あの嫌いのうた

 湿り気を帯びた水音が足元で響く。クイーンサイズのベッドに横たわった御幸の足元で、沢村の濡れ髪が跳ねていた。
 左の耳たぶにはシルバーのピアス。御幸が刺してやったものだ。流石に練習中には外しているようだが、寮内で見かける沢村の左耳にはいつもそれが光っていた。
 後輩へのプレゼントのつもりでやったものではない。沢村のピアスホールを埋めることによって、御幸は自分の胸の内の澱を鎮めようとした。なので、沢村の左耳で得意げに輝くそれを視界に入れるたびにすわりが悪い思いをする。
「お前それ外せよ」
「それって?」
 御幸の足の親指を口に含んでいた沢村が、唇からちゅぽんと音を立ててそれを解放する。上目遣いに御幸を見つめながら、分かっているくせに首を傾げた。
「……ピアス」
「もういらないって言ったの御幸先輩じゃないですか」
 不服げに言って、再び御幸の足の指に舌を這わせる。爪先を丁寧にしゃぶられた後、舌先が親指と人差し指の股を突く。今まで感じたことのない種類の刺激に、御幸は仰け反りそうになったが堪えた。
 なんともありませんか、と問う沢村の口角が僅かに上がっている。琥珀色の瞳は悪戯っぽく濡れていて、部活の現役時代は可愛がっていたといえる後輩が、こんな娼婦じみた表情をするようになってしまったことに、御幸は少なからずショックを受けた。
 足の指をひとしきり舐め回した沢村が、今度はバスローブ越しの御幸の太腿に頬ずりをする。沢村の、何よりも大切な左手がボクサーパンツのゴムに引っかけられた。
 流石にこれ以上を許してはいけない。そんな思いで、御幸は沢村の額を撫でる。玩具のような手錠によって左右の手を繋ぎとめられているので、少しやりにくい。
 髪の毛を引っ張って押しのけてやろうかと思っていたくらいなのに、その所作は思いがけず柔らかで、心地よさげに細められた沢村の瞳はますます潤んだ。
 左手だけの力を使って、沢村は邪魔な布地を引き剥がそうとしている。そこにきてようやく御幸は口を開いた。
「俺は……お前のことが嫌いだ。ずっと前から」
 沢村は、存外無表情に御幸を見上げた。


「御幸せんぱーい、セックスしーましょー」
 ただでさえ試合明けで疲弊しているのに、部屋まで押しかけてきた沢村の馬鹿げた発言のせいで、ますます肩が重たくなった。
「つまんねーこと言うなら帰れ」
「ここ座りますね」
 耳のないような顔でベッドに腰掛けた沢村の左耳に、見覚えのあるピアスが光るのを認めて、眉間に皺を寄せる。ひと月前の失恋のショックから早々に立ち直り、愁眉を開いた沢村は、最近では御幸が在室の日には必ずこの部屋に迫りにくるのだ。
「それ……練習のときもしてたら危ないぞ」
 沢村はまだ二軍の試合にも出たことがない。ひたすらに練習漬けの毎日だ。
「野球に関わる時は外してるって」
 沢村は、耳たぶに刺さった異物を指で弄ぶ。
 食堂でどんぶりを抱える沢村を遠目に眺めながら、「あいつ最近色気付いとるぞ」と己の耳を指したベラの言葉が頭によぎる。野次馬じみた響きを孕んだ男の言葉は、あながち間違いでもない。男にフラれて以降の沢村は明らかに様子がおかしい。
「……お前早く部屋戻って寝ろよ。体休めろって、な、な?」
 下手に刺激したくなかったので、極力優しく、宥めすかすように言ったが、沢村はかえって鼻息を荒くした。
「先輩が俺の寝込み襲ったんじゃないですか!」
「本当におかしくなっちゃった? 沢村くん」
「忘れもしない先週の金曜日の晩……御幸先輩がこの左耳に刺したピアスが俺の傷心の心を癒し、この体に情欲の炎を燈らせた……」
「ピアス刺されたくらいで発情すんなバカ村!」
「他のもの刺されることを連想しちゃったんだから仕方ねーでしょうが! なにも付き合ってくれとか好きになってくれとか言ってるんじゃないんですよ。一度でいいからセックスさせてって頼んでるんじゃないですか!」
「声がでけーよ!」
 こんなやりとりをしばらく続けている。マイペースな沢村は、少し声量を落として「俺さっきシャワー浴びたばっかっスよ」とニヤつく。爽やかなシャンプーの香りが仄かに香った。
「浴びてても浴びてなくても俺は男とはしない」
「俺だってそう思ってましたよ」
 沢村の眉が下がる。前に付き合っていた男のことを考えているらしい。
「お前がこの前まで付き合ってた……その、彼氏? どこが良かったの」
「それはその……」
 両の手を組んだ沢村が、顔を俯ける。長いとは言えない睫毛が震えているのに気がついて、御幸は興味本位でおかしなことを尋ねてしまったことを後悔した。御幸先輩に似てたんです、なんて言われたら更に追い詰められる。
「言いたくなかったらいい」
「クリス先輩に似てたんです……!」
 きゃっ言っちゃった……とでも言いたげな表情の沢村が、顔の下半分を両の手で覆い隠す。誰にも言っちゃ駄目だからねと念押ししながら百人くらいに自分の好きな相手を伝えている女子高生のような仕草だ。先日十九になった男がすると気色が悪い。
「お前……クリス先輩のこと好きだったの?」
 自分のことが好きだったのかもしれないなどと想像していた自意識を見透かされないように、御幸は努めて冷静に尋ねた。
「いやいや! そんな恐れ多い! 勿論誰よりも尊敬はしてますけど、あの頃はノンケのつもりでしたし」
