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 炬燵の温もりに眠気を誘われる。欠伸を堪える真田の向かいに座る幸村はとろけた表情を浮かべていた。炬燵っていいね、幸村が呟き、真田は唇の端を持ち上げる。幸村が戻って来た日の翌朝、炬燵を出してやってよかったと思う。

「炬燵に一緒に入るとお前と家族になれたような気分になる」
「……家族も同然だろう」
「戻ってきて一週間も経ってないから実感が湧かない」

 そう言って苦笑を浮かべた幸村は「最近俺はよくあの子の夢を見るよ」と言った。去年の冬、炬燵に入ったまま眠ってしまった娘を寝室に運んでやったときのことを思い出す。今でも未練はあるし、後悔していないと言えば嘘になる。それでも真田は幸村に身も心もくれてやると決めたのだ。

「情けない顔するなよ。罪悪感に潰されそうになる」
「……それならもうその話はやめろ」
「今からでも俺を追い出したくなったんじゃない? 今まで積み重ねてきたもの全部男と寝て捨てるなんてつまらないことしたって思ってるんだろ」

 真田の家に戻ってきてからも変わらず、幸村は卑屈だ。二十年以上も幸村の隣に立ち続けた真田は、彼が自分が関わらなければ自信に満ち溢れた顔をして生きていけることを知っている。二、三言話すごとにこんな相槌を返されると気が滅入る。

「今はもうつまらないことをしたとは思ってない。お前を傍に置き続けていれば遅かれ早かれこうなっていた」
「最初は思ってたんだ」
「当たり前だろ」

 卑屈なことを言うくせに、こちらが少しでもそれに準じたことを返すと裏切られたような顔をする。女でもこんなに面倒臭くはない。

「今、面倒臭いと思っただろ」
「よく分かるな」
「分かるよ。お前は今まで付き合ってきた女の方がよかったと思ってる」
「……そうは思っていないが、たしかにお前は今まで俺が関わりを持ってきた相手の中で一番面倒だ」

 何やら言いたげな顔をして唇を震わせた幸村を制して更に続ける。

「お前が面倒なのは、俺に執着しているからだろう。それが分かっているから俺はお前を傍に置いておきたい」
「お前は案外自惚れ屋だな、愛に飢えてるみたいだ」
「誰でもいいわけじゃない」
「どうだか」

 憎まれ口を利いて俯いた幸村の耳は赤い。面倒だが、愛しい。自身の人生に踏み入らせた最初で最後の男の頭を見つめる真田は、炬燵の温もりを噛み締めながら欠伸を漏らした。


*

 駅から自宅までの道のりを早足に歩く。隣に視線をやると街灯に照らされた丸井の赤い髪がさわさわと揺れていた。寒さ対策のためにコートのポケットに両手をつっこんでいるので危なっかしい。
 真田が彼を駅まで迎えにいってから今までの間、二人の間には殆ど会話がなかった。学生時代は二人ともレギュラーだったとはいえ、真田と丸井は特別親しくもなかったし、大学を卒業してからはメールなどで連絡を取り合うこともなかったので会話の種がないのだ。
 渋い表情を浮かべた真田はこうなることが予想出来なくもなかっただろうに丸井を迎えに行くと言ってしまった数時間前の自分を憎んだ。
 久しぶりにレギュラーで集まって飲みに行かないか、と言い出したのは幸村だ。近頃随分と心の余裕が出来てきたらしい男は年が明けてからというもの暇を持て余している様子だった。真田自身、妻と離婚してからは幸村以外の人間との関わりが希薄になっていたので、わりあいすんなりと彼の提案にのった。しかし酒を飲めない幸村を外に連れ出すことに不安を覚えずにはいられなかったので、自分達の家に集まってはどうかと提案したのだ。その方が落ち着けそうだね、と返した幸村は、その日の内に学生時代の同級生達にメールを打っていたが、結果的に休日の都合が合ったのは丸井とジャッカルだけだった。
 
「なあ、なんでお前が迎えに来たんだよ」

 唐突に口を開いた丸井は、辺りが薄暗いので確認することは出来ないが苦い表情を浮かべているに違いなかった。彼もまた真田と同じように妙な組み合わせで二人きりになってしまったことに気まずさを覚えているからこんな質問をしてきたのだろうから。

