卑屈屋の贅沢

殆ど白紙に近いノートの一ページにシャーペンを走らせる。
走らせると言ってもあまりにも勢いづき過ぎると字が乱れてしまうので、精々小走り程度のスピードだ。
休み時間は10分しかないというのに千石は特別焦る様子もなく、黙々と丁寧に先ほどの授業の内容をノートに詰め込んでいた。
板書は既に消えてしまっているので手本にしているのは隣に広げた自分のノートだ。
そこから分かるように今作っているノートは自分用のものではない。
今日は学校をサボっている亜久津のためのものだ。
記憶力の良い亜久津は生活態度は最悪でも学力的には普通の生徒より劣っているわけではないのだが、なにせ授業出席率が本当に低い。
そんな亜久津を心配した千石は亜久津のいないときにはこうして亜久津の分のノートまでとっているのだ。
ところどころ色を変えてまとめられたノート、自分用の物よりも丁寧に作ってしまうのは亜久津への好意故だろう。
千石はこのノートを亜久津に手渡すとき自分の剥き出しの好意が晒されているようで恥ずかしく思う、勘のいい亜久津のことだ千石がただのおせっかいでノートを作っているわけではないとは気づいているだろうから。
もう少し鈍くたっていいのに――そんなことを思いながら、それでもあの勘の良さも彼のテニスの実力を底上げするものの一つだと理解しているので口にしたことはない。
今の山吹中テニス部には亜久津が確実にものにしてくれる一勝が必要なのだ。
そんなテニス部をまとめる地味な部長は千石が亜久津にノートを渡していると知ったとき、

『お前もモノ好きだな。
俺には亜久津がそれを開くところなんて想像出来ないけど』

なんて千石の心を折るようなことを言ってきたが。

「亜久津は見るよ……だって俺は南の知らない亜久津を知ってる」

空気を震わせず、それでも唇だけは動かして呟いた千石は自惚れ過ぎだろうかと考えた。
南の言うように、亜久津は千石のまとめたノートを開きもしないのかもしれない。
呟いたばかりの言葉に急に自身が持てなくなる。
千石はこと亜久津のこととなると自分が卑屈になってしまうことをよく理解していた。
だけどそれは仕方のないことだと思う。
自分は男で、亜久津も男だ。
今は部活後に二人で帰宅することも、あの薄い唇に触れることも出来る。
だけどそれがいつまで続くかなんて分からない。
もしかしたら今この瞬間にも亜久津の心は千石から離れてしまっているのかもしれない、あの白く綺麗な筋肉のついた腕で自分と違って柔らかな女の体を抱いているのかもしれない。
そんな風に考え出すと卑屈な想像が止まらなくなってしまって、それでもノートをまとめる手の動きだけは止めない。
こんなもの作ったって亜久津が読むという確証もないのに。
しばらくして千石はシャーペンを置いた。
休み時間は残り三分だ。
ようやくまとめきったノートを閉じようとして、やめる。
一度は机に転がしたシャーペンを再び握った。
そしてノートの片隅に芯の先を走らせる。

“君はこの先も俺のことをずっと好きでいてくれるの?”

書ききってから自分はなんと面倒くさい男だろうかと思う。
胃もたれしそうな位に女々しい質問だ。
亜久津ならまずこんなことは言わない、思いもしないだろう
同じ男なのにどうして自分と亜久津はこうも違うのだろうか。
シャーペンをひっくり返して、頭の部分についている消しゴムでノートの文字をなぞろうとした。
こんな文字の羅列を亜久津に見られるわけにはいかない。
だけど同時に消す必要もないのではないかとも思った。
亜久津はこのノートを開かないのかもしれないのだから。

「……なんて、」

ここで消さない程度胸は座ってないし、卑屈でもない。
矛盾しているが亜久津がノートを開かないと言い切れもしないのだ。
消しゴムで文字を消しきって、元々は女々しい質問があったはずの場所が空白になってしまっているのを眺めていたら少し寂しいような気分になった。
だから代わりにこんなことを書きこむ。

“いつもノートとってあげてるんだからたまにはもんじゃでも奢ってよ。
亜久津愛しのキヨスミより”

こうして冗談めかした防御壁を作らないとデートに誘うことも出来ない自分が情けない。
しかも亜久津がノートを見るかどうかなんて五分五分だ。
いや五分もないかもしれない。
しかももしその五分にも満たない確率でノートを見たとしても本当に千石と一緒にもんじゃ屋に行ってくれる確率は更に低い。
馬鹿げていると思った。
だけど今度はシャーペンをひっくり返すことはしない。
最初から冗談なのだから見てもらえなかったってスルーされたってダメージなんてないのだ。
今度こそノートを閉じて机の中にしまおうとする。
しかし、しまおうとしたノートを後ろから伸びてきた白い手に奪われてしまったのでそれは叶わなかった。

「亜久津、来たんだ」
「来てほしくなかったみてえな言い草だな」
「なーに言ってんの、午前中からあっくんの姿が見られるなんて俺ってば超ラッキー」

へらりと笑ってみせる。
千石の笑顔を見た亜久津は急に無言になって千石に背中を向けた。
せっかく学校に出てきたのに授業はサボるつもりなのだろうか。
亜久津の考えることはよく分からない。
それでも後を追いかけるわけにもいかないから次の授業の準備を始めた千石はそこでふと気づく。
先ほどまとめたばかりのノートを持っていかれてしまったことに。


*****

結局午前の授業には参加せず昼休みが終わってようやく教室に姿を見せた亜久津は先ほど持っていってしまったばかりのノートを乱雑に千石の机に放った。
そのまま何も言わずに自分の席に行ってしまった亜久津の様子に、やはりノートは開いていないのだろうと思った。
初めから覚悟していただけにそこまで落ち込みもせずに授業を受け、放課後の部活もいつも通りにこなす。
南に「元気ないな」と言われてしまったが、そんなことはない。
断じて落ち込んでなんかいなかった。
それでも今日は亜久津と帰路を共にする気にもなれなかったので普段ならしないコートの片付けをして、部員の殆どいなくなってしまった部室で緩慢に着替えを終える。
もちろん亜久津の姿はとうになくなっていた。
一人夕暮れの校内を黙々と歩いていると門のところに人影が見えた。
髪の毛を逆立てた背の高い男が門柱に背中を預けるようにして立っている。

「亜久津?」

呟いた千石に亜久津は苛立った様子で、

「ちんたらしてんじゃねえ」

そう言って歩き出してしまう。
進んでいく方向はいつもの帰路とは正反対だ。
一人で帰るつもりだった千石だがいつもと様子の違う亜久津を放っておくわけにも行かずその背中を追う。
小走りになってようやく亜久津の隣に並んだところでどこにいくつもりなのかと尋ねれば亜久津は一言こう言った。

「もんじゃ屋」
「は?」

立ち尽くしてしまった千石を待つかのように亜久津は歩を止める。

「行きたくねえならついて来んな」
「いや、その……」

どういう表情をして、どんなことを言えばいいのか分からない千石はしばらく黙りこんでいたが、それでも無理やりに控えめな笑顔を作った。

「それって奢ってくれるってこと?」
「……うぜぇ」

舌打ちをされる、返事になっていない。
それでも千石はそれを肯定の意だと捉えた。
それくらい自惚れたってバチは当たらないだろうと思ったのだ。


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