 沢村は、組んだ両の手から、人指し指だけを立てて互い違いに回転させている。どうやら照れているようだ。
「だけどあの人は、背格好がクリス先輩と同じくらいで、顔も掘りが深くて……なんか、キちゃったんですよね」
「ふーん」
「自分から聞いといてなんなんだよ!」
「だってお前語りすぎ。そんなにクリス先輩がいいなら俺なんかに迫るなよ」
 かすかに赤らんだ鼻をつまんでやると、沢村は「いひゃい」と喚いた。
「もう本当に帰れよ。お互い明日も早いんだから」
 キャビネットの上に置いた電子時計を指して言う。時刻は午後二十三時十五分だ。
「あっやばい! 明日試合なのに!」
「試合って二軍のリーグ戦?」
 ブンブンと首を縦に振って部屋を出て行こうとする沢村の手首を咄嗟に掴んだ。
「お前そういう大事なことは先に言えよ!」
「言ってませんでしたっけ?」
「初耳」
 首を傾げる所作が自然で腹立たしい。試合を控えていると知っていたら、もっと身のある会話をしたのに。
「もしかして心配してくれてます?」
「……そんなんじゃねえけど、まあ肩肘張りすぎんなよ。お前は力むとすぐに変なとこにボールやるから」
「はいはい」
 いかにも軽い返事だったが、沢村の両の目は存外真剣な色を含んで御幸を見つめ返していた。お互いそれ以上は言葉を交わさずに頷きあう。
 掴んでいた手首を解放してやると、沢村は「おやすみなさい」とだけ言って御幸に背中を向ける。うなじが赤い、気がした。


 時は流れて五月の下旬、日中の空気はぬるいが、夜風はまだ冷たい。
 軍鶏が売りの居酒屋の店内に、御幸は不本意ながらも沢村と肩を並べて足を踏み入れた。今日は沢村の初登板の祝賀会である。企画したのは小湊春市らしい。
「青道高校で予約してるんですけど」
 出迎えた店員に告げると、調理場の側面の奥座敷に通された。仕切り戸こそついていないものの、中は存外に広い。
 御幸の姿を認めた旧友達は「おおっ」とざわめいた。
 御幸は、恋人とも平気でひと月も会わずにいるような男である。青道時代の仲間に会うのは、今日が卒業後殆ど初めてだった。
 本日の主役である沢村よりも、希少度の高い御幸に自然と視線が集まる。
「春っち!」
 早々と靴を脱いで座敷に上がり込んだ沢村は、御幸の存在を一瞬で忘れて春市の隣の席に腰を下ろした。おつかれ、と笑う春市が、御幸に視線を向けて頭を下げる。卒業式の日に見かけたときよりも伸びた前髪が、上瞼の端をさらりと撫でた。
 場に集まっているメンバーは沢村達の代がやはり多かったが、御幸の代の人間の顔もちらほら見受けられる。流石に一学年上の人間はいないだろうと考えていたが、座敷の一番奥、倉持の隣に小柄な桃色頭を見つけて目を丸くした。
「ご無沙汰してます。まさか亮さんが来てるとは」
 御幸は、倉持の向かいに腰を下ろした。
「それはこっちの台詞。御幸は来ないかと思った」
「ヒャハ。お前付き合い悪いもんなー」
 この二遊間が並んでいるところを見るのも久しぶりだったが、以前と変わらない関係でいるらしい。倉持は、亮介が隣にいることが嬉しいようで、既にテーブルの上の杯を半分あけている。
「先に始めてたのかよ」
 見渡せば周りの後輩達も既に飲み物には口をつけているようだった。
「お前達が遅いんだよ」
 口の周りについたビールの泡を指で拭いながら亮介が言う。ビール似合わねーと思ったことは口に出さずに、「すみません」と頭を下げる。
「お前らがオフだって言うからこの日にちにしたのに、遅れんなよ」
 倉持の言葉を受けてスマホで時間を確認すると、元々会の始まる予定だった時間を十分ほど過ぎていた。料理こそまだ出てきてはいないものの遅刻してしまったのは申し訳ない。
「球団で何かあった?」
「何もないんですけど、沢村とちょっともめて」
 これ言わなくてもよかったな、と思ったが時既に遅し。
「なんだよお前らまだ喧嘩してんのか」
 倉持の口角が普段以上に上がっている。二人の諍いを楽しんでいるのだ。
「沢村と喧嘩? 主将だったくせに大人げないんだね」
 亮介の細い目もまた喜色が滲んでいる。後輩同士の諍いを面白がるのは大人げなくないのだろうか。
「まだってなんだよ。今日はここまでタクシーで来るか電車で来るかってもめただけだぞ」
 ついでに言うと交通手段を決める前に、店まで一緒に向かうか別々に向かうかでももめたし、タクシーを降りるときには沢村が半分出すと言って聞かなかったのでそこでまた一悶着だ。タクシーの運ちゃんが「兄ちゃん、先輩に出してもらいなよ」と言ってくれなかったら、未だに押し問答が続いていただろう。
「じゃあ一応仲直りはしたのか」
 倉持は、三年の二学期以降御幸が沢村を避けていたことを知っているのだ。鉄の火が熱いうちは表立って何があったのかと尋ねてはこなかったが、二人の関係には気を配っていたのだろう。
「まあ一応。つーかいい大人が仲直りとか言うな」
 距離を置いていたことを含めて、渋々認めつつも軽口を言った。
「元々二人はなんで喧嘩してたの」
 事情を知らない亮介が、いつの間にか卓に並んでいた肉味噌豆腐のサラダを食みながら首を傾げる。
「いや別に喧嘩してたわけじゃなくて……」
 実際御幸が沢村のことを勝手に毛嫌いしていただけなので、喧嘩や仲違いという表現は適切ではない。
「お前が沢村を避けだしたんだろ」
「沢村からなんか聞いてたのか」
