十八歳の真田の、年齢離れして逞しい体が俺に覆いかぶさった。マットレスの上に組み敷かれた俺は三十路も遠に過ぎているのに、真田の真っ直ぐな視線に一々照れたり、乱れたりする。
真田の、皮膚の表面の硬い指や、太く凛々しい眉、俺の体をかき抱く腕の筋肉の隆起、全部を自分のものにしたかった。出来ることなら永遠に。
だけどそんなことは叶うはずもなくて、俺の頭の中の真田弦一郎はいつまでも十八歳の姿を留めたままでいる。十八歳の真田は、いつの間にか俺の前から姿を消して、十八歳の俺を貫いている。いつもそこで目が醒める。
レースのカーテン越しに穏やかな光が差し込んでいた。自室のベッドの上で目をこすりながら、俺はゆっくりと体を起こす。
真田の夢を見た後の目覚めは、いつも決まって怠惰で息苦しい。高校三年生のほんのいっとき、真田とは体を重ねていた。俺は真田のことが好きで、真田は俺を自分の物だと考えていたから、お互いがまぐわいあうことは自然の成り行きだった……と思う。
だけど今、俺の人生の内側に、真田はいない。もう十年以上も前に、俺たちの関係は終わってしまった。殆ど自然消滅のように。
今となっては、真田と出会ってから別れるまでにかかった年月は、真田と別れてから今までの年月に追い越されてしまった。
一
現役を退いたら指導者にでもなるよ。軽い気持ちでそんなことを呟いた俺に、「あなたには無理よ」とはっきり言ったのはプロテニス選手としての俺のブランディングを請け負っていた事務所のマネージャーだった。
色白で面長の輪郭に、赤縁の眼鏡をかけた、美人秘書を絵に描いたようなその女性は、後藤さんと呼ばれていた。
後藤さんは、剣呑な心情を眉間に表して、言葉を続ける。
「指導される側が可哀想だわ」
「随分な言い方ですね」
「だってあなた手加減を知らないでしょう。生徒をイップスに追い込んで、卒倒させでもしたら、ゴシップ雑誌のいいネタになるわよ」
対外的なマネージメント業一辺倒で、テニスのことなんて殆ど知らないくせに、俺の将来設計に水を差すようなことを言った後藤さんは、「先のことなんて心配しなくていいの」とはっきりと断じた。
私に任せておいて、と笑みを浮かべてから、「そうね」と何か考え込むように斜め上を見上げた。
「特別心配もしてないんですけど」
「あなたなら頑張り次第で一流半くらいのタレントになれるわよ」
一流にはなれないんですか、と突っ込むのも野暮に思われてその日はお開きになった。
それから程なくして、俺は現役を退いた。三十三になる目前の冬だった。
高校を卒業してすぐにフロリダに活動拠点を移した俺の選手としての活動年数は十五年弱。プロのテニスプレイヤーとしては長くも短くもない年数が、体感としてはあっという間に過ぎていったことは幸いだった。
日本でテニスをしていた時は、いつだって真田が俺の傍にあったから、あいつのいない国で、自分がテニスを出来るのか不安だった。だけどその心配は全くもって杞憂で、テニスの神に愛された俺は、順調に成績を伸ばしていった。もちろん、日本にいた時のように殆ど負けなし、というわけにはいかなかったけど。
がむしゃらに毎日を過ごしている内に三十が目前に迫っていた。その間、一度も真田や、かつて同じ部活で汗を流していた仲間に会うことのなかったことに気がついて、俺は愕然とした。己の情の薄さに一人傷付いて、その頃から少しずつ日本での活動を増やした。あの押し付けがましいマネージャーに出会ったのもその頃だ。
一般的にテニスプレイヤーのピークは三十頃らしい。そんな話を俺にしたのも彼女だった。
俺はその時期まだ自分の体の衰えなんて感じたことがなかったから、つまらない話をする彼女に反感を覚えた。それでも三十路を過ぎて、三十一、三十二と年齢を重ねていく内にもういいかな、と思うようになる。体力よりも、気持ちが萎え始めていた。
そうして、なにが呼び水になったのか、その頃から真田の夢を頻繁に見るようになった。
二
「お兄さん見かけによらずエッチ強いんだね」
天然の癖っ毛をうなじにかかるまで伸ばした若い男が、俺の伸びた前髪に触れた。瞼の表面を、柔らかな指先がなぞるのを、他人事のようにやり過ごす。そういう時俺は、自分のそれに触れた真田の厚みのある指の感触を思い出している。
彼とは、新宿のバーで出会った。
名前はフグというらしい。もちろん本名じゃない。エラ張りでハコフグに似てるからフグって呼ばれてるんだよ、と酒に酔ったフグは、それが何よりも面白いことであるかのように俺に語った。
フグが俺の顔をひとしきり触り終えたのを見計らって、俺は彼のエラに手を伸ばす。言われてみれば少し角ばっている気もしたけど、気になるほどじゃない。
「フグって誰が呼び始めたの。友達とか?」
プライベートで人と関わることの少ない俺は、行きずりの相手にいつも話をせびる。
「うーん、いつも行くバーにいるゲイ仲間かな。初めは、四十前のネコちゃんが呼び始めたんだと思う。その人が粉かけてた相手に誘われてご飯に行ったら、フグって呼ばれるようになったんだよね」
