7話

 丸井と柳生はテニス部に所属している。少々特殊な出会いをした上、公式試合ではダブルスを組んだこともあるが特別親しくもない。互いに嫌い合っているわけではないが、趣味が合わないことは十二分に分かっているのであえて会話を交わそうとはしないのだ。部活の都合で二人きりになれば会話を試みる程度の関係だった。
 しかし丸井には柳生以上に会話を交わし難く思っている相手がいる。それはクラスメイトでもある仁王雅治だった。変わり者の仁王はクラスに目立った友人もおらず休み時間は何も考えていない様な顔をして窓の外ばかり眺めている。丸井とは柳生とは別の意味で正反対のタイプだった。
 多弁ではない仁王はときたま口を開いたときにプリッだの、ピヨッだのという得体の知れない擬音を発する。人格はどうであれ、丸井は仁王雅治という男のテニスの実力は認めているし、彼がチームメイトであることを心強くも思っているがあの口癖だけはいただけなかった。気まぐれに声をかけたときに、あれで返されると宇宙人を相手に会話しているような気分になって気が滅入るのだ。
 そういう訳で丸井は仁王にあまりいい感情を抱いていない。にも関わらず、現在丸井は仁王と二人きりで図書室にいた。無論二人で示し合わせて図書室に訪れたわけではない。丸井は体調を崩して早退した図書委員の友人の代理としてここに訪れた。仁王の方は……勉強をしに来たというわけではなさそうだ。本を読むわけでもなくカウンターからほど近い窓際の席に頬杖をついて座っている。
 中学の校舎に備え付けられた図書室は狭かった。古いせいかどことなく薄暗く、蔵書数が多いわけでもないので生徒はあまり寄り付かない。附属校の学生証があれば立海大の図書館を利用することも出来るのだから需要もない図書室など閉めてしまえばいいのだ、と丸井は思う。もっとも彼が附属中学の生徒である期間も残り三ヶ月を切っているので、中学の図書室についてあれやこれやと考えても仕方がないのだが。そもそもどれだけ需要がなくても図書室が閉まるなんてことはありえない。それは丸井自身理解している。それでも無駄なことを考えてしまう程に彼は仁王と二人きりになってしまっている現在の状況を気まずく思っていた。
 沈黙が続くのが苦痛だ。適当な話題でも振ってみるかと考えるが、そもそも図書室は静かに読書を楽しむ場だ。せっかくの静寂を壊すのは気が引けた。とはいえ読書をしているわけでもない仁王に自分が気を遣うのも滑稽に思える。
 口を開きかけて、閉じる。図書室に声が響いても構わない。遠慮する相手などこの場には存在していない。しかし適当すぎる話題を振ればまた訳の分からない擬音を返されるのではないかと思うと舌が回らなくなった。仁王の気を引けるような話題を考える。考えながら、どうして仁王と会話を交わすために躍起になる必要があるのかと自分に呆れた。しかしどうせ退屈しているのだからと溜息を抑えこんで、仁王について考える。
 仁王は得体の知れない男だ。友達が少なくて、おかしな口癖を持っている。いつかの試合のときにはダブルスパートナーである柳生と入れ替わっていたこともあった。規律に厳しく、意外な程に頑固な柳生がよくあんな無茶なプレイに加担したものだと当時の丸井は思ったものだ。ジャッカルは、柳生は仁王に弱みを握られているらしいと言っていた。
 そこまで考えてようやく会話の糸口が見つかった。カウンターから出て、仁王の隣に座る。怪訝な表情を浮かべた仁王が顔を上げて丸井を見据えた。

「なあ、比呂士の弱みってなに?」

 口に出してみてすぐに少しばかり唐突だっただろうかと後悔する。しかし今更後にも引けないので黙って仁王の返事を待っていると、小さくため息をついた仁王が薄い唇を開く。

「そんなんなんで知りたいん?」
「なんとなく。あの比呂士が試合中に入れ替わる、なんて訳分かんねえプレイに加担するような嫌味って想像もつかねえから」
「知的好奇心か」
「まあそんな感じだな」
「実際お前さんには想像もつかんような弱みじゃ、信じるとは思えん」
「信じる」
「俺を信じるか。酔狂な男じゃのう」
「……うわ、めんどくせえ」

