Day dream believer

Day dream believer

 人の親の真似事を始めてからもう十三年が経つよ。真田、俺は四十を過ぎた。鏡に向き合うと、昔よりも随分と二重幅が広がってしまった気がして、過ぎ去った年月の大きさに気が遠くなる。なんて、中学時代にはもう三十路過ぎに間違われていたお前からするとお笑い種かな。
 お前と、あの人の子供は随分と背が伸びて、今では俺の身長を追い越そうとしている。お前に似て、骨の太い子供だ。毎朝学校へ送り出すとき、遠ざかっていくその大きな背中を見ると、俺は未だに息が止まりそうになる。
 忘れてしまえってお前の声が聞こえる気がするのに、過去に還る心を止めることが出来ない。俺たちが青学に負けた夏、お前と初めて出会った四歳のあの日、そうして、お前の人生に幕が引かれた日。
 十三年前の五月十六日、高速のサービスエリアにお前はいた。警察車両のシルバーのクラウンの運転席、先輩刑事が用を足すのを待つ間、お前は少しも気を抜いた素振りを見せなかったね。
 あそこで会ったのは本当に偶然だったんだよ。あの人がお前の子供を産んだって聞いてからは連絡もよこせずにいたから、ああして窓を叩くのにも勇気がいった。人一人平気で殺せそうな眼で顔を上げたお前はとても子持ちの男には見えなかったけど、強化ガラス越しに俺の姿を認めると、狐につままれたような顔をしていたっけ。
 日本に帰ってきていたのか、窓を開けて、開口一番だった。お忍びだからネットに書き込むなよ、冗談のつもりで笑ったら、たわけがって硬い声が返ってきたけど、眉間の皺は緩んでた。
 そのあと戻ってきたお前の先輩に挨拶をして、二十二日に食事に行く約束をした。二十一日じゃないと嫌だって俺がごねたら、お前はどんな顔をしたんだろう。それが生きてるお前に会った最後の日だった。
 あれから五日後の五月の二十一日。二十八の誕生日にお前は死んだ。あの日お前たち夫婦は、実家にあの子を預けて、二人でお昼を食べに行こうとしていた。たまには私の運転で行きましょうって、主にあの人の乗ってた軽自動車に乗り込んで、二十分も立たない内に、居眠り運転のトラックが横から衝突。救急車に担ぎ込まれたときには、二人とももう息がなかったって聞いてる。
 昔のお前は、トラックなんか片手で跳ね飛ばしそうだったのにね。やっぱり家庭を持つと男は弱くなるんだな、そんな風に考えてしまうのは俺が同性愛者だからか。

 お前が死んだって聞かされてから、二十三日の本通夜までの記憶は殆どない。それでもどこで買ったのやらブラックスーツに袖を通して、香典片手に芳名帳に名前を刻んでいたんだから、あれで案外冷静だったのかな。
 あのとき受付に立っていたのは左助くんのお母さんだったね。子供の頃から何度も顔を合わせていたけど、あの日は随分と印象が違って見えた。目の下には、澱のように淀んだクマ。鼻の下は真っ赤に充血して、ファンデーションも剥げかけてた。
 俺にすぐに気がついたお義姉さんは、ハンカチを目に押し当てた。どれだけハンカチを濡らしても、その液体が尽きることはないみたいだった。俺はどんな言葉を吐き出せばいいのか分からなくて、だんまりを通した。
 住所と名前を書き終えて、ふくさから取り出した香典を手渡すと、深く頭を下げたお義姉さんは、俺に一つの箱をよこした。水色の紙に包まれたそれは、会葬の返礼の品にしては妙に大きくて、重たくて、目を白黒させる俺に、お義姉さんは言った。それは弦一郎からあなたに──。
 二ヶ月遅れの誕生日プレゼント。らしくもないことをしてくれたなって、今でも思う。どういうわけだか中身はデロンギのブレンダーだったね。あれはかなり役に立ってくれたんだけど、その話はまたあとで。