「不満なのか」
「いや……不満つーかなんつーか」

 丸井が言葉尻を濁すのももっともだ。真田の家を知らない丸井を駅まで迎えに行く役目は、彼とさほど親しくもない真田が引き受けるよりは引き受けるよりは幸村が担った方が自然だろう。

「幸村は今夕食の材料の買い出しに行っている」
「俺が頼んだやつ?」
「そうだ」

 今晩の夕食は幸村ではなく丸井が作ることになっている。幸村が客に自分の作った不味い料理を食わせるのが嫌だと言ったからだ。だからと言って自分の家で食べる食事を客に作らせるのもどうなのかと真田は思ったのだが、どうやら幸村は丸井に料理を教えてもらいたいらしい。数時間前、丸井に提示された材料をまとめたメモを真田に手渡した幸村は「俺がブン太を駅まで迎えに行くから、真田はスーパーに買い出しに行ってくれない?」と言った。幸村を初めて抱いた男が丸井だと知っている真田はそれが気に入らなかったのだ。二人の間には恋愛感情などなかったのだと知っていてもあまりいい気はしない。しかしそんな事情を正直に丸井に話すには真田のプライドは高すぎたのでそれ以降は黙りこむより他がなかった。
 気まずい沈黙が場を支配する。家までの道のりがやけに長く感じられた。なんとも形容しがたいその空気に先に耐えられなくなったのは丸井の方だ。街灯に照らされたアスファルトの上にぽつんと佇む小石を蹴飛ばした男が口を開く。

「お前ら上手くやってんのか」
「それなりだ」
「そうかよ。……俺も、今男と暮らしてる」
「そうか」

 熱のない返事をかえしながらも、その実真田は、丸井の、彼の方からすれば世間話の一環の様な告白に動揺させられていた。丸井が学生時代に仁王と付き合っていたことも、幸村と体の関係を持っていたことも知ってはいたが、彼が未だに同性愛者の様な真似をしているとは思ってもみなかったのだ。真田の知る丸井ブン太は普通の男で、同性を好きになれるような人間には見えなかった。絡まり合う思考の糸を解こうと必死になる真田の隣で、丸井が小さく笑う。

「何がおかしい」
「……お前、今完全に引いてるだろ。返事したあとの余白で、お前が色々考えこんでピリピリした空気出してんのが肩口から伝わってくる。しょうもねぇなって思った」

 そこまで語った丸井は足を止めて、真田の動きを封じた。すると今度は冷たい声でこんなことを言い放つ。

「お前が自分は関係ねぇって人を区別するような態度とんのがすげームカつく。お前は俺がゲイだって知って引いてるのかもしんねぇけど、自分ももうこっちの世界とは無関係でいられないって分かってんのかよ。お前がそうやって一歩引いたところにいる限り幸村くんは傷付き続けるんだぞ」
「っ……」

 鈍器で頭を殴られたような衝撃に襲われた。二人で暮らし始めてからの幸村の、卑屈な言動の数々が脳裏を駆け巡る。真田の中途半端な態度が彼のああいった言動を招いたというのだろうか。

「思いつめた幸村くんがお前の嫁と結婚しても俺は驚かねぇからな」
「……そんなことは、」

 ありえないとは言い切れず、苦い表情を浮かべた真田は、それと同時に別れた妻のことを久しく考えていなかった自分に気付かされた。


*

 その日の飲み会は集まった人数が少なかったわりには盛り上がった。複雑な気分にはさせられたが、丸井の作った料理は美味かったし、ジャッカルは相変わらず毒のない男で会話をしていると心が和んだ。幸村は酒を飲まなくても楽しそうにしていたし、二人が帰ってしまうときには名残惜しげに見送っていた。
 シャワーを浴び、床についてからもしばらくの間幸村は上機嫌で、真田は、この男はいつになったら眠りにつくのかと子を見守る親の様な心境で彼の言葉に相槌をうっていた。

「ブン太の作った料理、美味しかったね」
「お前の作ったものとそう変わらん」
「変な機嫌取りしなくていいよ。俺だって自分の料理が酷いのは自覚してる」
「……俺はお前の作ったものが好きだ」
「それならいいけど……真田は料理の得意な人間が好きだろ」