「聞かねーけど寮や学校で顔合わせても全く口きかねぇんだから誰でも分かるだろ」
「可愛い後輩を無視してたんだ? 酷いな」
 亮介は、天使のような悪魔の笑顔を浮かべている。
「可愛かないですよ――今は」
 飼い犬に指先を噛まれたと思っていたら、そのまま腕ごと食いちぎられたような気分だった。
 セックスを求める沢村の目は肉の味を覚えた獣のように爛々としている。女に捨てられて傷ついた心にそれを許せば、身体中の精を搾り取られてしまいそうで恐ろしかった。
「ふぅん」
「昔は可愛かったのかよ」
「別に。可愛がってたのは、お前だろ」
 ニヤリと笑う倉持に冷めた声を返して、ウーロン茶で乾いた喉を潤す。
 失礼します、と店員が料理を運んできたタイミングで、座敷の入り口側を見やると、金丸が沢村を指差していた。沢村は屈託のない笑顔、隣の春市は戸惑いの表情を共に浮かべている。
 会話の仔細な内容までは聞こえないが、ピアス、調子乗んな、と細切れの単語で大まかな事態を察した。
 あの馬鹿、外しとけって言ったのに。
 呆れて溜息を漏らす御幸のグラスの前に鶏刺しと、焼き鳥の串が並んだ。流石にシーズン中に生の鶏は良くないだろうと、亮介がネギまを取ったのを確認してからせせりの串に手を伸ばす。
「沢村ピアスしてるんだ」
「……そうみたいですね」
 糸のように細い目をしているくせに、亮介は目敏い。あいつ色気付きやがって、と倉持は憤然としている。
「ああいうの自分からしそうなタイプじゃないのに」
「女からのプレゼントとか」
「彼女いたっけ」
「二年生のときに付き合ってた女子とは三年の途中で別れたって聞きましたけど」
 顔をつき合わせて交わされる二人のやりとりを他人事のように聞き流しながら、せせりを食む。火入れが絶妙で、弾力のある食感が嬉しい。
「新しい彼女か、好きな人にもらったんじゃない」
 鼓膜を通り過ぎた「好きな人」という言葉に反応して、御幸は口内のせせりをんぐっと音を立てて飲み込んだ。
 軽くむせこみながら、視線を上げると、言葉を発した当の本人は、もはや沢村のピアスには関心がないようである。ネギまのネギを噛み締めて、その甘さに舌鼓を打っていた。
「なんで沢村がモテるんすか!?」
「モテようとしないからでしょ」
「なんスか! その真理ぽいの!」
「授けてやったんだから、ありがたく受け取って自分のものにしなよ」
 にっこりと微笑む亮介に、倉持はそれ以上の言葉を失って手酌をする。
 御幸は再び、同輩達と騒ぐ沢村を盗み見た。
 あいつ俺のことが好きなのか。
 気味の悪い思いつきに頭を抱えかけたが、セックスがしたいという欲求には恋愛感情が伴っている方が自然な気がした。
 御幸はカナエのことが好きだったから彼女を抱いたし、彼女だって御幸のことを想ってくれていたから体を許してくれていたのだと思う。現に別れる前のふた月程は顔を合わせることはあってもセックスには至らなかった。
 ピアスを刺してやったくらいで惚れられたらたまらない。第一男同士なんて絶対に嫌だ。
 だけれど惚れた女二人に一方的に別れを告げられて現在に至る御幸はすっかり自信を喪失しており、自分に人から惚れられる価値があると実感するだけで、沈み込んでいた意識はいくらか上向きになった。
 相手が同性だと、異性に好まれる以上に薄気味悪くも誇らしいのは何故なのだろう。
「そういえば御幸」
 つと思い立ったように亮介が口を開く。御幸は卓に運ばれてきた海老とはんぺんの入った春巻きを箸でつまんでいた。
「はい?」
「今日はお前達が喜ぶゲストを呼んでるから」
 はぁ、と生返事をしながら春巻きを口に含む。揚げ油から取り出してすぐさま運ばれてきたのだろう、パリパリを越えてバリバリの皮はもちろん、中の粗刻みの海老も上顎を火傷させるほどの熱を持って飛び出してくる。しかしそれが美味い。意外なことに味付けは味噌ベースである。
「お前って結構食い意地張ってるよな」
 言葉少なに、ゆっくりと料理を味わう御幸に、倉持が呆れたように言った。他の人間の取り分を侵したわけでもない。御幸は不本意げに目を細めた。
「んな目で見るなよ」
 たじろぐ倉持を見据える御幸の耳に、部員たちの歓声が届いた。唐揚げでも届いたのだろうかと、思い視線を上げると、座敷の入り口に一人の男が立っている。
「クリス先輩!」
 叫ぶような声と共に、飛び上がるように立ち上がる球団の後輩の姿が視界に映る。
『クリス先輩に似てたんです……!』
『だけどあの人は、背格好がクリス先輩と同じくらいで、顔も掘りが深くて……なんか、キちゃったんですよね』
 寮で聞かされた、沢村と別れた男との馴れ初め。抱きつかんばかりの勢いで駆け寄っていったくせに、突然鼻白んだような顔になって下された沢村の両の手。
 一言二言クリスから物言われた後、沢村は袖を絞った。左手で耳たぶをしきりに弄り始める。そこに光る物を隠すような所作に、心の奥底の何かを踏みにじられたような気持ちがした。


 店を出てからもあからさまにぼうっとする沢村を引きずって、大通りに向かって歩く。会に出席していた内の半数以上はそのまま二次会に行った。その団の中にはクリスも混じっていたが、意外なことに沢村は御幸と二人で帰ると言った。
「クリス先輩かっこよかったですね……」
 そのくせ蕩けた声でそんなことを言う。その目尻は赤みがかり、やや腫れぼったい。
