3-1



 野球を辞めて精神的に落ち込んでる時期だったからとか、自分は一生ドーテーなのかと思ったらゾッとしたとか、ブラウスの下で透けている下着がピンク色だったとか、理由を挙げ連ねたらキリがないけど、どれも恋人以外と寝る正当な理由としてはちょっと弱いってことくらいは馬鹿な俺にも分かってた。
 御幸先輩に飯を食わせてもらってるおかげで浮いた親からの仕送りを財布に忍ばせて入ったラブホテル。ゼミでは清楚系で通ってる同級生が、俺の下で組み敷かれて、絶え間なく喘ぎ声を漏らしている。
 あ、ちょっと気分いいかも……俺を抱いてる時、先輩もこんな気分なのか。
 ハタチも過ぎて童貞だった俺を、飲み会からの流れで自然にホテルに誘った彼女はたぶん処女じゃない。血が出なかったどころか、俺が胸を舌で弄んだり、耳を舐め回したりしたせいで、入り口はヌルヌルに濡れていて、すんなりとちんこの進入を許した。
 俺が御幸先輩と初めてエッチをしたときはかなり大変だった。信じられないくらい痛かった。自然に濡れる器官を持っている女の子はいいなーと思う。その分危険もたくさんあるのかもしれねぇけど。
「エッチするの好きなの?」
 俺が腰を揺さぶるたびに、彼女があんまり気持ち良さそうにするから、思わずそんな言葉が漏れ出た。彼女のナカで、ヌルヌルがますます溢れ出る。そんなこと聞くなんて、沢村くんのイジワル……と、嬉しいのか恥ずかしいのか分からないような顔をして、彼女は腰をくねらせた。
「え、こういうの聞かれたら嬉しいの?」
 今度も素直に飛び出した俺の言葉。腰の動きは止めない。彼女はますます嬉しそうに、「恥ずかしい」と、目元も濡らす。そんな反応を可愛いと思った。
 そういえば御幸先輩も、セックスの最中こういうことをよく言う。俺が恥ずかしがって喚くと、ニヤニヤしながら突き上げを強くする。確かにこういう反応を見るのは面白いな、と思うと同時に、御幸先輩に挿れられてる時のことを思い出すと足の爪先から電流がビリビリ走った。あ、ヤバい。こんなときなのに、早く先輩とエッチしたい。
 アナルが疼き出すのを誤魔化すように腰を打ち付けると、「さっきよりも固い……」と、彼女は喘ぐ。女の子を抱きながら、男に掘られることを考えて興奮するなんて、ヘンタイみたいだ。
「ごめん」
 微妙に集中出来ないことを詫びると、彼女は訳が分からないって感じに眉を寄せたけど、限界の近い俺が突き上げを激しくすると、余裕なく大声をあげた。ちんこを包み込む壁が、びくびくと痙攣し始めたのを合図に、射精する。御幸先輩の手でイかされるのとは違う、絞り出されるような感覚に、驚いた。確かにこれは気持ちいい。大学の同級生達が競い合うように合コンで女の子を持ち帰りたがる理由が分かる気がする。
「はー……」
 ちんこがズルズルと抜けるのと同時に、彼女は深く息を吐いた。ホテルに入った瞬間に冷蔵庫から取り出したタダの水で喉を潤してから、おもむろに、サイドテーブルに置いた小さな鞄に手を伸ばして、ハイライトとライターを取り出す。
「煙草吸うんだ、意外」
 箱から二枚取り出したティッシュで、彼女の股をさっと拭き取る。そのあと萎えたちんこからコンドームを引き抜いてゴミ箱に捨てた。
「煙草吸う女って嫌い?」
 ハイライトに火をつけて、咥えながら、彼女は首を傾げた。うつ伏せの体勢になると、大きな胸がむぎゅーっと潰れるところが見られて、少し得した気分になる。
 自分のについた精液の残りも綺麗に拭き取って、彼女の隣にごろりと寝転んだ。
「全然嫌いじゃない。俺は吸わないけど、そんなことで好き嫌い言ってたらキリねーし」
「本当? 私煙草吸ってるって知られたらいつも引かれるんだよね」
 今時珍しい黒髪を肩の下まで伸ばした線の細い彼女は、派手ではないのに整った顔つきもあって、清純派で通っていてかなりモテる。着痩せするタイプで、服を脱いだらケッコー胸が大きいんだ! と水着姿のストーリーを見て騒いでたのは、誰だったか。そういう印象に惹かれる男は、煙草を吸う姿に幻滅するのかもしれない。
「ホント。だって煙草吸ってるとこも可愛いし」
「……沢村くんってなんかイメージと違う」
 紫の煙を吐きながら、彼女は俺の眉を撫でた。少し煙たいけど、不快には感じない。飲み会なんかで男に煙を吐かれると、かなりヤナ感じがするのに。
「え、俺ってどんなイメージ?」
「うーん……バカ系というか、可愛い系というか、あんまり女の子に慣れてない感じかな」
「バカって……女子に慣れてないのは本当だけど」
「えーウソウソ! かなりジゴロ系じゃん」
 意外に古い言葉使うなー……ジゴロって女遊び激しいみたいな意味か?