 通夜の会場で真っ先に目に飛び込んできたのは、華に溢れた祭壇の中央に置かれたお前の写真だった。何かの式典の最中に撮られた写真だったんだろうね。見慣れた仏頂面のお前は、私服警官のくせに警察服を着て、こちらを睨みつけていた。あまりにらしくて笑いそうになったけど、それが遺影だと認識した瞬間、息が止まった。あの瞬間まで俺は、お前が亡くなったことを信じられずにいた。
 お前の遺影の隣には、あの人の写真が並べられていた。二人の通夜が同時に執り行われる場合でも、香典の額は一人分と同じ額でよかったのかな。あの人の姿を認識した瞬間に、ハッとさせられた。
 あれはお前が撮った写真だったのかな。彼女、綺麗に笑ってたね。唇を左右対称に持ち上げて、とてつもなく幸せそうに笑ってた。レンズに向けられた目が、黒々と、強く輝いていて、結婚式の日に初めてあの人を見たとき、お前は本当にこの手の目つきの女が好きだなって変な笑いが出たことを思い出した。初めて出来た彼女もああいう目をしてたよね。
 結婚式の日、真っ白なチャペル。彼女の姿を参列客から隠すようにキスをしたお前は、あの人を本気で愛していたんだろう。
 自分とか周りの心を置き去りにすれば、お前はあの人と一緒に死ねてよかったのかもね。あの人に先立たれたお前が、その悲しみの全てを飲み込んで一人であの子を育てる。あり得たかもしれない未来を想像すると、たまらなくなった。
 通夜は三時間……かからなかったかな。通夜振る舞いに箸をつけている間も、俺はお前の家族の顔が見られなかった。
 通夜にはたくさんの弔問客が来ていたね。お前の家は親戚同士の結びつきが強かったみたいだ。だけどその殆どすべての人が自分と同じように顔を伏せて黙りこくってるのが居た堪れなくて、俺は三十分も経たない内に会場をあとにした。
 精市君、火葬場で一緒に弦一郎を見送ってほしいの──元々とっておいたホテルに戻ってシャワーを浴びている間も、別れ際にお前のお母さんが漏らした言葉が頭から離れなかった。
 通夜の席で布団の上に並べられた二人の遺体。顔にかけられた布を外されてもなお、俺はあれを人間として認識することが出来なかった。それなのにあの体が、お前の逞しく美しかった体が、燃えて白い骨になるのを想像すると、体が半分に引き裂かれるような心地がした。
 真田が焼かれるところなんて見たくないです。その言葉が吐き出せないまま、翌日の葬式は終わった。
 二人の遺体をいっぺんに乗せることなんて出来るはずもないから霊柩車は二台。だからといって、お前ともあの人とも同じ車に乗る気にはなれなくて、俺は葬儀場の前でタクシーを待っていた。
 お嫁さんのご両親は亡くなってるって。じゃあ弦一郎の赤ちゃんはあの二人が育てるの。あの人達しっかりしているけどもう七十も近いのよ。成人するまでは生きてられるか分からないわね──。
 親戚のおばさん連中のさざなみのような声が、車を待つ俺の耳に届いた。まだ産まれて半年を過ぎたばかりだったあの子は、授乳マットを二つ重ねて作られた寝床に横たわっていて、葬儀の間も殆ど眠っていた。
 火葬場では誰も口を開かなかった。俺は目の下を真っ赤に染めたお前の両親の姿を視界に入れないようにしながら、どこか歌にも似た響きを持つ読経を聴いた。あのときの僧侶はかなりいい声だったね。もちろんお前には叶わないけど。
 火葬鈩に棺が吸い込まれていく瞬間は、流石にキツかったな。愛する人を亡くした殆どの人間とって、あの瞬間は一番苦しいものになるんだろう。目の前で大声で泣き叫ぶお前の家族がいなかったら、俺も膝から崩れ落ちて、二度と立ち上がれなくなっていたと思う。
 細身の奥さんは一時間くらいで綺麗に骨になったけど、お前が焼けるのにはかなり時間がかかった。俺たちはあの人の亡父の兄だという伯父さんと一緒に、小さな骨壺に彼女の欠片を納めながら、お前の火葬が終わるのを待った。伯父さんは、小さな骨壺に収まったあの人を抱いて、「うちは代々短命の家系で」って肩を震わせていた。