「それって悪口なんじゃないの」
「そうなのかもしれねぇけど、気にしてると思われたら逆にカッコ悪いし、それからはこの界隈での俺の名前はフグに決まり」
親しみやすいでしょ、と笑う男は成る程なかなか愛嬌のある顔立ちをしている。顎にうっすらと生やした髭を、抜け感と捉える人間もいるだろう。年齢も高めに見積もっても二十代半ばくらいだろうから、この界隈ではそれなりにモテるはずだ。
「歳上受けしそうだよね」
「だからお兄さんも選んでくれたんじゃないの?」
「声をかけてきたのはそっちじゃないか。今日はただ飲むだけのつもりだったんだよ」
仕事が詰まって疲れている時には、かえって家に帰り難くなる。疲れ果てたまま床につくと真田の夢を見てしまうからだ。
「だけど誘われても断らなかったじゃん」
若い男特有の蠱惑的に光る瞳を向けられて、俺はたじろいだ。この手の世界では、若い男はやはり一定の需要がある。事実フグは一般的にゲイに好まれるとされる肉感的な体躯を持っているわけではなかったけど、店ではいつも新しい男を侍らせていた。
行きつけのバーが被っているので、お互い顔だけは知っていたけど、会話をしたのは今晩が初めてだ。
真っ直ぐ帰りなさいよ、というマネージャーの言葉を無視して、もつれ込んだ夜の街で、俺は古びた木のカウンターに寄りかかってカンパリを飲んでいた。お酒が殊更好きなわけでもないからちみちみと喉を潤して、誰と会話するでもなく一人佇んでいると、フグが腕に絡みついてきた。
今晩どう、と人懐っこい笑顔でフグは言った。そこまで露骨な誘いを受けることは久しくなかったから、多少面食らったが、俺は結局それに応じた。
「お兄さんて普段からタチ?」
「日によるよ」
歳を重ねると、必ずしもネコを選べるわけでもなくなってくる。若い頃は受け手一辺倒だった俺も、行きずりの相手とするときは、適度に相手と調子を合わせて、タチをすることもあった。
「今度するときは俺が挿れてもいい?」
衣摺れの音ともに、フグが腰に腕を回してくる。滑らかな皮膚の感触が気持ちいい。
「いいけど、君はタチはしないんだろ」
「普段はしないけど、お兄さんの体つきヤラシイから。脱いだら案外筋肉質なんだね」
「……まあね」
マネージャーに言われた通り一流半程度のタレントになった俺の素性を、若いフグが知らないはずはない。それでもこういう場で、テニスやタレント活動の話題を持ち出してこないのは有り難かった。
俺は、腰に回ったフグの腕をゆっくりと剥ぎ取った。シャツに手を伸ばしながら、「帰るよ」と言うと、「泊まってけばいいのに」とぽってりとした唇が尖る。
「明日も仕事だから」
「土曜日なのに大変だね」
返事をする代わりに曖昧に笑って、帰り支度を整えた。若い時分から土曜も日曜もなくテニスをしていたから、休みが少ないことは気にならない。
名残惜しげに体を揺するフグに、宿泊代を押し付けて部屋を出た。
目抜き通りに出てタクシーを拾って行き先を告げると、不愛想な運転手がラジオの音量を上げる。スピーカーから流れ出すスピッツの仲良しの歌詞を辿っていると、どっと疲労感が押し寄せた。
三
フグと寝て一週間程が過ぎたある日、民法の朝番組のロケに俺を駆り出すために、マネージャーがマンションの前まで迎えにきた。
早くしないと遅れるわよ、という金切り声を電話で受けて、寝癖も直さずに玄関のドアを開けると、早朝だというのに余念なく顔を作り込んだ後藤さんが、部屋の前に仁王立ちしている。オートロックをどうやって突破したのか疑問に思いつつ、「おはようございます」と寝ぼけ声で挨拶をすると、「急いで!」と三角形の目を向けられた。
そんなに急かさなくても、と思ってしまうのは俺の本来の性質によるものなのかもしれない。テニスが絡まなければ、俺は案外のんびりしている。早起きだって昔からあまり好きじゃなかった。
そんな俺とは対照的に真田はいつも早起きだった。毎朝四時には起きて、布団をきっちり畳んでいた真田のことを思い出している内に車が走り出す。
ハンドルを握った後藤さんは、むっつりと黙り込んでいた。特に意識することもなく助手席に乗ってしまったけど、後部座席に乗れば良かったな、と後悔した。
「あなた、まだああいう場所に行ってるの?」
「ああいう場所って?」
ゲイバーのことだな、と分かっているのにシラを切ると、マネージャーは苛立ったように左手で髪の毛をかき上げた。
「同性愛者だって記事でも出たら困るのはあなたよ」
きっぱりと言い切って、彼女は右向きのウィンカーを出した。淀みなく車線変更をしながら、俺の返事を待っている。
「この歳まで女性とのスキャンダルが出たことがないんですから、もう既にまことしやかに噂されてますよ」
変装も何もせず二丁目界隈を練り歩いているから無理もない、とは言わない。
「まことしやかか、まことかじゃ大違いよ!」
案の定怒りの火山を噴火させた後藤さんから、
「実際には“まこと”なんだから、いつかは“しやか”が取れたって仕方ないと思いますけど」
