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 ――私、あなたがいないと駄目なの、ブラウン管の中の女優が瞳を潤ませて呟くのを見て、花宮の隣で酒を飲んでいた今吉が至極おかしげに笑った。少しも心のこもっていない声で「愛ってええなあ」と言う。はあ、と花宮が気のない返事をかえすと、男は彼の方へ向き直った。

「それで、花宮は分かったんか」
 花宮は一瞬何のことだか分からなくて怪訝な表情を浮かべてしまう。

「愛や、愛」
「アイヤー?」
「ふざけとんか」
「聞こえなかったんですよ」
「……彼女はどうしたんや」

 呆れ声で尋ねられてようやく男が何を言いたいのか理解した。別れましたよ、と返すと「そうやろなぁ」と頷かれる。

「上手くいくとは思ってへんかったわ。相変わらず渇いた毎日おくっとんやろ」
「……いや、それなりに潤っては、」
「新しい女出来たんか」
「特定の相手はいません」

 言ってしまってからまずいと思った。これでは突っ込んでみろと言わんばかりじゃないか。

「おもろいなぁ、どこで女引っかけとん?」
「いや……」

 流石に二丁目ですとは言えないので黙り込む。当然のことだが、花宮は身の回りの人間に自分がバイセクシュアルであることをカミングアウトしていない。

「あんまだらしない生活おくっとったらいつか刺されるで」
「はあ」

 今吉はそう言うが、花宮は嫉妬に狂って刃物を振るうほど自分に情を移す男はいないだろうと思う。そもそも彼は複数回にわたって同じ相手と寝ること自体滅多にない。片手で数えきれない程寝ている男は初めて訪れたゲイバーで出会ったあのバーテンくらいなものだ。男とはセックスフレンドとして割り切った関係を保っていた。

「性欲は満たされても色恋方面はからきしってことやろ」
「まあ」

 確かにその通りだ。花宮が女でなく男を相手にして性欲を発散するようになったのは、男が相手なら後腐れなく関係を持てるからだった。今のところ同性に対して恋愛感情を持ったことはない。

「今吉さんはどうなんですか」
「ワシは、」

 自らへの追求をかわすために尋ね返したそのとき、玄関のドアがノックされる音が聞こえた。しかし花宮は動かない。今吉が「出んでいいんか」と言う。

「最近新聞の勧誘が激しいんですよ」
「こんな時間にか」
「こんな時間に」

 そう言っている間にもドアはノックされ続ける。うるさいからとりあえず出ぇや、と言われてしぶしぶ立ち上がった花宮は、なんともいいがたい表情を浮かべていた。
 ドアをノックしているのは木吉だろう。家族と木吉以外に花宮の家を知っている人間はいない。
 今日は花宮の家で飲みたいと言い出したのは今吉の方だった。基本的には自分のプライベートな空間に立ち入られることを好まない花宮だが、今吉に強く出られると昔の習慣から逆らうことも出来ないためしぶしぶ男を家に招き入れた。

「今日は帰れ」

 すぐ傍で酒を飲んでいる今吉に聞こえないように、限りなくドアに顔を近づけた花宮は言った。ついひと月ほど前にも同じ様なことを言った記憶がある。

「ここまで来させておいて帰らせるのか」

 デジャブだ。ひと月前も男は同じことを言った。とにかく帰れ、と花宮は返す。

「土産があるぞ」

 そんなことを言われても今度は土産だけ置いていけだなどと馬鹿なことは言わない。花宮はだんまりを決め込むことにした。するとドア一枚隔てた先にいる男は一瞬静かになったが、すぐに勢いよくそれを叩きはじめる。慌てて近所迷惑になるからやめろと口を開こうとした花宮の耳にとんでもない言葉が飛び込んできた。

「俺を捨てるのか、花宮っ」

 隣近所にまで聞こえそうな大声で木吉は叫んだ。酒の入ったグラスに口をつけていた今吉が顔を上げて花宮を見た。
 一刻も早く男を止めなければ、近所でゲイ疑惑がかけられてしまう。焦った花宮は勢いよくドアを開き、男の胸ぐらに掴みかかった。

「拾った覚えもねぇよ」

 半分泣きそうな声で言うと、背の高い男がニッと笑う。すぐにドアを閉じようとしたが、やはり間に合わない。いとも簡単に部屋に入り込み「学習しないな」と言った木吉と今吉の視線がかち合う。

