He is mine
「荷物これで終わりですか」
 四年間もいたのに少ないんスね、と段ボール箱を抱えた後輩が呟く。左耳で輝くのは見慣れない黒石のピアスだ。恋人から送られたものだろう。その性別が男なのか女なのかは知らない。
 沢村栄純は、ただの後輩だ。数年前まで同じ高校に通っていた男。昨年からは一軍入りを果たしたこの男とは時たまバッテリーを組んでいる。
 寮の部屋も隣り同士で、お互いの部屋を行き来して夜遅くまで話すようなこともあったから、親しい後輩だったと言えるだろう。勿論昔恋人を取られた恨みはとっくの昔に消え失せているし、体を重ねるようなこともない。ただの、後輩だ。
「先輩がいなくなると寂しくなりますね」
 どの口がそんなことを言うのだろう。単身者の引越しには不似合いな大きなトラックの運転手に、最後の段ボール箱を手渡した沢村は晴れやかな顔をしているように見える。
「新しい家、片付いたら遊びに来いよ」
「えっいいんスか。じゃあまたベラさんと行きますね」
 尻軽のくせに身持ちの固い女のような言葉を連ねる男に腹が立つ。
「ベラには嫁さんがいるんだからあんまり無理強いすんなよ」
「いやいや、ベラさん絶対御幸先輩の部屋見たがると思いますよ」
「まあその内な」
 自分から誘ったくせに、曖昧に笑って話を流した。引越し先のマンションまでは球団の運転手が送ってくれる。
「明日、雪が降るらしいですよ」
 十二月の、灰色の空を見上げながら沢村が言う。
「新しい部屋、床暖ついてるから」
「ぶるじょわじーっスね。あ、そしたら、」
 そこまで言って口をつぐみ、親指を唇に押し当てる。そしたら何だよ、と尋ねると困り顔で視線を逸らした。
「いや……下世話なんスけど、彼女さんと床でシても大丈夫だなって」
「……下世話っつーか下品だろ。大体、」
 彼女いねーし、という言葉は飲み込んで、「床でなんかしねーよ」と付け足す。
 恋人はいない。喧嘩の一つもしたことのなかった女が、離別の言葉もなく離れていってから、もうすぐ三年になる。その間一度も新しい恋人は作らなかった。
 二年半前、人生で初めての告白をこの男に突っぱねられてからというものの、御幸の心の時計の針は止まったままだ。そのことを知ってか知らずか、愛嬌のある後輩然として、高校時代に戻ったかのような邪気のない視線を向けてくる沢村が憎たらしい。
「じゃあ行くわ」
「はい、また遊びに来てくださいね」
 一度背を向けて寮の駐車場に停められたセダンに向かって数歩だけ歩みを進めてから、後ろを振り向く。師走の風が力なく吹く中で、マフラーを揺らした沢村は、既にこちらに背を向けていた。これが今の御幸と沢村の距離だ。
 二年半もの間停滞していた関係なのだから、近いとは言い難いそれを詰めて、こちらに振り向かせることは容易なことではあるまい。
 御幸は、セダンの後部座席に乗り込んでチェスターコートのポケットを探った。滑らかな布地の内側でひっそりと佇む小さなピルケースを握りこむ。
 小さく溜息をつくと、暗い色調のスモークガラスがほんのりと曇った。実物より幾分も暗い姿で写り込んだ寮が小さくなっていくのを、御幸はいつまでも眺めていた。


「先輩、さっき机の下で沢村くんの手握ってましたよね」
 全国チェーンの喫茶店で、有名人の御幸に気遣って、通り沿いの窓から離れた席に腰かけた莉子が白い前歯を見せる。
 沢村が去った後も、焼肉屋での会は程々に盛り上がっていた。目当ての女のいるベラを中心にして会話はよく弾み、自然と酒を出す店でもう一軒という流れになった。
 ギリギリ未成年の御幸と、高校を卒業したばかりの莉子は道中で別れて目抜き通り沿いの喫茶店に立ち寄った。誘ったのは御幸からだ。
「お待たせいたしました」
 オレンジ色の前掛けを腰に垂らした給餌が、御幸の目の前にアイスコーヒーと小袋に入った豆菓子を置いた。莉子が頼んだのはソフトクリームの浮かんだアイスココアである。
 大きな氷の多く入ったグラスをストローでくるくるとかき混ぜながら、莉子は長い睫毛を瞬かせた。言い訳しても無駄ですよ、という心の内が透けて見える。
「握ってたよ」
 しばらく時間を空けたものの、言い訳をするでもなく素直に応えると、莉子は意外げに眉を上げた。
 その顔を見ると少しは余裕が出てきて、表面の結露したグラスを傾ける。コーヒーの酸味のおかげで、頭の中はいくらかスッキリした。
「……二人って、やっぱりそういう関係なんですか」
 そんな問いかけをする莉子の表情に嫌悪の情は見受けられない。ただただ純粋に事実を知りたいといった様子である。
「そういう関係って?」
 あえてはぐらかすように言ってやると、ようやく僅かに眉を寄せて、「付き合ってるとか……?」と首を傾げる。
「そんなんじゃないよ。ただのセックスフレンド」
 てらいもないフリをして言うと、彼女も平静を装ったフリをして、「そうですか」と頷いた。
「私、SNSに書き込んだりしませんよ。今日の合コンプロ野球選手来てたーしかも男同士で机の下で手握り合ってたーとか、ストーリーに載せたり」
「そんなことすると思ってないけど」
 女の子が相手だと口調も自然と穏やかになる。沢村が相手だとこうはいかない。
「だけど、そういうことする人はたくさんいますよ。御幸先輩は、球団の中で自分の地位を確立しちゃってるのかもしれませんけど、沢村君はプロになりたてで、まだ一軍の試合に出たこともない……スキャンダルみたいなことがあると、今後に響いたりとかしないのかなって」
 莉子は、一つ一つの言葉をゆっくりと、丁寧に紡いだ。その内俯きがちになっていって、耳にかけていた横髪が、白い頬にはらりとかかる。
「沢村のこと今でも好きなの?」
 自分の中に、彼女への未練はもう残っていない。御幸は尋ねながらそのことを確信した。
「分かりません。だけど、よりを戻したいとは全く思わない」
 挑むような顔をした彼女の印象は付き合っていた頃とは随分と異なる。あの頃は庇護欲をそそらせるような女を演じていたのだろうか、と一瞬考えたが、多感な年頃である。別れてから二年も経つのだから性格が多少変わっていたとしても不思議はない。
「沢村君は、優しかったし、二人でいるときはいつも笑顔でいてくれたけど、私のことを本気で好きだったことはないと思う」
 コーヒーにつまみみたいに添えられた豆菓子の封を切って、小皿に中身を出し、それを莉子のココアの根元にそっと押し出した。彼女は色のない瞳でそれを見下ろして、一つを口に含む。
「俺は、沢村は莉子……ちゃんのことを、好きというか、特別に想ってたんだと思ってた」
 豆菓子が口の中で弾けるカリリという音がした。彼女は黙って御幸を見つめている。
「俺にとってはすごく特別で、大切な女の子だったから、好きだったから、沢村にとってもそうだろうなって」
 そこまで言うと憑き物が落ちたような心地がして肩から力が抜けた。
「付き合ってるときはそんな風に言ってくれたことないのに」
 莉子は、困ったように笑って、グラスに差し込まれた長いスプーンでソフトクリームを掬った。
「ごめん」
「いいんです。私が勝手に心変わりして沢村君に乗り換えたんだもん。だけど先輩と沢村君がそう言う関係って、面白いなぁ……これって三角関係になるんですかね」
 先ほどまでとは打って変わって邪気のない声を上げる莉子を、御幸は見つめていた。