耳のないような顔をして視線を外す。窓の外で次々と移り変わる景色に緑が増え始めていた。
後藤さんは大きな溜息をついて、肩をグリグリと動かした。後藤さんの呼気からは、なぜだか薔薇の匂いがする。
「もしも相手に困ってるなら言ってちょうだい。この業界はゲイの男の子も多いから、あなたの好みの相手を見繕ってきてあげる」
見合い婆さんのようなことを言う彼女の声は、先ほどまでとは打って変わって優しげで、諭すような響きを持っていた。三十も半ばの男が、契約している会社の人間に自分の恋愛の相手を見繕ってもらわないといけないのはあまりにも虚しい。
「芸能人のマネージャーって、タレントのプライベートの面倒まで見ないといけないんですか」
うんざりとした口調で問いかけると、ハンドルを強く握り込んだ彼女が、「そうね、」と口を開いた。
「タレントのプライベートが、仕事に影響を及ぼす可能性がある場合には介入せざるを得ないわ。あなたが同性愛者だと世間に知られること以上に、不特定多数の相手と関係を持つことは精神衛生的にいいとは思えないもの」
不特定多数、の部分に力を込めてマネージャーは言った。
「怖いな。そんなことまで知ってるんですね」
「言ったでしょ。業界にはその手の男が多いって」
一人に決めると楽よ、と彼女は訳知り顔で言った。俺は帰国してからは一度も特定の恋人を作っていない。
「好みのタイプがあるなら教えてちょうだい」
「そういう話をするのはちょっと」
「恥ずかしいの?」
「自分でもよく分かりませんから」
三十四になった今でも、俺の心を占める男は一人だ。太く凛々しい眉と、男らしく通った鼻筋、しっかりと張った肩と胸の肉、その全てを今でもはっきりと思い出せる。
だからと言って、真田に似た男と付き合いたいとは思わない。プレイヤーを引退して、一先ずは仕事にも困らず、平穏に暮らしている今の日々に真田の影は必要ない。そう思っているから帰国後も俺はかつての仲間に会わずにいる。
「……心配してくださってありがとうございます。だけど俺は大丈夫ですから」
仕事のマネジメントだけで充分だと、暗に伝えると、赤縁のメガネの奥の瞳を細めた彼女は、「大丈夫には見えないから言ってるんだけどね」とごちた。
四
アルコールが体に回った時の、熱を孕んだような倦怠感が苦手だった。入院中のことを思い出してしまうからだ。だからと言ってお酒を出す店に来て、烏龍茶を何杯も飲むのは格好が悪い気がして、俺はいつも少し無理をしてアルコールで喉を焼く。
すっかり馴染みになったゲイバーのマスターは、俺が酒に弱いことを知っていて、「そろそろ帰りなさいよ」と時たま混じる女性口調で今晩もそれを諌める。
「帰っても一人ですから」
「一人で過ごすことを怖がるようなタイプには見えないのにね」
返事の代わりに苦笑いをして、薄暗いバーの店内に視線を流す。また会うことがあれば声をかけようと思っていたフグの姿はない。
界隈で出会った人間とは、連絡先を交換することも稀だから、大抵の場合はそれっきりになる。あれ以降何度かここに足を向けているのに顔を合わせることもないから、彼ともそうなるのかもしれない。
しばらく頭を留守にしていると、特徴的なギターのイントロが店内で反響し始めた。南佳孝のモンローウォークだ。店の片隅に置いてある百円を入れるタイプのジュークボックスを誰かが利用したらしい。俺が生まれるよりも随分と昔に流行った曲だから、ここに通い始めるまでは聴いたことすらなかった。
軽快で心地の良いメロディに心を預けていると、背後で足音が聞こえた。マスターが、「どうも」と頭を下げる。大音量のモンローウォークのおかげで、店の入り口の扉が開く音には気がつかなかった。
どんな男が来たのか、興味本位で振り返るとそこには梅雨時だっていうのにかっちりとしたスーツに身を包んだ男が立っていた。雨に降られたのか、濃紺の生地の肩口の一部だけが色を濃くしている。
マスターに向かって会釈をする男の首や肩の形には見覚えがあった。息を飲んで自分を見つめる俺の視線に、ようやく気がついた男は、こちらに顔を向けて、口をぽかんと開く。
「幸村」
夢の中で聞くのと変わらない、腰に響く重々しい声だった。俺は張り付いたような笑顔を作って言う。
「久しぶりだね、真田」
五
成り行き上俺の隣に腰を下ろした真田は、烏龍茶を注文した。体格も顔つきもしっかりとした真田が、アルコールに弱いとはとても思えなかったけど、マスターが何を言うでもなかったから俺も黙っていた。
十八の姿のまま記憶の中にとどまっていた幼馴染が、突然三十五の姿になって目の前に現れたというのに、格別の違和感を覚えるでもなく、俺は真田の横顔を見つめていた。肌の質感や、目元など、細かなところに過ぎ去った年月は感じるものの、真田は真田のままだ。最後に会ったあの日から、地続きの真田。
ペットボトルから注がれたきりの烏龍茶を傾けるでもなく、傷だらけのカウンターを睨みつけている彼の眼光に衰えは見えない。