「なんや、見覚えある顔やな」

 らしくもなく驚いた様な表情を浮かべた今吉は瞼を瞬かせている。

「今吉さん」
「誠凛の木吉か」

 今日の土産らしい瓶入りの焼酎を床に置いた木吉が呟いてようやく今吉も男の名前を思い出したようだ。花宮と木吉を交互に指さして唇を動かす。

「お前らホモなんか」
「そ、」
「んなわけねぇだろバァカ」

 木吉の体を押しのけて半分おらぶように否定した。敬語を忘れてしまったが、酒の席では今吉がそれを気にしないことは知っている。

「やけどさっき、」
「あれは家にいれてほしくて適当言っただけで……そうだろ、木吉」

 今吉には見えないように隣に座る木吉のふくらはぎをつねる。痛みに顔をしかめた木吉は、それでも素直に頷いた。

「まあええわ。それにしても、お前らが家を行き来するほど仲良うしとるとは思わんかったわ」
「偶然家が近所みたいで」

 木吉がまた頷く。そうは言っても花宮の方は木吉の家を知らない。納得したような表情を浮かべた今吉が「今日は木吉も来る予定やったんか」と尋ねてくる。

「約束はしませんよ。いつも好きなときに来るんです」
「さよか。まあ二人で飲むんも三人で飲むんもそう変わらんやろ」

 あっさりと木吉が加わることを認めた今吉を、花宮は気付かれない程度の鋭さで睨んだ。酔った木吉がつまらないことを言って自分がバイセクシュアルであることがバレてしまわないか不安だった。

「お前ら二人でどんな話しとんや」
「さ、酒の話とか」
「色気ないなぁ」

 呆れたように呟いた今吉を無視して、花宮は食器棚から取り出した新しいグラスに氷と焼酎を注ぐ。花宮は少しでも早く木吉のことを酔わせてしまいたかった。木吉は酒に酔うと極端に口数が少なくなるのだ。
 しかしそんな花宮の意図が透けてみえるのか、木吉はその大きな手でグラスを弄ぶばかりでなかなか口を付けようとしなかった。
 木吉の手元とにらめっこしているうちに今吉のグラスが空になり、花宮は半分程度にまで減った500mlの缶ビールを傾ける。すまんな、と笑う男の顔を見つめながら、なかなかいい男だな等と思ってしまい唇を噛む。
 ストライクゾーンがベラボーに広い木吉とは異なり、近頃ようやく定まってきた花宮の好みの範囲は少々狭い。彼はいい男を好む。それも一般的にゲイが好むとされる筋肉質で男らしいタイプではなく、そこらへんを歩いている女が引っかかりそうな普通のいい男だ。今吉は彼のストライクゾーンど真ん中だった。無論ヘテロの男相手にどうにかなろうとは思わないが。

「今吉さんてモテそうですね」

 軽い口調で言ったのは木吉だ。いつも以上に胡散臭く見える笑顔を浮かべた男は、気づけば花宮から離れ今吉との距離を詰めている。木吉がゲイであることを知っている人間からすればちょっと笑えないほどに近い位置に座っているが、既にほろ酔い気味の今吉は気にならないようだった。

「ヨイショしてもなんも出ぇへんで」

 ありあわせで十分ですよ、と木吉が笑う。おいおい勘弁してくれよと花宮は頭を抱えた。こんな場所で今吉にいらぬトラウマは抱えさせたくない。
 気分がよくなってきたのかピッチの早くなってきた今吉のグラスが再び空になり、木吉が結局自分は口をつけなかった焼酎のグラスを男に差し出す。これ以上今吉を酔わせるのは危険だと判断した花宮がその手を制すと、男はタイミング良く手洗いに立った。
 その隙に木吉を今吉の座っている位置から引き離した花宮は、呆れ声を出す。