 付き合っているときに、気持ちを言葉に出していれば、別れを告げられたときにそんなのは嫌だとゴネていたら、自分たちの関係はもう少し違ったものになっていたのだろうか。思えば御幸はカナエにもマトモに好意を伝えたことがなかったし、自然消滅に近い終わらせ方をさせてしまった。
「沢村のどこが好きだった?」
「あれ、言いませんでしたっけ? 元気で、一生懸命で可愛いところが好きだったんです。だけど付き合ってみたら結構男らしかったり、頼りになるところもあって、自慢の彼氏でした。あ、でもやっばり可愛いのが一番かな」
「あいつ、最近は可愛くないぞ」
 苦虫を噛み潰したような顔をして御幸が言うと、莉子は歯を見せて笑った。
「私は女なので、いや女の子みんながそうなのかは分からないけど、とりあえず私にとっては、可愛いっていうのは最大の愛の言葉なんです。可愛いものにはへりくだってしまうというか、あなたのためなら何でもしたい! って思っちゃうんですよね」
「そういうもん?」
「そういうもんです。だけど先輩が、沢村君のことを可愛くないぞって言うのを聞いたら、御幸先輩にとってはそれが可愛い以上の言葉なんだろうなって腑に落ちたというか」
「いやいや、言葉通りの意味だって。可愛くねぇんだよ、あいつ」
 莉子はあの淫蕩で尻の軽い沢村のことを知らないから、可愛いだなんて言えるのだと思う。
「先輩は本当は独占欲がすごく強い人なんですね」
「そんなことはないと思うけど」
 莉子やカナエを束縛するような真似はしたことがないはずだ。
「沢村君のことを可愛いと言う私に対して、俺は可愛くない、お前の知らない沢村を知ってるんだぞって対抗してるように聞こえちゃって」
「深読みし過ぎ」
「明るくて可愛い沢村君はみんなに知り尽くされてるけど、可愛くない沢村君は今の所御幸先輩だけのものですもんね」
 そんなことはない。きっとあのピアスホールを開けた男だって知っているのだ。他の人間の知らない可愛くない沢村栄純を――と、そこまで考えて、莉子の言葉通りの思考回路をたどっている自分に気が付いた御幸は唇を噛んだ。
「私は、私が可愛いと思える沢村君を好きになったけど、先輩は、可愛くない沢村君を好きになったんですね」
 沢村君は私の知らない顔を先輩には見せるんだなぁ、と呟いた莉子の口元には寂しげな笑みが浮かんでいた。
「俺は好きとかそういうのじゃ」
「本当に?」
 真摯な瞳に撃ち抜かれると、もはや否定ばかりする気力も失せてしまう。
「……情がわいたのかも」
 降参宣言だった。ストローを口に含んだ莉子の目尻が下がる。
 独占欲が強いというのも否定出来ない。沢村が合コンに参加する、しかもその場には莉子がいると知った時、確かにいい気はしなかった。
 トイレに立った時、沢村が女とはする気分でないと聞いて安堵したし、御幸先輩のことは好きじゃないと断言されて腹が立った。手を握ったのは、自分のことをどうにかして意識させたかったからだろう。
「御幸先輩は沢村君にきちんと気持ちを伝えて、沢村君の気持ちを聞いてください。私はそれが出来なかったから、未だに少し後悔してます。大好きだよ、私のこと好き? 好きになってって、カッコ悪くても縋り付いてみればよかった……まあ、きっとそれでも上手くいかなかったと思いますけど。一年も付き合ってたのに、芯から好かれてるって思えなかったんだから」
 気がつけばソフトクリームの消え失せたグラスの底に、ほんの僅かに残ったココアを音を立てて飲み干した莉子は、「帰りましょうか」と伝票に手を伸ばした。
「家まで送る」
 彼女が伝票を掴むよりも先にそれを手に取って、御幸は立ち上がった。
「うちわりと遠いんです。送って帰ったら門限過ぎちゃいますよ」
「少しくらいいいよ。昔何もしてやれなかったし」
「……それじゃあお言葉に甘えて」
 ぺこりと頭を下げて、顔を上げた瞬間のサラサラとした髪の動きに強い既視感を覚えた。御幸を見上げる彼女の瞳は、付き合っていたあの頃のままあどけなさを残している。しかし御幸の心はもう動かない。
「沢村が、莉子のことをどう想ってたのかは俺には分からないけど、俺はすごく好きだった」
 恋心を教えてくれた彼女にこれだけは改めて伝えておきたかった。
 御幸の言葉を受けた彼女は、しばらくの間ぼんやりとしていた。
「あーあ、乗り換えたりしなかったら良かったなぁ。自業自得なんですけどね。せめて今度からプロ野球選手と付き合ってたって自慢しちゃおうかな」
 悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、彼女はそんなことを言った。本気だとは思えないが、御幸の口元も緩む。
「自慢の元彼だって思ってくれたら誇らしいよ」
「ふふ、やっぱり御幸先輩は、可愛くはないなぁ」
 カッコ良すぎるんですよね、と呟いた彼女の表情は、店に入る前に比べると幾分明るく見えた。


 莉子とのやりとりをきっかけにして沢村に交際を求め玉砕してから二年半が過ぎた。フラれた勢いのまま体を重ねて帰寮して、しばらくの間は沢村の顔を見るのも憂鬱だったが、あの年のシーズンが終わる頃にはただの先輩の顔をして男と関わる術を会得していた。
 沢村を、諦めたわけではない。だって好きじゃねぇし、の一言でバッサリとフラれてから二年半が過ぎた今でも、御幸の心の内には沢村に対する複雑な情が残っていた。それが恋心と呼べるものなのかどうかは定かではないが、出来ることならあの可愛げのない後輩の体をもう一度抱き竦めたい。
 セフレとしての関係を解消したのは御幸からだった。あの日のセックスを最後にして、御幸は沢村をホテルに誘うことをやめた。あのまま体だけを繋げ続けていても、こと恋愛に関してはかなりズレた感覚を持った沢村の心が変わることはなかっただろう。
 まずは高校時代のような関係に戻ることが出来るように努めて、それからは沢村が一軍に上がってくるのを待った。もう一度バッテリーを組めば何かが変わる気がしていたのだ。
 しかしいざバッテリーが復活しても、二人の関係は変わらなかった。それは一度フラれた男との距離の詰め方に悩んだ御幸が日和っていたせいでもあるし、その頃から沢村に男(あるいは女)の影が見え隠れし始めたせいでもある。
 昨年の年末頃からだっただろうか、沢村はオフの日の外出がやけに増えた。一人で出かけた日には門限ぎりぎりまで帰って来ないことが殆どで、その頃から御幸のやったピアスをつけることもなくなった。
 男でも出来たか、と茶化して尋ねることも出来ないまま一年が過ぎて、二十一歳の御幸一也は一人の部屋でぼんやりと佇んでいる。
 リビングの隅でコードに繋がれたままの掃除機を見つめているとスマートフォンの画面が光った。
『嫁さんが腹痛いって言うから今日はついててやりたい。部屋行くのまた来週とかにさせてもらってもええ?』
『全然大丈夫、お大事に。沢村には俺から伝えとくよ』
 返信を打ち込み終えると同時に立ち上がって掃除機のコードをコンセントから抜いた。コードを巻き込んだそれをクローゼットの中にしまい込んで、洗面所の鏡の前に立つ。四時前にシャワーを浴びてブローしたところなので、髪型は程々に決まっている。
 寮を出てから二週間が過ぎた。越してきたときに持ち込んだ僅かばかりの段ボール箱もようやく片付いたので、今日は新居にベラと沢村を招待していたのだ。
 現在の時刻は午後四時四十五分。二人が来るのは六時の予定だったから、まだ一時間強の猶予がある。沢村は、御幸と二人きりになることを知れば日を改めようとするだろう。