「……俺、今日まで童貞だったんだけど」
 わりと恥ずかしい告白をした俺が、枕に顔を伏せると、隣の彼女が噴き出した。ブフっと、かなり勢い良く。
「その冗談面白くないよーセンスない」
 恐る恐る顔を上げると、言葉とは裏腹に、彼女は未だに目尻を下げて笑いをこらえている。
「いやホント! 筆下ろしあざっす」
 手を合わせて言うと、堪えきれずに白い歯を見せた。
「信じられない。だって今日のエッチすっごい良かったもん」
「マジで? お上手?」
「うんうんかなりお上手だったよ沢村君。なんか適度にサドっぽくてドキドキしちゃった」
 最初に彼女に挿れたときは秒でイったわー、俺なんか入れる穴が分からなくて彼女にキレられた! みたいなノリの初体験の失敗トークを友達が繰り広げてるのを、俺は何日か椅子に座れなかったなぁ……と遠い目をして聞き流してた俺が、まさかエッチ上手の称号を賜るとは。
「ありがとう……!」
 吸い終えた煙草を灰皿に置くのを見計らって、ガシッと両手で彼女の肩を掴む。
「え……うん、こちらこそ」
 少し、いやかなり引いた様子の彼女が苦笑いしている後ろで時計の表示が切り替わる。時刻は朝の四時だ。
「ごめん……俺、帰らないと」
「一限あるの?」
「いや、ちょっと人と約束が」
 今日はオフだっていう御幸先輩が、昼前にはうちに来ると言っていた。一コマだけ取ってる授業は、代返を頼んでいる。
「彼女でしょ」
「そんなんじゃねーって」
 ニヤリと口角を上げる彼女。俺の頬にキスをして、「気を遣わなくてもいーのに」と、呟く。寝返りを打った拍子に、黒くて艶々した髪の毛がシーツに散らばるのが綺麗だった。
「付き合ってほしいとか言わないから、これからもたまにシよ」
 男にとっては夢のような、都合の良すぎる提案をした彼女は、あっけらかんと笑っている。ここでようやく御幸先輩への罪悪感が芽生えて来て、そんな不義理を通してもいいのか、と俺は自問自答した。
 それでも彼女の細い体をかき抱いたときの暗い快感を思い返すと、もう会えないと言うことはどうしても出来なかった。
「――じゃあ、また」


「さーむら、お前太った?」
「えっ……」
 童貞を卒業して半日足らず、内心有頂天に調子に乗った俺をうつ伏せに抑え込んで、御幸先輩は目を細めた。
 高校を卒業してからの俺の城、広さ八畳のワンルーム。駅近と引き換えに得たロフトの万年床で、俺達は文字通り乳繰り合っていた。昼の一時過ぎ、女の子の中で暴れることも出来ることをしっかり確認したばかりの俺の半身を、御幸先輩はおざなりにシゴいている。
 朝履き替えたばかりのトランクスはかろうじて足首に引っかかってるだけで、だらしなく晒された内腿を、御幸先輩は空いた手で摘んでいた。天井が低いから、あまり激しい動きは出来ない。
「体重はそんなに変わんねーけど」
 筋肉が落ちただけだ。そんなことは御幸先輩だって分かってると思う。
「食わせ過ぎかな」
 ズレた眼鏡をいっそ外して、御幸先輩は笑う。
 監督のゴタゴタがあって、野球を辞めてからもう半年が過ぎた。今はようやくオフシーズンに入って、暇が出来たけど、シーズン中の忙しい時でも、御幸先輩は頻繁にうちを訪れていた。料理をしてくれたり、一緒に映画を見たり、だけどやっぱり一番はセックスで、野球の話には絶対に触れない。気を遣われてるのが分かるから、近頃の俺は、御幸先輩と一緒にいるのが少し辛かった。
 プロになる道が閉ざされたから、今まではいい加減にこなしてた勉強にも力が入るし、断りがちだったコンパにもよく参加するようになってきた。そうやって会わない理由を必死に作る俺を、先輩はどう思ってるんだろう。
 野球を辞めたことには関係なく、俺達は元々腹を割って話をしたことがなかった。付き合い始める前は、俺の投げたボールを御幸先輩が捕ることで、なんとなく心が通じ合っていた気がするけど、俺が大学に入って、セックスを覚えてからは、そればっか。誘いをかけるのは、六、四の割合で俺が多い。セックスをすれば、つまんない話をしなくてもいいから楽だ。
「こら」
「イテっ」
 前戯の最中なのにぼんやりと考えごとをしていた俺のデコを、先輩が叩く。
「集中しろよ、失礼な奴だな」
「すいません……」
 殊勝に謝りながらも、俺のアソコはガマン汁でヌルヌルになっていた。頭の中では考えごとをしていても、こっちは十二分に臨戦態勢だ。
「昨日の酒が抜けてないから無理って言ってたくせに」
「それは!」
 他の子とエッチしたのに多少の罪悪感が……とは流石に言えない。
 御幸先輩の大きな手の平で竿をシゴかれると、何もかもがどうでも良くなる。
「……ちょっと、気乗りしなくて」
「こんなになってるのに?」
 甘くて低い声は、嫌ってほどに聞き慣れてるのに、俺の体の奥のキモチイイとこを刺激する。セックスは、体以上に心でするものだと思う。愛のあるセックスは気持ちいいとかそういうのじゃなくて、同じように体を触られても、気分が乗ってないときは全然気持ち良くない。
 今日の俺は、気乗りしないっていう言葉とは真逆で、すごく乗ってる感じがする。筆下ろしを済ませた喜びと、浮気したことへの罪悪感がない交ぜになって、いつもより何倍も御幸の声とか仕草が響く。
「まだイくなよ」
 パンパンに張り詰めた俺のちんこの根元を、左手でぎゅっと掴んで、御幸先輩は右の手のひらを俺の尻に這わせた。触れるか触れないか分からないくらいのフェザータッチで肌の表面を撫で回す。
 その間、俺のを掴んだ左手は微動だにしないから、もどかしくてたまらなくて、俺は御幸の手にこすりつけるように腰を揺らす。
「恥ずかしい奴、そんなにイきてーの」
「ッ……ぅ、う……」
 浅ましい俺の体を、御幸先輩は心の底から馬鹿にしてるみたいだった。手をついて尻を高く上げるような姿勢で、床を見つめていても、先輩が冷めた目で俺を見下ろしてるのは分かる。
「さーむら」
 肌を撫で回すだけだった右手で、ぴたぴたと俺の尻をはたきながら、御幸先輩は俺の名前を呼んだ。肩に歯を立てられて、「ヒッ……」と喉から潰れたような声が漏れる。
「ちんこ、シゴいて……」
「だーめ」
 恥ずかしいのを堪えながらオネダリしたのに、御幸先輩の左手は身動ぎもしない。こういう無駄な意地悪が、セックスの快感をどうしようもなく高めることに俺は気がついていた。ゼミのあの子とするときも、先輩が俺を抱くときのことをなぞっていたから、良かったよと褒められたんじゃないかと思う。
「みう、き……ァ、ぁあっ……」
