柔らかな殺意

 ふた月ぶりの逢瀬だった。家の前に車で乗りつけた男と、ホテルのレストランでランチを楽しみ、駐車場に車を預けたまま付近を散策する。前回顔を合わせたとき、快楽よりも痛みが勝る行為で仁王を追い詰めた男の機嫌は、今日はまずまず悪くないらしい。部屋に連れ込まれると思いましたか、と笑みを含んだ声で訊いてくる。
「こんな日の高い内から盛るほど若くない」
「あなたは二十年前から殆ど変わりませんよ」
 男の発する言葉の全てに含みを感じてしまう自分に辟易する。それこそ男に出会った頃には考えられなかったような心の挙動だ。
 初めて柳生と体を重ねたとき、仁王は殆ど息をすわなかった。口を開けば、痛い、苦しいと、行為を遮るような言葉が漏れ出してしまいそうだったし、それを聞いた男は同性とのセックスは煩わしいと結論づけそうな気がした。なにも柳生に惚れていたわけではない。それでも二度目がないのは嫌だった。
 極限の緊張感の中、行為は進んだ。早く男にイってほしくて、仁王は鼻だけで酸素を入れ換えて、腹筋に力を込めた。柳生は欲望のままに自分を揺さぶり、あるとき唐突に果てた。後ろから貫かれていた体を反転させられて、萎みきった仁王のペニスを指でなぞりながら、「上手にできましたね」と笑った男の声は、未だに胸に焼きついている。
 過去の情交を頭の中で反復していると、背後から「柳生君?」と声をかけられた。
 振り返ったのは呼びかけられた男よりも自分が早かった。そこに立っていたのは、五十前に見える身綺麗な女だ。胸の上に流れた髪は手入れが行き届いていて、肌にも張りがあったが、まばらな下まつげの影のかかった目の下には、くっきりとしたクマが浮かんでいる。
「先生、お久しぶりですね」
 遅れて歩みを止めた男は、笑顔を作り、それを一旦停止してから、女に向かって歩み寄った。「よかった。分かってもらえて」「最後に会ったのは十年程前でしたか。お元気そうで何よりです」「柳生君もね」緩やかに流れていくやりとりに割り込むでもなく佇んでいると、柳生の胸がこちらに向いた。
「彼は中学の同級生の仁王君です」
 一番親しくしている友人だと紹介されて、挨拶をする。「いい子そうね」
 三十路過ぎの男にいい子はないだろうと思いつつ、小さく頭を下げた。女は柳生の小学生の時分の担任の教師だという。
「柳生君、少しいい?」
 目配せをされて、頷くと、仁王はその場を離れた。声は聞こえないが、姿は見える程度の距離に設置されたベンチに腰掛けて、二人の様子をうかがう。
 野次馬がしたいわけではないが、遠目にも雰囲気が良いのが伝わってきた。柳生はどんな相手とでもそつなく関わることの出来る男なので意外でもない。
 二人の姿を視界の端におさめたまま恩師という言葉を頭の中でこねくり回すと、地元の訛りのきつい短足の教師の姿が像を結んだ。自転車に乗るのが趣味だという男に知らず知らずの内に影響を受けて、家に書き置きを残して自転車で四国から本州に渡ろうとした十歳の自分。その話を耳に入れて「親御さんを心配させたらいかん。大人になったら二人で渡ろうや」と笑った男は、今も四国で冴えない教師を続けているのだろうか。
 あれが初恋だったのかもしれない。胸にこみ上げてくるものを振り払うように顔を上げたところで、現実に引き戻された。
「仁王君、どうかなさいましたか」
 知らぬ間に距離を詰めてきていた男に肩を叩かれる。
「もういいんか」
「充分です」
 柳生が向けた視線の先、十数メートル離れたところで、女が深々と頭を下げている。
「えらく折り目高じゃのう」
「昔から魅力的な女性でしたが、より一層輝きを増していました」
 小さく手を振った柳生は、仁王に先んじて歩き始める。女もまた人の群れの中に消えていった。
「いくつのときの担任だった」
「あなたが私の過去を気にするとは、珍しいですね」
 詮索してほしくないならそう言え。
「小学二年生のときに担任していただいていました。教材に目を通すときに伏せるまつ毛の美しい人でしたね」