 ベラが来れなくなったことを伝えるべきか否か、スマホのメッセージアプリを開いたまましばらく考え込んでいたが、画面を伏せて机に置いた。この機を逃せば沢村と二人きりになるチャンスはまた随分と先になるだろう。

「お邪魔しまーす。わ、結構広いんスね。リビング何畳ですか」
「確か十四とか、もう一部屋は七しかねーけど」
「寝室なら充分でしょ」
 真新しいスリッパをペタペタと踏みならした沢村が、「お土産っス」とスーパーの袋を押し付けてきた。ズシリと重い中身を確認すると、缶ビールが山盛りに入っている。
「ここスーパー近いからいいですね。クラフトビールの売り場が大きかったんで適当に買ってみました」
「お前酒飲むようになったの?」
「まあ時々、先輩達に誘われたら飲まないのも失礼なんで」
 ――俺の誘いは断るくせに。
 不満げな表情をしているのを気取られたくなくて、袋の中のビールを冷蔵庫にしまうために沢村に背を向ける。前日の晩の残りの手羽元と大根の煮物を皿に取り分けていると、「ベラさん遅いですね」と沢村が言った。
「ベラ今日来れなくなったって」
「え、なんで」
 あからさまに嫌そうな声を背中で受け止めながら、煮物を入れた皿をレンジにかけて、ゆっくりと振り返る。リビングのソファに腰掛けた沢村は居心地の悪そうな顔をしてこちらを見つめていた。
「嫁さんの調子がちょっと悪いっぽい」
「……大丈夫ですかね。まだ産まれるには早いのに」
「何月の予定なんだっけ?」
「確か五月、年号変わってからの予定だって言ってましたもん」
 ベラは、あの日の合コンで幹事をしていた成田という女と付き合うことになり、昨年結婚に漕ぎ着け、一足先に寮を出ていた。しばらく前に妻の妊娠が発覚してからは表情が緩みっぱなしで気味が悪い。
「最近あいつニヤつきすぎ」
「いいじゃないですか、幸せそのものって感じで。ベラさんああ見えて子供好きらしいですよ」
「子供はベラのこと好きじゃないだろうけどな」
「なんてこと言うんスか」
 そんなやりとりをしている内に煮物が温もった。
「あつ」
 タオルを噛ませて持った皿をカウチソファの前のローテーブルに置くと、「美味そう!」と沢村の目が輝く。
「残りもんだけど、他に出前でも頼む?」
「御幸先輩の奢りなら」
「まあ何でも頼めよ」
「じゃあ寿司! と、言いたいところなんですけど、今日はカレーの気分っス」
「カレーなら近所にわりと美味い店あるわ」
 煮物の皿の脇に缶ビールを置いてやって、ソファの隣に腰掛けると、沢村の体は僅かに硬直した。
 わざわざ隣に座らなくてもいいじゃないすか、と拳一つ分程のスペースを取られて、合コンの日にも同じようなことをされたな、と御幸は目を細める。入居前に思い切って購入をした革張りのソファは沢村が横になって眠れるほどのサイズ感だ。
「メニューこれ」
「ほうほう」
 カレー屋のメニューをスマホで見せてやっている間に大根を一欠片口に含んだ。芯まで味の染みたそれは甘みが強くてなかなかに美味い。
「このえびめしってなんですかね」
「なんかデミグラスソースっぽい味のピラフみたいなの。この前食ったら美味かった」
「じゃあ俺はえびめしカレーにしやす」
「味濃そうだな」
「濃いは美味いでしょ」
「じゃあ俺はビーフカレー欧風」
「大盛り?」
「並でいいよ」
「俺電話かけましょうか」
「頼むわ」
 自分のスマホを取り出した沢村が店に電話をかけるのを眺めながら、ビールの缶を開ける。シュッという炭酸の漏れる音が心地いい。ぐびりと、最初の一口を喉に通しながら後輩の横顔を見つめる。ピアスホールには黒石のピアス。
「えびめしカレーは大盛りでお願いします! あと、」
 真剣な表情で注文を続ける沢村の耳たぶに手を伸ばす。黒い石を指先でなぞるようにしてやると、息を詰めた男は非難めいた視線をこちらに向けた。久々に見る沢村の、猫のような目。
「……そっスね、ビーフカレーは欧風で。あ、福神漬け多めに出来るなら多めでお願いします。はい、はい」
「さわむら」
「七時過ぎ、分かりました。ありがとうございます、じゃあ待ってます」
 注文を終えたらしい。スマホをソファの端に投げ捨てた沢村が、御幸の手を払いのけた。
「電話中っスよ!」
 口を尖らせて言う。
「耳触っただけだろ」
「触らなくていいでしょ」
「お前よくベラの家行ってるんだろ」
「なんスか、やぶからぼーに」
「新婚の夫婦ってどんな感じ?」
 幼い頃に母を亡くした御幸には、夫婦生活自体が想像しづらい。
「……どんな感じって言われても、普通ですよ。ベラさんはちょっと尻に敷かれ気味ですけど奥さんのこと本当に好きみたいだし、奥さんもベラさんのことブスとかなんとか色々言いますけど頼りにしてるんだろうなって。幸せそうっス、普通の幸せ」
「一般的な?」
 沢村は静かに頷いた。
「沢村」
「なんですか」
「今お前が付き合ってる相手って男?」
「男ですけど、何か」
 言葉に反して剣呑な態度ではない。
「女だったら諦めようと思ってたから」
 しおらしい態度でうそぶくと、沢村はなんとも形容し難い表情を浮かべた。
「俺はもう女の子とは付き合わないと思います。ちゃんと好きになれる自信ないんで」
「莉子、ちゃんのことは」
「可愛いと思ってたし、一緒にいると楽しかったですよ」
 しかし好きだったかどうかは定かではないのだろう。そんな沢村の心中を察したから、莉子は彼に別れを告げたのだ。
「つか俺、御幸先輩と莉子が付き合ってたの知ってますからね!」
 煮物を口に含んだ沢村が、「うまっ」と目を丸くする。
「それは良かった。というか、いつから?」
「莉子にフラれた日。捨て台詞みたいに俺と付き合う前は御幸先輩と付き合ってたって、わりとショックだったんすよ」
「莉子のこと好きじゃなかったんだろ」
 莉子と付き合っていたことを、もう隠さなくてもいいのだと思うと肩の荷が下りた。
「そういう穴兄弟的なショックじゃなくて」
「俺はヤってねーよ」
「あ、そうなんスか。まあそれはどうでもよくて、御幸先輩、部活引退した頃から俺に冷たくなったでしょ。あの頃はめちゃくちゃ傷ついて、先輩に嫌われるようなことしちゃったかなとか、俺のこと本当は鬱陶しいと思ってたのかなとか色々考えてて」
「それは……ごめん」
「だけど莉子に御幸先輩とも付き合ってたって聞いて、彼女に心変わりされたくらいでああいう態度取るんだって思ったらなんかすげー萎えたというか、ゲンメツしたというか……だって俺は別れる時まで先輩の彼女だったとか知らなかったし、ぶっちゃけ逆恨みじゃないすか」
 逆恨み。十二分に自覚していた痛いところを突かれて、御幸が閉口するのを、沢村はじっと見つめている。面白がっているように見えるのは気のせいなのだろうか。
「寮に入ってからもなんとなく態度ぎこちなかったし、いつまで引きずってんだ女々しいなって思ったら、急にこの人エロいな、一回ヤりたいなって」
「ゲホッ、なんでそうなるんだよ!」
 ネジの飛んだセリフにむせ込んだ御幸を、沢村はにやにやと見つめている。
 ――こいつやっぱり面白がってる……。
 気がつけば一度は拳一つ分とられていた距離が、ほとんど触れ合うほどに接近していた。
 結局またこうなるのか、御幸は溜息をついた。こいつとはいつもイニシアチブの取り合いをしている気がする。お互いの想像のつかないような、奇をてらったような行動や言動を繰り返して、相手を混乱させて、自分が優位に立とうとする――沢村は必要以上に淫蕩であるように振る舞い、御幸は機を外した接触で彼の心を乱そうとした。しかしこの関係のねじれを作ったのは御幸自身だ。