 考えを脱線させていた俺の尻の穴に、御幸先輩の太い指がねじ込まれる。内側を伸ばすように指を回されて、異物感がした。いつの間にかトランクスを脱いでいた御幸先輩の固いのが腿の裏に当たっている。
 気持ちいいのか、気持ち悪いのか、よく分からない。だけど御幸一也が俺なんかの体を触って興奮してるって事実がやらしくて、身体が熱くなる。
 骨ばった俺の背中に、御幸先輩の厚い筋肉に覆われた体が押し付けられていた。熱い耳朶を舌で舐めあげられて、ただてさえ狭い穴の中がきゅっと締まる。ヌチュヌチュと恥ずかしくなるような音が響いてるのは、先輩が指に含ませたローションのせいか。
「気持ちいい?」
「……ヒッ、あ……わかん、なァ――ぁア゛!」
 イヤイヤと首を振りながら答えた瞬間、御幸先輩の指先が中のシコリを掠めた。目の前が真っ白になって、未だ先輩に掴まれたままのちんこがビクビクと震える。膝の皿がずるりと、シーツをこすりながら滑って腹ごと布団に投げ出される。
「ここ、好きなんだ」
「ャ、あっ……アッ……ダメ、せんぱ、」
 分かりきったことを言いながら、御幸先輩は俺のナカのたった一つの性感帯をグリグリと刺激する。息を吸うのが難しくなるくらいに気持ちが良くて、少し怖い。
 先輩の固くて熱いのが、俺の足をヌルヌルと汚していた。早く挿れたいはずなのに、御幸は俺を弄ぶのが何よりも楽しいらしくて、いつもなかなか挿入してくれない。
「ん、も……ぅ、ダメ――ダメだから……!」
「やめてほしいの?」
 耳元で囁かれるのと同時に、ナカで暴れまくってた指が引き抜かれて、ほっと息をついた。少しだけ休んで、もう御幸先輩のを挿れてほしい。
 布団に放り出した手に力を込めて、体を捻りながら顔だけ後ろを振り返ると、俺を見つめる先輩と視線がかち合った。オフシーズンだからか、少し伸びた前髪が、荒い呼吸を繰り返すたびに揺れている。
 ……ムカつく。やっぱりカッコいいし。普通は下から見たらもっとブサイクになるもんだろ。時々顔を合わせる倉持先輩が、御幸先輩の話題になると、あいつは本当にイヤミな奴だ! と憤っている理由がよく分かる。
「なに」
 なんとなく悔しい気分で御幸先輩の顔を見上げる俺の唇に、触れるだけのキスが降ってきた。
「お前、物欲しそうな顔してたぞ」
「……前髪、伸びすぎ」
 顔がかっこいいから見惚れてましたとは流石に言えず、俺はもう一度顔を布団に向けて、御幸先輩の目から逃れた。そんな心を知ってか知らずか、俺の腰を掴んだ御幸先輩は軽々と体を反転させる。今度は背中を布団に預けた姿勢で先輩を見つめることになる、もう一度顔を背けたら、それこそ見惚れてたことが知られてしまいそうな気がした。
「さわむら、本当にお前って、」
 太く整った眉毛を歪めながら、御幸先輩は俺を見下ろして笑っていた。腰にあてがわれてた右手が、俺の尻の方に伸びていく。
「へ? え、アっ……ちょっと……アァッ――」
 間を空けずに、俺の体の内側を激しい異物感が襲う。苦しさに身を捩りながら、必死に目を開けて御幸先輩の手元を見ると、親指と小指だけが俺の尻の傍で踊っていた。
「くる、し……せんぱい……ぁ、やめっ……イ゛――」
 指一本入れるのでもやっとだった場所に、三本の指がねじ込まれていたのだ。内臓を押し潰されるような感触に襲われて、俺は布団を引っ掻きながら潰れた呻き声を漏らし続ける。
「目、閉じるなよ」
 低い声で命令されると逆らえなくて、瞼をひくつかせながら開き切った目のふちから涙がぼろぼろと溢れ出た。俺のナカの一番気持ちいいところをグリグリと刺激する御幸先輩の姿が滲んで見える。
「ぁ、アアッ……らめ、せんぱっ、」
 いきなり三本なんて絶対に無理だって思ってたのに、浅ましい俺の体はあっという間に御幸先輩の太くて骨張った指に馴染んでしまっていた。ずちゅん、と音を立てながら指がナカで蠢くたびに、この前ドンキで買ったローションの無駄に甘い匂いが立ち込める。
「ぅ、う……けつまんこ、ばかになる――」
 俺の唇の端からこぼれた涎を舐めとって、御幸先輩は、「ふ」と、笑った。俺のナカで暴れまわっていた指を引き抜いて、バチン――別れの挨拶をするみたいに尻肉を叩く。
「ばーか。もうなってるだろ」
 ヒートテックを脱ぎ捨てて、半裸になった先輩がざらついた声で言った。十一月の冷たい空気を誤魔化すためにつけた古いエアコンが鈍い作動音を響かせていた。
「……アンタがっ、御幸先輩が俺をこんなにしたんでしょーが!」
 女の子を抱くために作られた俺の体を、自分専用に作り替えたのは御幸先輩だ。好きだって告白されて、付き合うって返事をしたときは、まさか自分の尻の穴に指だのちんこだのが入っちゃうとは夢にも思わなかった。
 一度女の子としたら、御幸先輩とのセックスなんて大したことないって思うようになるかと思ったのに――むしろ逆で、俺はやっぱりいたぶられるみたいなセックスが好きなんだって再確認させられた……。
「……どうして、」
 一度収まっていた涙が溢れでてきた。大人になった俺の涙腺は、昔に比べると多少は締まり屋になっていて、野球を辞めるって決めた時にも一粒も零れ出たりはしなかったのに、御幸先輩とセックスをすると必ず泣かされている気がする。
「お前がそうなりたがったんだよ、沢村。それでも不満があるなら、責任とるし」
「責任ってなんなんすか! 俺の肛門科の受診料一生払ってくれるんですか!」
 訳のわからない噛みつき方をした俺の体を抱き寄せて、御幸先輩は頭をワシャワシャと撫でた。その手俺のちんこか尻の穴触った手だろ……と思いながらも、心地のいい感覚に身を任せる。
「一緒に暮らそ。お前が大学卒業したら、俺も寮から出るよ……クイーンサイズのベッド買って、毎日一緒に寝て、いつでも抱いてやる」
「はあ? いつでも抱いてやるって……そんな口説き方ってないでしょ」
 軽口を叩きながらも、御幸先輩の腕に抱かれた体は震えていた。
 だって、なんかこれ、プロポーズみたいじゃね? 男が男に言う台詞……いや、今更男同士とかそんなこと考えるのもおかしいけど。
「他のことでもいいって、お前のためなら何でもするよ。車買って休みのたびにドライブするとか、疲れた時にはマッサージするとか、食い物も好きなのなんでも作ってやりたいし」
「今でも……何でも作ってくれるじゃないすか」
 一番求めていることが選択肢から外れていることには目を瞑って、茶化すように言う。
「作ったことないやつでも、お前が作れって言ったら作る」
「じゃあ……茶碗蒸し」
「食いたいんだ?」
「今夜にでも」
「それは一緒に暮らし出してからにとっとこうぜ。蒸し器もいるなー」
