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 木吉と再会してからふた月が過ぎた。最近ではすっかり花宮の家に馴染んだ木吉は毎晩の様に彼の家に訪れて酒を飲んだり、ときには精の発散をして帰っていく。現在の花宮は一応アナルバージンを守ってはいるものの、最近では随分とスムーズに指の挿入を受け入れることが出来るようになってきており、いつ男に処女を散らされてもおかしくはない状態だ。

(ケツの処女なんて後生大切に守ってても仕方ねぇし)

 木吉とこのような関係になってから、花宮は自分が流されやすいタチなのだということを知った。男に求められれば仕事で疲れていてもすんなりと応じてしまう。それでも木吉は満足出来ないらしく結構なペースで他の男と寝ているという。花宮は木吉の恋人ではないし、男に対して愛情を抱いているわけでもないので男に他の男の話をされても、猿みたいな奴だな等と思うだけだ。木吉は男に執着するのもされるのも好きではないらしく、花宮の性格を都合のいいものだと捉えているようだった。
 宅飲みにも飽きつつあったある日、花宮の家を訪れた木吉は「たまには外で飲まないか」と彼を誘った。翌日は仕事が休みだということもあり、木吉の誘いを断る理由もなかった花宮はあっさりと誘いに応じた。
 新宿にある木吉がときたま訪れるという店はいかにもそっち系ですといった佇まいだった。自分がバイセクシュアルであることは自覚しつつも未だにこちらの世界に手を染め切れていない花宮は思わず店の前で立ち止まってしまう。

「誰もとって食いはしない」

 木吉はそう言って笑うが、この界隈に入ってから至るところで男同士が手をつないで歩いているところを見かけていた花宮は笑えなかった。顔の筋肉をひきつらせて、俺も遂にゲイの仲間入りをしてしまうのか……などと考えてしまう。

「行くぞ」

 逡巡する花宮に痺れを切らしたらしい木吉が彼の手を取った。所謂恋人つなぎをした形で店に入った花宮は、店の中の様子を眺めながら、一瞬は普通の店と変わらないじゃないかと考えた。しかしカウンターやテーブル席に座る客が全員男であることに気がつくと俯く。視線を下向けたせいでテーブル席に向かい合って座っている男2人が足を絡め合わせていることに気がついてしまったので今度は目をつむった。そんな花宮の様子を眺めていた木吉はおかしなものを見たとでも言いたげに笑うと、彼を壁際のカウンター席に誘導した。

「あら鉄ちゃん久しぶり」

 鼻に掛かった様な、しかし太い声をかけてきたのは店のバーテンだ。口調こそオネエだが、派手な服に目をつぶれば見かけは普通の男と変わらない。顔立ちはなかなか整っている。背も高いので普通にしていれば女によくモテるだろう。

「その子彼氏?」
「まさか。俺は特定の相手は作らないよ」
「悪い男ねェ」

 熱い溜息を吐きながら体をくねつかせたバーテンは「久しぶりだからサービスしちゃうわよぉ」と言って木吉を見やる。思えば店に入ったときから木吉は客の熱っぽい視線を集めていた。道に入りたての花宮にはよく分からないが木吉の様なガタイのいい男はこの筋ではウケがいいらしかった。

「花宮、お前何飲む?」
「ウーロン茶」

 特別酒に強くない花宮には初めてのゲイバーで飲んだくれる勇気はなかった。意外なことに木吉もウーロン茶を注文している。飲みに行くぞとバーに来て2人してウーロン茶を飲むのもどうかと思ったが、酒に酔って無口になった木吉とこんな店で並んで座っている自分を想像すると空恐ろしかったので何も言わなかった。
 出されたウーロン茶のグラスを傾ける。いつの間にかカラカラに乾いていた喉が潤い、呼吸はいくらか楽になったが、味覚は上手くはたらかない。花宮の体は彼が思っている以上にストレスを感じているようだった。
 出来るだけ早く店を出たくて俯く花宮の顔をバーテンがまじまじと覗き込む。視線に気が付いた花宮が恐る恐る顔を上げると、男は見かけだけなら爽やかな笑顔を見せる。