「ノンケには手出さないんじゃなかったのか」
「望みがない場合はな」
「今吉さんにも望みはねぇよ」
「酔わせればなんとかなるだろ」

 しれっととんでもないことを言った木吉の膝を力強く打つ。

「今日は随分情熱的だな」
「ああ、早くお前と二人きりになりてえよ」

 皮肉っぽく言った瞬間、今吉が手洗いから出てきた。再び男に酒を進めようとする木吉の動きを封じるため花宮が立ち上がった瞬間、聞き覚えのない携帯の着信音が鳴る。

「もしもし」

 携帯をとったのは今吉だった。なにやら小声で話し込みながら、電話だというのに首を縦に振っている。

「――ん、分かったわ。今から行く」

 通話を打ち切った今吉が「こっちから誘っといて悪いんやけど」と呟くのを聞いて、花宮はほっと胸を撫で下ろした。木吉はポーカーフェイスを装っているが内心ではつまらなく思っているのだろう、先ほどまでは頑なに口をつけようとしなかった焼酎のグラスを傾けている。
 また来るわ、と言って今吉が出ていき、花宮は玄関の鍵を閉める。振り返ると妙な表情を浮かべた木吉が「あっさり二人きりになれたな」と呟いた。

「嬉しかねえよ」
「つれないな」
「……疲れた。お前変なタイミングで来るなよ」
「狙ってたのか」
「狙うか、お前じゃあるまいし」
「俺はああいうのは好みじゃない」
「じゃあなんでちょっかいかけるようなそぶり見せたんだよ」
「花宮の反応が面白かったからな」

 いくら溜まっていてもノンケに手を出すようなリスクの高いことはしない、と木吉は言うが、自分の性癖を自覚するよりも早く手を出された花宮は、素直に「そうかよ」とは言えなかった。

「俺に手出した」

 言いながらローテーブルを部屋の端に寄せて座布団を枕に横たわる。適度に酒が入っているせいか無性に眠たかった。焼酎を飲みきった木吉も花宮と向かい合わせになるように床に寝転がる。

「お前はハッテン場で会った日いじくり回してもそこまで嫌がらなかった」
「そこからしばらく放置してた時期もあったろ」
「やっぱりノンケかもしれないって思ってたんだ」
「最後まで思っとけよ」
「あの雨の日はことさら溜まってたし、酔ってたからな、もうゲイだってことにすればいいと思ったんだ」
「……お前酷いな」
「実際男と寝る方が好きだろ」

 いやに優しい声で言った木吉が手を伸ばしてくる。大きな手が肩に触れる寸前で寝返りを打つと、背中に張り付かれた。

「離れろ。今日はその気になれない」
「どうせ最後までは出来ないだろ」
「途中過程でも充分だるいんだよ、つーか勝手に横になるな。もう帰れ」

 文句を言っている間にも男の手は部屋着のスウェットをたくし上げている。贅肉のない薄い腹を指でなぞられると嫌でも体が熱くなってしまうので花宮は身動ぎをした。ざらりとした熱いものが首筋を撫でる。抵抗しようにも狭い部屋なので、あまり派手には動けない。

「あんまり抵抗されたら興奮する」
「タチみたいなこと言うな」
「たまにはタチに回ることもあるからな」

 耳元で笑われてたじろいだ。スウェットごしに男のかたくなり始めた昂ぶりを押し付けられる。

(冗談じゃねえ)

 こんな男に抱かれるのは嫌だ。セックスの相手に誠実さを求めたことなど一度もないが、ノンケの男を酔わせて好きにしようとするような男に身を任せるのは流石に抵抗がある。

「やめろって、お前に入れられてもイけねえよ」
「俺は花宮の中でもイける」
「ま、じで、出て行けってっ」

 どこまでも自己中心的な言葉には流石に腹が立った。俎上の鯉の様におとなしく調理を待つことの出来ない花宮は後ろ足で男の腿を蹴ると、肩で息をしながら立ち上がる。

「……お前が出ていかないなら俺が出ていく」

 掠れた声で呟いた花宮はそのまま顔を上げることもなく家を飛び出した。飛び出したが、走っている途中で自分がスウェット姿のままであること、財布すら持ちあわせていないことに気づき肩を落として家に戻る。
 家では木吉が先ほどと同じ姿勢のままでテレビに向かい、AV女優がふざけたおすバラエティ番組を見ていた。すっかり力の抜けてしまった花宮は男の肩を蹴飛ばすと、ベッドに横たわって目を閉じる。今度は木吉がちょっかいを出してくる気配がなかったので安心したが、ゲイの男が殆どAV女優しか出ない番組を真剣に見ているという状況の異常性について考え始めると結局なかなか寝付けなかった。



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