「御幸先輩、また俺とセフレに戻りますか」
 襟首を掴まれた心地がした。それは諦観の芽生えによるものだ。
「俺は今でもお前と付き合いたいと思ってるよ」
「付き合えませんよ。俺、彼氏いるし。御幸先輩のことは好きじゃねぇし」
「それでも正攻法で、オトせるものならオトしてやろうと思ってた」
「正攻法?」
「セフレから済し崩し的にっていうので駄目だったんだから今度はセックスはなしで、とりあえずまたバッテリー組んで、休日に二人で遊びに行ったりとか、うちに遊びにきてもらったりして、お前の機嫌が良かったら手繋いだり、普通の友達以上恋人未満の奴らみたいな順序踏んで、二年とか三年かかってでも、お前と付き合いたいって思ってた」
「一度ヤった相手とそんなごっこ遊びみたいなことしても意味なくないすか」
 てらいのない態度で沢村は言う。俺そういうの求めてねぇっす、と付け足して笑う顔に邪気はない。
「分かってるよ、お前がそういう奴だって」
「じゃあやっぱりセフレに戻りますか」
「付き合ってる男は?」
「好きですよ。だけど長く付き合ってるとソッチの方はマンネリしてくるし、あっちが他の男つまみ食いしてんの分かんねぇ程俺も馬鹿じゃねぇですから」
「どういう付き合い方だよ」
 思わず笑ってしまった。ハタチそこそこの男が、恋人の浮気を容認して、自分もセフレを作ろうとしている。
「変ですかね。これでもベラさんの家に行くと、結婚とか、家族とか、やっぱりいいなって思ったりするんすよ」
「お前には向いてないと思うけど」
 ですよね、と沢村は頷いた。傷付いているようにも見えない。しばらくの沈黙が流れて、御幸は手元に置いたビールの残りを飲み干した。
「カレー食ったらする?」
 なんでもない風を装って尋ねると、沢村は唇を舌で濡らした。床から足を離して、ソファの上で体操座りをする。
「えっち?」
 抱えた膝の上に顎を乗せて上目遣いに御幸を見つめる瞳は既に潤んでいるように見えた。
 頷くと、「でも俺シャワー浴びてきてないし」とお決まりのフレーズで勿体ぶってみせるのが煩わしい。
「一緒に浴びたらいいじゃん」
「いやっスよ、御幸先輩変なことするし」
「二年半も前のことだろ」
「信用ねーっすよ!」
 どの口が言うんだ、という台詞は飲み込んだ。沢村にとってはこんなやりとりも、これから体を重ねることも、恋人とのマンネリや怠惰を埋めるための暇つぶしに過ぎないのかもしれない。
 馬鹿にするな。今度こそは犯し潰してやる。
 自然にそんな考えが浮かんだのは、このどうしようもなく憎たらしい後輩に毒されてきているからだろう。
「お前、そういうごっこ遊びみたいなのやめれば?」
 所在なさげに膝を抱えた沢村の、両腕に手をかけた。ゆるい力で結ばれていたそれはいとも簡単に解けて、体操座りの足の間に隙間が出来る。力を込めてそれを開くと、そのままの流れで野球選手らしく壮健な体をソファに引き倒した。
 ぽすん、と音を立ててソファに背を預けた沢村は、「高そうな寝心地」と、的外れなことを言ってから、彼を見下ろす御幸から顔を背けた。
「ごっこ遊びって」
「カマトトぶるなってこと。セフレに戻るかって言った口で風呂場では襲われたくないとか意味分かんねーし。したくもないことを強要されるってシチュが好きなのかなんなのか知らねぇけど、男からしたらそういうの繰り返されると面倒なんだよ」
「俺も男なんですけど」
「だからうざったいんだろ」
「……じゃあどうしろと」
「目つぶってじっとしてろ」
 低い声で言い含めると、沢村はきゅっと目を閉じて腕を広げた。


「先輩……それはやめて」
「だからそういうのやめろってさっき言っただろ」
 本当は嬉しいくせに、と付け加えると、沢村は首を激しく横に振った。カビひとつないバスルームの壁際に背を預けるようにしてバスチェアに腰掛けた沢村は足を大きく開いている。
 沢村の萎えたモノが覗く床には短く千切れた太い毛が散乱していた。
「どうせ無茶苦茶に仕込まれてるくせに、これくらいでガタガタ言うなよ」
 おざなりな口調で言った御幸の手に握られているのは、前髪を切るために買っておいたカットハサミだった。刃の周りには床に落ちているのと同じような長さの毛が多量にこびりついている。
「寮で誰かに見られたらどうしてくれるんすか!」
「他の男に見せたら殺す」
 存外に冷たい声が出たので自分でも驚いた。剃刀を使うのに邪魔になる、長すぎる陰毛を刈り取るハサミがザギリと音を立てる。
「……彼氏は」
「言ってる意味分かんねぇの?」
 毛まみれのペニスの先端を、刃面でゆるりとなぞってやると、つい先ほどまで萎えていた沢村のそれが芯を持ち始めた。
「お前って本物のどヘンタイだな」
「……聞き飽きました」
「飽きたなら勃たせんなよ、バカ村」
 蔑むように言って、再び毛の隙間にハサミを通す。沢村にはごっこ遊びをするなと言ったくせに、自分もそうは変わらない。サディスティックなフリをして、この男の気を引こうとしている。それを見通しているから、沢村は自分に靡かないのかもしれないと、細かくハサミの刃を動かしながら思った。
「シャワー取って」
 おおよそ長い毛を切り取って、手渡されたシャワーの吹き出し口を沢村の股間に向ける。半分立ち上がったモノに、至近距離で水流を当ててやると、沢村は小さく呻いて足を閉じようとした。
「こら、流しにくいだろ」
 軽く諌めて内腿に手を這わせると、沢村は観念したようにあっさりと足を開く。御幸を見下ろす顔に表情はない。
 真新しい排水溝に向かって、沢村の黒々とした毛達が泳いでいくのを御幸はなんとも言えない気分で見つめる。
 シャワーでおおよその毛を流してしまうと、毛を軽く切っただけでもさっぱりとした沢村の陰部が露わになった。思わず貪りつきたくなるのを堪えて、足元に用意していたシェービングジェルを大目に手に取る。
「っ……」
 冷え切ったそれを陰茎の根元に塗りこむと、沢村の内腿に鳥肌が立つのが見えた。寒いの、と見上げると、「当たり前だろ! 」と声を荒げられる。師走の浴室に、シャワーも流さずに全裸でいるのだ。寒くないはずがない。
「だいたいなんで御幸先輩は服着てるんすか! 不公平っすよ!」
「俺の裸見たいの?」
 琥珀色をした瞳を、じっと見つめると、沢村の鼻息が荒くなった。当たり前でしょ、と素直に答えるところはまだ可愛げがある。
 手の平の温度によっていくらか温もったジェルを沢村の股間に丹念に塗り込めて、御幸は上下の服を脱いだ。脱衣所に向かってそれを放り投げた時、後ろから、「お」と感嘆する声が聞こえた。
「相変わらずエロい体」
「掘りたくなったか」
「先輩そっちもイケるんすか」
「イケるとしてもお前には掘らせねぇよ」
 四枚刃の剃刀を持って座り直す御幸を見下ろす沢村の目はギラついていた。こんな特殊性壁の持ち主に体を明け渡したらどんな目に合うか分からない。
「ウケを経験した方がいいタチになれるってよく聞くんですけどね」
「だとしても他に男がいる奴には挿れられたくない」
「俺はそんなこと気にしませんけど。むしろゾワゾワする」
「お前のそういうとこが嫌いだよ、俺は」
 ほら足開け、と促して、もったいぶって晒されたジェルまみれの根元に刃を沿わせる。
 しゃりしゃり、と音を立てる刃が半勃ちのそれのキワを攻めるのを沢村は複雑げに見下ろしていた。皮膚に傷が付くことを恐れてか、身じろぎの一つもしない。
