5話

 幸村との一件からひと月も経たない内に立海大附属高校テニス部の三年生は部を引退した。幸村が部長業を切原に引き継いでから二日が経った今日、一同は高校からほど近い場所に建つ安くて美味いと評判の焼肉屋に集まっていた。
 二日前、次の日曜日に焼肉屋に打ち上げにいかないかと言ったのは幸村だった。部活に打ち込み汗を流すばかりだった六年間の締めくくりである、幸村の提案を突っぱねるような者はもちろんおらず、テニス部三年一同は焼肉屋に介した。
 予約を取りほぼ貸切状態となった店で、中学時代レギュラーだった七人が座敷の席に固まって座った。せっかくなのだから関わることの少なかった部員と相席したいと言った幸村を真田が制したのである。真田は幸村が同席しては気を遣って楽しむことの出来ない部員もいるだろうと配慮したのだろうが、真田の隣で足を崩して座る幸村は拗ねた様な表情を浮かべていた。
 真田の向かいという非常に居心地の悪い席に座ってしまった丸井は、隣に座るジャッカルと一緒になってメニュー表を眺めていた。

「店員呼ぶからな」

 一番襖に近い席に座っているのは丸井と真田だ。しかし幸村に皮肉を浴びせられ続けているに真田に注文役を任せるのも気が引けた丸井は自分がその任をかってでた。カルビだのホルモンだの適当な数を注文して、最後にこう付け足す。

「あと、ビール七杯」

 店員が襖を閉めて去っていき、真田が厳しい表情を浮かべて口を開く。

「未成年だぞ」
「六年間の締めくくりだぜ、堅いこと言うなよ」
「六年間の締めくくりだからこそ節度を、」

 部活を引退してもなお規律に厳しい副部長であり続ける真田は丸井を非難した。

「今まで散々抑圧された生活を送ってきただろ。炭酸は飲むな、スナック菓子は食うなって……まあ皆が皆守っていたとは思っていないけど。とにかくビールの一杯ぐらい許してやってもいいだろ」

 二人のやりとりに口を挟んだのは幸村だ。真田が自分を放って丸井に話し掛けたのが気に入らないのか、とにかく苛立っている様子である。

「しかし」
「俺がいいと言ってるんだ。これ以上興を削ぐようなことは言うな。大体お前は昔からつまらないんだよ」

 そうして皮肉がまた始まる。隣のジャッカルが「同情するぜ……」と呟くのを聞きながら丸井は座敷の一番奥、自分からは一番離れた席に座る仁王に視線を移した。退屈そうな表情を浮かべた仁王は、隣でなにやら語りかけている柳生を無視して携帯をいじくっていた。

(……男にメールしてんのかな)

 未練がましいことを考えてしまう自分が情けなくて丸井は溜息をつく。ジャッカルが「どうかしたのか」と尋ねてきたが、それと同じタイミングで注文していた品が届き始めたのでしかとした。
 肉や野菜の最後に机に置かれたビールが全員に行き届いたのを確認すると幸村が口を開いた。

「この状況で乾杯しない奴は馬鹿だ」

 大袈裟だな、とジャッカルが苦笑するのも無視して幸村はビールのジョッキを手に持つ。周りの人間がジョッキを持つのを確認するように視線を動かして、真田がジョッキを持とうとしないことに気がつくと咎めるように睨みつけた。溜息をついた真田がジョッキを持つ。一連の流れを眺めていた丸井は、平素以上の暴君ぶり(幼い子どものようなもので恐ろしくはない)を見せる幸村は場の空気に酔っているのだろうと思った。そんな状態で酒を呑んでしまって大丈夫なのか、とも。
 そんな丸井の心配を知ってか知らずか充実した表情を見せる幸村が口を開いた。

「乾杯」

 幸村が言うのに続いて残り六人も復唱した。各々ジョッキを目線の高さまで掲げてから口を付ける。幸村は真田の制止も無視してジョッキに注がれたビールを一気に煽った。自分のジョッキの中の酒が尽きると、口を付けようとしない隣の堅物からジョッキを奪い取って更に一気に煽る。

「すげえな」

 ジャッカルが目を見開くのを視認しながら、丸井も頷いた。

「酒にまで強いのかよ」

 幸村精市オールマイティーに最強説を唱えた丸井の呟きが聞こえていたのか、真田が「とんでもない」と言う。

「幸村は下戸だ」
「マジかよ」

 真田は幸村が下戸だと知っていたからこそこの場に酒を持ち出されることを拒んだのだろうか、そんなことを考えながら丸井は幸村に視線を移す。真田から奪い取ったジョッキを机に置いた幸村は不明瞭な声でなにやら呟いている。珍しく焦った様な表情を浮かべた真田が水の入ったグラスを押し付けようとしているのがおかしくて、しばらく二人の様子を眺めていたいと思ったが、ジャッカルが鉄板に並べていた肉が焼け始めたのでそちらに集中することにした。