 そうして直前にあの人の骨を見ていたのに、収骨室で対面したあの白い物の群れがお前だとはどうしても思えなかった。この親不孝者。お父さんはバラバラになったお前に向かって詰った。すすり泣く声。部屋の空気が震えているのを感じながら、俺はあの人の叔父さんとお前の足の骨を箸で摘んだ。気を抜くと落としてしまいそうになるくらいしっかりした骨だった。
 腰のあたりまで骨を詰めた頃には泣き声もやんでいて、その代わりに、「これは入りきらないかもしれない」という疑念が一同の間に立ち込め始めていた。
 誰ともなく火葬場の人に目配せを送ると、オールバックに髪を撫でつけた初老の男が、「骨の太い方だったんですねえ」と口元を綻ばせた。どう考えても不謹慎だ。誰か怒るだろうと思ったのに、お前の家族は緊張の糸が解けたみたいに笑って、弦一郎はあの世に行っても存在がゴツいなぁなんて口々に言い合う。
 涙を流すことに疲れていたんだよね。今ならそれが理解出来るけど、あの日の俺は妙に憤慨して、収まりきらない分は全部俺にください──なんて。お前の親御さんは困ったように視線をさまよわせた。ただの友達がそんなことを言い出して気味が悪かったんだろうな。それでも結局ポケットに収まる分だけのお前を俺に分けてくれた。
 その日はホテルに荷物を残したまま実家に戻ったよ。両親と妹も葬式には来ていたけど、俺を気遣って帰宅後も声はかけてこなかった。
 母さんの作ったカリフラワーと人参のポタージュ。それを自室で平らげてから、同じベッドの上で人生で初めてお前と寝た。小さく白んで、かさかさになったお前。撫でても、指ではじいても、お前は呻めき声ひとつあげなくて、無力感で胸がいっぱいになったけど、涙は出なかった。大の大人が手放しで泣いている姿を、お前には見せたくなかった。
 お前の家族に、あの子を引き取りたいと伝えたのはその二日後だった。俺はまだあの子とまともに顔を合わせたこともなかったけど、火葬場の煙突が吐き出す黒い煙を見ながら、そうしようと決めていた。
 簡単な気持ちで言っているわけじゃありません。畳に額を擦り付けるみたいにして頭を下げた俺の背中に、戸惑いの色を孕んだざわめきがのしかかった。お前の家族が困っていたのは、気軽に申し出ているわけじゃないと分かっていたからだったんだろうけど。
 誰もが返事に窮して、黙りこくっていた。あの子は客間の隅で、あのときも寝息を立てていた。すず、と畳の擦れる音。精市君、柔らかな声に導かれるように顔を上げると、お母さんのどこかお前に似た瞳に、表情を失った自分が映り込んだ。
 酷い顔だった。その場に崩れ落ちそうになる俺の耳に、これは弦一郎じゃないよ──左助君の放り投げるような声が届いた。分かってるよ、俺はポケットの中のお前を握りしめた。分かってた、はずだった。それでも、本当はあの白いかさかさとしたものをお前だとは思えなくて、その柔らかな生き物の中にはもっとたくさんの真田弦一郎が残っている気がして、自分の手で育ててみたい……そう考えずにはいられなかった。
 そのあと、何度も何度も話し合って、あの子は俺が育てることになった。お前の親御さんは高齢だったし、お兄さん夫婦が引き取れば、主に面倒を見るのはあの子とは血の繋がらないお義姉さんになってしまうから。
 お義姉さんは、血が繋がっていないのは精市君だって一緒だってあの子を抱いて泣いて、左助君が宥めた。俺だけの母さんでいてほしいって。あのときは気を遣わせてごめんねって、この前謝ったら、「あれは半分本音だったよ」って笑ってくれた。