 さっきまで俺の体を無茶苦茶に蹂躙してたくせに、御幸先輩はびっくりするくらい優しい声で俺を慰める。頭を撫でる手が揺れるたびに、形の良い肩の筋肉が滑らかに動いた。
「わは、わーっはっは、御幸一也敗れたり……!」
「ケツ穴とちんこほっぽり出してなに言ってんの、お前」
 俺の下手くそな照れ隠しを御幸先輩は軽く一蹴した。
「う……この世の中には惚れたもん負けって言葉があるんですよ!」
「知ってるよ。最初から、俺の負け」
 あまりにもあっさりと頷いて、御幸先輩は俺の肩を掴んだ。ゆっくりと体が引き離されていって、お互いの顔がはっきりと見える位置で留められる。
 あ、真剣な時の眉毛だ。目つきもキリッとしてる。
「で、どーすんの?」
「どうするとは……?」
「……俺と一緒に暮らせるかって」
 御幸先輩は完璧だ。イケメンで、料理上手で、高身長で、プロ野球選手で――そんな人が、縋るような目で俺を見つめていた。
 どうしてこの人は、俺のことになるとこんなに自信がない顔をすんのかなって考えたけど、たぶんそれは俺が御幸先輩に一度も好きだって伝えたことがないからだ。
 高校二年生の時から数えて、もう四年の付き合いになるけど、俺は一度も御幸先輩に好きだって言ったことがないし、この先も言うつもりがない。御幸一也は完璧過ぎるから、俺からの好意を伝えてしまうと、今の平等な関係が崩れてしまいそうな気がした。
「しゃーないっすね」
 たっぷりと焦らして、俺は首を縦に振る。御幸のはっきりとした二重瞼に縁取られた目が大きく見開かれていく。
「……っ」
 今度は逆に、俺の肩を掴む御幸先輩の手が震えていた。大袈裟じゃなく、本当にプロポーズをするくらい覚悟で言った言葉だったのかもしれない。
 太い腕が、もう一度俺を抱きすくめた。セックスとは関係ないやりとりをたくさんしたから、萎えているかと思った先輩のアレは思いがけず元気で、俺の腹の表面で存在感を示していた。
「続き……」
「さーむら、跨って」
 俺がボソッとこぼすと、セックスの時特有の、ギラついた目に戻った御幸先輩は仰向けになりながら言った。騎乗位は苦手だ。体の奥が押しつぶされそうな気がして、気分が悪くなる――それでも。
「早く。どうせ欲しいんだろ」
「……分かりやした」
 やっぱり俺はこの人の言葉には逆らえない。


「……先輩! 集中してください!」
 俺の体の上に素っ裸で跨った由里子が、腰をグラインドさせる。搾り取るような動きに、思わず「うっ」と、声を漏らすと、由里子は満足したみたいに目を細める。
 どうしていつまでも御幸のことが忘れられないんだろう。一緒に暮らそ、と言われた日のことをこの数日間で何度も反復しているせいで色んなことに身が入らない。
 ぼんやりとした俺の上で、由里子は懸命に腰を振っている。自分が騎乗位をさせられるのは嫌いだったけど、女の子にしてもらうのは大好きで、今更ながらにいいもんですね……先輩なんて思う。
 御幸が実家に帰って一週間が過ぎた。別れることが決まってからも、仕事終わりの足は自然にあの家に向かっていたのに、この数日の俺は荷物を取りに帰る以外はほとんど由里子の家で過ごしている。
 一緒に暮らし始めてからの五年間で、俺の心もかなり大人びたというか、冷めていって、感傷みたいなのとは縁が薄くなったと思っていた。別れようって言われたときは、多少は傷ついたし、別れてしばらくは顔を合わせるのが気まずくて無理やり仕事を作って残業したり、会社の人間と飲みに行ったりしてたけど、しばらくしたらそういう気まずさもなりを潜めて普段通りに過ごすようになってたし。
 それなのに、いざ御幸の方が出て行って、ずっと二人で暮らしてた家に一人きりになると、意外なくらいにこたえた。
「せんぱい、せんぱい」
 舌足らずな由里子の声が、しみったれた俺の心に降り注ぐ。きちんと好きなはずなのに、親にも会わせるって約束したのに、思い出の中の御幸一也は消えてくれない。世界で一番俺に優しくて、意地悪だった人。
 尻を打たれながら、御幸の上で腰を振った日のことを思い出しながら、俺は由里子の中に精を放った。

「なんか最近上の空」
 萎えた俺のペニスからコンドームを抜き去って、精液の残滓を舐めながら、由里子は上目使いに言った。
「そんなことねーって」
「彼女さんが出て行って寂しいんじゃないですか」
「彼女じゃねーって、別れたよ」
「はいはい。私だって、先月先輩が彼女さんにフラれたって聞いたときは、やった! これで私だけのものだ! って一瞬はしゃぎましたよ。だけど新しい家決まるまでうちに来ますかって聞いても全然同棲解消しないし、かと思ったら彼女さんが出て行っちゃったらいきなり入り浸るし……あー何で私こんな駄目な人好きになっちゃったのかなって……しかもエッチまでテキトー! イイトコ無しじゃないですか!」
 これだけ明け透けに言う割に、由里子はいつも俺に優しい。御幸ほど上手くはないけど料理を作ってくれるし、ベッドの上でもサービス精神満点だ。御幸に甘やかされていたせいで生活力がやや薄い俺には、返せるものがない。それこそセックスのときに頑張るしかないのに、最近はそれも上手くいかなくて、情けなかった。
 体を重ねる度に抱かれる側になって良かったと思ってしまうくらい、御幸とのセックスは良かった。だから俺は女の子とするとき、ついつい御幸のイイとこをなぞってしまう。
 唾液を飲ませたり、軽くお尻を叩いてみたり。女の子は基本的にちょっとマゾっ気がある子が多いから、ソフトな意地悪はわりと悦ばれる。それでも御幸がするほどは上手くハマってない気がして、セックスの後は少し自己嫌悪してしまう。
「俺とのえっちって、気持ちいい?」
 パジャマに袖を通す由里子を背中から抱きしめて、情けない質問をする。本当は出した後だって、シーツに包まれた滑らかな素肌をまさぐっていたいけど、由里子は裸で眠るのは気持ち悪いみたいだ。
「えーなんですか、そのビミョーに鬱陶しい質問」
 言葉とは裏腹に、由里子の口角は上がっている。口を閉じたまま笑うのは、左の犬歯がほんのちょっとだけ八重歯のようになっているのを気にしているかららしい。俺はそういうところも可愛いと思う。
「最近はちょっとやる気ない感じですけど、初めてしたときはビックリしちゃったくらい良かったですよ。普段の沢村先輩からは想像つかない感じで」
「……それ、初めてシた子にも言われた。ジゴロっぽいって」
「え、ジゴロってなに?」