「急げよ。早くタクシー拾わねぇと門限に間に合わなくなる」
「大丈夫っすよ。寮長には俺も先輩も今日は外泊するって言ってあるんで」
「はあ?」
 少しも大丈夫ではない。何が悲しくて月に一度認められる外泊の権利を沢村と二人で行使しないといけないのだろう。
「今からでも遅くない……帰るぞ。最悪門限オーバーの罰金払ってもいい」
「俺は嫌っすよ」
「お前の分も払ってやるから早く!」
「あ、先輩こっちこっち」
 焦る御幸の腕を取って、沢村は歩き始めた。大通りから遠ざかっていくような道を選び取るその足取りは、先程までとは打って変わってしっかりしている。
 居酒屋の連なる繁華街から脇道に逸れ、萎びた商店の連なる路地を進んでいくうちに、辺りが薄暗くなった。酒も飲まないくせにやけに上機嫌な沢村は鼻歌を歌っている。
「入りやしょ」
 急に立ち止まった沢村がこちらを振り向いた。その背後ではホテルリバーサイドと、ネオンの踊る看板がそびえ立っている。
「入るわけねーだろ、バカ村」
 呆れが過ぎて、大声を出す気にもならなかった。沢村は至って冷静な態度で口を開く。
「今から帰っても門限には間に合いませんって」
「男とこんなとこに泊まるくらいなら間に合わなくても帰る方がマシだ」
「さっき通ってきた道の途中に定食屋さんがあって、そこのエビフライがまたとんでもなくデカくて美味しいんすよ。明日もオフだし、そこで遅めのランチにしません?」
 言いながら、沢村は両手の人差し指を立ててエビフライの大きさを指し示した。なるほど本当ならばかなりの大きさである。クリスが合流して以降はあまり食事を摂ることが出来なかった御幸の胃がひくりと動く。
「それでもわざわざ前泊する必要ねーだろ」
「毎日市場から仕入れた海老を揚げてるみたいなんすけど、数に限りがあるから開店直後に来ないとエビフライ定食は食えないんですよ! 御幸先輩海老好きでしょ!?」
「いや普通だけど」
 と、言ってみたはいいものの、最近何故だか海老を用いた料理を食べることが多い。海老天、エビチリ、海老春巻きときて、揚げた海老で食べていないのはエビフライくらいなので、食指が動かないと言えば嘘になる。
 御幸の胸中で生じた揺らぎを認めたのだろう。沢村は駄目押しで口を開く。
「そこの定食屋はエビフライに添えられた自家製のタルタルソースがまた絶品なんです! タルタルソースのために手製のピクルスを作っててその瓶がカウンターにずらっと並んでて、しかも茹で卵の黄身と白身の割合も玉子そのままじゃなくて店のタルタルに合うように調整してるんすよ!」
 まくし立てるように言った沢村は、肩で息をしている。
 五月も下旬とはいえ夜風はそれなりに冷たい。日中が暑かったおかげで薄着の二人の肌の表面は少しずつ、しかし確実に冷え始めていた。
「……何もすんなよ」
「はぁ」
 御幸はぼそりと言って、ホテルのロビーに足を踏み入れた。根気負けである。呆けた表情の沢村が、その後をついてくる。
 一番広そうな部屋のボタンを押して、エレベーターの中に乗り込む。二部屋取ってやろうかとも思ったが、面倒なので同室にした。沢村は、ソファで寝かせればいい。相手は男とはいえ、御幸の方がいくらか体格はいい。無理やり組み敷かれるようなこともなかろう。
 エレベーターを四階で降りて、部屋番号の表示の光っている部屋に二人して入った。一見ラブホテルらしくない室内に安心した。
 沢村は部屋に入るなりソファに倒れこんで、テレビにリモコンを向ける。お目当のバラエティ番組が放送されていたらしい。御幸の存在など忘れてしまったかのように画面に釘付けになっている。
「はあ……」
 大きな溜息と共に御幸はベッドの足元に腰掛けた。自分の貞操を狙っている男と同じ空間にあるので、こんな場所には座りたくなかったが、かと言ってソファで尻を並べる訳にもいかない。
 居酒屋の空調が弱かったせいか、体が汗ばんでいる。シャワーを浴びようと立ち上がりかけたが、テレビを見つめる後輩の後頭部を見て動きを止めた。
 先にシャワーなんか浴びたら準備オッケーヤろうぜって合図だと思われるんじゃねえか……先にシャワー浴びろよって勧めてみる……いやいや、それだと尚更セックス前のカップルみたいだし。
 御幸がそんなことを考えて頭を抱えている間も、沢村は一度もこちらを振り返ることはなかった。テレビに向かって、独り言のような相槌を打っている。
 自分だけが意識し過ぎているようで気恥ずかしくなった御幸は、潔くシャワーを浴びることにした。ベッドサイドに掛かってきるバスローブを取ってシャワールームに入る。
 シャワーの水流で、胸の内のわだかまりが全て流れてくれればと思ったが、シャワーヘッドから吹き出したそれは皮膚の表面を撫で落ちていくばかりだった。
 浴室から出ると、沢村は御幸が去る前と同じ姿勢のままテレビを眺め続けていた。時たまひな壇の芸人がボケると、肩を揺らして笑うが、こちらを振り向くことはない。
「俺がベッドで寝てもいい?」
 一応尋ねてみると、その一瞬だけこちらに視線をやって、「いいっすよ」と頷いた。
 備え付けの冷蔵庫から水を取り出して、乾いた喉を潤すと、御幸はベッドに倒れこんだ。泥の中に沈み込むような疲労感に襲われて、意識を手放すのにはそう長い時間はかからなかった。


