ゲイとノンケ

 今でも夢に見ることがある。遠くもない昔に別れた彼女が自分の下で洩らしていた甘ったるい嬌声を、手の平を押し返す弾力のある白い肌の感触を、細い体を揺さぶるたびにベッドに刻まれていたシーツの皺を。そして恐ろしく鮮明なその夢は丸井にある種の安心感を与えてくれる。
 根っからの同性愛者だという彼の現在の恋人は女との性交をイメージしても少しも興奮しないと語っていた。分かりやすく女ウケしそうな容姿をしている仁王は、実際そのどこか妖しげな存在感で一部女子の心を掴んでいたが、彼の魅力の一つであるその妖しさが同性しか愛することの出来ない彼の特異性準拠のものであるということを知る人間は少ない。というより丸井の他にはいない。
 クラスメイトでなおかつ部活仲間である仁王から自分は女では勃たない人間なのだと初めて聞かされたとき、丸井は驚きはしなかった。不審に思っていたことが解決されて安堵したくらいだ。
 彼等が恋人同士になる前、あるいは仁王が丸井に自分が同性愛者であると告白するずっと前から丸井は仁王が自分の存在を視線で追っていることに気付いていた。そしてそれを不自然なことだと思っていた。元々丸井と仁王は特別親しくしていたわけではなかったのだ。クラスメイトで部活仲間、しかし友達と呼ぶには会話が少なすぎた。そんな親しくもない相手から送られ続ける視線、仁王の方は無意識の行動だったのかときたま丸井と目が合ってしまっても焦る様子もなかったが、丸井の方は仁王のことが気になって仕方がなかった。仁王から視線を向けられていることに気付くたび居心地の悪い思いをしていた。
 そんな時を数ヶ月程過ごした頃に仁王から彼の性癖をカミングアウトされたのだ。突然のことではあったが点と点がつながったような感覚に体を震わせた丸井はストレートな質問を彼に投げ掛けた。

『お前、俺のこと好きだろぃ』

 仁王は口では否定も肯定もしなかった。ただただ黙って頷いて、じっくりと間を開けたのちに、すまんと言った。不思議と嫌悪感を覚えることのなかった丸井は、雑な口調でじゃあ付き合うかと洩らし、卑屈な仁王を驚かせた。
 ふた月程前の出来事だ。丸井はあの日半ば勢いで言ってしまった言葉を悔いてはいない。仁王のことは女にするようにとは言わないが大切にしてやりたいと思っているし、事実今のところ二人の交際は概ね順調だった。
 とはいえ、自分が今でも女と交わる夢を見られることに、その夢の内容に興奮することが出来ることに安堵しているのもまた事実だ。丸井は仁王のことを好いているが潜在的には自分が異性を愛せなくなってしまうことに恐れを抱いている。それは仕方のないことだった。若い丸井は仁王との関係に未来を見いだすことが出来ずにいるのだから。そうしてそれは仁王も同様だろうと思われた。
 うたた寝から覚めた丸井は網膜に焼き付いて離れないかつてとの恋人との情事の記憶をかき消すようにしてベッドの下で携帯をいじる仁王の肩にかかとを載せた。とたんに不機嫌な表情になった仁王は丸井のことを怠け者呼ばわりする。

「人の家に押し掛けて来といて勝手に寝る奴がおるか」
「ここにいるだろうが。だいたいお前、俺がお前のベッドに座ったときは何も言わなかっただろぃ」
「横たわったときには注意したじゃろ」
「んなもん覚えてねえよ」
「雑じゃのう……」

 うんざりしたように呟いた仁王は再び携帯に視線を戻す。自分を放っておいて携帯に夢中になる彼にいら立った丸井は肩にのせていたかかとを肩甲骨の方へと滑らして軽く叩く。邪魔だと言って肩を回す仁王の眉間にはきっと皺が刻まれているのだろう。

「お前何してんの」
「……メール」
「誰と?」
「クラスの奴」
「お前クラスに友達なんかいるのかよ」

 仁王がクラスで人と話すのを殆ど見たことのない丸井からすれば納得のいかない答えだった。さらに言えば自分以外の人間が仁王と楽しげにメールをしているという事実は丸井にとってあまり面白いものではない。