 由里子は体に回されていた俺の腕から逃れると、枕の下にしまいこんでいたスマホを取り出した。絹糸のようにばらける黒髪を耳にかけながら、画面を覗き込む。ジゴロの意味を調べているらしい。しばらく画面を凝視して、「先輩にぴったりだ!」と、声を高くする。
「女から巧みに援助を受ける男って意味らしいですよ」
「それってヒモじゃねーか! 俺のことヒモだと思ってんの」
「グレーですね。この先先輩が私と離れて、お金持ちの女の人のヒモをしてても私は驚きません。だって先輩人タラシなんですもん」
 案外痛いところを突かれて、言葉に詰まった。ヒモとまでは言わないにしても、家賃や食費については御幸の財布から出る割合がかなり大きかったのは間違いない。
 このままじゃマトモな人間として三十路を迎えらんねーかも……。
「だから私、先輩には私みたいな年下の女の子が合ってると思いますよ」
「今の話と年齢に何の関係が」
「大アリです。先輩はたらしだけどロクデナシじゃないから、流石に年下の女の子が相手だったらご飯とかホテル代は奢ってくれるでしょ」
「女の子が相手なら当然だろ」
「女の子じゃなくて女の人だったら?」
「どっちも一緒じゃね?」
「一緒じゃありません」
 用の終わったスマホをシーツの上に放って、由里子は枕に頭を預ける。投げやりな目で俺を見上げながら、更に続ける。
「先輩の彼女さん年上だったんでしょ」
「なんで」
 由里子と二人でいるときに御幸の話をしたことはほとんどない。いくら恋人がいることを分かった上での付き合いだとしても、不誠実な気がしていたし、案外勘の鋭い由里子のことだから、あまり語りすぎると相手が男だって知られてしまいそうな気がしていた。
「こういう関係になったころ、先輩彼女さんのことあの人って言ってたから。同い年とか年下の女の子が相手ならそういう言い方はしないかなって」
「めっちゃくちゃ鋭いな……女の子って感じするわ」
「あと先輩が住んでた家も知ってますよ。店長が沢村くんいいとこ住んでるのよねーって教えてくれました」
「守秘義務!」
「あそこどう考えてもうちの会社の給料じゃ住めませんよね。彼女さんが家賃出してくれてたんじゃないですか」
 追及するのとも少し違う、純粋に興味があるというような口調だった。俺はベッドの端で体を縮こませる。年上の彼氏としての威信は守れそうにもない。
「三割くらいは出してたって」
「うわ、ダメ男」
 だって相手男だし、年上だし、先輩だし、高給取りだったし……そんなこと、言えるはずもないから俺は大人しくダメ男のレッテルを受け止める。
「すんません……」
「私に謝られても……でもむしろ安心しました。やっぱり先輩には、私がいないと駄目だなって思えたんで。先輩には、年上でお金あって美人で料理上手で甘やかし上手みたいな人は合わないと思います。ますますダメダメになっちゃうから」
「そうなのか?」
「そうですよ。私が先輩をマトモにします。先輩が……今はまだ私よりも彼女さんのこと好きでも大丈夫です。いつか私じゃないとって言ってくれるまで頑張りますから」
 決意を込めたようにガッツポーズをしてから、由里子は寝返りを打って俺の体にしがみついてくる。細い体が、何かを決意したみたいに震えていた。
 そんなに頑張らなくても、由里子が一番だ――そう言ってやりたかったのに、上手く舌が回らない。
「……先輩、私のこと好きですか。ちょっとでも好きでいてくれてますか、今はまだ一番じゃなくてもいいから教えてください」
「……」
 三秒くらいの沈黙の後、俺の唇はこの一年の間一度も口にすることのなかった二文字の言葉を紡ぎ出した。
「……遅すぎます」
 安堵の溜息を漏らした由里子は俺から離れて布団を被る。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきた。


「カンパーイ」
 明るく朗らかな春っちの声を合図に、ジョッキがぶつかり合う。さっき注文したばかりの串はまだ一本も届いていなくて、俺達は突き出しのキャベツをあてにビアジョッキを煽った。
「はーうんめー! クリスマスに男同士で飲むビールはうめーなあ!」
 ジョッキの中身を半分くらい一気に喉に通して、半ばヤケクソ気味に叫んだのは金丸だ。
「いや本当に、何が悲しくて俺達クリスマスに男だけで顔突き合わせて忘年会なんてしてるんだろう……」
 スマホの画面を眺めながら呟く東条の顔は暗い。
「東条、お前はいいだろ。今日を潰しても明日には一日中彼女といられるんだから」
 十二月の二十四日、世間ではクリスマスイブと呼ばれる日に同学年の忘年会をやろうと提案してきたのは、金丸だ。なんでも最近彼女にフラれたばかりらしい。今日の会が焼き鳥屋で開催になったのも、金丸がカップルが多い店は嫌だと言ったからだ。
 青道同期のグループラインで、二週間前に参加者を募って、うまく予定が噛み合って今日集まったのが十人強、東条は彼女と約束があるといって一度は断ったのを、金丸に無理矢理連れて来られたらしい。
「降谷君が来られなかったのは残念だけど」
 タレのかかったキャベツを、春っちは兎みたいにサクサクと食む。
「忙しいんだろ、あいつは」
「最近テレビとかにも出てるよね」
 卓上のビールをさっさと平らげた二人は、肩を寄せ合ってドリンクメニューを眺めている。
「二人は、今でもよく会ってるのか」
「まーわりとね。この前も信二が彼女にフラれた! って夜中に電話してきて飲みにいったよ」
「俺は、クリスマスプレゼントの指輪選びに行った次の日にフラれたんだぞ」
「はいはい。それで結局、二杯目もビールでいいの?」
 ん、と金丸が頷くのを認めて、東条は手を上げて店員を呼んだ。男同士にしては距離が近いけど、二人は昔から仲が良かったから、同性愛とかそういう怪しい関係を思わせるほどじゃない。御幸や俺とは違う。
 時々召集されていた青道のOB会でも、俺達は適度に距離を置いていた。同じ家から出発しても、店に入るタイミングをずらしていたし、基本的には隣同士で座ることもなかった。だからと言って、全く会話をしないのも不自然だから、同棲してるくせに周りの目を気にして、近況報告をし合ったり。男同士で付き合ってることが恥ずかしかったわけじゃなくて、むしろ周りには内緒で付き合ってることが少し面白かった。……御幸がどう思っていたかは知らねーけど。
「栄純くんは、最近どうなの?」
 キャベツに飽いたのか、お代わりのビールと一緒にやってきた長芋スライスを箸でつつきながら、春っちが首を傾げる。
「地味な資格二個取ったくらいだなー測量士補と、FP3級と。それでちょっと給料上がったりしたけど、費用対効果はビミョー! 残業する方が手っ取り早く稼げるし」