 何かが体の上にのしかかる圧迫感で目を覚ました。気がつけばテレビは電源が切られていて、無音の室内でラブホ然とした間接照明がベッドサイドの壁の柄を浮き上がらせていた。
「せんぱい」
 恐る恐る顔を上げると、口元を緩ませきった沢村がこちらを見下ろしていた。下腹から鼠径にかけてをしっかりと押さえ込むようにのしかかられている。ひとまず落ち着こうと、御幸は深く息を吸った。
 顎だけを持ち上げて、「お前なにしてんの」と尋ねると、
「夜這いですかね」
 沢村は首を傾げる。
「ふざけんな。早く降りろ」
「キャップってけっこー無防備っすねー」
 眉間に皺を寄せながら促したが、沢村は耳のないような態度で御幸のバスローブに指をかける。くつろげられた胸元を空調の微風が撫でた。
「――っ、お前あんま調子乗んなよ」
 絵画でも鑑賞するかの如く目を細めて自分の体を見つめる後輩の体を、無理矢理にでも引きずりおろそうと腕を動かそうとしたが、上手く動かない。そこへきてようやく自分の手首を戒めるものの存在に気がついた。左右の手首を縫い止めるようにして、プラスチックの手錠がかけられている。
「エログッズの自販機で売っておりました! 御幸先輩の筋力だとこんなオモチャあんまり意味はないと思いますけど、雰囲気出るでしょ」
 沢村は得意げである。雰囲気ってなんだ、と尋ねるのも馬鹿馬鹿しい。
「こんなのもありますよ」
 呆れて物も言えない御幸の眼前に沢村は黒い布地を突きつける。アイマスクだ。
「それどうすんの」
「先輩がつけるんすよ?」
「お前ってそういう趣味?」
 二の腕の皮膚に鳥肌が立った。
「どっちかというとマゾなんですけどね」
「はあ」
「気休めでも左右の手が別々に動かなかったら先輩も俺から逃げにくいだろうし、アイマスクでもしないと男となんかエッチ出来ないでしょ」
 あっけらかんとした口調だ。呆然としていると、衣擦れの音がした。沢村のバスローブがシーツの上に滑り落ちる。
 露出させられた胸元に沢村が体を預けてきた。皮膚と皮膚が触れ合う感触に悪寒が走る。触れ合う皮膚の質感は女のそれとは全く異なる物だった。御幸よりは細身とは言え、硬い肉のパツパツに詰まったアスリートの体だ。
「沢村、俺は男とは出来ない」
「大丈夫ですよ、俺たっぷり仕込まれましたから!」
 沢村が相合傘をしていた体格の良い男の姿が頭に浮かぶ。すれ違った側から記憶の彼方に吹っ飛んでいったその男の顔の中身が、クリスのそれにすげ変わっていた。
「……変なこと仕込まれる暇があったら、一日でも早くプロでも通用する球投げられるように練習しろ」
「そっちは御幸先輩が仕込んでつかぁさい。もちろん、練習もたっぷりしますけど」
 沢村は飄然として御幸の首筋にキスを落とした。触れるだけのそれの感触は確かに女の物と大差ないが、その他全てが違いすぎる。
 持ち上がった沢村の顔が間近に迫ってきて、今度は唇にされるのではないかと身構えたが、遠慮ない視線を向けられるだけで、距離を縮められる気配は感じられなかった。
「なんだよ」
「や、先輩の顔好きだなって」
 言葉とは裏腹に、眉間とキュッと閉じられた唇の下に皺を寄せている。
「変な顔すんな」
「カッコ良すぎてムカつく」
 唇を尖らせた沢村が離れていく。唇を重ねられなかったことに安堵していると、鼠径への圧迫感が消えた。沢村は御幸の体から降りて、足元にかしずく。
 爪の形を一枚一枚確認するように指先でなぞって、右足を持ち上げた。
 このまま沢村を、蹴り上げてホテルから出れば、ひとまずの貞操の心配はなくなるが、流石にそこまでする程の気力は残っていない。
「足の指舐めてもいーですか」
「いいわけねぇだろ。きたねーし」
「さっきシャワー浴びたでしょ」
 足の親指をグリグリと回されるのが心地いい。
「……どんくらい寝てた、俺」
「一時間くらい?」
 答えた沢村の髪は湿り気を帯びていた。
「髪乾かせよ。体調管理もプロの仕事」
「ここのドライヤー風圧弱くって。先輩も生乾きでしょ」
「フロントに電話かけたらマイナスイオン出るやつ持ってきてくれるんじゃね」
 俺は寝る、と寝返りをうって沢村から逃れようとするが、思いの外強い力で足首と指を握られていて上手くいかない。
「ちょっと舐めるだけ」
 沢村の唇の表皮が、殆ど爪先にくっついている。
「なんでそんなとこ舐めたいの?」
「フツーにコーフンするからじゃないスか。俺、先輩の体の形好きなんで」
「そんなこと言われたことねーよ」
「ええ! じゃあどこがイイって言われるんすか?」
 テクニックとか、とニヤつく横っ面を取り押さえられていない方の足で小突く。
「そんなの聞かねーよ」
 女々しいだろ、と付け足すと、沢村はフンと鼻を鳴らした。こちらを見上げる姿勢の男に、見下すような視線で刺されて御幸は少しムッとする。
「先輩はカッコつけすぎ! 可愛げないから彼女さんにフラれたんじゃないすか」
「お前もフラれたとこだろ……」
 思い当たる節がありすぎてそう返すので精一杯だった。沢村は意外なくらいにあっけらかんとしていて、「俺のは相手の性格が悪かったんすよ」と言う。
「俺みたいに若くて将来性バツグンの床上手があんなダメオトコといつまでも付き合ってるのは社会の損失だと思いやす」
「じゃあどういう男ならいいんだ」
 あ、女でもいいのか、と考える御幸の前で、沢村は首をひねる。