つと、真田の前腕が震えた。コースターの上で結露するグラスに力を込めているのだ。お互いに黙ったままでいることに痺れを切らしたのだろう。
「幸村、何故こんなところに」
こんなところ、という文字の連なりに俺の胸はざわめいた。
真田は、俺と別れてから今まで、どういう風に生きていたんだろう。俺と体の関係を持つ前は、女の子と付き合って、セックスをしていた真田。
「なんでって“こんなところ”に来る理由なんて一つしかないだろ」
あえて挑発的に返すと、その気まずい空気を読み取ったのか、近くに控えていたマスターがこちらに視線を流した。みるな、と口パクで制すと肩をすくめる。
「お前はまだ、」
そこまで言って真田は口ごもる。相変わらず、俺に対しては強く出ることが出来ないんだなぁと思うと胸がすいた。
「俺のことはいいよ。お前はどうしてたの? お母さんは元気?」
あっさりと話題を変えると、真田もそれ以上は深入りしてこなかった。自分のことについては語らなかったけど、両親や今はもう成人している左助くんの話をしてくれる。あの剛毅だったお祖父さんが九十を超えた今もまだ存命だと聞いて安心した。
「佐助君はなんの仕事してるの?」
「税務署だ」
「マルサの女みたいなの?」
子供らしく艶のある黒髪を、女の子のようなおかっぱに切りそろえていた佐助君が今では社会人。会わない間に流れた時間の長大さを、改めて実感した。
「徴収官だと聞いたが、なかなか難しい仕事らしい」
「真田家は、公務員一家だね」
真田のお父さんは公務員だったし、お祖父さんは警察の剣道教官をしていた。
真田は今何をしているの、そう尋ねようとして顔をあげると、俺の質問を先回りしたみたいに、「俺もそうだ」と真田は言った。区役所や市役所で判子をつく真田の姿が想像つかなくて、俺は瞬きを繰り返した。
「お前も税務署?」
そっちなら似合わないこともないなぁ、と思う。夜の街は税務署の出入りも多いと聞いたことがあった。
だけど真田は難しげに頭を横に振って、俺の問いかけを否定する。
「俺のことはいいだろう」
「よくはないけど、話したくないならいいよ」
案外簡単に俺が引くと、真田はようやくグラスに口をつけた。
俺は今でもお前の夢を見るよ、と言ってやったら真田はどんな顔をするんだろう。気味が悪いと顔をしかめるだろうか。自分に対してそんな振る舞いをする真田が想像出来ない。
だけど俺たちの間には確実に十七年の時が流れているわけだから、どんなことが起きたっておかしくはない。例えば真田に、中学生の子供がいたとしても、俺は驚きはしないだろう。
カウンターに添えられた真田の、左手の薬指に指輪は見受けられない。それだけの事実に安堵する自分の浅ましさに、溜息をこぼした。
つまみを出す機会を伺っていたらしいマスターが、真田のグラスの傍に小皿に乗ったポテチを置いた。
「烏龍茶にポテチって、休日の中学生じゃないんだからさ」
「ポテチが合わない飲み物はないのよ」
うすしお味のポテチの大量に入った缶に、それをすくうための氷スコップを戻して蓋をしたマスターが唇を尖らせた。
「だいたい今日日の中学生は烏龍茶なんて飲まないって。ピルクルよ、ピルクル」
マスターの中学生像は二十年前から止まっている。
「真田は甘い飲み物は好きじゃないだろ」
「人に出されれば飲むが好みはしないな。それはお前もだろう」
「俺は程々に好きだけど、出来れば紅茶やコーヒーの方がいいかな」
取り留めのない会話を続ける内に、真田のグラスが空になった。それとなくお代わりを進めたけど、真田は財布を取り出している。
「もう帰るんだ?」
「今日は仕事にならないからな」
「仕事?」
「いや……お前はまだ帰らないのか」
失言を取り繕うように、真田は俺の空のグラスを見やった。
「もうしばらく飲んで帰るよ。明日は朝遅いし」
「……送って帰る」
「送るって」
またそれか。真田が、俺に対してだけ向けるなにかを伺うような目つきは、昔のままだった。
「俺、三十四になったんだよ」
体格だって一般的な成人男性に比べればしっかりしてる。
「年齢は関係ない」
有無を言わさぬ態度で言った真田は、俺の飲んだ分の勘定も纏めて払って店を出た。その後を追うようにして、俺も席を立つ。
店を訪れたときには、ちらほらと、しかし確かに空から落ちていた雨がやんでいた。大通りから外れているとはいえ、薄暗さとは無縁の夜の街を、湿り気を含んだ空気が包み込んでいる。
ふ、と息を吐いた俺に背中を向けたまま、「タクシーを拾う」と真田は歩き始めた。タクシーなら同乗する必要はないだろうと思ったけど、偶然の再会の後に離れがたいのはお互い同じだろうから、その背中に続く。
目抜き通りで整然とした列を作るタクシーに、二人で乗り込んだ。真田は、ドアにしっかりと体を寄せて座る。肩が触れ合うことを恐れているのかと思うと、「お前の家から回ろう」という言葉にすら、空空しさを感じてしまう。
「……うちは遠いから、真田の家からでいいよ」