「よく見るとアンタもいい男ね。名前は?」

 バチバチと飛ばされるウインクを手で払うような動作を花宮がするとバーテンは口をへの字にして「酷いわぁ」と言った。横でそんな2人の様子を眺めていた木吉が笑いながら口を開く。

「花宮は男慣れしてないんだ。いろいろ教えてやってくれ」
「いやん、なにそれっときめくわぁ。えっちなことも教えてあげていいのかしら」
「程々にな」

 何が程々にな、だ。グラスに残ったウーロン茶を一気に飲み干した花宮は自分の隣に座るいい加減な男を睨んだ。

「そんな顔するなよ。きっと優しくしてくれる」
「……いや、優しくされる方が問題だろ」
「酷くされた方がいいのか」
「もういい……」

 肩を落とした花宮が空になったグラスを弄んでいると、バーテンが次もウーロン茶でいいのかと尋ねてくる。小さく頷いた花宮は改めて店内を見渡した。老若男女、いや女はいないのだが、店には色んなタイプの客がいる。五十過ぎに見えるオッサンや、成人しているのかも怪しい若者、ロン毛に短髪……しかし中でも1番多いのは筋肉質な男だ。たっぷりと贅肉を蓄えた巨漢も少なくはない。

「こういう店初めてなの?」

 おかわりのウーロン茶を花宮に手渡したバーテンが尋ねてくる。グラスに口をつけた花宮が頷くと、バーテンは「うちの店は敷居が低いからいろんなお客さんが来るのよ」と教えてくれた。
 ようやく店の雰囲気に慣れ始めた花宮がグラスを傾けていると、ようやく一杯目のウーロン茶を飲み終えた木吉が立ち上がる。手洗いにでも行くのだろう、そう思い後ろ姿を眺めていたが、男は店の奥にある手洗いとは真逆の方向に進んでいく。

「相変わらず手が早いわねぇ」

 バーテンがそう呟くのと殆ど同時に木吉はテーブル席に1人で掛けていた男に声をかけた。ガッシリとした体型の短髪の男は触れたらチクチクしそうなヒゲを生やしている。

「鉄ちゃんってああいうイカニモ系の男が好きなのよね」
「は?」
「いっつもウーロン茶1杯しか飲まずにホテル行っちゃうんだからつまんないわよ」

 バーテンが言うところのイカニモ男はこちらに向かって手を上げると「金置いとくからな」と言って机に札を数枚置き木吉の腕を引く。状況が飲み込めない花宮がぽかんと口を開けている間に木吉とイカニモ男は店を出ていってしまった。

「あいつ、帰ったのか」
「帰るわけないでしょ。ゴートゥーベッドよ」
「……最悪だな。飲みに行かないかって人を誘っといて店入って三十分で男引っ掛ける奴がどこにいんだよ」
「二丁目でしょ」

 身も蓋もないバーテンの返しに溜息をつく。グラスに残ったウーロン茶に口をつけた瞬間、小さな違和感を覚えた。

「これウーロンハイだろ」
「あらバレちゃった? だけどせっかくこんなとこまで来てウーロン茶だけ飲んでるのもつまんないでしょ」
「……そうだな」

 イカニモ男に腕を引かれて店を出ていった木吉の何かを期待する様な横顔を思い出す。あれは本当にとんでもない男だ。人を慣れない場所に連れ出しておいて、何のフォローも入れないで去っていってしまうのだから。

「ほらほら、飲んで忘れちゃいなさいよ」

 そう言ってバーテンは花宮が口をつけているグラスを無理やりに傾けた。飲み込みきれなかったウーロンハイが唇の端を伝って顎を滴る。口元を濡らすそれを手の甲で拭った花宮はもうどうにでもなれという気持ちで「もう1杯」と呟いた。