「よく見とるのう」気味が悪いとは言わない。
「席が前の方でしたから。当時から勉学には熱心に取り組んでいたので自然と先生の顔を見つめている時間が長くなっていきました」
「普通は黒板とか教科書を見るじゃろ」
「勿論板書は取りますが、先生が発した言葉さえまともに聞いていれば教えられた内容を忘れることはないでしょう」
「そういうもんか」
 ええ、と頷く男の足は、いつの間にか車をおいてきたホテルの方へ向かっている。このあとはどこへ連れ出されるのだろう。
「先生は私の初恋の相手です」
 お前もか、という言葉は飲みこんだ。やはり自分と柳生には似通ったところがある。
「彼氏がいるのか訊ねたら、曖昧な笑みを返されました。困っていたのでしょうね」
「可愛い話なんかのう」
「含みがありますね」
 それからしばらく女の思い出話が続いた。最後に顔を合わせたのは、柳生の実家の医院に、彼女が来院したときだったと言う。
「先生が私にすぐに気づいてくれたときは、嬉しかったですね。かつての教え子の実家だと分かっていたのかもしれませんが」
「小学二年のおまんが想像つかん。どういう子どもだった」
 なんの気なしに訊いたところで、ホテルに辿り着いた。一度やりとりを中断して、車の助手席に座ったところで、
「よくスーツ地のベストを着せられていましたね」
 柳生はルームミラーに向かってシャツの襟を直す。
「服装のことをきくか」
 呆れたように背もたれに体を預けつつも、そんな小学生が都会にはいるのだなとカルチャーショックを受ける。
「あなたはどういう幼少期を過ごされましたか」
 話を逸らされた。
「塩けんぴをようけ食うとった。姉貴がおったから戦争だったの」
「可愛いですね」車が動き始める。
 一段下に置かれた気がした。被害妄想が過ぎるか。
「先生とは、なんの話をしとった」
「ご主人のホスピスの面談に行った話を聞いていました」
「終末期医療か」
 認知症の祖母が入院している四国の病院にも、ホスピス のフロアはあった。
「昨年膵臓がんだと診断を受けて、緩和ケアと並行して治療を続けてきたと」
 目の下に澱のように滞ったクマから疲れは認められたものの、女からは老いの兆しなど感じられなかった。配偶者とて高齢ではあるまい。若いのかと訊くと、進行方向に顔を向けたまま緩く頷く。病の当人は、四十代半ばらしい。
「二人が連れ立って訪れた病院のホスピスのフロアは、リノリウムの床の全てに臙脂色のカーペットが敷き詰められていて、足音一つ聞こえない静かな場所だったそうです。そこで働くナース達は皆穏やかで、専属のチャプレン……牧師に案内されたチャペルには美しいステンドグラスが嵌め込まれていた。その場所が醸し出す雰囲気の全てにのまれて、帰りの車の中で思わず涙をこぼしてしまったと話していました」
「それは、」
 どういう言葉を繋げていいのかも分からずに俯くと、ハンドルを握る男が、ふ、と息を漏らした。驚いて「今笑ったか」と訊くが「いいえ」と否定される。
「自分が夫を支えないといけないのに、泣いてしまった。夫を不安にさせてしまった。何度も繰り返す先生があまりにもいじらしくて、」
 そこで途切れた言葉に、柳生は何を連ねようとしていたのだろう。運転に集中している体で、男の目は熱っぽく蕩けていた。
 爪先から熱が奪われていくのが分かる。みぞおちに重たいものがのしかかった。叫び出したくなるのを堪えて、「医者の教え子に話を聞いてほしかったんじゃろ」と吐き出す。柳生は緩く頷いた。
「そういう状況で一瞬も自分を崩さずにいられるような人間がいるものですか」
 上滑りするような言葉。そこから柳生の自宅付近の信号に引っかかるまでは、沈黙が続いた。
「今日はうちでいいですか」
「嫌だと言って聞いてくれたことがあるか」
「私が覚えている限り、私が成そうとすることをあなたが拒絶したことはありませんが」
 嫌な二十年だった。思わず眉をひそめた仁王は、ヘッドレストに頭をもたげた男のうなじ、秩序だった毛の中に一本白いものが光るのを認めた。