「これが綺麗に生え揃うまでは他の男とするなよ」
「恋人でもないくせに束縛するの、かなりイタいっスよ」
「言うだけ言ってみとくことに意味があるだろ」
 こんな言葉と、行為くらいでこの男を縛り付けておけるとはもちろん思っていない。
 Vラインにあたる部分に刃を当てて、ペニスの根元に向かって滑らせると、案外と密度の濃い毛の削げていくふつふつとした感触がした。黒い芝の中に入った一筋のラインは存外に白い。
「こういうことされたことある?」
 尋ねながら、カナエのそこは綺麗に脱毛されていたことを思い出していた。
「ありますけど……何回やっても慣れねぇ」
 二番煎じだと分かると多少気持ちは萎えかけたが、それでも剃刀を動かす手は止めない。沢村の、ペニスより腹側に生えている毛は殆どなくなっていた。
「一旦流す」
 シャワーでそれを流し去って、「毛がない分ちんこ長く見えていいじゃん」と笑ってやると、珍しく本気で睨まれて股間が疼いた。沢村のこういう顔を知っているのは自分だけだと思いたい。
「その顔えろい。可愛くなくて」
「……うるせぇ」
「マゾのくせに」
「違います」
 沢村が足をばたつかせると半分勃ち上がったそれが震えた。
「あっそ」
 剃刀でIラインにある部分の毛を手短に剃り切って、鳥肌のたった内腿に唇を押し当てる。
「っ……」
 控えめに開かれていた沢村の足を無理矢理全開にして、細切れになった陰毛とジェルにまみれた陰部をまじまじと観察した。先ほどまでは所在なさげに佇んでいた沢村のカリは、現在ではぷっくりと膨らんで主張している。
「ぱんぱんじゃん」
「御幸先輩のも」
 沢村の足の指先が御幸の先端を掠める。いつかとは逆の立場だな、と冷静に考えながらも腰の奥が震えた。
 シャワーの水圧を利用して、沢村の先端を苛めてやると甘い吐息が漏れ始める。股間の根元から生えていた毛の全てを流し去ると、産まれたままの沢村自身が姿を現した。
「うわ、なんかすげぇな」
 成人男性のそこが剃り上げられているのを見るのは初めてだった。自分でやっておきながら、気味が悪いと感じるかもしれないと思っていたが、守るものを失ってふるふると震えるそれは堪らなくイヤラシイ。
「あんまり見んなよ……」
 一丁前に照れたそぶりを見せながら、沢村は足をぶらつかせた。しなやかな筋肉のついた形の良いふくらはぎを掴んで、バスチェアに腰掛けたままの沢村を見上げる。真っ直ぐに自分を見つめる沢村の目は潤んでいるように見えた。
 互いに無言のまま、生唾を飲み込む。特別な愛撫を施したわけでもないのに、沢村のモノも御幸のモノも痛々しいくらいに屹立していた。
「さーむら」
「……はい」
 少し上擦った声。珍しく緊張している様子の沢村の声を聞くとたまらなくなって、御幸は勃起したモノに口付けた。
「な、にするんすか! そんなこと、御幸先輩はしなくてもいいって」
 慌てて腰を引こうとする沢村を押さえつけてその膨れ上がったモノを口に含む。じゅぷり、と派手な水音を立てて舌を這わせると沢村のそれはますます張り詰めた。
「っ……気持ち悪いでしょ、早く出して」
「ふぁんれ?」
 なんで、と尋ねながらも、この行為に自分が不快感を覚えていないことが意外だった。沢村に咥えられたことはあっても、咥えてやるのは初めてだったし、元々異性が相手であっても口淫には抵抗がある。
 カナエにもあまりさせていなかったから、以前沢村に射精した精液を飲まれた時はかなりの衝撃を受けた。
「ぁ、せんぱい、らめ……」
 快感に歪む沢村の顔を見るのが好きだ。マウンドに立っている時の真剣な表情、球団の他の人間と関わる時の能天気な表情とのギャップがたまらない。
 口の中全体を使って扱くようにじゅぽじゅぽと音を立てて沢村のペニスを吸い上げる。唇の内側でカリを挟むように揺さぶりをかけると、沢村の喉が「ぐ」と鳴った。
「やばい……先輩、本当に初めてっスか。うますぎ……っ、う」
 返事もせずに頬肉をすぼめて、沢村のペニスの感触に集中する。行き場もなく宙に浮いていた沢村の左手が、御幸の頭に伸びてきた。無理矢理に腰を突き入れられるのかと思い、身を硬くしていると、豆だらけのそれは御幸の額を自分の体から遠ざけるような形で押さえつけてくる。
「んー」
「もういいんで、大丈夫なんで、離し、離してつかぁさい……」
 なんで、と尋ねたかったが、無視して更に深く沢村のペニスを口内に収める。舌の先の感触で、竿の周りを幾筋にも分かれて通った血管の筋と、しっかりと段のついたくびれの部分を何度もなぞった。
 この感触をしっかりと覚えていたい。沢村は気まぐれだ。いつ関係を断ち切られても不思議ではない。
「せんぱい、先輩にこんなことさせたら……バチが当たります」
 ――バチってなんだ。俺は神様かなんかか。
 セフレにするのはいいのに、口で咥えられるのは嫌だっていうのもよく分からない。前の男には、クリス先輩に似てるなんていうバチ当たりな理由でのめり込んだくせに。
「あっ、あ……」
 小さな喘ぎを漏らし続ける沢村の鈴口を舌先でくりくりと刺激する。そのままたっぷりと唾液を絡ませるようにして、上下のピストンを繰り返している内に、沢村の内腿がぴくぴくと小刻みに震え始めた。
「ふ……イきそ?」
 唾液でテラテラと光るモノを半分口の中に残したまま、上目に呟く。お互いの視線がかち合った瞬間、沢村の目の色が変わった気がした。
「っ……!」
 沢村は、先ほどまでは必死に御幸を引き剥がそうとしていた利き手を後頭部に回した。ん、と首を捻った瞬間にゆるゆると含んでいたペニスの先端が、力ずくに喉の奥に押し付けられる。
「んっ、ぐ……」
 いきなりのことに噎せこみかけた御幸の髪の毛を掴んだ沢村の力は存外に強い。胃の中の物が込み上げてきそうな衝動を何度かやり過ごした後に、見上げた沢村の顔がいつになく雄臭い欲情にまみれていて、腰の奥がずくんと重たくなった。
 口の中いっぱいに塩辛い味が広がる。これが先走りの味なのだろうか。よく分からないが、沢村の限界が近づいていることは間違いない。
 二年半前、沢村が自分の精液を飲んだ時は気持ちが悪いと思った。よくそんなことが出来るなと呆れたし、御幸先輩が飲むことはないでしょうけどと言われて、当たり前だと返した記憶がある。
 それなのに今、御幸はこの男が、自分の喉奥に射精するのを心待ちにしていた。
 体を重ねずにいた二年半の間に、御幸の中での沢村への感情は随分と変容したのだ。
「せんぱ、もう……俺」
 いつのまにか椅子から腰を浮かせた沢村の、ペニスを突き立てる動きが早くなる。心の中で頷いて、鼻から息継ぎをした。
 ――いいよ。俺、今ならお前の飲める。
 射精の手助けをするように、口の中を窄めて、沢村が寸前で日和って御幸から逃れようとすることがないように、そのアスリートにしては細い腰を抱える。
「くっ……」
 頭の上でくぐもった呻き声が聞こえるのと同時に、口の中のモノが破裂しそうなくらいに膨れた。そのパンパンに張り詰めたカリ首に舌先を引っ掛けて、なぞった瞬間、沢村のそれは大きく震える。
 喉奥に粘着質の液体が一気に放出されて、それが精液だと気付いた瞬間、不思議な高揚感に襲われた。恍惚とした声を上げた沢村は、精の残滓を搾り取るように、ぐっぐっと何度か腰を振って、御幸の口内に全てを注ぎ込む。
「あ……」
 射精を終えて二秒か、三秒。ペニスを御幸の口から抜き去って我に返った沢村の顔が青ざめる。