後部座席のシートに深く座り直しながら言うと、真田は運転手に自宅近くの医院の名前を告げた。地面を縫うように走り出したタクシーの車内で、ラジオパーソナリティが除湿乾燥機について語る声だけが響いている。
「真田って、一人暮らし?」
沈黙に耐えきれなくなって口を開くと、真田はゆっくりと頷いた。今はな、と意味深に付け足すのを無視して、
「今晩泊まってもいい?」
媚びたような声を上げると、真田が顔をしかめるのが分かった。それでも、「かまわない」と即答するので、逆にこっちが面食らってしまう。
「軽い」
非難めかして言うと、
「家が遠いなら泊まっていけ」
なんて返すから、実際には新宿から車で十五分圏内に住んでいる俺は、座りが悪くなった。
「人を泊めるくらいの備えはある」
「……それなら甘えさせてもらうよ」
店では出来なかったような積もる話もある。
六
案の定俺の家よりも遠くに位置していた真田の住まいは、外壁に煉瓦に似せたタイルの貼り付けられた六階建てのマンションだった。築浅ではないようだけど、四角四面を絵に描いたような性格の真田には不似合いな洒落た作りで、オートロックを備えたエントランスは真夜中だというのに明るい。
エレベーターホールから、六人乗りのエレベーターに乗り込んで、真田が四階のボタンを押すのを、俺は奥壁に背を預けて見つめる。
真田は元々ここに誰かと一緒に暮らしていたのだと思った。部屋の間取りを確認するまでもなく、このマンションは、独身の公務員の男が一人暮らしをするには広すぎる。
真田は、エレベーターを降りて左に向かい角部屋の一つ手前の部屋で足を止めた。鍵が回される音と共にさらされたその玄関には明かりが灯っている。
「誰かいるの?」
気まずい思いで尋ねた俺に、かぶりを振って見せた真田は、「消し忘れただけだ」と言った。その口調があまりにも頑なだったので、俺は真田が、一人で暗い部屋に戻る憂鬱を忌避して、あえて明かりをつけたままにしているのではないかという想像を頭から追い出した。
「それで、お前の仕事って結局なに?」
十五畳弱はありそうなリビングの、テレビの前に設置されたソファに腰掛けて、俺は口を開いた。冷蔵庫から取り出したばかりのミネラルウォーターのボトルを握りしめた真田は、「グラスは必要か」とそれをはぐらかす。
「いらないよ」
答えると同時に弧を描いて飛んできたボトルを胸元でキャッチして、キャップを回す。喉が潤うと案外酔いが回っていることに気がついて、こめかみを指で押した。
真田は、リビングから続き間になっている部屋に姿を消して、戻ってくると部屋着に着替えていた。几帳面に畳まれた上下のスウェットを、「こんなものしかないが」とこちらに差し出す。
「ありがとう」
「隣に座ってもいいか」
「いいに決まってるだろ」
言葉通り、真田は肩が触れ合わんばかりの位置に腰掛けた。ソファはL字型で、他にかけるところはいくらでもあるのに。
「タクシーとかエレベーターでは離れてたくせに」
「長いこと顔を合わせていなかったからな。距離の詰め方が分からなかった」
「緊張してたってこと?」
「らしくないか」
「そうだね。だけど俺も同じだよ」
開いたままのボトルを押し付けて、「口つけちゃったけど」と言うと、真田は僅かに瞬きをしてそれを受け取った。
ボトルに触れる真田の唇を、流しこまれた水を嚥下するために大きく上下する喉の動きを、俺はまじまじと見つめる。みぞおちのあたりがきゅっと狭まるのを、やり過ごしながら。
「……あまり見るな。飲みにくい」
真田が硬い声を上げるのを、余裕ぶって受け止めた笑顔の裏側では、そのくっきりと浮き出た喉仏に唇を寄せてみたい欲求が渦巻いていた。
俺の視線を受けて、戸惑ったように眉根を寄せる真田は、男と触れ合うことを厭うようになったのだろうか。
「……この家に、誰かと二人で暮らしてた?」
恐るでもなく尋ねると、真田は頷いた。
「半年前に離婚したところだ」
「結婚したことすら知らなかったけど、離婚したのは意外だな。お前は一度相手を決めたら投げ出さないだろうと思ってたから」
「向こうに離婚を切り出されたんだ。俺の意思は関係ない」
「フラれたんだ」
それも意外だった。真田を選びとるような女が、一度手に入れたこの男を放流するなんて考えられない。
「母さんは、真田が結婚したことを知っていたのかもしれないね」
「一応は伝えたはずだ」
真田のお母さんと、うちの母親は昔から懇意にしている。
「俺は、テニス一辺倒で、結婚なんて考える暇がないのを分かってたから、伝えなかったのかも」
言いながら、それはないなと内心ではかぶりを振る。母さんはきっと、俺のセクシャリティに気がついていたんだと思う。俺と真田の、曖昧な関係にも。
「交際している女性はいたのか」
「……いないよ。女の人とは付き合ったことがない」
はっきりと言い切ると、真田の表情が濁った。ゲイバーで再会したんだから、俺の恋愛対象が男だってことくらい、予測出来ていたはずなのに。