 三度目の追加のビールを注文した頃だっただろうか。ほろ酔い状態の丸井の視界の端に米も注文せずに一心不乱に肉を食い続ける仁王の姿がうつった。周りの人間に散々絡んだ挙げ句仕舞には眠ってしまった幸村の様に酷い酔い方はしていないようだったが、適度に陽に焼けた頬には赤みが差している。
 打ち明けの初めの段階では確かに隣にいたはずの柳生はいつの間にか柳の隣に移動しており、肉を食べる仁王の隣席は空だった。互いに酔いの回っている今なら二人で会話をすることが出来るかもしれない、そう思った丸井は店員によって運ばれてきたばかりのジョッキを二つ持ち立ち上がった。

「よう」

 出来るだけ自然に声をかけてジョッキの一つを仁王に手渡す。文句を言うこともなくそれを受け取った仁王は黙ってジョッキに口を付けた。
 丸井と口を利きたくないのだろう。どこか気まずげに顔を伏せた仁王は肉をつまみにビールを飲み続けた。仁王が一つのジョッキを空にするのを見計らって、丸井は未だ口を付けていないジョッキを空のそれと入れ替える。下戸とまでは言わないにしても仁王も酒に強くはないことを丸井は知っていた。しかもアルコールが入るといつになく饒舌になるのだ。酔わせさえすれば自分が相手でもまともに口を利くようになるだろうという算段だった。

「……丸井」

 すり替えられたジョッキのビールまで飲み干した仁王が口を開く。尋常ではなく赤らんだ頬に気付いた丸井は思わずガッツポーズをした。
 仁王の本音が聞きたかった。振られてひと月以上が経つ今でも、丸井は彼が自分を完全に好きではなくなったとは信じられずにいるのだ。

「恋人は出来たんか」
「出来るかよ。傷がまだ癒えてねえ」

 傷がまだ癒えてねえ、という言葉がツボにハマったらしく、仁王はケタケタと笑った。平素の仁王であれば絶対にしないような笑い方だ。どうやら仁王は本当に酔っているらしい。

「お前はどうなんだよ?」
「作るわけないじゅろ。フリーっちゅうんは気楽なもんじゃ。若い内は引く手あまたじゃしな」

 そこまで言ってまた笑う。この状態の仁王が丸井の望むような言葉を吐き出すとは思えない。丸井は早くも仁王を酔わせてしまったことを後悔していた。

「お前さんもしつこい奴じゃのう」
「はあ?」
「部活中いつも俺のことを見とったじゃろ」

 図星をつかれて黙り込むと、仁王が腹を抱えて笑い始めた。一同の視線が何事かという風に仁王に集まるので無表情に二の腕をつねってやる。それもかなり力強く。
 痛みに素直な仁王は眉間に皺を寄せて丸井を睨んだ。アルコールのせいだろうか、瞳の縁には涙が貯まっている。それがあまりに色っぽいので丸井が喉を鳴らすと、急に彼から視線を逸らした仁王がこんなことを言う。

「体の関係だけでいいならお前さんを受け入れてやってもいいぜよ」

 あまりにも馬鹿らしい譲歩案だった。
 苛立った丸井が席を立つと、仁王は再び顔を俯けて肉を食べ始める。
 元の席に戻った丸井は少しでもアルコールを抜きたくて机に置かれていた水の入ったグラスを一気に煽った。乱暴な所作でグラスを机に置いて頭をかく。
 こっ酷い振られ方をされたあの日、仁王には金輪際関わらないと決めた。例え自分の中に彼への好意が残っていたとしても、あの男はろくでなしなのだから関わらない方がいいのだと思っていたのだ。
 酔ったせいで判断力をなくし仁王との会話を試みようとした数分前の自分を丸井は憎んだ。一つ腹の立つことが起こるとそれ以外の全ても腹立たしく思えてくる。
 真田を机の端に追いやって畳の上で伸び伸び眠る幸村にも腹が立つ。酒に酔って呑気に眠っている暇があるのならば一刻も早く真田に気持ちを伝えてしまえと言いたかった。真田はノンケなのだから気持ちが通じ合うはずはないが、お情けでキスの一回くらいなら許してくれるかもしれない。

「真田、幸村を起こせよ」
「起こすと面倒なことになる」
「お前幸村のことを面倒だと思ってるのかよ」

 酔っ払いらしい訳の分からない言葉に真田は怪訝な表情を浮かべる。しかし丸井が「連れて帰るときはどの道起こすだろ」と今度はまともなことを言うと、幸村の肩を揺すった。
 丸井はその時になって気が付いたのだが、幸村の背と頭はそれぞれ座布団を一枚ずつ下敷きにしている。一枚は幸村の物で、恐らくもう一枚は真田のものだ。幸村が真田から無理矢理奪い取ったとは思えないので真田が自分から幸村に与えてやったのだろう。真田は幸村に尽くしすぎている。尽くす真田は気分がいいだろうが、尽くされる幸村は居心地が悪いだろう。尽くすばかりで自分が一番求めているものは与えてくれない真田に苛立つことも少なくはないに違いない。
 幸村が目を覚ます。寝言の様に不明瞭な母音を連ねた幸村は、体を起こして数度瞬きをした。