 細い長芋の一片を口に含んだ春っちが、眉を歪めた。皿の隅に盛られていた山葵をつけすぎたみたいだ。
「仕事のことばっかりだね……」
「そうだ沢村! オンナの話をしろ」
 呆れたような春っちに続いて、まだ大して飲んでもないくせに金丸が絡んでくる。フラれたばっかなら、わざわざ傷を抉るような話を人に振らなかったらいいのに。
「あ、でも俺も気になるな。沢村の彼女の話って聞いたことないし」
「東条までそんなことを……」
 ちょこちょこと女の子を摘み食いしてはいたけど、ちゃんとした形で付き合った相手は御幸と由里子だけだから、今までそういう話をしてこなかったのは仕方ない。エッチする女の子はいるけど〜とか言っちゃうのには抵抗があったし、何より他の人間を経由して御幸に話が届く可能性もあった。
「今度彼女を実家に連れていこうかと……」
 頭をぽりぽり掻きながら吐き出すと、春っちは表情を明るくする。金丸は自分から話を振ったくせに「な、なにをー……」と、頭をふった。
「それって結婚も考えてるってこと?」
 彼女持ちの余裕なのか、東条はわりと冷静だ。
「そこまでは考えてねーけど、一応」
 結婚なんて、今は全く考えられない。由里子を長野に連れて行くと決めたのは、御幸から決別するきっかけを作るためだ。
「彼女って同い年?」
 普段はそんなに恋バナ好きってわけでもないくせに、春っちは目をキラキラさせている。俺がこういう話をするのは初めてのことだから、野次馬根性に火がついたみたいだ。
「少し下。会社の後輩だから」
「えーなんかいいね。僕も今はいないから」
「理学療法士だったら看護師さんと知り合えるんじゃないの?」
「STは同じ場所に詰めてるわけじゃないし、ナースって気が強い人が多いから」
 東条の言葉で、春っちが勤めている病院の話題に移る。自分の話をあんまり深掘りされなかったことに少し安心した。
 しばらく医療トークに花を咲かせていると、串が届き始める。所々で、俺レバーはパスだとか、塩がいい、タレがいいみたいな声が挙がる。座敷の端に陣取る俺達四人も、各々思い思いの串をとって食べ始める。
 そういえば、と皮の塩焼きを咀嚼しながら口を開いたのは金丸だった。座敷の床に置いていたスマートフォンを拾い上げて、机の上に置いて見せる。液晶の中には大きなハンバーガーを頬張る女の姿が写っていた。インスタグラムのページみたいだ。
「信二インスタしてたんだ」
「見る用だよ」
 意外そうに東条が言うと、金丸は苦虫を噛み潰したような顔をした。べつにそんなに恥ずかしがるようなことでもねーのに。
「あ、この人って」
 俺の隣からにゅっと伸びて来た春っちの指が、新しい画像を次々と開いていく。ハンバーガーの写真以外は、使ってる化粧品とかネイル、それから飼ってるチワワの写真が主だ。その中に時たま混じった顔全体像のうつった写真を認めて、俺も「あ」と、息を飲んだ。
「御幸先輩と付き合ってるって噂のモデルさんだよね」
「噂じゃなくて付き合ってるんだろ。彼女だって認めてるらしいし」
「あー俺もそれ見た。あんまり有名じゃないけど美人だよね。沢村も知ってる?」
 口に含んでいたササミをごくんと飲みくだして、俺は大袈裟なくらい首をを縦に振った。
「こんな美人とお付き合いしてるとは、キャップもなかなかどうして」
 一後輩に過ぎない顔をして俺が言うと、金丸も頷いた。
「まープロだしな。モデルでもアナウンサーでも選び放題なんじゃね」
「元々モテる人だったもんね」
「だけど今回の相手はかなり本気なんじゃない? 今まで週刊誌に載ったりしても関係認めたことなかったんでしょ」
 東条の言葉に、二人は神妙な顔つきになった。確かに……と、呟いて改めてまじまじと金丸のスマホの画面を見やる。
「ケッコンとか、考えてんじゃね」
 わざと口元を緩めて、俺は言う。興味本位で、先輩のスキャンダルをただ面白がってる後輩のふり。
 週刊誌に載った話は嘘っぱちだ。実際御幸は、あれは嘘だってはっきり俺に言った。もちろんその言葉の方が嘘だとしても、俺には確かめようがないけど。
 御幸は二人のマンションを出て行って以降連絡ひとつよこさない。自分から連絡するのはなんとなく負けた気がする。
「結婚か。まあ俺らの一つ上だし、そろそろ考えるよな」
「でもスポーツ選手って三十過ぎまで遊んでおいて、年下の奥さんもらう人多いよね。あの人顔もかっこいいしモテるだろうから、すぐには決めないんじゃない」
「そういうタイプっぽい気もする」
 いやいやそういうタイプじゃない。御幸は誰よりも一途で尽くし屋だ。
「僕らどうして御幸先輩の恋愛事情について真面目に語っちゃってるんだろうね……」
 金丸と東条のやりとりを聞いていた春っちが苦笑いをする。確かに男が四人で場にいない人間の恋バナをするのはかなりビミョーだ。
「もっと男らしい話をしよう!」
 店員さんの持ってきたざんぎにかぶりつきながら、俺は叫ぶように言った。呆れ顔の金丸が、「男らしい話ってなんだよ」と、呟く。
「仕事の話か車の話かバイクの話?」
「ステレオタイプか」
 どれもピンとこないらしい。
「あとはスポーツの話とか?」
 東条が加えて、春っちがサッカーの話題を振ると、二人は嬉しそうに外国人選手の名前を挙げ連ねていく。野球漬けだった学生時代には気がつかなかったことだけど、社会に出るとサッカー好きが案外多い。御幸もやるのはド下手のくせに、ワールドカップのシーズンなんかになると夜更かししてテレビの前にかじりついていた。俺は全く詳しくなくて、試合中ずっと走ってるからしんどそうだなくらいのイメージしかない。
 今ひとつ話題についていけなくて、座敷から少し離れたところに置かれたテレビに視線をやると、車のCMが流れていた。三菱の軽の新型だ。日産のOEMだったよなーとか、デリカに顔似過ぎだよなーとか考えながら見つめる。
 実家にいた頃は家族での移動手段は車が主だったから、車には人並みに興味がある。部活漬けだったから免許を取りに行ったのは、大学三回生のとき野球を辞めてからだけど、同棲を始めて御幸が車を買うと言い始めたときにはかなり嬉しかった。
 高給取りのプロ野球選手が買う車だから必要以上に期待して、外車ならベンツのEクラスかアウディのA4とか、BMWは鼻の穴が大きいのが苦手だとか、国産車ならシビックとかスカイラインがいいなーとか色々。
 なのに……何故にアルファード? 男二人暮らしで、友達を乗せる予定もないくせになんでミニバン?