「それよりお前はなんであんなところにいたの? まさか行きずりの相手を探しに来たわけでもないんだろ。もしも一人寝が寂しいなら、俺が相手になるけど」
冗談めかして言いながらも、半分、いや八割は本気で、俺は久しぶりに真田と寝てみたかった。思い出の中の真田の存在が、自分の中で必要以上に膨れ上がっていることに気がついていたからだ。一度寝てしまえば、膨れ上がった風船に針を刺すみたいに、この行き場のない執着心も弾けて消えてくれるんじゃないかと夢想する。
「寝るとしても風呂に入ってからだな」
俺の複雑な心境を知ってか知らずか、真田はあっさりと言ってソファから立ち上がった。風呂を洗ってくる、と俺の目の前を横切る。
「えっ」
自分から誘いをかけたとは思えない程に動揺して頭を抱える俺の鼓膜を、「ああそういえば、あの店のマスターは俺の檀家だ」という声が震わせた。
「檀家って、お前の職場って寺?」
混乱しながら顔を上げると、ドアノブに手をかけていた真田と目があった。真っ直ぐな目をして、口角だけを歪めている。その出来の良い悪魔のような笑い方には覚えがあった。
それは、俺にからかわれることに慣れた真田が、ときたま見せる反撃の狼煙なのだ。
七
先に休んでいろ、と通された寝室は、お世辞にも広いとは言えない作りだったけど、大きなダブルベッドがあった。それが視界に入り込んだ瞬間、真田と二人でそこに寝起きしていた彼の別れた奥さんの姿を思い浮かべてしまった。
それでも表情を変えずに、俺はひやりとした感触のするマットレスに腰掛ける。そのまま横になるでもなく天井やら、カーテンの模様を眺めていると、この飾り気のない白いシーツの上で夫婦の営みが行われていたのだと実感して、腰に甘い痺れが走った。
他の人間と体を重ねる真田を想像して発情するなんて、高校生の頃には考えられなかった。あの頃は真田を他の人間の物にはしたくないと考えていたし、真田が自分以外の人間に触れるのは我慢ならなかった。
だけれど時間の流れは俺に様々な嗜好を与えた。
アメリカにいた頃は、自分の付き合っていた男が他の男を抱くのを実際に見たこともある。彼はそういった性癖を持つ人間で、その行為によって俺の嫉妬心を煽りたかったようだけど、今思い返してみてもつまらない酒肴だった。
あの日、自分のことを愛していると言った男が、他の男にナニをくわえさせているのを、俺は冷めた目で見つめていた。これが真田だったら、なんてことを想像しながら。
真田とはセックスをしていたけど、あいつが俺のことを好きだと言ったことは一度もなかった。ただ、お前は俺の物だと当たり前のように言った。
壊れ物を扱うような手つきで、大切なものを慈しむような目をして俺を抱いていた真田が、自分以外の人間を抱くところを想像して、俺は自慰をした。
他の男との行為を楽しんでいた恋人は、俺が真田のことを想って自分を慰めるのを認めて鼻息を荒くした。嫉妬されていると勘違いしていたのかもしれない。その翌日手酷く抱かれたのを理由にして彼とは別れた。
あれ以降、時たま自分以外の人間を抱く真田を想像してヌくようになった。
「待たせたな」
寝室の入り口に立った真田は、肩にタオルをかけていた。
「早かったね、髪の毛ちゃんと乾かした?」
「三分もあれば乾く。お前こそ半乾きに見えるがいいのか」
「俺の髪はなかなか乾かないから」
「そうか」
頷いたきりの真田が、なかなか足を進めないので、不恰好な沈黙が流れる。
「ね、寝るんだったら早くこっちに来なよ」
沈黙が作り出した緊張から、俺は上ずった声を上げた。自分の隣をポンポンと叩いて誘うと、真田は口元を歪める。
お前という奴は、と呆れているのか、参っているのか分からないような声をあげた真田が、ゆっくりとフローリングを踏みしめるようにしてにじり寄ってきて、利き手をこちらに伸ばす。マットレスがぎしりと歪む音がして、体に緊張が走る。
キスされる――反射的に身構えて目を閉じると、湯上りの匂いが香ると共に温かな皮膚の感触が額に触れた。
頭を撫でられたのだと理解した瞬間、弾かれたように目を開いた。その頃にはもう、俺の隣を通り過ぎた真田は、ベッドの壁際に横たわっている。
拍子抜けした俺が、睨みつけるように見下ろすと、真田は俺の手首を掴んだ。
「こっちに来んか」
「……言われなくても」
真田の言ったところの“寝る”が、体を重ね合わせるという意味を持たないことは分かっていた。それでも夏用布団の中に潜り込んで、懐かしい男の匂いを嗅ぐと、堪えようのない郷愁に駆られる。
「ようやく日本に帰ってきたんだな」
ぽつりと呟くと、豆球に照らされた真田の顔が怪訝に歪む。
「帰ってきたのは一年以上前だろう」
耳にかかった俺の横髪を、真田が手櫛で梳かした。昔はそんな気障な真似絶対しなかったのに。
真田にそれを教えたであろう過去の女に、俺は嫉妬と羨望を抱く。
「俺が帰国してること知ってたんだ?」
「メディアであれだけ報じられていればな」
「そっか、じゃあ皆知ってるね」
「立海の他の奴には会っていないのか」