 思わず呟いてしまったが仁王とここまで会話が続いたこと自体初めてのことだった。元はと言えば仁王と会話を続けるための会話の糸口として使っただけなのでこの際柳生の弱みが嘘だろうが本当だろうがどうでもいい気もする。

「柳生は、」
「柳生は?」
     俺のことが好きなんじゃ」
「嘘だろぃ」

 間髪おかずに突っ込むと仁王が口元を歪ませた。至極楽しげに「やっぱり信じんじゃろ」などと言うので、ムッとしてしまう。

「信じる」
「単純じゃのう」
「……お前男にしか見えねえけど」
「ゲイは女に見えたら惚れんじゃろ」
「比呂士ゲイなのかよ」

 神妙な表情で呟いた丸井がおかしかったのか、仁王は更に笑みを深めて頷いた。

「気色悪ぃな」
「ほう」

 正直な感想を丸井が述べると、仁王は笑みを浮かべたまま、硬い声を出す。

「ゲイは気色悪いか」
「比呂士は気色悪い。声とか野太いし」
「人を選ぶんか」
「普通選ぶだろ。幸村くんとかなら理解は出来なくてもきもくはねえよ」
「……俺は?」
「お前? お前は……」

 正直きもいな、そう言ってやるのは簡単だったがせっかく会話が続いているのに相手の機嫌を損ねてしまうのは避けたかった。

「きもくは、ねえかな」
「俺がお前さんのことを好いとるって知ってもか」
「は?」

 間抜けな声を上げた瞬間肩を掴まれた。耳元でなにやら呟かれるが動揺が大きくて上手く聞き取ることが出来ない。

「聞こえねえって」
「柳生の話は嘘じゃ」
「……お前のは」
「嘘じゃなか」

 そっちが嘘であってほしかった。丸井は仁王に声をかけたことを心から後悔していたが、告白されてしまった以上は相手が男であろうとも返事をしなければなるまいとも考える。

「俺、基本的には告白されたらその時恋人がいない限り断らねえんだけど」

 ちなみにひと月前に何を考えているのか分からないという理由でフラれて以来恋人はいない。

「流石に男は無理じゃろ」

 先手を打たれてしまい言葉につまる。仁王の言う通りだ。流石に男は無理だと言おうとした。しかし仁王の言葉を反復するのも癪なので思わず首を横に振ってしまう。

「無理じゃねえよ」
「負けず嫌いも程々にしんしゃい」
「うっぜえな……断られるって思ってたならどうして告白なんかしたんだよ」
「嘘じゃ」
「はあ?」
「お前さんなんかに惚れるはずなかろ」

 そうかよ、安心したぜ     そう言いかけて口を閉じる。それは自分の肩に触れている仁王の手が振るえていることに気がついたからだった。

「……俺やっぱお前がゲイだとキモいわ」
「だから嘘じゃって、」
「だけど今は女もいねえし付きあってやってもいいぜ」

 仁王は呆然とした様な表情を浮かべて丸井を見つめていた。上から目線な態度が気に入らなかったのだろうかと考えていると、仁王が口を開く。

「女と付きあっとるときと同じことを男の俺と出来るんか」

 仁王の唇が丸井のそれに触れる。間近に見える閉じられた仁王の瞳と、触れ合った唇から伝わる温いとも冷たいとも言いがたい体温が生々しくて丸井は顔をしかめた。正直言って男とのキスは気持ちがいいものではない。
 気がつくと後頭部に仁王の手が回されていてぎょっとする。このまま食われてしまうのではないかと不安に思ったが、瞼を閉じたままの仁王は深いキスに移行させる気はないらしく身じろぎ一つせず大人しくしている。触れ合うだけのキスは十秒経っても二十秒経っても終わらない。
 つと、丸井は自らの後頭部に回された仁王の手に触れた。途端に今まではぴくりとも動かなかった仁王の体が大きく跳ねる。制服の下に隠された肩がガクガクと震えているのが見えて戸惑った。
 震える肩を掴んで無理やりに引き離すと、ようやく瞳を開いた仁王は今まで見たこともない様な表情を浮かべて丸井を見つめていた。薄い唇は一文字に結ばれている。またしても沈黙だ。丸井が溜息をつくと、仁王の肩が再び震えた。