「御幸先輩! 早くそれ、吐いてください!」
 随分と慌てた様子で、御幸の唇の端に指を引っ掛けて、無理矢理に開かせようとするが、彼はそれよりも早く吐き出されたモノの全てを飲み下していた。
「……喉越しが、悪い」
「わー! なんで飲むんスか!」
 遠い目をした御幸が呟くと、沢村は呆然として腰を落とした。バスチェアの前で、二人向かい合って浴室の床に座り込んだ形になる。
「お前がいきなりがっついてきて、人の口の中に出したんだろーが」
「それは……御幸先輩がやらしーから」
 わりと本気で掘りたくなりましたよ、と不穏なことを口走る後輩の額を小突く。
「馬鹿。そこは譲らねぇよ」
「ネコ側なら恋人の枠空いてたんですけどね」
「しょうもないこと言うな、バカ」
「冗談通じねーなぁ。ああっ、もう七時過ぎてますよ! 俺のえびめしカレーが」
 浴室のデジタル時計には午後七時六分と示されていた。カレー屋は七時過ぎに来ると言っていたから、今すぐにでも服を着ないとまずい。
「つーか俺、脱ぎ損」
「先輩の裸体のお陰で燃えちゃいましたけどね」
「変な性癖に目覚められたら困る」
 精液くらいこの先何度でも飲んでやるが、この変態に抱かれることだけは避けたい。
 御幸が溜息をつきながら、脱衣所に散らばった衣類を拾い集める後ろで、沢村は、「腹減ったなぁ」
と呑気な声を上げていた。
 しばらくして、リビングからインターホンの音が届く。御幸は全裸の沢村を残して小走りでインターホンの受話器の元に走った。


 デリバリーのカレーを平らげて、「それでは」と退散しようとする男を、無理矢理に引き止めて、キスを求める。
 歯磨きしてないし、と慌てた様子で言う沢村に、
「カレーの代金分は勤めろよ」
 と、グラス一杯の水をよこした。こくんこくんと喉を鳴らす姿に、多少の緊張を感じ取りながら御幸は沢村の手を引いた。
 寝室まで無理矢理に引っ張っていって、ローテーブルにグラスを置かせる。
 間接照明の明かりを灯してから、ダブルのベッドに押し倒すと、薄ぼんやりとした光に照らされた沢村はおかしそうに笑った。
「なんだよ」
「電気とかベッドの感じが、雑誌に載ってる女の子にモテる部屋! みたいで面白くて」
 御幸を見上げる沢村の唇に、水滴が一粒。それを舐めとろうとして、顔を近づけると、「ダメ」と頬を両手で挟まれる。ちょうど真剣白刃取りのような形だ。
「今さら」
「エッチはいいですけど、ちゅーはダメっす」
「はぁ、しょうもな」
「なんか減りそうなんで、先輩の唇むにむにしてるし」
「あっそ。じゃあ口開けて、舌だけ出して」
 なんで、と眉を下げながらも沢村はおずおずと舌を前に出した。
「期待してんの?」
 ベッドについているのとは逆の手で触れた沢村の中心は、芯を持ち始めていた。沢村は物言わぬまま舌を突き出している。
 軽く震えるピンク色をしたそれに、御幸は舌を絡ませた。ぴちゃぴちゃと、水音が響く。沢村は、目を開いたまま、だけど御幸からは目を逸らして、いたたまれないような顔をしていた。
 そのまま十秒強が過ぎて、舌の根が痛み始めたのを見計らって舌を引っ込める。沢村はしばらく舌を出したままでいたが、御幸が頬を撫でるとそれをゆっくりとしまって下唇を噛んだ。
「変な顔すんなよ」
「変なことするから……」
「ちゅーじゃないだろ」
「わりとガキ臭いですよね、先輩って」
 なんとでも言うがいい。正しい形のキスだって出来なくてもいい。ただ今は、数年越しの沢村の体を喰らい尽くしたい。
 ヤる気満々な御幸の顔つきに引いたのか、身をよじってそっぽを向いた沢村が、「寒い」と呟く。言われてみれば、沢村をベッドに押しやることに夢中でエアコンをつけるのも忘れていた。
「シてたら暑くなるよ」
「いやいや、十二月ですよ! 明日なんか雪降るらしいし」
「お前って寒がり?」
 キャラじゃねぇな、と付け足すと、「キャラとか関係ねぇだろ!」と突っ込まれた。仕方がないので、枕の下に押し込んだエアコンのリモコンを取って、スイッチを入れる。
 エアコンの稼働音が鳴り始めるのを合図にして、沢村は御幸の首に手を回してきた。ひんやりとした手の平の感触に、息が漏れる。
「いいのか」
「……ただのセフレですからね」
「可愛くねぇ、ほんとに」
 莉子の顔が脳裏に浮かぶ。かつて彼女は、『先輩は、可愛くない沢村くんを好きになったんですね』と御幸に言った。
 お前の言う通りだよ、と改めて降参宣言をする。情が湧いたとか、独占したいとか、遠回しな言い回しばかりしてきたが、御幸は間違いなくこの男に惚れていた。自分の前では少しも可愛くない沢村栄純を好きになった。
「先輩、はやく、萎えるんで」
 ――可愛くねぇ、マジで。
 悪戯っぽい色をした、琥珀色の瞳。その瞳を縁取る、長くも短くもない睫毛を指先でなぞる。生意気な形をした眉、縦皺の少ない半開きの唇。
「ぁ」
 吐息と共に声が漏れた拍子に動いた喉仏に、かぷりと噛み付く。甘噛みのつもりだったが、思いがけず力がこもっていたようで、沢村の体は硬直した。苦しげな呻き声が御幸を欲情させる。
 沢村の皮膚の下で、血液がとくりとくりと流れていくのを確認する。このまま歯を立てる力を強めれば、それは危うく弾け出してしまいそうだった。
 口をすぼめて、皮膚の表面を軽く吸い上げていると、沢村は、「わー!」と大きな声を上げて、御幸を突き飛ばした。
 マットレスの上に弾き飛ばされた御幸が目を白黒させていると、体をひねりながら、「キスマークもダメですからね」と言い放つ。
「見えないとこでも?」
「首は絶対見えるし」
「アンダーシャツタートルネックみたいなのにしろよ」
「見せられない事情があるって言ってるようなもんじゃないスか」
「はぁ……つーかお前、いちいちつまんねぇ事で中断させるな。こっちも萎えるわ」
「別に萎えても……」
「沢村」
 少し真面目な顔をして、沢村の顎を掴む。王子が姫にキスをするときのような、そっとした所作ではなく、手の平全体を使ったガシっとした掴み方だ。沢村の唇は、少しだけ前に突き出た。
「うるさい。こっからは無駄な事一切言うな。本当に抱いてやらねーぞ」
 抱きたくてたまらないのは自分の方なのに、あえて支配的に言ってやると、沢村の体から力が抜けた。間抜けな形に歪んだ唇が、半開きになっているのをいいことに今度こそしっかりと自分のそれを重ねる。
 以前と変わらない、濡れて張り付いてくるような沢村の唇に御幸は酔った。ふ、ふ、と時たま吐息が漏れるのを残らず吸い尽くしてやりたくなる。
 唇を重ねるだけで、腰がずくんと重たくなるのは、御幸だけなのだろうか。そっと目を開けてみると、切なげな顔をして瞳を閉じた沢村の目尻が赤く染まっていた。たまらなくなって、粘つく舌を更に追い詰めて吸い上げる。
 沢村の鼻息が御幸の肌の表面を撫でた。好きだ、好きだと囁きながら、かき抱いてやりたい。だけどきっと、沢村はその言葉を喜ばないだろう。
 体が完全に離れる最後の瞬間まで、御幸は沢村の舌を嬲っていた。その長い口づけによって体の内に情欲の念を灯したのは、彼だけではないはずだ。
 沢村は、内腿を擦り合わせながら濡れた瞳で御幸を見つめている。
「服、脱げよ」
 おざなりな口調で命令する。そう言えば、沢村が逆らえないことを御幸は知っていた。
 沢村の、衣擦れの音を聞きながら、自分も部屋着のスウェットを脱ぎ捨てる。肌に触れる空気は思いがけず温い。