小さく頷くと、真田の手の動きが止まった。そのまま離れていってしまいそうなそれを、縫い止めるように左手を重ねると、真田が息を詰めるのが分かった。自分から触れることは躊躇わないくせに、俺から距離を詰めると戸惑うところは昔から変わらない。
「プロをやめてからは有難いことに本当に忙しくて、息をつく間もなかったよ。せっかく帰国したのに、家族にも結局殆ど会えてないし。だから今日、お前に会えてようやく帰ってきたんだなって思えた」
「そうか」
「懐かしい匂いがする。真田の体の匂いだ」
風呂上がりだぞ、と困惑した声を上げる真田の体に擦り寄るようにしてしがみつく。形の良い体躯に変化がないことを認めると、たまらなくなった。
胸元や、首筋をスンスンと鼻先で撫でていると、
「やめんか」
肩に触れた大きな手のひらに体を引き剥がされる。
「……三十を過ぎた男に抱きつかれるのは気持ちが悪い?」
自分の口から飛び出した言葉が、思いがけず卑屈なものだったことに戸惑った。それは真田も同じだったのか、肩を掴んだ手は離さないまま、
「年齢は関係ない」
きっぱりと言う。固まったままの俺の体を、抱きしめ直すことはせずに。
「……今日はもう寝ろ」
「眠れないよ、やっとお前に会えたのに」
真田は、何かを飲み込むような表情を浮かべた後に、枕元のリモコンで豆球を落とした。窓際の遮光カーテンもきっちりと閉められていて、月明かりすら入り込まない完璧な暗闇の中で、俺は真田の呼吸音に耳を傾ける。
諦めて目をつむりながらも、まんじりともせずにいると、途中で真田の呼吸の感覚が長くなった。手を伸ばして彼の胸の上に置くと、すーすー、と寝息のようなリズムで上下するのが確認出来た。
狸寝入りか。疑りつつも、今がチャンスとばかりに体を寄せる。真田の呼吸の感覚に変化がないのをいいことに、彼の顎を手のひらで撫でる。
ふちふち、と朝の内にきっちりと剃りこんだであろう髭が伸びつつあるのを確認して、キスのひとつもしてやろうかと顔を寄せたけど、結局は出来なかった。
真田と、きちんとした別れの言葉も交わさずに日本を離れたとき、まだ十八になったばかりの俺は、次に会うまでにどれだけの月日が流れてしまったとしても、また顔をあわせることさえ出来れば最後に体を重ねた日の続きから、全てがやり直せるものだと思っていた。
それが思い違いだと気がついたのはいつだったろう。俺が初めて真田以外の男と寝た日だったのか、グランドスラムを果たすことなくプロを引退すると決めた日だったのか、たった今真田に体を引き離された瞬間だったのか。
今この場所にあるのは、三十を四つも過ぎて、自分の愛した人間に、好きだと言われたこともない哀れな男だけだ。
惨めだな、と考えながら真田の肩口に顔を寄せる。自業自得だと分かっているのに、自分を憐れんでいると、体の内側に熱がこもる。
真田に借りたスウェットパンツの内側に手を指し入れると、新品だからと差し出しされたボクサーパンツの布越しに形を持ち始めている自身に触れた。
これ以上はいけない。元々か細い自制心を、鼻腔を撫でる真田の体臭が拭い去った。
今俺が触れているのは、夢の中の十八の青年ではなく、現実の世界で確かに歳を重ねた真田弦一郎なのだ。俺のことを愛してはいなくても、現状では独身で、これを逃したらもう顔を合わせることもないのかもしれない男。
恐ろしい程の興奮に身を任せて、俺はスウェットの内側のボクサーを太ももまで下ろした。軽く勃起をした自分のモノを掴むと、ふっ、と息を吐く。
暗闇に目が慣れてきて、目を瞑った真田の顔の輪郭を捉えられるようになった。規則正しい寝息を立て続けるその唇に、空いた手を伸ばす。
存外に分厚い唇に指先で触れると、思いがけず柔らかなのに興奮して、屹立が更に硬さを増した。
国を離れている間、幾度となくオカズにしていた男が、目の前で横たわっている。
痛みを感じるほどの力で、膨れ上がったペニスを掴んで上下にシゴくと、真田に手荒く扱われているような錯覚を抱いた。下半身に集まった血液が、出口を求めて先端を腫らす。
乱暴なくらいに摩擦を続けると、射精感が込み上げてくる。普段はこんなに早くないのに、現実の真田の威力は恐ろしい。
すぐに達してしまうのも勿体なく思われて、竿を掴んだ手を離して、張り詰めた亀頭をゆるゆると撫でる。
「はあ……」
待ち望んでいた刺激を受けたそこが、痛々しいくらいに張り詰めている。こんなに惨めで情けないのに、快感はとどまることを知らず俺を襲い続ける。
「真田、」
掠れた声が漏れる。一度その名前を呼ぶと、もう止まらなくなった。
亀頭をなぞっていた手のひらで、裏筋から、ペニスの根元までをグリグリと刺激して、小さな嬌声を漏らし続ける。
頭を揺らした拍子に、照明を操作するリモコンに後頭部が触れて、俺は真田の別れた奥さんのことを想った。
新生活を始める前に向かったであろう電気屋で、「寝室の照明はリモコンで操作出来た方がいいわよ」なんて、取り澄ました表情を浮かべる美しい女性を。そして言われるがままに家具家電を買い揃える、満更でもない表情を浮かべた真田の姿を。