「そうすねーちょっと高望みするならクリス先輩ですかね」
「結局それかよ」
 クリス先輩、という言葉を発する瞬間に露骨に煌めく沢村の目を見るとなんだか無性に腹が立って、自分でも驚くくらいに拗ねた声が出た。
 沢村のことが好きなわけではないが、俺とセックスしたいって言ったくせになんなんだよ、という子供じみた感情が、「結局それかよ」を産んだのだ。
「クリス先輩を変な目で見んな」
 その身勝手な感情の流れを隠すために付け足すと、沢村は軽く眉を下げて首を横に振った。
「クリス先輩をやらしー目で見るなんてそんな恐れ多い。俺が今えっちな目で見てるのは御幸先輩だけですよ」
 沢村は気持ちがいいくらいにはっきりと断言した。
「先輩は顔と体がえっちなんです」
 ふすんと鼻息を漏らして言い切った後輩に呆れる。
「お前って俺のこと好きなの?」
 ここまで聞けば答えは分かりきっていたが一応尋ねてみると、
「セフレになりたいだけです」
 と即答された。喉から乾いた笑い声が漏れる。
「お前ってそういう付き合い出来る奴?」
「女の子相手だったら無理っスね」
 大切にしないとダメでしょーとマトモな男のようなことを言うしたり顔が憎たらしくて、今度こそ本気で足に纏わり付いてきている体を跳ね除けようかと思ったが、やめた。
 もうどうでもいい。自分に足りないのは沢村のようないい加減さなのかもしれないとすら思い始めていた。
 沢村に心変わりをした一人目の彼女のことも、カナエのことも、始めは軽い気持ちで付き合い始めたのにいつしか本気で好きになっていた。恐らくは相手がこちらに寄せる感情よりも強く。だから必要以上に傷付くし、引きずる。
 そのくせ感情や欲求を表に出すのが苦手で、好きな相手に対しても一線引いたような付き合い方をしてしまう。沢村に言われた通り可愛げがないのだ。
「……足、舐めたいんだろ? 舐めたら」
「どうしたんすか、急に」
「別に」
 沢村が相手なら、本気になって、のめり込んで、離れた時に傷付くような心配は必要ない。
 流石にセフレにしてやるつもりはないが、足を舐めさせてやるくらいなんてことはない。今日を越えたらもっと賢く恋愛をするのだ。
「抵抗しなくなったらやる気失せた?」
「まさか、そういう豹変大好きです」
 妖しげに口元を緩めた沢村は、御幸の爪先にキスをした。


「俺は……お前のことが嫌いだ。ずっと前から」
 沢村は、存外無表情に御幸を見上げた。厳密に言えば、この後に及んでまだ言うのか、と言った表情である。
「俺は御幸先輩のこと嫌いじゃありません。尊敬してやす。人としてはまあフツーだけど、体と顔は完璧だし、この後に及んでそんなつまんないこと言いだされると萎えるの通り越してコーフンします」
 先輩はえっちですよ、と言い切った沢村は、たじろぐ御幸のボクサーパンツをするりとずり下げた。半分形を持ち始めた御幸のモノが露出される。
「嫌いだ」
 自分に言い聞かせるようにして、もう一度呟く。
「嫌いでいいですよ。俺も好きじゃねーですから」
 薄明かりに照らされた沢村の瞳の中に、御幸自身が写り込んでいる。なんて情けない顔をしているのだろう。好きな女に一方的に別れを告げられて、食い下がる勇気もない臆病な男の顔。
 己が嫌っていたのは、沢村ではなく自分自身なのだとそのときようやく気がついた。
「じゃあ遠慮なく」
 沢村の唇が御幸の裏筋に触れた。そのまま咥え込まれてしまうのかと思ったが、幹全体に祝福を与えるかのように啄ばむようなキスを繰り返される。時たまスッと鼻息で撫でられて、背筋が泡立った。
 それを手助けするかのように、空調の音がヴンと鳴って、冷気が部屋に雪崩れ込んでくる。
「沢村、ちょっと寒い」
「すぐに暑くなりますよ」
「お前どこまで、」
「せんぱい、うるさい」
 見なくていいすから、と沢村はシーツの上に投げ出していたアイマスクを拾い上げる。それを御幸の視界を覆い隠すように装着させると、すっと離れていった。空調の音が静かになる。
 マットレスが沈み込む気配がした。待ち惚けをくらうペニスの根元に指をかけられる。軽く扱かれただけでも痺れるような快感が背中に走った。
「目が見えないと気持ちいいでしょ」
 男の声で我に返る。相手は男だと分かっていても、艶っぽいことにしばらく無縁だった体は否応なく反応してしまう。
「声聞こえたら萎えんだよ」
 精一杯の虚勢を張って言うと、「バキバキですけど」と鼻で笑われた。羞恥心から腰を引こうとしたが、腿に体重をかけられていて叶わない。
「入団してから、改めて男もイけるって目で先輩の体見たらエロいなって、入寮の日から目つけてました」
「お前……俺には欲情しないから心配すんなって」
「そう言っておかないと警戒されそうで、実際ピアスの日まではホントに何かする気はなかったし」
 不用意な行動を起こした二週間程前の自分を恨む。
 沢村は御幸の気持ちいいところに的確に圧を与えながらも、肝心なポイントは外して指をさばいている。根元から中腹にかけてばかりを執拗に責められて、もどかしさで腰が揺れた。
「先輩のカタチ、知りたかった」
 御幸の情欲を察知したかのように、沢村は敏感なくびれを指でなぞる。
「……っ、はあ?」
「首から肩にかけてのラインとか、腰回りとか、エロいから、アソコのカタチはどんなかなって」