「なんか言えよ」
「すまん」
「うぜぇから謝んな。お前、どう思った」
「なんが……」
「俺とのキス。俺は正直ちょっときもかった」

 正直な感想を述べる。仁王が目尻を下げて情けない表情を浮かべる。

「だけど、男とこんなことすんの初めてだし、始めはこんなもんなんだろ? つーかこれで満足しろ。俺もその内慣れる、たぶん」

 仁王は黙りこくっている。自分から唇を重ねてきたくせして被害者面をして何も言おうとしない仁王に苛立った丸井は彼の肩を掴んでいた手に力を込めた。

「黙ってられるとムカつく。俺は柳生みたく心が広いわけでもねえからお前の何考えてるか分からねえとこは我慢出来ねえんだよ。
大体俺はお前があんなキスで満足してんのかも、俺のどこを好きになったのかも分からねえし     とりあえずなんか言えよ、文句でもなんでもいいから」
「……顔」
「は?」
「顔が好きなんじゃ。可愛い顔に似合わずきつい性格もたまらん」
「……なんだそれ、お前趣味悪いな」

 思わず吹き出してしまった丸井を、仁王は硬い表情を浮かべて見つめている。自分は笑っているのに仁王がつまらなそうな顔をしているのが気に入らなくて彼の頬をつねった。眉間に皺を寄せた仁王が「痛い」と言うのも構わずに無理やりに笑顔の形を作らせる。

「他に、俺の好きなとこねえの?」

 仁王は答えない。いや、丸井に口元を掴まれているから答えられないのだ。仕方なく手を話してやると、仁王は拗ねた様な表情を浮かべて(少しも可愛くない)口を開く。

「後腐れなく別れられそうなとこ」
「お前、」

 感じ悪いな、という言葉は飲み込んで再び唇を重ねる。丸井の方から仕掛けてくることは予想していなかったらしい仁王は腰を引こうとしたが、椅子に座ってたままでは上手くいかないようだった。舌の先で唇を押し開いて強引に口内を蹂躙する。生理的なものだろうか、閉じられていた仁王の瞳から涙がこぼれ落ちるのに気がついた丸井は内心でほくそ笑んだ。自分が押さえつけているのは男だということを理解し、互いの唾液を交換する行為に嫌悪感すら覚えているというのに唇を離すことが出来ない。生意気で感じの悪い男が自分の舌で息を切らすのを見るのは楽しかった。
 元は白い頬を紅潮した仁王が丸井の胸を叩く。息苦しい思いをしているのだと気がついてようやく唇を離すと、仁王は後ろ手に抱えた椅子ごと丸井から離れていった。

「まさか初めてじゃねえだろ」
「とっくの昔に経験済みじゃ」
「そのわりには余裕ねえよな」

 仁王は何も答えない。黙りこくったまま俯いて図書室のくすんだ色をした床を眺めている。

「お前俺のことかなり好きだろ」
「そこそこじゃ。後腐れなく別れられそうなとこがええって言ったじゃろ」
「すげー好きだからキスするとき震えてたんじゃねえの?」
「俺の気持ちなんて関係な、」
「むしろお前の気持ちしか関係ねえだろぃ。俺は女としか付きあったことねえし、お前のことはさして好きでもねえんだよ。それでもお前が俺のことを好きだって言うから付きあってやろうと思った。そこそこ好き程度じゃ付き合ってやりたくねえ」
「……どうしてそんなに上から目線なんじゃ」
「上から目線で悪いかよ。上から目線でもなんでもお前が真剣に俺のこと好きだって言うなら、俺もお前と真剣に付き合う。男と付き合うことに慣れたら、お前を好きになってみんのも面白いと思ってる。それじゃ不服なのかよ」
「キャラに合っとらん」
「ろくに話したこともねえくせに分かったような口利くな。不服かどうかだけ言え」
「……不服じゃ、なか」
「お前、俺のことどんくらい好き?」

 念押しするように尋ねると、仁王が人差し指を一本立てて見せた。意味がわからないので怪訝な表情を浮かべると、焦れたように口を開く。

「一番じゃ、それじゃいかんか」
     悪くねえな。俺もお前のことほんのちょっと好きになった」

 指を下ろした仁王が不服げな表情を浮かべる。椅子から立ち上がって再び唇を重ねると肩に手を回された。三度目にしてようやく慣れたのか嫌悪感は殆ど浮かばない。
 そうして二人の関係はそれから三年弱続いた。
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