俺がみっともない行為に耽るこのベッドも、彼女の趣味で選ばれたものなのだろうか。マットレスの分厚い、ちょっとお高そうなダブルベッド。ここで真田のモノを受け入れた女性がいるのだと思うと、鼻の奥がツンと痛んだ。
俺よりも真田を好きになれる人間なんていないと思っていた。だけど真田が一度は添い遂げてもいいとまで思った女性はきっと、俺よりも大きな愛を真田に与えたのだろう。
気持ちが落ちるのと反比例して、皮膚の表面を走る快感は大きくなっていく。
ぐちゅり、溢れ続ける先走りとカリ首の擦れる濡れた音を聞いた時、真田の唇に触れていた指に力を込めてしまった。汗ばむ指先で、その形の良い唇の縁を、口角を、なぞり続ける。
下まつ毛の根元から、涙が溢れかけて、俺はぐっと目を閉じた。
「さなだ、きすして……」
独り言にも満たない声量で漏らした瞬間、真田の唇に触れていた指に痛みが走った。
「っ、」
指先に歯を立てられたのだと気がついた瞬間、驚いて引いた手首を強い力で掴まれる。
目を開いたと同時に体を反転させられて、質量のある真田の体がのしかかってきた。その心地の良い重みに、瞠目していると、噛み付くようにして唇が重ねられる。
「ふ、ん……」
濡れた音の立つようなキスは、たっぷり三十秒は続いた。
搦めとるような舌の動きに惑いながらも、俺は自分のペニスをシゴき続ける。真田の分厚い舌が、俺の口蓋や歯列をなぞった。
ようやく解放された頃には、呼吸の仕方も忘れて、息も絶え絶えになっていた。
「いつから起きてたの」
「初めからだ」
「狸寝入りなんてらしくないんじゃない?」
硬い声で揶揄すると、「疑っていたんじゃないのか」と返されて、言葉に詰まった。確かに初めから、真田は起きているのではないかと疑っていた。
「辛いだろう。続きをするといい」
低く艶のある声を上げた真田の体が、俺から離れていく。名残惜しくて伸ばした手を払われたかと思うと、真田は俺の履いているスウェットをずり下ろした。
生温い室温に晒された膝裏を、分厚い手のひらにすくわれて、下半身が左右に大きく開かれた。
「真田、流石に恥ずかしい……」
「悦んでいるようにしか見えないが」
一人で自分を慰めて、感じていた姿を見られて恥ずかしいのに、ガチガチに張り詰めたままの中心は、萎えるどころか先走りを零した。
こういう時の真田は、いっそ清々しいくらいに意地が悪くてしつこい。きっと俺が達するのを見届けるまでは、満足しないだろう。
羞恥心で汗ばむ体を持て余して、おざなりな上下運動を続ける俺を、真田はまじまじと見下ろしていた。照明がないから細かい表情までは認められないけど、意地の悪い顔をしていることは想像がつく。
「動きが悪いな」
「人の台詞を最悪の形で真似るのはやめてよ」
俺の言葉を無視して、真田は掴んだままの膝裏に爪を立てた。皮膚の表面に走った甘い刺激に、思わず腰を浮かすと、生唾を飲み込む音が聞こえた。
真田も、興奮しているのだと思うと、多少は救われる。
「真田、もう一度キスして、」
媚びたような声を上げて、ペニスを握る手に力を込めると、真田の体が再び上半身にのしかかってきた。触れ合うことを期待した唇が、半開きになっているのを無視して、真田は俺の耳に舌を這わせる。
「お前は変わらないな」
低い声が鼓膜を震わせるのを他人事のように聞き流しながら、硬く張り詰めたペニスを指で締め付ける。先走りを潤滑油にして、そこを擦り続けると、皮膚の表面が泡立った。
射精に向けてそこを追い詰めているとき、俺の体を押さえ込むようにしてのしかかっている真田の下半身に手の甲が触れた。寝巻きの布地越しにでも真田のモノがしっかりと形を保っていることを意識すると、ますます興奮してしまう。
「真田、勃ってる……」
追い詰められてばかりなのが歯がゆくて指摘してやると、真田は戸惑ったように息を詰めた。
「俺のことはいい」
冷静な言葉と共に、耳朶に歯を立てられた。真田の、興奮を伴ったような熱い呼気の感触が、下半身の熱を余計に高める。
「手伝ってやる」
真田の大きな手が、ペニスをシゴき続ける俺の手に重なった。もどかしい手技を咎めるように、親指で鈴口を押しつぶされる。
「真田、だめっ……きもちよすぎるから、だめ、あっ」
「ダメなやつがこんなものを漏らすか」
とぷとぷと溢れ続ける先走りをすくいあげながら、裏筋を握られて、声にならない矯声が漏れる。真田はそれに気を良くしたのか、ようやく俺の耳を解放してくれた。
「あっ、アッ」
熱い血液が、身体中を駆け巡っているのが分かった。痛いほどの痺れが、それに伴って頭のてっぺんから足の指先までをぐつぐつと襲う。
「さなだ、もう……ん、ふ」
堪えきれずに声を漏らした俺の唇を、真田のそれが塞いだ。根元から先端までを強い力で擦り上げられるのと同時に、頭の中が真っ白になる。
射精してしまったのだと気がついたのは、それから何秒も経って、真田の唇が離れていってからだった。
back