 俺が育てたといっても、あの子の姓は今でも真田のまま。初めの一年間は、俺が真田家に通って、子育てのノウハウをお母さんやお義姉さんに教えてもらった。
 あの家の人達は、不気味な申し出をした俺に寛容で、家にも頻繁に泊めてくれた。そういう日はあの子のベビーベッドのある部屋で眠ったよ。今思えば、あれは子供の夜泣きに俺が耐えられるか試していたのかもしれない。
 お前がくれたブレンダーは、あの時期は真田家に置きっぱなしだった。離乳食を作るのにとても役立ったんだ。あの子は案外偏食で、人参やほうれん草なんかの色の濃い野菜は、どれだけ滑らかにしても吐き出してしまうから少し参った。
 結果的には重宝したけど、お前があんなものを俺によこした理由は後々まで分からなかった。謎が解けたのは、あの子を引き取ってから何年か経った頃。真田家でその話を持ち出したら、料理を始めたって雑誌のインタビューで答えてたからだってお義姉さんが教えてくれた。あんなの適当に答えただけだったの。現役時代の俺は、卵焼きしか作れなかった。
 海外に渡ってからお前が亡くなるまでの十年間。顔を合わせたのは数えるほどで、お前の中での俺の存在はいつの間にか、雑誌やテレビの中に時たま登場する有名人になってしまっていた。だけど仕方がないよね。あれは俺が選んだ道だったんだから。
 
 なんの前振りもなくプロを引退すると伝えても、家族は反対しなかった。一度言い出したらきかない、頑固な子だからと父さんは笑って、母さんは俺に、あの子を育てるために料理を教えてくれた。その料理教室は、実際にあの子を引き取ってからもしばらく続いた。
 あれはいつだったかな。ああ、思い出した。二歳前のあの子が、ハンバーグって言葉を初めてはっきり口に出した日だ。椅子から飛び降りたり、コップの水を床にぶちまけたり、起きている間は一瞬も目を離せないあの子の相手を妹にまかせて、キッチンに並んで立っていたとき、母さんが流した涙がハンバーグの肉だねに落ちた。
 それでね、言うんだ。あの子のことを、自分の子供よりも大切に育てないといけないって。俺がゲイで、自分の本当の子供なんて望むべくもないって知ってるはずなのにね。だからこそ、だったのかな。俺に血の繋がった子供がいたら、母さんはあの言葉を口に出せずにいたかもしれない。そうしてあのときのことがあったから、というわけでもないけど、俺は自分なりに力を尽くしてあの子の親の真似事をしてきたんだよ。
 プロに戻らないかって誘いを受けたことは、一度や二度じゃなかった。揺れなかったと言ったら嘘になる。それでも迷うそぶりは見せずに全部退けた。俺はテニスが絡むと妥協を許せなくなるから、二足の草鞋なんて履けるはずもなかったし、プロに戻るとしたらまた海外に渡ることになる。俺は、いつかは巣立っていくであろうあの子と過ごすことの出来る長くはない時間を、出来る限り潰したくはなかった。
 一番キツかったのは、あちらに残してきた恋人に電話で別れを告げたときかな。亡くなった友人の子供を育てるから戻れなくなった──杓子定規に何度も繰り返す俺に、「君にはそんな感傷は似合わない」と彼は甘い声で説いた。余裕すら感じられる声だった。戻ってこないはずはないって信じてたんだと思う。
 だけど何十分話しても俺が態度を変えずにいると、その声が次第に大きくなってきた。精市、君は美しい。精市、君は孤独であるべきだ。精市、僕は君を──最後の方はほとんど慟哭に近かった。それを封じ込めるみたいに通話を打ち切って、俺はその場にしゃがみこんだ。うるさいよ、呟いてみてももう俺の最後の男はなにも返してはくれなった。
 幸村精市に感傷は似合わない、それは俺自身が一番分かっていた。だけどあの子を育てることは、自分のためにやっていることだった。