「んー」

 その場で伸びをしてみて眠気はさめたようだが、当然のことながらアルコールは回ったままだ。視線を巡らせて、自分が眠っていたせいで机の端に追いやられた真田を視認すると苛立った様にその腕を引く。

「隣に来なよ」
「……ああ」
「そんな端に行かなくても別の空いた場所に行けばいいだろ」
「お前がいつ起きるか分からなかったからな」
「そういう言い方をするな。不愉快だ」

 幸村が机の上に置かれた誰が口を付けたのかさえ分からない飲みさしのジョッキを引き寄せようと手を伸ばした。しかし真田に手首を握られてしまったのでそれを掴むことは叶わない。苛立ちの表情を浮かべた幸村は真田の手を振り払う。

「お前は俺の隣に座るのも嫌なんだろうな」
「何を言うんだ」
「真田は俺の皮肉を酔っ払いの戯言だと思っているんだろ? 確かに俺は酔わなきゃこんなこと言わない」
「だから酔いを覚ませと……」
「アルコールが入らないとお前に本音を話すことも出来ないんだよ」

 いつの間にかしんと静まり返っていた場に幸村の声が響く。周りの視線が集まるのに気づいた真田は幸村を黙らせようとするが、一度火のついた酔っぱらいが簡単に口をつぐむはずもなかった。

「焦る必要なんてないだろ。俺がこの場でいくら恥をかいたってお前には関係ない」
「俺はそうは思えない」
「幼なじみだから?」

 そうだ、と真田が頷く。幸村の瞳に涙の膜が張った。柳、柳生、ジャッカルは二人からそれとなく目を逸らす。仁王は随分と酔いが回ってしまっているらしく壁にもたれかかって俯いている。
 そうして残された丸井はというと、二人から視線を逸らすことはしなかった。空気を読めと言わんばかりに肘で小突いてくるジャッカルのこともしかとする。目を逸らしたところで二人の会話は耳に入ってくるし、互いのことしか見えていない今の二人に気を遣っても仕方がない気がしたのだ。

「じゃあ今日から幼なじみなんてやめる」
「無茶を言うな」
「真田は冷静なんだな」
「お前が冷静じゃないからだ」
「酔ってるんだ。当然だろ」
「俺はお前に酒を飲ませたくなかった」
「真田は俺の本音を聞くのが怖いんだろ」
「……そうなのかもしれない」

 幸村の瞳から遂に涙がこぼれ落ちた。力ない拳で真田の胸を叩く。


「俺はこうなるって分かってたからお前に気を遣って別の部員のところに行こうとしたんだ。お前は俺と丸井が……してるところを見てから様子がおかしかったから、いよいよ俺の隣にいるのが嫌になったんじゃないかとも思ったっ」
 幸村が声を荒げた。勿論二人から目を逸らしていた三人にも幸村の声は届いている。ジャッカルがなんとも形容し難い様な目で自分を見やっていることに気が付いた丸井は「勘弁してくれ」と呟いた。

「……俺は何も見ていない」
「お前は見てたよ。部室のドアの前で仏頂面して立ってた。それで、俺と目が合ったら逃げる様にドアを閉めて行ったっ」
「だから、何も見ていないと言っているだろう」
「……分かった。真田は俺がお前に見られたことを死にたくなる程後悔してると知っているから見ていないだなんて通るはずもない嘘をつくんだろ」

 幸村の生気のない声を聞いた真田は小さな瞬きをする。それは肯定の意を表すものだった。幸村の笑い声が丸井の鼓膜を震わせる。

「お前はおかしいよ……真田。おかしいし、何も分かってない。俺のことを分かったふりをして気を遣うのはやめろ。俺はそんな気遣いされても少しも嬉しくない」
「……すまない」
「謝るなよ。ああ、だけど一つだけ頼みたいことがある。今日の俺は本当にみっともない。酒に酔っていてもそれくらいは自覚してる。だから、」

 店を出たら今日のことは向こう十年は忘れたふりをしてくれ     幸村はそんなことを言って俯いてしまう。無論そんな雰囲気で楽しい打ち上げを続行出来るはずもないので自然と集まりはそこでお開きになった。
 幸村に言われた通り、店を出た瞬間に普段の調子を取り戻した真田は、歩くことはままならないらしい幸村を家まで送っていくと言う。幸村は真田のそういうところが気に入らないのだろうと思った丸井だったが、文句を言える立場ではないので黙りこくったまま幸村を支えて歩く真田の背中を眺めていた。
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