*


 翌日の夕刻、アパートの自室で目を醒ました花宮は頭を抱えた。酒の飲み過ぎで昨日の記憶がない、そんな状態に陥っていたのならまだよかった。しかし体に蓄積されたアルコールの量は思った程のものではなく、昨晩木吉が店を出てからの記憶は鮮明である。
 初めて訪れたゲイバーで、昨晩の花宮は思考能力を鈍らせるには十分な量のアルコールを摂取した。彼の愚痴を聞きながらも酒を出し続けたバーテンは、花宮のことが気に入った様子だったが、ママと呼ばれる大男が店に出てくると「もう上がるから」と言って店を出ていこうとした。そんな男の手を先に取ったのは花宮で、その手を握り返し艶っぽく微笑んだバーテンは「優しくできないかもしれないわ」などと恐ろしいことを言って彼をホテルに連れ込んだ。
 結論から言えば、バーテンは優しかった。少なくとも花宮を慣れないゲイバーに置いて男とゴートゥーベッドした男よりはずっと。
 店を出るなり営業用のオネェ言葉を封じた男に、花宮のアナルバージンは散らされた。しかし彼はそのこと自体にはさしてショックを受けていない。花宮が忘れてしまいたかったのは、入店後三十分で花宮を置いて店を出た木吉のことだ。元々適当な男だとは思っていたがまさかあそこまで無責任だとは思っていなかった。そして花宮は男の無責任ぶりに少なからずショックを受けている。
 花宮はなにも木吉のことが好きなのだとかそんな大それたことを言うつもりはない。それでも、家に入り浸られても不快には思わない程度に親しみを持っていた相手にあんな振る舞いをされれば腹が立つし、傷つきもするのだ。
 しばらくは木吉と顔を合わせたくない。男の置いていった日本酒の瓶を取り出した花宮は、グラスに酒を注ぎ一気に煽った。こんな飲み方はよくないことくらいは分かっているが飲まずにはいられない。いい加減な男のことを忘れようとして酒を飲んでいるはずなのに、アルコールが体に蓄積していくたび思い出されるのは非常識な男の記憶ばかりだ。
 木吉がゲイでよかった。あの男の遺伝子は後の世に残してはいけないものだ。大真面目にそんなことを考える自分がおかしくて花宮は口角を持ち上げた。
 木吉は白濁を無駄打ちすることに虚しさを覚えたことなどないだろう。あれは驚くほどに自分の欲望に忠実な男だ。
 かくいう花宮も自分の子孫を後の世に残したいだなどと考えたことは一度もない。セックスは快楽を得るためだけに行うべきものだと思っている。そういう意味では花宮も木吉とさほど変わらない性質を持っているといえるし、昨晩バーテンとしたセックスは自分の望む形のそれだったとも言える。 部屋のドアがノックされた。チャイムがあるのにわざわざそれを叩く男を花宮は1人しか知らない。グラスを置き立ち上がった花宮は、ドアの前まで移動すると「帰れ」と言った。

「酷いな、ここまで来させておいて帰らせるのか」

 酷いのはお前だろ、と突っ込みたいのを堪え、落ち着いた声音で「家近いんだろ」と返す。そう言いながらも花宮は男の家がどこに建っているのかは知らなかった。
 花宮は木吉のことを殆ど知らない。電話番号も、メールアドレスも、職業も知らないのだ。知る必要もないと思っている。
 花宮と木吉はただの飲み仲間だ。花宮は木吉が好きなビールの銘柄さえ知っていればいい。

「土産があるぞ」
「土産だけ置いてけよ」
「とりあえずドアを開けてくれ」

 言われてしぶしぶ玄関の鍵を開ける。先ほどまでは手を触れるつもりもなかったドアを僅かに開いて「土産」と子供の様なことを言うと、男の大きな手がその僅かな隙間に差し込まれた。
 まずいと思ったときには時既に遅し、あっさりと全開になったドアから男が平然とした顔で入ってくる。
 そんな風にして花宮の部屋に平然と上がった木吉は、持参した缶ビールを冷蔵庫にしまうなり座り込む。グラス出してくれよ、などと軽い調子で口を開くので腹が立った。