 これはただのエゴだ。自分にそう言い聞かせながら寝室に戻ったら、あの子の無垢な寝顔が俺を迎えた。今夜は眠れそうにないと思っていたのに、隣に横たわって、その寝息を数えている内に、気がつくと朝になっていた。そんなことが何度もあったよ。

 ワンワン。あんまんまん。ぁーじろー。おぼろげながらも言葉が出始めたのは、一歳になった頃だったかな。あの頃あの子はまだ真田家にいて、俺が家を訪れるたびにお気に入りのキャラクターのぬいぐるみを見せてくれた。
 ママとかパパから覚える子が多いんだけどね。お前のお兄さんが言うと、お義姉さんが、「人によるよ」って気遣うみたいに笑った。
 俺があの子に対して、パパはねっていう風に声掛けをすることはなくて、お前の家族は俺のことを精市君と呼んだ。だからあの子は結構長いこと俺のことをクーンって呼んでたんだよ。それがすごく可愛くて、流暢に喋る日なんて一生こなければいいのにって考えてしまうくらいだった。
 二歳になってしばらくが過ぎた頃かな。母親にいくらお金があっても働かないと身が錆びるわよって尻を叩かれた俺が、ちょっとした仕事を始めて、あの子を週に一度程度一時預かりにやるようになった。
 俺はまだあの子を外にやるのが不安で、保育園に通わせるのには気乗りしなかったけど、お前のお母さんやお義姉さんは社会勉強になるからって行かせてみなさいって。二人の言った通り、実際あれはすごい場所で、保育園に通うようになったあの子は、コップに溜まりきった水が溢れ出るみたいにたくさんの言葉を扱うようになった。
 あの子が通園を始めて数ヶ月、勤めが予定よりも長引いて、普段は四時の迎えが五時過ぎになった日。何もかもが小さな園の教室に足を踏み入れた俺を見つけたあの子は、パパーって叫びながら駆け寄ってきた。戸惑いに目を丸くしている隙に腕の中に収まる温もり。昼寝用のベビー布団のバッグを片手にこちらに歩み寄ってきた保育士さんは、「“パパ”が迎えに来てよかったね」といつものようにあの子に笑いかけた。
 あの子と俺が本当の親子じゃないって知らないはずもなかっただろうに。あの人達は、送り迎えのたびに俺を“そう”呼んだ。それを何度も繰り返すうちに、あの子は俺のことをパパだと認識するようになったんだよ。
 嫌になるよね。俺は自分の腕の中にある柔らかな温もりが恐ろしくてたまらなくなった。当時の俺は、慣れない育児に忙しくて、お前の死を悼んでいる暇もなかった。そのくせあの子が何か新しいことを覚えるたび、自分の胸の内側から溢れ出す幸せに、絞め殺されそうになっていた。お前が受けるはずだった幸せの全てを、自分が奪い取ってしまった気がして──それこそ感傷が過ぎるかな。
 パパという呼び名が、アニメキャラの影響でお父さんになり、お父さんという呼び名が、小学校の友達の影響で父さんになった頃、あの子は真田家に行くたびに手を合わせて挨拶をしていたお前たち夫婦と、自分の関係性を理解したみたいだった。真田家の仏間でお前達の写真に向かって、「お父さん、お母さん」と呼びかけたあの子の、無垢で透明な声。俺が本当の父親じゃないことも同時に理解したんだろうけど、父さんがクーンに戻ることはないまま今に至る。
 俺が足踏みを続ける間にも、あの子はどんどん成長した。週に一度、真田家で囲っていた夕食の席にも、中学に上がってしばらくすると学校帰りに自分の足で行くことが増えて、俺は軽い寂寥感に襲われた。
 父さんは、ゲンイチローの恋人だったんでしょ──真田家で食事をとった帰り道、声変わり前の澄んだ声がハンドルを握りこんだ俺の耳に届いた。父親から譲り受けたセダンの皮張りの助手席に腰掛けたあの子は、言葉を失ってハンドルを強く握りこむ俺に、「隠さなくていいよ」と追い討ちをかけた。
