奴らの存在には気がついていないらしい。今ならまだ引き返せそうだ。

「今日は帰ろうぜ」

 花宮は店を出たい一心で男の腕を抱え込んだ。普段なら人の多い場所では決してこんな真似はしないが状況が状況なので仕方ない。しかし平素とは異なる恋人の態度に違和感を覚えたらしい木吉は店の中を見渡し始める。男が奴らの存在に気がつくのと、客のタバコを買いに出ていたらしいバーテンが木吉の背中にぶつかったのはほぼ同時だった。

「あらいらっしゃい」

 いつもどおりの口調で声をかけてきたバーテンは、しかし普段とは全く異なった身なりをしていた。女物……なのかは怪しいサイズの派手な色をしたボディコンを身にまとっていたのだ。頭にはプラチナブロンドのウェービーなウィッグがのっかっている。ばっちりとメイクを施された顔は元々整った顔立ちをしているだけに美しい。それ故に首から上だけ見ればキレーなネェちゃんで通るかもしれなかったが、木吉ほどではないにせよ体つきはかなりしっかりとした方なのでそんな服装が似合うはずもなかった。露出された腕や肩が逞しすぎるので最終到達地点は気持ち悪いオカマちゃんだ。
 普通にしていればいい男なのに、とその時点で花宮は男の身なりにツッコミをいれたかったのだが、動揺を隠さずにつっこめば相手の思う壺だという思いもあったので、男に勧められるがままに火神達のすぐ傍に座り、二時間は堪えて酒を飲んでいた。しかし酒の席での話題が尽きかける頃になると再び男のなりが気になるようになり、堪えきれなくなる。

「……お前なんでそんな服着てんだよ」

 ほろよい状態の花宮が口を開くと、カウンターの中でウーロンハイを作っていた男は顔を上げて「今更ねぇ」と呟いた。パサパサとしたプラチナブロンドのウィッグをかきむしって「アタシ、可愛い?」とシナを作ってみせる。

「ちょっと気持ち悪いぞ」

 正直な感想を吐露するとバーテンは頬を膨れさせた。やはり顔だけ見れば可愛くないこともないのだが全体像を見ると気色悪い。

「酷いわねぇ」

 真っ赤なマニキュアを塗った指で花宮の肩を掴んだバーテンは「口紅つけちゃうわよ」と言って、顔を近づけてくる。隣に掛ける恋人に助けを求めようと視線を送ったが、男は少しも動じた様子を見せずに「唇につけるのはやめてやってくれ」とだけ言うと、花宮とは逆隣に座る後輩達の方に顔を向けてしまう。
 なんとかしてバーテンを振り払った花宮は恨みがましく男を睨んだ。久しぶりに再会した後輩たちと話に花を咲かせたい気持ちは分かるが、自分の恋人が貞操の危機に立たされているのだから少しくらいはこちらに意識を向けてくれてもいいだろう。自分の貞操が端からこのボディコン男に奪われてしまっていることも忘れて花宮はそんなことを考えていた。

「お前そっちの趣味なかっただろ」

 そっちのというのは女装趣味のことだ。この男はゲイだが、花宮の知る限り女になりたい類の人間ではない。行為の際にもタチに回ることが多いと聞いているので、似合いもしない女装をしているのは不思議だった。

「そうなんだけど、やってみると案外楽しいもんなのよぅ。まこっちゃんにもやったげようか」
「やめてくれ。女装した花宮なんて見たくない」

 そこにきてようやく話に口を挟んできたのが木吉だ。滅多に見せない様な苦い表情を浮かべている。

「そういうのが好きなゲイもいるのに、勿体ないわねぇ。タイガーなんて絶対好きよ、ねっそうでしょ」
「はっ」

 唐突に話を振られた火神は少々慌てた様子でカウンターの中に立つボディコン男を見つめた。アンタのは嫌だ、と正直過ぎる感想を男が漏らしたので笑ってしまう。

「残念だわ、この服装のままごつい男犯すのが夢だったのに」
「恐ろしいことを言うんですね」
「あら黒ちゃんは余裕ね。まあアンタの女装ならタイガーも喜びそうだけど」

 バーテンにそんなことを言われた黒子は頬をほんのり紅潮させて俯く。火神が居心地悪げに身動ぎをするのを視認した花宮は「マジかよ」と口の中で呟いた。あれでは既にお試し済みですと言っているようなものだ。女装には抵抗のある花宮は自身の恋人がノーマルな嗜好を持ったゲイであることに感謝した。

「俺は上手く化けられれば化けられるほど嫌だな」
「鉄ちゃんは女がてんで駄目だもんねぇ」
「……木吉先輩は、花宮が女だったらとか、考えないんですか」

 おかしな質問をする奴だな、と花宮は思った。そんなことわざわざ尋ねなくても答えは想像がつくだろうに。木吉も花宮と同じことを考えたらしく、火神をまじまじと見つめ返している。

「火神はどうなんだ」
「俺は、元々ゲイではないんでコイツが女なら女で」

 花宮は怪訝な表情を浮かべて火神を見据えた。男の表情からは何の迷いも見つけられない。次に花宮は奥に座る男の恋人に視線を移した。男は、平素と変わらぬひんやりとした目で先ほどバーテンの作ったウーロンハイの入ったグラスを見つめている。華奢な体躯をしているものの黒子はやはり男にしか見えない。これが女に変わってしまったら最早別人ではないかと花宮は思うのだが、火神は気にしないのだろうか。花宮は木吉が女だったら好きになってはいなかっただろうと思う。木吉が女だったら気持ち悪いだとかそれ以前に、花宮は男を構成する要素の一つ一つは木吉が男であるが故に生かされるものだと思っているからだ。

「俺は花宮が女だったら見向きもしてない」

 火神は表情に驚きの色を浮かべて、木吉を、そして花宮を見やった。もしかすると花宮が傷ついているとでも思って見当外れの同情をしているのかもしれない。

「それは木吉先輩がゲイだから、ですか」
「そうだな、俺はゲイだし、性別っていうのは人間を作る上でかなり大きなウェイトを占めてるだろ。花宮が女だったらもうそれは別人だ。顔や正確は変わっても性別だけは滅多なことでは変わらないし、俺は今の花宮を完璧な状態だと思ってる」
「……つまらねぇこと言うな、気持ち悪ぃ」

 そうは言ったものの、内心では男の選んだ真っ直ぐな言葉に満足している。熱くなる頬にグラスで冷やした冷たい手のひらを当てた花宮を、バーテンが微妙な表情を浮かべて睨んだ。イチャついてんじゃないわよ、と小声で囁かれて、花宮は唇を噛んだ。





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