 この男でも老いる。自分も老いる。柳生から与えられた言葉、優しさ、痛み、仕打ちの全てを、今は一つも取りこぼさず覚えているが、それがいつまで続くかは分からない。命が潰えるよりも先に、何もかも忘れてしまうかもしれない。そうなるまでには時間がかかる。認知機能の低下は緩やかだ。
 九十近くになっても壮健な祖父は、自分が使える限りの時間の全てを祖母に与えている。祖母は新しいことを覚える能力こそ衰えているものの、祖父のことははっきりと認識している。帰省するたびに「案外しっかりしとるのう」と言う仁王に「宙ぶらりんや」と祖父は返す。いつか祖母は祖父のことまで忘れてしまうかもしれないし、そうなる前に先に祖父が亡くなるかもしれない。死は全ての人間に平等に訪れるが、老いの足並みは不揃いである。
 自分が先に忘れ始めたとき、柳生はどうでるだろう。支えてくれるだろうか。それとも物覚えの悪い人は不得手だと、他人に自分の世話を任せるだろうか。介護サービスを効率良く利用することはお互いにとってよいことですよ、とよく光る眼鏡の下で目を細める老いた柳生を仁王は想像した 。とてもしっくりきた。
 その一方で、可哀想な人間だと、物覚えの悪くなった自分を区別して、優しく接してくれる柳生の像も見えなくはない。どのみち添い遂げるような気もないが。
「つきましたよ」
 助手席のドアが恭しく開かれた。これをするときの柳生はとても機嫌が良いか、その逆だ。今日は前者な気がする。
 柳生のマンションは堅牢だ。床に御影石を敷き詰めたエントランスを抜けて、エレベーターに乗り込むたび、同じようにして連れこまれる見知らぬ女の姿が見えてくる気がした。柳生には近頃結婚を前提にして交際している女がいる。
 厄介ごとは懲り懲りだった。部屋で二人きりにもなりたくない。それなのに均一な歩調で前を行く男から離れることの出来ない自分が不思議だった。
 部屋のドアが開く。玄関には窓がないので昼とはいえ薄暗い。明かりをつけるためスイッチに指をかけると、それを絡めとられて壁に縫い付けられる。
「いいですか」
 何もよくはない。この関係も、柳生の人柄も。
 レンズ越しの視線から逃れるように顔を背けると、顎を掴まれた。いけませんね、と柳生は言う。何がいけないのかも分からない。それから仕置きをするように唇を重ねてくる。そういう行為を、愛情の発露として捉えらなくなったのはいつごろだっただろう。
 舌が絡むのが嫌で、顔を背けようとしたら、顎を掴む手に力がこもった。頭の芯に響くような痛み。反抗的な態度は好意を盛り上げる燃料にしかならない。分かった上で睨みつけると、縮こまった舌を吸われた。唾液を交換するようにねぶられる。
「んっ」
 何度も同じことを繰り返しているのに、柳生のキスは執拗だった。これが礼儀だとでも思っていそうな気がする。頬の肉越しに奥歯の付け根のあたりを締め上げられる。意思とは関係なくうっすらと口が開いて、更に深く貪られた。頭の中が冷えていくのとは反対に下腹部が熱を孕むのが憎たらしい。
 何もかもが面倒になって、腕から力を抜くと、壁に縫いとめられていたはずの手首が落ちた。柳生は自由になった利き手で、仁王のシャツのボタンを外す。胸の飾りに触れた指は、ここまでの荒っぽさに反して優しかった。
「仁王君の可愛いところ、勃ってますよ」
「気色の悪い言い回しはやめんしゃい」
「近頃は連絡も絶えがちですが」
 三十代の男が、仕事の繋がりもない共通の趣味もない好きでもない相手とまめなやりとりをするものか。
「余計な詮索はお互いのためになりませんね。今日はお互いに楽しみましょう」
「っ、く」
 うなじに舌が這う。淡く色を変えた胸の境いをゆるやかになぞられる。
 柳生の指は細かなところにも柔らかく触れる。絶妙に居心地の悪い言葉で盛り上げるのも上手いから、行為に対して気乗りのしない日でも知らぬ間に溶かされているのがそら恐ろしい。ろくでもない程に強い快楽を与えられるが、登り詰めたあとには、何も残らない。