 言いながら、沢村は片方の手で御幸の屹立の根元を掴んだ。竿自身がブレないようにしっかりと固定して、もう一方の手でずっと触れずにいた亀頭を包み込むようにする。
 女の物に比べると幾分も硬いその感触はボールを握り込むのに酷使した左手のものだろう。ぷっくり膨れた敏感な部位をこねくり回されて、快楽よりも僅かに痛みが勝る。
「カリ高くてここもすごくエロい……やっぱり御幸先輩、いい……」
 恍惚とした声色で、沢村は喋り続ける。何のためにアイマスクをしたのか、と思うほどの多弁さだが、御幸の体は既に自分の体を嬲るのが男であることを認識したことによって萎えるような段階を超えていた。
「沢村くーん……先輩ちょっと痛いんだけど」
「大丈夫ですよー最初は痛くてもすぐに慣れやす」
 先走りの漏れ始めた鈴口に手の平を擦り付けられる。クチュクチュと生々しい水音に鼓膜を襲われて、なるほど普段よりも耳がよく聞こえると妙に感心した。
 先走りが潤滑油に転じたからか、剥き出しの皮膚を嬲られる痛みはいくらか薄れてきた。代わりに腰の奥の痺れるような甘い快感が体を襲う。
「先輩の亀ちゃんパンパンになってますよ。気持ちいいんすか?」
「……別に」
「素直じゃないとこもいいっすね」
 弾んだ声で自分のモノを扱く男は本当に沢村栄純なのだろうか。御幸のよく知る後輩は、明るく、純粋で、こういった遊蕩さからはかけ離れていた。
 我慢汁に濡れてグズグズになった裏筋に指とは異なる感触が触れる。湿り気を帯びて先の尖ったそれは、沢村の舌先だろう。ちろちろと勿体ぶったような仕草で舐められる。その間も亀頭への刺激は続けられていて、御幸睾丸はきゅっと引き締まった。
「さーむら、咥えて」
「気持ちよくないのに?」
「咥えたらよくなる……あとお前喋りす、っ……」
 言い終えるよりも先に、カリをぱっくりと咥えられた。舌全体を淫靡に動かしながら、ゆっくりとストロークされる。想像以上に熱い口内に戸惑って、御幸は及び腰になった。その拍子にカリと竿の繋ぎ目を沢村の舌がグリグリとなぞる。
「……くっ」
「ひもひ……?」
「馬鹿、喋んな」
 亀頭の先端から竿の中間までをゆっくりと咥えこむのと同時に、沢村はもう片方の手で根元をしごき続けていた。時たま蟻の門渡りを爪の先で擽られて、それがたまらなく気持ちいい。
 沢村は御幸の限界を探っているようだった。口の中を窄めたり、舌を巻き込んだりしてペニスを追い詰める。じゅぼじゅぽと音を立てながら、沢村の唇の内側がカリ首をこそぐたび、アイマスクの下でキツく目を閉じて快楽をやり過ごすように努めた。
 瞼の下に、蕩けた目をした沢村の像が写り込む。濡れた唇から己の赤く充血した先端が見え隠れするのを想像すると、強い射精感がこみ上げてきて、足の親指が伸びた。イく……と奥歯を噛み締めた瞬間、沢村はパッと口を開く。イキどころを見失った御幸の屹立を、室内の冷たい空気が撫でた。
「イキたかったですか」
「沢村のくせにつまんねー駆け引きすんな」
 余裕のなさを気取られるのは屈辱だったが、唇から漏れ出た声には震えが混じっていた。
「一度イったら冷静になるでしょ。男相手にはもう勃たないと思いやす」
 勃たなくていいんだよ、という言葉を飲み込んで御幸は深呼吸をした。沢村は本気で御幸と最後までするつもりなのだ。
「お前そんなに俺とシたいの?」
「シたくなかったらわざわざこんなとこ連れ込みません!」
「騙された」
「先輩の方が力も強いし、本気で抵抗したら今からでもやめられると思いますよ」
「もういいよ……もう、」
 面倒臭い――と吐き出した瞬間、唇を奪われた。安っぽいミントの香りがする。ホテルに備え付けられたちんまりとしたチューブの歯磨き粉の匂いだ。不思議と不快感はなかった。舌が入り込んでくるかと思って身構えていたが、御幸の唇の表皮だけを撫でて沢村は離れていく。
 ピリリという音が空気を震わせた。コンドームの袋を破る音だろう。その次は衣擦れの音、沢村が唯一身につけていたパンツを床に落としたのだ。
「目が、見えなかったら……女の子とするのとそんなに変わりませんよ」
「お前男に挿れたことあるの?」
「ないですけど」
「ないなら分かんねーだろ、初めて男の尻に突っ込む俺の感覚なんて」
 沢村は何も言わなかった。御幸の先端に、馴染みのいい薄いゴムがのせられる。そのまま手を使って装着されると思っていたのに、ぬぷりと濡れた感触がカリ全体を包んだ。口を使ってコンドームを着けられているのだと気がついたとき、少々萎え始めていたモノが硬く張り詰めた。
「コーフンしました?」
 そのまま緩いストロークを何往復かして、口を離した沢村が笑みの混じった声で尋ねてくる。
 言葉を失って放心していると、沢村は再び御幸の体の上に跨った。立て膝になって、ゴム越しの御幸の先端をくにくにと弄んでいる。
「さっき風呂場で慣らしたんすけど、カリ太いからキツいかも……」
 言いながら、挿入を躊躇するように己の引き締まった穴に先端を擦り付ける。女性器とは異なり、装飾のないその穴の入り口の感触に、御幸は少したじろいだ。トロトロと濡れているように感じられているのは、ローションによるものだろうか。
「っ……う、ん……」
 半分苦悶しているような沢村の呻き声と共に、御幸のペニスは肉の中に埋められていく。中は想像以上にキツく締まっていて、一センチ二センチと入り込んでいくだけでもかなり苦しかった。