 沢村はボクサーパンツ一枚になってマットレスの上に佇んでいる。それも脱げよ、と言いかけてから、思い直してその滑らかな腹の筋を指でなぞる。
「ふっ……」
 小一時間前に精を放ったばかりの沢村のそれが、綿性のボクサーパンツの布地を、窮屈げに押し上げている。ウエストの布地を人差し指で浮かせてやると、ぱんぱんに膨らんだ男の亀がこちらを覗いていた。
「エロ。こんななってんのに、なんで脱がねぇの?」
「先輩だって……」
「俺は脱ぐよ。このやりとりさっきもしたし」
 沢村の下着からはひとまず手を離して、男のそれと同じように股間に張り付く自分のボクサーパンツを脱ぎ捨てる。膝立ちになって、沢村を見下ろすと、息を飲むのが聞こえた。
「お前、見過ぎ」
「先輩が見せつけるから……」
 そっぽを向いて尖らせた唇が可愛いと思ってしまう。相手は男なのに、沢村なのに。
「なんか、おっきくなりました?」
「いやないわ、成長期過ぎてるから。寮出るんでバタついてて出せてないからじゃね」
 小馬鹿にするように言いながらも、悪い気はしない。沢村の視線を受ける御幸のそれは腹につきそうな程に屹立していた。
「彼女とか、セフレとか、いないんスか」
「俺はお前と違って一途なの。一度に何人もこんなことする相手いらねーよ」
「そーですか」
 どうでも良さげに返される。つまらない男だと思われただろうか。
 しかしその数秒後には、沢村は御幸のモノに頬ずりをしていて、「舐めたい」なんて淫売のような目を向けてきた。赤い舌先が唇から覗くのを眺めていると、たまらなくなって、今すぐにでもその内側にぶちこみたくなる。それでも御幸は、自分の屹立の前にかしずく後輩を精一杯に冷えた目で見下ろした。
「いいよ舐めなくても。そんなことより早くならせよ」
 ペニスに触れた沢村の頬をはたきながら言うと、沢村の瞳に喜色が滲んだ。どうやら今のところは沢村の求める手酷い男を上手く演じることが出来ているようだ。
 沢村は先走りで中心の滲んだボクサーをようやく脱ぎ去って、利き腕を後ろに回す。ローションを手渡してやると、それを手のひらに絡めて、くぐもった声を上げながら指を進めていった。
「せんぱ、ちゃんとならすから……少しだけ舐めさせてつかぁさい」
 口を大きく開いて、淫売のように懇願する沢村の舌の上にそっとカリをのせた。瞬間、ぬめった舌がそこに絡みついてくる。じゅぽじゅぽと、部屋中に響き渡る下品な音を他人事のように聞きながら、沢村を見下ろす。
 体に隠れてよくは見えないが、背中側に回された沢村の左手の指は彼の内側にズッポリと入り込んでいる。
――目に毒だな。
 沢村は御幸のモノに奉仕する傍らで、懸命に自らのイイところを見つけようとしているようだった。あるいは、その場所の検討はついているのに、指が届かずに焦れているのかもしれない。
 水に濡れた真綿がぱんぱんに詰まったような御幸の先端を必死にねぶりながら、沢村は浅い呼吸を鼻で繰り返している。そっと撫でてやった頬は、どこまでも滑らかで、赤く蒸気していた。
「っ、はぁ……」
 御幸の屹立をきゅうきゅうと締め付けていた沢村の口内が緩んで、甘い吐息が溢れた。つと見やると、彼の体の中に二本目の指が吸い込まれている。そちらに意識が向いてしまったのか、口淫がわずかに粗雑になった。
「口、おざなりになってる。自分からしゃぶりたいって言ったんだからちゃんとやれよ、オトコに仕込まれてるんだろ」
 自分で言っておきながら、胸の内がすっと冷えていく。
 沢村は、何も言わずにペニスの先端を吸いながら、ギチギチに詰まった口内で舌をチロチロと動かした。心の内側とは対象的に、下半身は痛いくらいに熱を持った。
「沢村、俺の精子また飲みたい?」
「んん……」
 ペニスを咥えたまま、一度横に振った首を、しばらくして縦に振り直す。どっちだよ、と嘲ると、
「早くナカに欲しいけど、せーしも飲みたい……」
 どうしようもないことを言ってまたかぷりと咥え直す。
「今のオトコの精子何回飲んだ」
 口に出してしまってから、気持ち悪い情けない最低の質問だと自覚した。沢村は、考え込むような表情を浮かべながら、ひたすらに御幸のモノをしゃぶっている。数えきれないのだと察した時、頭の中で何かが弾けた。
 歪に膨らんだ後輩の頬を掴んで口を開かせて、濡れそぼったペニスを抜き去る。名残惜しげな顔を浮かべる沢村の体を無理矢理に反転させて、ペニスの先端をアナルの皺の一本一本にこすりつけた。
「ひっ」
 沢村の喉から呼気混じりの悲鳴が漏れた。先ほどまで自分の内側を押し広げていた濡れた指で必死にシーツを掴んでいる。
 穴の周りで円を描くようにペニスを撫で付けると、「御幸先輩……」と沢村は苦しげな声を上げた。ローションによってしとどに濡れた穴の中心は柔らかくふやけている。受け入れる準備は完全に整っているようだ。
「早く挿れて……激しくして、酷くして下さいっ」
 飢えた犬のように懇願する沢村の内側に膨れた先端でヌプリと押し入る。
「今日はゆっくり。俺のカタチ思い出して」
「きも……っ」
 自分でも思っていたことを言われてしまって苦笑する。それでも挿入の速度をはやめることはせずに、ゆっくりゆっくりと中に侵入していく。御幸自身も沢村の内側の感覚を、カリ首で押し広げながら思い出していた。
「はっ、ゆっくり、だめ……なんかへん。先輩のやっぱデカい……あっ、」
 煽るような台詞に激しく腰を動かしたくなるのを堪えながら、じわじわとナカを進む。ガチガチに張り詰めた根元まで全てが沢村の内側に収まったとき、ゆっくりと息を吐いた。沢村の体は小刻みに震えている。
 自分のモノを串刺しにして悶える姿が目に突き刺さる。堪らなくなってハリのある臀部を平手で打つと沢村は甘い叫び声を上げた。肉壁が御幸のモノをぎゅうぎゅうと締め付ける。
「思い出した?」
 性懲りもなく尋ねると、四つん這いの沢村は首をぶんぶん振った。
「久しぶりの先輩の、めちゃくちゃ気持ちいい」
「あっそ、じゃあもっと楽しませろよ」
 根元まで挿入し切ったペニスの先端で沢村の奥の壁をグリグリと刺激すると、「アアッ……」と一際高い喘ぎ声が響いた。
「きもちよすぎて、むりですからっ。せんぱいのそれ、はんそくっ、ぅ、ア!」
 痛々しい程に勃起した沢村のペニスを手の平で掴んで扱きあげる。先端から溢れ続ける先走りのおかげで馬鹿みたいに滑りはいい。
 内と外を同時に責められた沢村が、壊れた人形のように崩れ落ちそうになるのをペニスを扱くのとは逆の手で腹を支えて食い止めて、腰を打ち据える。
 今日はゆっくりすると言ったのに、いざ沢村の内側に入り込んでしまうと少しも歯止めは効かなかった。ぬるぬるの内側が御幸を誘い込むように蠕動している。
「あっ、あんっ……」
 硬いペニスでナカを突くたびに、沢村の体から力が抜けていった。失神してしまうのではないかと心配にすらなった。
「さーむら、今度は精子飲んで」
 がつがつと腰を振りながら言うと、「こんどは、ないっ」と返ってくる。
「なんで、セフレなら何度でもしねーと」
 ペニスを扱く速度をはやめながら言うと、悲鳴のような喘ぎが上がった。
「こんなの……フレンドじゃないっ、俺……先輩に支配されてるっ」
 殆ど涙声だったが、俯いた沢村の表情は伺えない。
「お前支配されるの好きじゃん」
「あっ、それは、彼氏だけ……」
「こんなとこで他の男に抱かれてるくせに。そんなにその男が好きなの?」
「最初に……シた人だから、アッ」