「帰れって言っただろうが」
「冗談だと思った」
「つまんねぇ冗談を言うのは好きじゃないんだよ」

 花宮の言葉を無視した木吉は彼の飲み残しの入ったグラスに口を付ける。木吉を避けるように部屋の端に腰掛けた花宮は、苦い表情を浮かべて男を見つめた。そこにきてようやく口元から笑みを消した木吉が「怒ってるのか」と花宮を見つめ返す。怒っているに決まっている、花宮はスプリングの効いたベッドに拳をぶつけた。

「あんな場所に放置されて怒らない方がおかしいだろうが」
「そうか? 俺だったらすぐに男ひっかけて自分も楽しむぞ」
「俺はお前みたいなブラック仕様じゃねえの。素人だぞ、素人。知ってんだろ」
「それは知ってるけど、いい機会だと思ったんだ」

 お前も少しは男慣れした方がいいだろ――と木吉は続ける。
 その言葉で花宮は男があの場所に行くのにわざわざ自分を誘った理由を知った。この男は初めから自分に適当な男をあてがうつもりでいたのだ。花宮は自分の初めての男は木吉になるものだとばかり思っていたが、男の方は花宮を抱く気などなかったらしい。イカニモ系と呼ばれるような分かりやすくゲイらしい見かけををした男を好む木吉は、花宮の様な普通の男とは寝たくないのだろう。
 花宮は笑う。拗ねているわけではない。このいい加減な男を相手に目くじらを立てることが馬鹿馬鹿しくなったのだ。

「あのバーテン店出た瞬間に普通に話始めたぞ」
「ああ、あいつとヤったのか。初めての相手にしては上々だな」

 あのバーテンはなかなかにモテるのだと木吉は言う。花宮はベッドの中でのバーテンの姿を思い出した。男は多少荒っぽいところはあったものの、初めての花宮への気遣いを忘れることはなかった。他との経験はないが、セックスも下手ではなかったと思う。

「悪くなかった」
「ああいうのが好みなのか」
「どうだろうな。まあお前が好きなごっつい男よりはいい」
「俺は棒さえ付いてればどんな男でもいいんだけどな」
「あのバーテンはお前はイカニモ系が好きだって言ってたぜ」
「昨日はそういう気分だっただけだ」
「それならどうして俺のことは抱かなかったんだよ」

 これは純粋な疑問だった。この即物男が2ヶ月もの間自分にだけは挿入しようとしなかった理由が彼には分からない。

「言ってなかったか」
「何をだよ」
「俺は基本的にはウケなんだ。よっぽどのことがない限りはタチ側には回らない」

 2ヶ月前の木吉との会話を思い出す。今になって思えば花宮にタチとウケどちらを選ぶのかと尋ねた木吉は、彼をタチ側に誘導しようとしていた気がする。入れるだけなら女とするのと変わらないだとかなんとか、木吉はそのようなことを言っていた。

「……そんなしょうもない理由で俺をゲイバーに置き去りにしたのかよ」
「英断だっただろ」

 そう言って笑った木吉は空のグラスに向けて日本酒の瓶を傾けた。なにが英断だ、と花宮はごちる。

「あんま飲み過ぎるなよ。酔ったお前って目が据わっててこえぇから」
「自覚してる。だからあの店ではウーロン茶しか飲まないんだ」

 なるほどそういうことか、と合点した花宮は冷蔵庫から前回木吉の持ってきた缶ビールを取り出してプルタブを外した。つと、自分のことを熱っぽい目で見つめていたバーテンのことを思い出して、あの店に木吉と連れ立っていくことはもうないだろうと考えた。







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