 左助君がそう言っていたらしい。俺たちは子供の時分から何かと距離が近かったし、俺がこういう声と見かけをしているのもあって、そういう関係なんじゃないかって勘ぐられることも少なくはなかったけど、お前の家族はずっと誤解してたんだね。俺が二十代の頃に同性の恋人がいることを報じられたのも一因だったのかな。
 結婚の挨拶にきたあの人が、お花を摘みに中座している間に左助君が、「ゲイのカモフラ婚にあんな綺麗な人を巻き込むなんてサイテーだ」ってお前ににじり寄った話を聞いたときは申し訳ないけどかなり笑ったよ。
 障子の影でそれを聞いてたあの人、お前に平手打ちしたんだってね。その話を俺にしたあの子は、何故だか少し誇らしげだったよ。お父さんがお母さんを何週間もかけて必死に宥めて許してもらったんだって、なんて笑ってた。
 お前の頑張りが足りずに、あの人がお前を許さなかった道もあったんだろうか。考えても仕方のないことを、最近の俺は考える。お前が結婚せず、女性との付き合いも億劫になって、俺と再会する軸。だけど想像はそこで終わり。その世界には、あの子は存在しない。だから俺は、あの人がお前を許してくれて良かったと、今は心から思える。
 第一、俺がお前にセックスを求めていたのは童貞を捨てるまでだった。あちらに渡って数年間は、体の隙間と、心の渇きを一瞬でも満たしてくれるあの行為にのめり込んだものだけど、そこにお前を介在させたいと考えたことはない。もしもお前と“そう”なっていたら、俺たちの関係はますます遠ざかっていたんじゃないかと思う。
 相手のあるセックスは、ある種の馬鹿馬鹿しさを孕んでいて、事後には一人で体を慰めたとき以上の虚無感を俺に与えた。だけど体を繋げた恋人達はみんな、俺のことを愛しげに抱きすくめてくれたから、あれはきっと俺の性質の問題だったのかな。
 お前はあれをどういうものとして捉えていたんだろう。
 お前があれをどう捉えていたかには関係なく、お前とあの人の間にはあの子が産まれた。
 俺たちが体を繋げたところで、ストレートのお前が男の俺の体で快楽を貪ることに理由をつけるための、ハリボテの愛情くらいしか生まれなかっただろう。それどころか、燻る性欲が解消されてしまえば俺はお前への情念を失っていたかもしれない。全くゾッとしないよ。真田、俺は命が尽きるその瞬間まで、この淀んだ澱にも似たお前への妄念を胸の内に飼っていたいんだ。

 今年もまた五月二十一日がやってきた。お前の誕生日、お前の命日。あの子を引き取ってからは毎年真田家で過ごしていたこの日を、今年はあの子と二人で過ごしているよ。今年はうちにいる。あの子がそう言ったんだ。
 俺に向かって父さん、と呼びかけてくる声は既に声変わりを済ませていて、視覚を閉ざしてしまえば区別がつかなくなってしまいそうな程にお前のそれに似ている。
 だけどあの子は真田弦一郎ではないし、もしも全く同じ遺伝子を持って産まれてきたとしても俺に真田弦一郎を作り上げられるはずはない。始めから分かっていたことだけどね。
 俺が手塩にかけて育てたお前の子供は、肉よりも魚が好きで、植物と絵画を愛している。学校では美術部に所属していて、テニスラケットには一度も触れたことがない。声が大きいところはお前譲りかな。
 俺をお父さんと呼んでいた時期のあの子は、あの人に似ていて、お前を実の父親だと認識した時期のあの子は、二人でテニスクラブに通っていた頃のお前に似ていた。一度は殆どゼロになったこの世界におけるお前の総量は、あの子が大きくなるにつれて、少しずつ嵩を増して、だけど百に戻ることは決してない。
 当たり前の事実に感慨を抱く間もなく、十三年が過ぎた。あの子は珍しく、俺にお前の話をせがむ。
「亡くなった日の翌日、会う約束をしてたんだよ。誕生日の翌日だったから、プレゼントを用意してた」
「それってもう捨てちゃった」