「友達じゃなか」
「じゃあ誰だよ」
「前期の委員長」
「はあ? 女子じゃねえか」
「俺が女子とメールしとったらおかしいんか」
「お前女嫌いだろぃ」
「嫌いなわけじゃなか。お前さんみたく女好きじゃないだけじゃ」

 いら立ちを隠しきれない様子で携帯を床に放った仁王が丸井の横たわるベッドに手をかけた。自分の肩にのせられていた丸井の足首を掴んで払いのける。

「女好き呼ばわりはねえだろ」

 たしかに丸井はノーマルだし、女にはモテる方だ。それでも部活に打ち込んでいたので誰彼構わず関係を持つことはしなかったし、そのことは仁王もよく知っているはずだった。

「……夢、」
「はあ?」
「夢、見たじゃろ。女の」
「それは……」
「寝言きいとった」

 しくじったと思った。人前で眠っていて寝言を漏らすことなど滅多にないはずなのに、どうして今日に限ってそんな失態を犯してしまったのだろうか。

「……悪い」

 仁王との関係を壊したくないと考えている丸井は珍しく素直に謝罪の言葉を口にした。しかし彼は卑屈っぽく笑うばかりでなかなか言葉を返さない。

「仁王、」

 痺れを切らした丸井が呼べば、ようやく口を開いた仁王は、かまんよと漏らす。

「俺はお前さんが女の夢を見たくらいで傷付いたりはせん」
「……そうかよ」
「俺はお前さんにゲイになってほしいとは思わんよ。俺はお前さんがいつ俺を捨てて女を好きになってもおかしくないことを承知しとる」

 そんなことあるはずねえだろぃ、などと言ってやれるほど無責任な男でもないので黙り込んでいると、足首辺りをさ迷っていた仁王の指先が体を登ってきて、最後には閉じきっていた唇をなぞられる。

「そうしたら俺も新しい男を探すだけじゃ、お前さんがおらんでも俺は死んだりはせん」

(……だから好きにしろとでも言うのかよ)

 それこそ無責任ではないのか。人を同性愛の道に引きずりこんでおいて、さして執着もしていないからお前は勝手なタイミングで尋常に戻れと、仁王雅治はそういうことを言っているのだ。そうして丸井が馬鹿正直に女の元へ戻っていけば、自分は新しく適当な男を見繕ってその男に抱かれると言うのだ。

「いつかお前さんには女の体が恋しくてたまらんなる日がくる」
「……今だって恋しいぜ、夢に見るくらいな」

 呟いた瞬間仁王の瞳が小さく揺らぐのが分かった。

「お前、素直じゃねえなあ……」
「なん、」
「俺はいくら女が恋しくてもしばらくはお前から離れる気はねえよ。女のところにはいつでも戻れても、一度離れたらお前は俺を受け入れねえだろぃ」
「……それはどうじゃろうな」
「絶対無理だろ。お前って男のくせに女々しいし、面倒臭いタイプだから。しかも、節操ねえからすぐに新しい男見つけて入れ込みそうだしよ。……俺はお前が思ってるよりもずっとお前に執着してるから、お前が他の男に抱かれんの想像すると歯ぎしりしそうになる」
「阿保じゃな、その道は茨道じゃ」

 そんなことは言われなくても分かっている。だから永遠を約束するようなことはしないのだ。

「いつまで持つかは分かんねえけどよ、俺は出来るだけ長くお前の傍にいたいと思ってるぜ。もしかしたら俺がお前を抱えきれなくなるよりも、お前が俺に愛想尽かす方が早いかもしれねえ」
「……いつになく真面目じゃのう、ブンちゃん」
「愛想尽かすのくだりは否定しろよ、もやし」

 軽い調子で呟いて睨み付ければ、誤魔化し笑いを浮かべた仁王に唇を重ねられた。熱を孕んだそれを受け入れる丸井は、そう遠くはないかもしれない未来に自分ではない誰かが彼を抱き締めることを想像しながら、彼のスポーツ選手にしては細い肩に手を伸ばした。



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