 行為を終えたあとに関係を断ち切りたくなるというのはわりとよく聞く心の動きだが、柳生とシているときは、始まった瞬間からもう終わりにしてほしいと心が請うている。潮時など十年以上も前に過ぎた。自分達の関係は始まる前から終わっていたのだと思う。
「くっ、ぅ」
 頑なな心を読んだように、横っ腹を撫でられた。
「楽になさい」
 緩慢に持ち上がった柳生の腿が股間に擦り付けられる。兆し始めていたものがずくりと重みを増した。
「それ、いかん」
「嬉しそうですが」
 ぐりぐりと圧をかけられる。柳生の声音は柔らかい。
「体が悦ぶのが嫌なんじゃ」
 背中に腕を回して抱き寄せると、耳元で男が、ふ、と息を漏らした。車中で女の話をしていた時と同じ笑い方だ。
「私はあなたのそういうところが大好きですよ」

 ろくに慣らしもせずに玄関でそのまま犯される。どうせほぐしてきているんでしょう、と潤滑油もなしに、そのくせ自分のモノが汚れることを厭うて、胸ポケットにひそませていた避妊具は装着する。
 膝立ちで壁に手をつく格好で後ろから押し入られて、仁王は低く呻いた。熱が馴染む間もなく最奥まで突かれて、激しいインパクトを与えられるたびに足がフローリングにすれながら開いていく。膝が痛いと頭を振ったら笑って流された。
「気持ちよくありませんか」
「わざわざ、っ……訊かんでも分かるじゃろ、くっ」
 分かりません、と穿たれる。無理矢理に拡げられる感覚が苦しい。気持ちいいのに、居心地が悪い。早く解放してほしい。もっとヨくしてほしい。
「仁王君はこういう動きもお好きでしたね」
 言いながら、入り口のあたりにカリをひっかけてくる。
「アッ」
 くぽ、くぽ、と窄まりが拡げられる感覚が気持ち悪い。緩くなる、と逃げ出そうにも開いた足の間に男の膝が差し込まれているので身動きが取れない。近頃はまともな男としか寝ていなかったので、玩具のように扱われるのが苦しかった。
 しばらくして仁王の入り口で遊ぶことに飽いた男は、隙間をつぶすように腰を押し付けてきた。深く繋がったままぐちぐちと揺さぶられて、「ふ、ぅ……」と悔しげな嬌声が漏れる。「やはりあなたは最高ですね」
 褒められているのに少しも嬉しくない。後ろからペニスを握りこまれて、中にいる柳生をますます強く締め上げてしまう。
「や、ぎゅ……はっ、あ」
「はは、気持ちがいいですよ。もっと締められますか」
 荒れのない指が根元から先端にかけてを往復する。蠕動する内側を、柳生は楽しげに突き崩す。仁王が情けない呻めきを漏らすたびに悦んで、背後から抱きしめてくる。まだ青かった頃に、背中に密着した熱が心地良くて、俺のことが好きかと訊いたら、笑って流されたことを思い出した。
「っ、うう……」
 当時の感情がぶり返すと、腹の奥が重怠くなる。柳生は悪い男だが、自分は救いようもない変態だ。酷くしてほしい。痛くしてほしい。体だけじゃない、心も無茶苦茶にされたい。
「仁王君」
 願望が、口に出ていたはずもないのに、柳生は優しく仁王の耳を撫でた。腰を揺さぶる動きを一旦緩めて、行き止まりをごつごつと潰す。
「ぁ」
 大切な話があるんです、と柳生は仁王の肩に歯を立てた。皮膚が千切れるのではないかと思うくらいに強く力を込められて、潰れた悲鳴をあげながらも、仁王のナカは締まる。
「くぅ」
 解放されたあとも、歯形のくっきりと残るそこは熱を持ち続けた。痛みに鈍る頭に、柳生の通りの良い声が響く。
「十二月に入籍することになりました」
「は、あ」
 柳生は仁王を揺さぶりながら、来年行われる挙式の会場と、そこに招待する予定の人間の名前を挙げ連ねていく。
「報告したのは家族以外ではあなたが初めてですよ」
「それは、ありがたいが」
 気がつけば前が萎んでいた。痛いくらいに体を駆り立てていた熱が冷えていく。これで終わりなのだと思うと、男と寝るようになってから絶え間なく体を包んでいた圧から解放されたような心地がした。
「ありがとう」
 今度は実感を伴って繰り返すと「楽しみですね」と柳生は言う。何が楽しみなのだろう。披露宴の会場で、自分と結婚相手がかち合うことだろうか。