 これに決めたぞーってパンフレット見せられたときは、理解が追いつかずに固まった。営業に勧められてついついって笑った御幸が、意外に流され易いことをあのときに知った。しかもオプション増し増しで長野だったら古めの中古マンション一部屋買えるくらいの金額だったし、荷物たくさん載せられるぞーって御幸は言ったけど、キャンプとかバーベキューとかするわけでもなくて、ミニバンで良かったって思ったのは、皮肉にも由里子の荷物を運んだときだけだった。
 今度車を買い換えるってなったら俺も絶対ディーラーまでついて行くし、枕元で毎晩セダンセダンって念仏みたいに唱えてやる……って、今更何考えてんだ俺! そもそももう彼氏でもなんでもねーのに。未練だってないはずなのに。
「栄純君、御幸先輩が」
 悶々としながら今日のメインの鴨鍋をつつく俺の肩を春っちが叩いた。顔を上げると、テレビの中に御幸の姿。年末恒例のスポーツ選手の集まる特番にゲストとして呼ばれたらしい。衣装さんでもついているのか、普段より綺麗に眉と髪の毛が整ってる。
「フツーの芸能人みてぇな顔してるよな」
「そうか? スポーツ選手にしてはまあいい方だと思うけど」
 金丸の言葉に反発するみたいに言って目を逸らす。
「俺も見た目は芸能人ばりにカッコいいと思うよ。でも御幸先輩ってあんまりトークが上手くないよね」
 東条が言うと、二人が頷いた。俺は御幸が出るテレビ番組をあまり見ないようにしていたから、「そうなのか」と、首を傾げる。
「まあ元々そんなにお喋りな人じゃなかったしね」
「ふーん」
 家ではわりとよく喋る人だったから意外だった。尋ねてもない料理の薀蓄をよく聞かされて辟易していたくらいだ。
 テレビの中の御幸は、野球の話をしている。ときたま、さっき見たモデルの話とか、プライベートの話を振られると微妙な反応。俺といるときは野球の話を出しにくいから他の話題を見つけて、沈黙が続かないようにしていてくれたんだって今更気がついた。
 車を持っててもドライブが好きなわけでもないし、料理は好きだからしてるというよりは、俺が食べることが好きだからしてるって感じだった。趣味と呼べるほどのものは御幸にはない。友達もほとんどいない。
「野球しかねーんだ……」
 店の喧騒の中、口の中で呟いた。


 フレッシュフルーツを使ったカクテルが売りの若者向けのバー。その片隅で俺は酔えない酒を傾けている。四人がけの席の斜め向かいには倉持先輩、隣には春っち、対面には……御幸が腰掛けている。

 焼き鳥屋での忘年会の終わりがけ、俺たちは店員さんに頼んで記念写真を撮った。
 アラサーの男達が寿司詰めになって写った写真は、誰が見ても暑苦しいものだったものの、俺らの代は仲良くやってますよーなんて半ばおちょくり半分にアピールするために倉持先輩にそれを送ると、俺も合流する! なんて、予想外のメッセージが返ってきた。いやいや先輩一人混じっても気も遣うだろうし結構です、とかなりストレートに拒絶した俺に対して、『こっちも何人かで飲んでるからテキトーな店で落ち合うぞ』って返した先輩は、連投で落ち合う店まで指定してきた。俺は心底げんなりする。やりとりを春っちや金丸に見せると、「ここまで話が進んだら断れない」と諦め顔で言われて、俺達は二次会に行く予定だったメンバーで倉持先輩指定のバーに足を向けた。
「おせーぞ沢村!」
 先輩達は本棚柄のヘンテコな壁紙の貼られたフロアの一角に、陣取っていた。人数はこっちよりも少し少ない五人。
 ビアグラス片手に声を張り上げた倉持先輩の隣に、さっきまでテレビ画面の中にいた男が混じり込んでいたときは思わずUターンしかけたけど、動揺を見せたら色んな意味でこっちの負けだと思って、あえて涼しい顔を浮かべた。
「ご無沙汰です! ここいいっスか」
 二人が頷くのを認めて、金丸とは別れて、春っちと二人先輩達の向かいに座る。御幸先輩はテレビに出ていたときよりはいくらか柔らかい顔をして、「なに飲む?」と口を開いた。
「さっきバラエティ出てるの見やした! 全然喋れてなかったですね、キャップ」
 本日何杯目になるか分からない生ビールを注文して、俺は口を開いた。
「ヒャハ、お前何に出てたんだよ」
 御幸が口を開くよりも先に、倉持先輩が言うと、春っちがすかさず番組名を答えた。
「マジか、俺あの特番いつも見てるぞ」
「最近はスポーツ選手でも喋り上手い人が多いからな。ああいうの出ると俺でも緊張するんだよ。絶対台本通りに進むとも限らねえし」
 へえ、と漏らす二遊間。テレビの仕事がそんなに苦手なら野球だけしてればいいのに、と思うけど、そういうわけにもいかないのが今時のプロなんだろうか。
「小湊は、理学療法士の仕事どうなの?」
 俺の話なんていいんだとでも言いたげに、御幸は口を開いた。自然体を装っていても、俺とは目を合わせない。元々関わりが深いわけでもなかった春っちに先に話を振るのも、微妙に不自然だ。二人はどうなの? って聞けばいいだけだし。やっぱり拗ねてんのかな、と思う。
「まあそこそこに」
 春っちは曖昧に笑って目を伏せた。不動産営業として、色々な職種の人間と関わってきたけど、医療系の職種の人は気の強い人が多い。そうじゃないと務まらない仕事なんだろうけど、普通に仕事をしていても軋轢が生じることは多いはずだ。
「ナースいっぱいいるんだろ。今度合コンしようぜ」
「それ金丸君にも言われましたよ」
 白衣の天使! とテンションの上がる倉持先輩に春っちが向ける視線は温い。御幸は興味なさそうにグラスを傾けている。
「可愛い子いねーの?」
「ちょっと年下でいいなら可愛くて性格もいい子いますけど」
「年下上等だろ。金丸込みで三三か、沢村も来るなら四四だな」
「えっ俺?」
 ここで何で俺の名前が……自分を指して固まる俺を、御幸が一瞥した。口を開きたくてウズウズしてる顔。
「栄純君はダメですよ。彼女いるらしいですから」
「ハァ!?」
 春っちが胸の前でバッテンを作ると、倉持先輩が険のある視線を俺に送った。この人モテねーのかな、と憐れみの視線を返す。
「白衣の天使には俺も心が惹かれますが……そういうことなんで、寂しいもっち先輩とカネマールで傷を舐め合ってきてくだせえ」
「お前完全にナメてんだろ!」
「いえいえ」
「そんな野放図な奴連れてくなよ」
 俄かに熱くなる倉持先輩と、それを受け流す俺のやりとりに口を挟んだのは御幸だった。
「野放図ってどういう意味っスか」
「勝手で何するか分かんねー奴って意味」
「じゃなくて、俺のどこが勝手だって言いたいんでしょーか?」
「全部」
 しれっと答えた御幸はさぞ涼しい顔をしていると思って顔を上げたら、予想に反して眉間に深く皺を寄せてほぞを噛んでいる。俺達色々ありましたって言ってるみたいな態度に俺は面食らう。
「お前らなんかあったのか?」
 ほら、倉持先輩が食いついてきた!
