6話
「眼鏡がいる」
部長だという三年生の男の周りにぞろぞろと集まる一年生の中の一人を指さした丸井は小学生のころからの友人であるジャッカル桑原に声をかけた。ジャッカルはブラジル人とのハーフであることも関係しているのか大人びた雰囲気がある。しかし丸井の指の先、部長をまっすぐと見据える眼鏡の少年もまたつい先日までランドセルを背負っていたとは思えない程に大人びていた。そしてそれは彼が持つ落ち着いた雰囲気に由来するものなのだろうと丸井は思う。
「知らない奴を指差すなよ」
「これからチームメイトになるんだろ」
他人への気遣いは生粋の日本人である丸井よりもジャッカルの方が出来る。丸井は不満気な表情を浮かべながらも腕を下ろして眼鏡の少年を見つめた。隣りのジャッカルが「眼鏡なんて他にもいるだろ」と言う。二人の近くに立っていた別の眼鏡の少年が不快げにジャッカルを見やったので、丸井は人差し指を口元に持っていく。
「眼鏡眼鏡言うなよ、眼鏡に睨まれるぜ」
「……お前本当に自己中だな」
「あの眼鏡、キング・オブ眼鏡って感じしねえ? すっげー真面目そう」
「言いたいことは分からなくもねえけど」
一つ溜息をついたジャッカルが「区役所で働いてそうだな」などと言うので、堪えきれず吹き出した。話をしていた部長が咎める様な目で丸井を睨む。小さく頭を下げた丸井は、それでも懲りずにジャッカルとの会話を続行させるべく口を開いた。
「中一が区役所で働くかよ」
「いや、あいつならいい働きをしそうだ」
真面目な顔をしてボケるジャッカルにまた吹き出す。部長が溜息をついた。これ以上話を続ければ出て行けと言われても文句は言えないだろうと思ったので、丸井は今度こそ黙りこんだ。
部長の話が終わってから幾許も過ぎない内に丸井の元へ先ほどジャッカルと会話のネタにしていた眼鏡の少年が歩み寄ってきた。苛立ったような表情を浮かべた少年は丸井をまっすぐに見据えて口を開く。
「上級生が話をしているときには静かにしてください」
「はあ? お前には関係ないだろぃ」
「大有りです。先輩方は新入部員を一括りにして見ますから」
「……うざ」
小声で呟く。眼鏡には聞こえていないようだった。
丸井は今回の件で自分に非があることが理解出来ないほど愚かではない。それでも口を利いたこともないような人間にわざわざ説教をしにくる眼鏡のことは好きになれそうもなかった。
自分が口を利いたこともない人間を笑いものにしていたことは既に忘れてしまったらしい丸井は「初対面なのに説教だけしにくんなよ」と少年をなじる。
「これからはチームメイトになるんですから、これくらいは言って当然です」
これからはチームメイトになるんですから 自分も同じようなことを言って少年を指差したのだと思いだした丸井は溜息をついた。見かけによらず頑固な相手に、これ以上文句を言い返すのは時間の無駄だと思い「悪かった」と謝る。
「……こちらこそ口うるさくしてすみませんでした」
「お前、名前は? このまま帰ったら本当に説教だけしに来たことになるぜ」
「柳生比呂士です」
丸井の不遜な態度に気分を害した様子もなく、柳生はすんなりと自分の名前を名乗った。
(眼鏡でヒロシってなんかだせぇな)
「あなたのお名前をお聞きしてもよろしいですか」
丸井の胸中など知る由もない柳生は、初対面の人間に説教臭いことを言ってしまったのを申し訳なく思っているらしく友好的な笑顔を浮かべている。
「丸井」
「丸井君ですね。下のお名前は?」
下の名前は出来れば言いたくなかった。初対面の人間には大抵笑われる。笑われること自体は慣れているのだが、口には出さなかったとはいえ自分が名前を馬鹿にした相手に笑われるのは出来れば避けたい。
「教えていただけませんか」
黙りこくってしまった丸井を、柳生が不思議げに見つめる。名前なんてどうでもいいだろ、そう言ってしまいたかったが嫌な奴だとは思われたくなかった。
「ブン太」
観念して名前を告げると、柳生は「ブン太君……」と反芻して、どんな字を書くのかと尋ねてくる。名前を笑うより先に字を聞いてくる人間は珍しかった。
「カタカナのブンに太郎の太」
「珍しい名前ですね」
柳生が笑う。いや、笑うという言い方をしては語弊がある。柳生は微笑んだのだ。
丸井ブン太と柳生比呂士はそういう風に出会った。
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