 拗ねた様な口調で幸村が言う。雲行きが怪しくなってきた。明日が休みでよかったと心の底から思う。

「今日だってブン太と二人きりになりたがってた」
「……見当違いな心配をするな」

 言ってしまってから数時間前の丸井とのやりとりを思い出す。こういう発言が幸村を傷つけているのだろうか、自分は同性愛者ではないのだから幸村以外の男に興味を示すはずはないと思うことはいけないことなのだろうか。

「……どう言えばいいのか分からんが、俺はお前以外の男には興味を持てん」
「酷い顔だな。その台詞のなにがお前の表情を歪ませてるんだよ。もしかして、ブン太に何か言われたの?」
「俺が自分と同性愛者を区別するような態度を取るのが気に入らないと言われた。俺が態度を改めない限りお前は傷付き続けるとも」
「……ブン太らしいな」

 苦笑いを浮かべた幸村は、かつて丸井と仁王の間に起きたことをぽつりぽつりと語りはじめた。

「ブン太は初め、自分は仁王以外の男を受け入れられないって思ってたんだよ。だから仁王はブン太のことをあいつは俺とは違うっていつも言ってた。それで、仁王に振られたブン太は傷ついて、あいつはノンケだからって俺を自分と区別してたって怒って、そのままゲイになったんだ。……ブン太は、真田を見てると昔の自分を思い出して腹が立つんじゃないかな」
「……俺はどうすればいい」
「真田は真田らしくしてればいい。無理やり変わられたって面白くないし、俺はお前が開き直って俺はゲイだーなんて言い出したところでお前に関わる女に嫉妬することをいきなりやめたりなんか出来ないよ。むしろ男の影まで気にしなくちゃいけなくなるんだから今以上に最悪だ」
「せわしないな……」

 呆れ声をあげた真田を幸村が睨む。お前は嫉妬なんて感情からは無縁だからいいな、などと言われて耳が熱くなった。この男は真田が丸井に嫉妬していたことを知らないのだ。

「お前は、そうやって布団かぶって眠ってるだけでも俺からの愛情を嫌ってほどに味わえるんだから楽だろうな。嫉妬する気なんて起きるはずがない。俺はこうやって向き合って布団に入ってる間もずっとお前に出て行けって言われるんじゃないかって不安に思ってるのに」
「そんなこと言えるはずがないだろ」
「俺を捨てたら後が無いから?」
「……そこまで消極的じゃない」
「それじゃあどうして」

 まだ一月だというのに布団から露出されたままの幸村の肩が妙に気になって、彼の掛け布団をずらしてやった。口元まで布団を被った幸村は「そういえば寒かったんだ」と呟いて小さく笑う。幸村からの問いに答えを返さなければと、思った。

「卑屈な態度にはもう飽きた。俺の態度がお前をそうさせているのなら謝ろう。俺は、お前が思っているよりもお前のことが好きだ」
「……は?」
「これでは足りないか」
「……それは、えっと、きょ、うのところは足りてる。いや、足りてない……もう少し、欲しい」
「どうすれば満足する」

 セックスをねだられるものだと思っていた。仮にその予想が当たったとしても、真田は幸村に応えてやることが出来ただろう。しかし、幸村が真田に求めたのはもっと些細なものだった。

「手を握って眠りたい」

 そう言っておずおずと真田の布団の中に自分のそれを忍ばせてくる。たおやかなそれは、先程まで部屋の冷たい空気に触れていたせいか冷えきっていた。

「お前は俺の卑屈な態度にはもう飽きたって言うけど、俺はたぶんこういう態度を改めることは出来ないよ。病気みたいなものなんだ。お前を好きになりすぎる病気。だけど今この瞬間は本当に満たされてるよ。触れた肌の熱でお前が俺の傍にいてくれてるって実感出来るから。……未来なんか保証してくれなくていい。どうせそんなもの保証する方法なんてないんだから。今ここでお前と触れ合ってるって事実だけで俺は明日も生きていける。だから、」

 明日もよろしく、と控えめな声音で呟くと、幸村は頭まですっぽりと布団を被ってしまう。子供のようなその姿が愛おしくて、真田は自らの布団の中に侵入した男の右手に力を込めた。




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