「別に何もねーよ。ずっと会ってもねーし」
 だからそれじゃ揉めてましたって言ってるのと同じ。
 普通にしてくださいって目で訴えかけるのに、御幸はそっぽを向いていて、俺達の視線はかち合わない。栄純君……と、隣の春っちが心配げに俺を見やる。
「えっと、実は前のOB会の時にキャップと帰りのタクシー同乗させてもらったんですけど……その時に俺が先輩のズボンに吐いちゃって。あの時は気にすんなって言ってくれたのに、めちゃくちゃ根に持たれてるみたいです……はは」
 俺のテキトーな言い訳を信じたのか、倉持先輩は「それはお前が悪ぃ」と、御幸の肩を持つ。春っちも一応これで納得してくれたみたいで、「今日は飲みすぎない方がいいよ」って苦笑ししている。
「コイツと関わるとロクなことになんねーからな」
 話を合わせてくれているのか、真っ向から心情をぶつけているのか量りかねるけど、御幸も一応頷いた。俺もそれ以上反論しない。
「そんでお前の彼女ってなんなんだよ。まさか若菜か?」
「若菜は田舎でとっくに結婚してますから」
「なっ……やっぱり可愛い女子はさっさと売れるんだな……」
 大袈裟に落ち込む倉持先輩には、大学生の頃に一度若菜に告白されたことは黙っておこう。
「栄純君の彼女、会社の後輩らしいですよ」
「沢村のくせに一丁前にオフィスラブしてんじゃねーよ」
「それは俺の勝手じゃないスか! モテないからって僻まないでくださいよ!」
「俺がいつモテないって言ったよ、おい」
「いつ会っても彼女いないかフラれたてかどっちかなんだからモテねーんだなこの人って思うに決まってんだろ!」
「敬語使えコラ」
「まあまあ二人とも」
 春っちが身を乗り出して仲裁に入るその奥で、御幸はいつの間にか届いていた新しいグラスを傾けている。いつから飲んでいるのかは知らないけど、普段よりもピッチが早い。酒にあまり強い人じゃないから、潰れてしまわないか心配だ。酒に酔っても自制心を失うような人じゃないけど、今日の御幸はあまり冷静じゃないし、アルコールに侵されて変なことを口走らないとも言い切れない。
 気遣わしげな俺の視線に気がついたのか、グラスの中身を見つめていた御幸が顔を上げた。頬に少し赤みが差しているのに気がついて、「キャップ酔ってます?」と、声をかける。
「酔ってねーよ、頭ハッキリしてる」
「うわ。それ酔ってる人が絶対言うやつ。ヨッパライはさっさと帰ってつかぁさい」
「栄純君、合流したばっかだから……」
「コイツ今日は一軒目でもしこたま飲んでたからな」
「なんと! 酒を飲んで忘れたいようなことがあるならこの沢村にお申し付けくだせえ」
 お前のせいだろってすかさず返されても仕方ないことを言ってる自覚はある。御幸はさっきまでとは打って変わって俺の目をじっと見つめながら、「別に」と、掠れた声で言う。だけどすぐにもう一度口を開いて、言葉を重ねた。
「お前、その彼女と結婚でも考えてんの」
「えっ……」
 御幸には、前にも同じようなことを聞かれた。一次会で東条もそんなことを言ってた気がする。来年二十八になるから、結婚の話題が頻繁に上がるのも当然のことだ。
「やーまだ、そこまでは」
 前回は確か考えてないって断言した。御幸はそのことを覚えているだろうか。
「真面目に考えてやれや! 彼女可哀想じゃねーか!」
 やかましく口を挟んできたのは倉持先輩だ。顔の知らない俺の彼女のことを可哀想だと言い切れるのはある意味すごい。
「洋さん、栄純君彼女を長野の親御さんに会わせるって」
 先輩の怒りを少しでも抑えるために、春っちはそんなことを言った。
「それって、本当?」
 空になったグラスをカタンとテーブルに置いて、御幸はそう尋ねた。最後に会った時に俺が言った言葉を、御幸は何度反芻したんだろう。
 二番目の女でいいと言った由里子の顔と、恋人を紹介すると電話したら大層喜んでいた家族の顔が頭の中でグルグルと回った。
 喉の奥が突っ張って、「本当です」の一言がせき止められる。渇いた喉をチェイサーで潤して、目頭を揉むと少し頭がスッキリした。ふ、と息をついて顔を上げると、御幸はやっぱり真剣な表情を浮かべて俺を見据えていた。綺麗な二重まぶたの目が細められて、目と眉の距離が普段よりも一層近くなっている。やっぱりカッコいい。
 普段の飲み会では、関係を怪しまれることを厭うて、必要以上には御幸の方を見ないようにしているのに、今日の俺は御幸の姿形を必死に網膜に焼き付けようとしていた。返答次第ではこれが最後の邂逅になることだって充分に考えられる。
「なんで黙ってんの」
 追い詰めるみたいな言い方。セックスの時にしか見たことのないような冷えた目で、御幸は俺を射抜かれて、体の芯が熱くなった。倉持先輩と春っちが側にいるのに、どうして俺の体はこうなんだろう。
「……彼女とは帰りません」
 自然と口をついて出た言葉に、自分でも拍子抜けした。これ以上意地を張っても仕方がない。心はともかくとして、俺の体はこの人に支配されている。
「これでいいんでしょ」
 俺は、倉持先輩と春っちを前に、自分からその言質を取った男の返事を黙って待つ。俺たちの只ならぬ空気に、二人はこれ以上顔を突っ込みたくないみたいで、顔を突き合わせてお兄さんの話を始めた。
「勝手にしろよ」
 拗ねたように言って、御幸はボーイさんを呼ぶ。ウーロンハイを頼むときにのぞいた耳朶が赤く染まっているのを認めて、俺は深く息を吐いた。
 御幸一也が酔いつぶれるまで残り一時間。
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