恨み深い食満※

「あれ? 文次郎?」

 駅前のドラッグストアで買い物を済ませたばかりの文次郎に声をかけたのはかつて彼の同級生であった善法寺伊作だった。現在大学の四回生である伊作は社会人の文次郎よりも2、3歳下であったが、住んでいる地域が近いということもあり、現在でもそれなりの親交を保っている。

「どこ行くの?」
「見て分からねえか」

 酒缶で膨れ上がったドラッグストアの袋を掲げて見せると、伊作は合点がいったとでも言いたげに首をゆする。

「家で飲むんだ、一人?」
「留三郎と」
「へえ、そうなんだ。僕も二人と飲みたいなあ」

 社交辞令だかなんだかよく分からないことを言った伊作に、文次郎は一言、あいつと飲むのはやめておけ、と呟く。すると先程までとは打って変わって表情を曇らせた伊作が俯いた。

「……図々しいことを言ってしまったみたいだね」
「お前が悪いんじゃねえよ。あいつの酒癖が悪いんだ」
「そうなの? 昔はそうでもなかったと思うけど」
「……姿形は似てても別の体だからな、体質が変わることもあるだろ」
「それもそうだね」

 伊作は納得した様子で頷いたが、文次郎が彼に留三郎とは飲まない方がいいと言ったのはやはり彼に原因があるのだった。

「お前、誰かと待ち合わせでもしてるのか」
「そうだよ。実は随分早く着いてしまったんだ」

 話を変えるためにそんなことを尋ねたのだが、伊作はそんな文次郎の意図には全く気が付かずに頬をかく。待たされているわりには表情は明るく、それどころか浮き足立っているようにすら見える。

「逢引きか」
「逢引きって……間違ってないけどね、これからデートなんだ」
「就職活動だな」
「えっ?」
「相手はあの曲者野郎だろ」

 伊作は大学を卒業した後は、雑渡昆奈門が重役を勤める製薬会社へ就職することが決まっている。忍術学園を卒業したのちにタソガレドキに入った前世と殆ど変わりのない生き方だ。

「……もしかして、忍術学園時代僕が雑渡さんと逢引きするたびにそう言ってた?」
「留三郎はな。いや、俺もか」
「やっぱり、そうか」

 伊作は苦笑して、しかしそれは仕方のないことだと言う。それどころか、縁故採用なのは間違いないからね、とまで呟いた。

「お前は忍の道を諦めてまでタソガレドキに行きたかったのか」
「それは……」

 口ごもってしまった伊作を見つめながら、室町を回顧する文次郎は呟く。

「……お前は恋に生きる男だったな」
「それで、文次郎はそんな僕にどんな感情を抱いていたの?」
「どんな感情? ……よく分からねえが、しいて言うなら引いてたな」

 室町の世、忍術学園で高い学費を払い忍者になるために必要な最高峰の教育を受けていたくせに、自分より20は年上の男の愛人になる道を選んだ伊作、そんな伊作に対して当時の文次郎はもちろんいい感情を抱いてはいなかった。

「……そりゃあ引くよね、時代が時代だったとはいえ、当時の文次郎には今と違って男色の気はなかったし、何よりついこの間まで忍者になる! って張り切ってた人間が急に忍びの道を捨てて40手前のおじさんの愛人になる道を選んだんだから、忍者になる気満々だった皆がいい顔しないことなんて分かりきってたよ」
「それでもお前はあの曲者を選んだ」
「僕は皆のことをどうでもいいと思ってはいなかったよ」
「どうだかな」

 昔の話だ。わざわざ掘り返したくもないはずなのに、どうでしてもとげとげしい口調になってしまう。

「…文次郎は勘違いをしているよ。君は室町の僕は恋に生きる男だったと、あの人の傍にいたいがために忍びの道を捨てた男だと思っていたんだろうけど、本当はそうじゃない。僕は自分は忍者にはなれないと察したから道を諦めたんだ」

 自嘲気味に笑う伊作は、更に続けて口を開いた。

「昔の僕は不運な男だって言われていたよね。僕も自分は不運なんだと思っていたんだ。だけど実際には違った。僕の身に起きた不運の殆どは僕がもっと注意深く生活していれば避けられるようなものだった。そのことに気がついてしまったから僕は忍びの道を諦めたんだ。そうして自分を必要としてくれるあの人に寄り添って生きることにした。もっとも、雑渡さんのことは留三郎の気持ちをはねのけるのに十分な位に愛していたし、どのみちどんな理由があろうとあの人の愛人になった僕を皆はよくは思わなかったんだろうけど」

 文次郎は先ほどまでほんの僅かながらも彼に腹をたてていたことも忘れて黙り込んでいた。ドラッグストアの袋に入った大量の酒缶が重量を増したような気がする。

「……なんてね」
「は?」
「冗談だよ、本当はそんな深刻な理由なんてなかったんだ。僕は思い悩んでなんかいなかった。ただただあの人のことを慕っていたからタソガレドキに入っただけだよ。だから、あまり深刻な顔はしないでよ」

 伊作はそう言ったが、結局のところ先ほどの彼の発言のどこまでが本音だったのかを見極めることの出来ない文次郎はどこかすっきりしない心持ちであった。そんな文次郎の心中を察したのか、伊作は再び口を開く。

「……もしかしたら皆に劣等感を抱いていた節はあったのかもしれない」
「そんなもん、」
「タソガレドキに入ってからもときたま、留三郎をフったときのことを思い出したよ。僕は自分が留三郎を傷つけたことで悦に入っていたのかもしれない」
「……女々しい奴だな」
「今も昔もネコだからね」

 何故だかすっきりした表情で言った伊作に僅かに苛立った文次郎は、伊作を気遣って黙っておくべきだと思っていた事実を話してしまうことにした。

「お前の劣等感が刺した傷は今でもしっかりあいつの胸に刺さってるぜ」
「僕の刺した傷?」
「あいつ、酔うと未だにお前にフラれたときの話を持ち出して愚痴るんだよ。何百年前の話してんだって思うだろ?」
「……僕にとっては胸の痛い話だね、それ」

 伊作は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべて呟いた。

「だからあいつと飲むのはやめておけって言っただろ」
「結局僕が悪かったんじゃあないか」
「そうだ、お前が悪い。……黙っておこうと思ったんだけどな」
「……いや、教えてくれてよかったと思うよ」
「そうか」

 小さく頷けば、腕時計で時間を確認した伊作が、そろそろ……と、呟く。どうやら待ち合わせの時間が近づいているらしい。現在はなんの関係もないとはいえ、文次郎の方もわざわざ彼の恋人と顔を合わせたいとも思えないので退散することにした。

「じゃあな」
「うん、またね」

 小さく手を振った伊作は文次郎が歩き出す寸前、なにやら思い出したように「文次郎」と、彼の名前を呼ぶ。

「なんだ?」
「やっぱりさ、またいつか僕も飲み会にまぜてよ」
「愚痴るあいつを見て悦に浸るつもりか」
「さすがに今はそこまで性格悪くないって……ただ、」
「ただ?」
「留三郎の愚痴を聞くのも楽しいかなあって……」

(……言い方変えただけじゃねえか)

 案外軸のぶれない伊作の発言に全てがどうでもよくなった文次郎は、今度混ぜてやるよ、と社交辞令を返して、今度こそ間違いなく家への帰路を歩き始めた。

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