 その言葉を聞いて、今の男が以前一度別れた沢村の初めての男なのだと悟った。胸の内にどす黒い感情が生まれる。御幸はあえて避けていた沢村の性感帯をペニスの先で擦り上げた。
「ああっ、ぅっ、あん!」
「そのオトコの何回飲んだ?」
 情けない質問を再び繰り返す。その間も沢村の内側を嬲る動きは止めない。
「なんでっ、何でそんなこと何回も聞くんすか……せんぱいって、ぁ、寝取られせーへき?」
 頭を殴りつけられたような感覚だった。沢村が他の男のモノを咥えている姿を想像するとどうしようもなく興奮する。このど変態の後輩によって、御幸の性癖は捻じ曲げられてしまったのだ。
 それでも一応冷静なフリをして、「寝取られてるのはそのオトコの方だろ」と返す。沢村の内側が更に締まった。やっぱりこの男は変態だ。
「寝取られてなんかっ、これはただっ、あっ、あのひとに中々会えないからっ、ぅあ」
「じゃあカレシのやつの方が気持ちいいの?」
 あたりまえ、と息も絶え絶えに沢村は返す。未だに虚勢をはる余裕があることに感心しながら、御幸は意地悪く口を開いた。
「じゃあもう俺は動かない。俺のことは性欲処理用の棒だと思って勝手にしろよ」
「え」
 腰の動きをゆっくりと止めて、ペニスを扱いていた手もシーツに下ろす。四つん這いで俯いたままの沢村は、所在なさげに体を震わせていた。
 御幸はそれ以上やることもないので、沢村の後頭部をじっと見つめていた。綺麗にとぐろを巻くつむじ、最近散髪に行ったばかりなのか乱れなく整った襟足の毛、首から肩にかけて滴る一筋の汗。その全てが尊く思える。頭がおかしくなりそうだ。
 部活時代、この男のことを大切に思っていた。プロになってもまたバッテリーを組みたいと思うほどに。   
 そんな男を今はこうして蹂躙している。きっと御幸の頭のネジは、一本ないしは二本くらいどこかへ飛んでいってしまったのだ。そしてそのきっかけを作ったのは、あの合コンの日にイタズラな笑顔を御幸に向けた女だろう。
「ぅ……」
 過ぎ去った過去に目を向けていると、沢村がくぐもった声を上げた。ペニスを締め付けていた肉壁がずるりと収縮する。
 いつまでも律動を再開させない御幸に焦れた沢村が、自分で腰を動かしているのだ。しかし所詮は後背位なので、自分でいくら体を揺すったところで満足いくような快感は得られないらしく、焦れたような声を上げている。
 鈍い水音が幾度となく部屋の空気を揺らした後に、沢村は深い溜息をついて体を捩った。無理矢理に胸を起こして、御幸に顔を向ける。背中の筋肉の柔らかさに感心した。
「ん、先輩……」
 眉を下げて媚びるような声を上げる沢村が半開きの口から舌を覗かせた。キスを求められていることはすぐに分かったが、勿論応じない。
「キスはしないんだろ」
 嘲るように言ってやる。
「したい……先輩とちゅーしたいです」
「自分のオトコとしたらいいじゃん」
 突き放すように言い放って、僅かに腰を進めると内側が痛いくらいにきつく締まった。あ、と吐息交じりの喘ぎが沢村の口から漏れる。
 首をふるふると横に振って、沢村は口を開く。
「先輩のが……いいです」
「なんて?」
「先輩のが、一番気持ち良いから、俺の中ガンガンに突いてつかぁさい……」
 涙目で言われるとたまらなくなって、舌ったらずな声を上げる唇を強く吸い上げた。沢村の口内を舌で蹂躙して、お預けをくらった借りを返すように熟れた唇を激しく舐ってから口を離す。
 肩を押して、沢村を再び四つん這いにさせる。強い力で腰を掴んで、奥まで入り込んだペニスを一旦ギリギリまで引き抜くと、沢村はそれだけで歓喜の嬌声を上げた。
「欲しいの?」
「欲しいですっ、はやく、きてっ」
「ただの代替え品なんだろ」
 女々しい問いかけだとは自覚していたが、沢村は、「違います」と叫んだ。
「先輩のが、好きっ、おっきいのすき……せんぱいのちんこで俺んナカめちゃくちゃに、っあ、あぁ!」
 言葉を最後まで聞き取る前に大きく腰を動かした。沢村のナカの一番気持ちのいい部分を執拗に責め立てると、沢村は狂ったような喘ぎ声を漏らす。
「ひぁ、ひっ!」
 御幸の先走りなのか、ローションなのかよく分からないもので濡れそぼった沢村の内部が苦しげに蠢き続ける。
 無我夢中で腰を揺すっていると、沢村の腹がヒクヒクと痙攣し始めた。
 反射的に男の鈴口を指で塞ぐと、「やっ、だめ……もう、イくっ」と情けない声で沢村は啼いた。それでも御幸が指を離さずに腰を振り続けると、「きもちーのか、出そうなのかわかんないっ」と半狂乱で叫ぶ。
「ああっ、ああっ……」
「クッ……」
 グチュグチュと音を立てながら狭まってくる沢村の内側に、こってりと絞られて御幸のモノも限界を迎えつつあった。ラストスパートといわんばかりに腰の動きを鋭くして、汗の滲んだ男の尻を何度か叩くと、「イかせて、ナカだしてっ」と沢村が叫んだ。尿道口を塞いでいた指を外してやる。
 瞬間、御幸のモノが膨張して、大きく爆ぜた。殆ど同時に体を痙攣させた沢村の体がシーツに沈み込む。きつく締まった沢村の内側に、御幸は白い残滓を注ぎ切った。

 カーテンの隙間から柔らかな日差しが落ちている。ワイヤレス充電器を兼ねた目覚まし時計に表示された時刻は、朝の八時前。慌てて体を起こすと、隣には全裸のまま穏やかな寝息を立てる沢村の姿があった。
「お前、門限……」
 揺り起こそうかとも思ったが、今更焦って戻ったところで意味はない。もう少し寝かしておいてやろうと、その健やかな寝顔を見つめた。
 二十一の沢村の寝顔は以前と変わらずあどけない。その滑らかな額に指を這わせると、眉間に皺が寄った。むむ、と寝言が漏れる。
 破顔しかけた御幸の視界に、沢村の左耳が映り込む。耳たぶに刺さっているのは、恋人からの贈り物であろう黒石のピアスだ。
 御幸はしばらくそれを眺めていたが、つと手を伸ばして、小さな石のついたそれをそっと抜き去った。沢村は僅かに身動ぎをしたが、未だに起きる気配はない。
 御幸は静かに寝台から降りて、寝室のチェストの引き出しからピルケースに入ったピアスを取り出した。以前沢村にやったものの片割れだ。
 それから沢村の傍の床に膝を立てて、それを左耳の穴に差し込んでやった。以前にそうした時とは全く違った感情が込み上げてくる。
「ん……」
 しばらくして起き上がった沢村は、子供のように目をこすっている。おはよう、と声をかけると、「はよございます」と半分夢の中にいるような声で返された。
「朝だぞ」
 御幸がそう告げた時、沢村は無意識にか左耳に触れていた。
「えっ、今何時っスか!」
「八時だな」
「ももも、門限が! 罰金だ!」
 御幸先輩のせいじゃないスか、とがなり立てる沢村の額を小突いて、その唇に自分のそれを重ねた。再び呆けたような顔に戻った沢村に、
「払ってやるよ、それくらい」
 と言ってやると、「そういう問題じゃない!」と耳の痛くなるような声が返ってきた。
「朝メシ何食う?」
「パンとウインナーと目玉焼き、あっ絶対かけるのは醤油で……って食ってる暇ねーんで」
 脱ぎ散らかした服を身に纏って玄関に駆けていった沢村が、靴を履いてドアを軽く開いたところで一度御幸の方へ振り向く。
「……これくれるんスか」
 右手でドアノブを持って、左耳でピアスを弄る沢村の髪の一本一本を朝日が明るく染めていた。御幸は眩しげに目を細めて口を開く。
「別にそれもういらないし」

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