 捨てられるもんか。だけど包みを開く勇気も出なくて、俺はそれを十三年もしまい込んだままにしていた。あの子はそれを見てみたいと言う。お父さんにも見せよう、と食卓に置いたお前たち夫婦の写真をこちらに向けた。
 探し始めてから十分とかからない内に、それは俺の手の内に収まった。林檎のマークの印刷された白い箱に入ったそれを、「開けてみていいよ」という言葉に従って、おずおずと中身を覗いたあの子は、目を丸くした。
「これ、アップルウォッチだよね」
「滅多に会わないからどういう物を喜ぶかも分からなくてね。真田が使わなくても、君のお母さんが使ってくれたらいいと思って」
「昔のってこういう形だったんだ」
 すらりと伸びた指が、明かりを灯さない液晶を撫でる。手のひらにのせたそれを、あの子は柔らかな目つきで見つめていた。
「だけどもう、使えないね」
 気遣わしげな声。俺が頷くと、細い睫毛が震えた。
「電源が入ったところで今のスマホには対応してないだろうね。普通の時計にしておけばよかったな。そうしたら君に使ってもらえた」
 十三年という年月は、あまりにも長い。お前に渡すはずだったプレゼントはがらくたになったし、最後に会った日にお前が乗っていたクラウンは警察車両として使われなくなった。お前とあの人の残した小さな子供は、今では俺の背に迫っている。
 これから更に十三年が過ぎれば、この子は時間の止まったお前の歳を追い越す。俺だってもっともっと歳を取るし、その頃まだ生きているって保証もない。そのくせ俺の心がお前の心に追いつくことは、永遠にない。
「お父さんの話、もっと早く聞けばよかった」
 壊れ物を扱うような優しい所作で、あの子は俺のプレゼントを箱に戻した。
「聞きたかったなら聞けばよかったのに」
「話したくないと思ってたから」
「俺たちが恋人だったっていうのは誤解だって前に言ったよね」
 真田の家の人たちはそそっかしいんだから、と笑って見せた俺に、同調するように眉を下げたあの子は、もうずっと昔から俺の心に気づいていたのかもしれない。
「今はいいことしか思い出せないよ」
「昔は違ったの」
「腐れ縁だったからね、色々あった」
「怖い人だったんでしょ」
 左助君が言ってた、とあの子は続ける。
「自分にも他人にも厳しい男だったけど、俺には優しかったよ。君のお母さんにはきっともっとね」
「優しい顔を見たことがないから想像がつかない。写真が残ってないわけじゃないけど、仏頂面で」
「確かに。笑顔の写真はないだろうな。そもそも写真自体がそんなに好きでもなかったし。だけど柔らかい表情をすることもあったんだよ。ああ見えて可愛いものが好きでね、左助君のことだって、とても可愛がっていた。家にある爪切りひとつとっても、自分が使ったあとに絶対アルコールで消毒するんだ。左助君が次に使うかもしれないからって──」
 語り出したら止まらなくなって、俺は思いつく限りのお前の話をあの子に聞かせた。あの子はその取り留めのない話にじっと耳を傾けて、俺が話を終えると、静かに口を開いた。
「今までお父さんのこと、すごく遠くに感じてた。写真の中の、こっちを睨みつけてくるみたいな顔しか知らなかったから、お母さんは綺麗なのになんでこんな怖い人と結婚したんだろうって思ってた」
「あれで結構男前だったと俺は思うけど」
「だけどここにいたんだね」
「え」
「父さんの中に、いたんだ。お母さんが、周りの人が、父さんが、大好きだった真田弦一郎が」
 心臓が引き絞られるみたいだった。その日俺は、お前がいなくなってから初めて泣いた。大の大人が体を震わせて涙を流す姿を、お前の、あの人の、俺の息子は、あの強い瞳で見守っていた。

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