「良い式になるとええの」言葉に嘘はなかった。
「泣いていますか」
 うなじに唇が落ちてきた。目眩のようなものを覚えて、目を閉じると、再び抽挿が始まる。すぐにでも家に帰りたかったが、行為は長く続いた。普段の上品ぶった態度をかなぐり捨てて、股間を握ったまま激しく腰を揺する男の中には、多少の感傷も混じっていたのかもしれない。
 玄関で柳生が達したあと、シャワーを浴びることも許されずにベッドルームに連れ込まれた。真っ新なシーツの上に仰向けになった男は、仁王に自分の顔を跨ぐように命じた。
「まだ達していないでしょう」
「俺はいい」
 それでも帰りたいとは言えずにいると、男は眼鏡を外す。これで見えませんから。太い声に引きずられるようにして足を広げて、自分に似たところのある顔を跨ぐ。
 間髪入れずにペニスを口に含まれた。じゅるじゅると音を立てて吸い上げられると、萎えかけていたそこに芯が通る。カリの境目、血管の集まる裏筋を舌先で潰されると体が勝手に震えた。気持ちよすぎて怖い。
「はあっ、ぁ」
 いくつになっても慣れない快感に腰を引くと、尻に手が回された。緩んだままの窄まりに、男の長い指が吸い込まれる。そこからはもう駄目だった。
 器用な男の指は、一番敏感な場所を容赦なく擦り上げる。前後から絶え間なく快感を与えられて、逃げようとしても許してもらえなかった。
 程なくして仁王が達しても、柳生は彼を解放しなかった。達したばかりでひりつくそこを、後ろからの刺激で無理矢理に勃たせて、抵抗する気力が尽きるまで吸い上げる。
 何が柳生をここまで駆り立てるのだろう。考えることに意味はない。どうせ今日で終わりだ。ようやく終わりに出来る。
 乾いた目をして横たわる仁王の体をうつ伏せにして、柳生はまた押し入ってきた。昔よりもずいぶんと肉の削げた仁王の腰を掴んで、ナカをかき混ぜる様に律動する。
「っ、ふ……」
「はぁっ」
 流石にその頃には柳生の息も上がっていた。くぐもった喘ぎを漏らし続ける仁王の口をシーツに押しつけて、ずずっと腰を引く。肌のぶつかる音を立てて貫く。息が苦しい。苦しいのが気持ちいい。
「彼女も悪くはないんですが、あまり無茶をやると嫌われてしまうので」
 酷いことを言われているのに、抗議をする気力も湧かなかった。年若い内に同じことを言われてもだんまりを決め込んでいたと思う。仁王には元来その手の不満を言う能力が欠如していた。
「ほら、力を入れて」
 突き上げられるたびに落ちていく腰を柳生が引き上げる。強いストロークで奥を叩かれると、体ががくがく震えた。
「むっ、っ」
 抽挿のたびに形を変える内側に沈み込んだ柳生の熱が、感じる部分を乱雑に擦り上げる。前は萎みきっているのに、後ろだけで達しそうな気配に、仁王は腰砕けになった。嫌じゃ、やめてくれ、顔を持ち上げて呟く声は掠れている。
「嫉妬しているんですか」
「はっ、なにを……っ、く」
「あなたの前で他の人の話をしたことは謝ります。申し訳ありませんでした」
「俺はそんな、んっ……」
 噛み合わないやりとりを続けるのが嫌で、膝を前に出すと、尻を強く打たれた。皮膚に走る鋭い痛みが快楽に繋がる。こんな風にするのはあなただけですよ。悪夢のような声が耳に吸い込まれると同時に、仁王は達した。
 数ヶ月後に入籍を控えた男は、その後浴室でも仁王を求め、一人にしてくれといくら頼んでも解放してくれなかった。次第に抵抗するのも億劫になって、されるがままに場所を変えながら抱き合っている内に夜になる。
「気持ちが悪い」
 最後の挿入のとき、仁王が漏らした声に「うそつき」と返した男が裸のままベッドに横たわっている。床に転がっているはずのボクサーを探すためにスマホのバックライトをつけると、眩げに目を細めてうつ伏せになった柳生のうなじは白い。
「帰られますか」
 流石に疲れているのか、平素は胡散臭いくらいに爽やかな声が、低く淀んでいる。
「今晩は泊まる。腰が痛い」
「無理をさせてしまいましたね」