 何が女の子とするのと変わりませんよ、だ……全然違うじゃねーか。
 頭の中で悪態をつきながら、内腿に力を入れる。そうしないと全てを沢村に持っていかれてしまいそうだった。
「ふっ……」
 挿入するまでは馬鹿みたいに多弁だったくせに、自ら望んで杭を飲み込んでいく後輩は時たま苦しげな呼気を漏らすばかりだ。
「痛いのか」
 返事はない。しかしゆっくりと腰を下ろし続けていく。そこで悪戯心が芽生えて、ぐっと腰を築き上げると、「ヒァッ……」と甲高い声が上がった。痛くはないらしい。御幸のモノを根元までズッポリと咥えこんだ沢村の淫肉は、とぷとぷと蠢いている。内側から溢れ出た粘度の高いローションが、御幸の睾丸を濡らしていた。
「気持ちいいのか」
 意趣返しするみたいに尋ねてみても、返事はない。
 急に無口になるなよ、バカ村。
 腹が立って、奥まで挿入したきり身動ぎもしない沢村の尻に叩きつけるように腰を動かす。
「ぃ、やぁっ……」
 自分から受け入れたくせに、沢村は苦しげに喘いだ。声を上げるのを我慢しているかのような、「ん、ん……」という呻き声が御幸の鼓膜を震わせている。
「声、なんで我慢すんの?」
「んー……! んっ」
 自分の体の上に跨った沢村の腰が小刻みに跳ね上がるくらいに、何度も何度も肉棒を突き立てた。次第に左右の手を縫い止められていることがもどかしくなってきて、手錠を外すように促す。
 沢村は御幸の指示に従って、おずおずとした動きで戒めを解く。自由になった手は少し痺れていた。その痺れがおさまるまでの数秒だけ悩んで、御幸はアイマスクを外す。
「せんぱい、だめ……」
 視界が明らかになったとき、切なげな声を漏らした沢村の顔は涙で濡れていた。
「なんで泣いてんの?」
「らって、みうき先輩がきもちくするから……」
 舌ったらずに言われるとたまらなかった。沢村の、くっきりと浮き出た骨盤を自由になった両の手で掴んで、体を前後に揺らしてやる。グチュグチュになった内側の奥をゴリゴリと刺激された沢村は、面白いくらいに喘いだ。
「声、聞いて……顔みえたら、萎えるでしょ……っ」
「ここまできてそんなことで萎えるか」
 若さというのは恐ろしい。自分がナニを突き立てている相手が男だと視覚聴覚共にはっきりと認識しても、御幸のそれは硬度を保ったままだ。それどころか、顔中をぐしゃぐしゃにしながら懸命に下からの突き上げに耐える沢村の姿を見ると、もっと啼かしてやりたいとすら思う。
「せんぱい、せんぱいっ……」
 最早体を起こしておくことすら出来なくなった沢村が、御幸の身体にしな垂れかかってくる。首元に腕を絡められて、腹にガチガチになった沢村のペニスが擦り付けられても、御幸は腰の動きを止めなかった。
 中で自分のモノがどんな風に動いているのかは分からない。男が気持ち良くなるポイントも分からない。ただ自分が射精するためだけに、がむしゃらにナカを掻き回し続けていた。
 沢村の涙で鎖骨が濡れそぼっている。女のものとは異なる低い喘ぎ声と、グチュグチュとした水音が部屋中に響くのを、御幸は聞いた。
「さーむら、気持ちいい?」
 さっきは返答の得られなかった問いかけをもう一度してみる。腰を少し引いて、内部で見つけたシコリのような部分にカリ首を引っ掛けるようにすると、沢村は半狂乱になって叫んだ。
「イヤっ……い、や……きもち、から……やめて、つかぁさい……あっ!」
「抜いてもいいんだ?」
 引き締まった尻肉をパンとはたいてやりながら、耳元で囁くと、内側がキューっと窄んだ。
「らめっ――だけど、ぱんぱんされると……イキそう……っ、く……」
「イったらいいじゃん」
「ゴム着けてないか、ら……せんぱいの汚し、っアッ」
 気まずげに言われて、それは嫌だな、と思うのに、腰の動きは止まらない。沢村の言葉通りパンパンと激しい音を立てながら抜き差しを続けると、「うっ……」という声と共に沢村の身体がびくびくと震えた。
 腹肉を、粘り気のある液体が汚したが、御幸自身も限界を迎えつつある。ピストンを一旦中断して、身体を起こすと、今度は反対に沢村を見下ろした。
 男のわりには滑らかな沢村の内腿を、爪を立てんばかりの力で掴んで、足を開かせる。柔軟性に富んだ身体は白い膝裏に汗の粒が光っていた。
 そのまま律動を再開すると、ペニスの突き立てられた菊門から中で掻き混ぜられて白い泡となったローションが漏れ出る。
「せんぱい、俺のこと嫌いなんですか」
 射精していくらかマトモに話せるようになった沢村が御幸を見上げていた。
「……っ、嫌いだよ」
 半ば意地を張るかのように答えると、沢村は何故だか、「ふっ」と口角を上げた。余裕ぶった態度が憎たらしくて、ぷっくりと充血した乳首を爪で弾いてやると、沢村は潰れたような声で喘いだ。
「カラダだけは嫌いじゃない……っ、」
 乳首を嬲ったせいだろうか、入り口をキツく窄められて、腰の奥から何かがこみ上げてきた。快楽だけを追い求めるように、沢村の奥をゴツゴツと叩き続けると、その瞬間は不意に訪れた。
 迸る精の奔流に頭が真っ白になったが、コンドームの内側に最後の一滴を注ぎ切るまで腰を進め続ける。沢村のナカもびくびくと痙攣していた。

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