 拾い上げたボクサーに足を通したところで伸びてきた指先が腰に触れた。
「案外頑丈に出来とるけぇ大丈夫じゃ」
 自分を求めるように動く指に応じて男の隣に横たわる。薄い頬を撫でられた。顔を寄せると、触れるだけのキスをされる。柳生と二人でいてこんなに穏やかな気持ちでいられるのは久しぶりだった。
「随分ご機嫌ですね」
「そう見えるか」
「ええ、たくさん可愛がった甲斐がありました」
 瞼に触れた唇は柔らかかった。その柔らかで心地よいもので、妻になる女を可愛がってやればいい。自分はもうお役御免だ。
 浮ついた心を押さえつけるように下唇を噛む仁王の頭を柳生が抱き寄せた。

「思い出作りにしばらく二人で暮らしませんか」

 何を言われたのか分からなかった。言葉を失い黙り込む。
「結婚したら今まで通りに家に来てもらうことは叶いませんから」
「はあ」
「彼女との生活が始まってからあなたと落ち合う場所についても考えないといけませんね」
「結婚したら俺とは終わりじゃろ」
 乾いた喉から仁王が絞り出した言葉を、柳生は一笑した。
「そんな残酷なこと私がすると思いますか」
 汗の滲んだ肌に抱き寄せられたとき、柔らかな殺意が仁王の体を包んだ。
「彼女が越してくる前に壁紙もフローリングも張り替えますから、どんな無茶をしても大丈夫ですよ」
 更に重ねられた言葉で、それが強い衝動に変わる。仁王は十二月の頭までの間、柳生と住処を共にすることに応じた。
 それからというもの、人を殺す方法を調べるようになった。もちろん一晩眠れば頭も多少冷えたので、本気で実行に移すつもりはなかったが、いつでも殺せる相手だと考えて過ごすことが精神を穏やかに保つために肝要だった。
 インターネットで調べると痕跡が残るので、休みの日にこつこつ図書館に通い、現代ミステリやら、医学書やら、はては子供が喜ぶような呪いの本まで手に取って、その場で読んで柳生のマンションに帰る。
 休みのたびに出かける仁王に、柳生は勉強熱心ですねと笑いかけた。行き先も伝えていないのに。そのとき初めて、スマホの片隅に見覚えのない位置情報のアプリがインストールされているのに気がついた。削除する気にもなれなかった。近頃はセフレとの連絡も絶っている。やましいことは、心の内側にしかない。
 それでも物の試しと言わんばかりに、適当な理由をつけて部屋を出て、ホテル街で小一時間暇を潰して帰った晩は手酷く犯された。柳生が未だに自分に執着していることが意外だった。
 仁王はその遊びを何度か繰り返した。柳生との関係にはうんざりしていたが、征服するように抱かれるのは好きだった。柳生はどこかのタイミングで仁王の実際の動きに気づいたようだったが、何度でもその茶番に付き合ってくれた。そうしている内に、仁王は図書館に通うことをやめた。
 仁王と柳生が肉体関係にあることは彼の家族など一部の人間に知られている。どれだけ上手く隠したところで、柳生が死ねば真っ先にうたがわれるのは自分であることは間違いない。柳生のために自由を奪われるのは、男の伴侶となる女だけで充分である。
 仁王は元々住んでいた家を引き払うことに決めた。平日に有給をとり、柳生が白衣に身を包んでいる内に、新しい家に越すために荷物をまとめる。次の住まいは、信用のおける相手にしか教えない。これくらいで柳生と離れられるとも思えないが、二十歳過ぎから暮らした部屋が空になると心も晴れやかになる。
 二人の生活の最後の日、柳生は壊れ物を扱うように仁王を抱いた。初めて好きだと言われた。大切だと言われた。言うまでもなく心は動かなかった。抱き潰された方がマシだった。
 ある意味この上なくエゴイスティックな行為が終わり、スーツケース一つ分の荷物をまとめた仁王が玄関に立つと、柳生は初めて出会った頃と変わらない張り付いたような笑顔を彼に向ける。
「仁王くん、あなた私を殺す機会を逃しましたね」

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