指先で滑る

「日本で過ごす正月も悪くないもんだな」
「はあ、そうですか」

我が家のコタツを我が物顔で占拠する跡部さんが吐いたその言葉は一部の人間からすれば酷く癇に障るものだったのかもしれない。
それでも彼の金持ちであるがゆえの非常識な言動に充分に慣らされてしまっている俺はその言葉に対して怒りや妬みの念を抱くこともなく、それどころか年を跨いでも変わることのない跡部さんのそういう類の発言に安堵の念すら感じていた。
だからといって必要以上に温かい言葉を返すことはない。
いつも通りに素っ気ない、熱のない態度を返して跡部さんの出方を見る。

「正月だってのに元気がねえな」

先ほどまでとは一転して渋い表情を浮かべた跡部さんは、俺の許可を得ることもなくコタツの上に置かれたカゴから蜜柑を一つ取った。
綺麗な形をした爪の貼りついた指が蜜柑の皮の上を滑る。
こうして見ると普段はどこぞの貴族のように気位の高い跡部さんも一般庶民の様に見え……はしないか、この人はぼろぼろの雑巾を使って床掃除をしていたって貴族にしか見えないだろう。
それがこの人の一番のアイデンティティなのだろうし、俺はどんな環境下にあっても気高くあり続けるこの人だからこそ下克上したいと思うのだ。
皮の上を滑っていた跡部さんの親指がヘタの上で動きを止めた。

「跡部さんは蜜柑をヘタから剥くんですね」
「あーん? 他にどんな剥き方があるって言うんだよ」
「一般的にはこうじゃないですか」

カゴから蜜柑をとって跡部さんがしたのと同じように皮に指を滑らせる。
親指は蜜柑のへその上でとどめた。
そのままへそに親指を入れこんで皮を剥き切る。

「へそから剥くんです」
「蜜柑の皮なんざどう剥こうが俺様の勝手だろうが」
「それもそうですね。ただ、」
「ただ?」
「その蜜柑は剥かないでください。俺が剥いたのがありますから」

跡部さんの手から爪の跡の一つもついていない蜜柑を掠めとる。
代わりに自分が剥いたばかりの蜜柑を手渡した。

「……自分で剥いたくせに食わねえのか」
「あなたに俺の剥いた蜜柑を食べてほしかったんです」
「はっ、なかなか可愛いことが言えるようになったじゃねえか」
「それはどうも」

俺が可愛いことを言うことなんて五年に一度もないだろう。
喜んでいる様子の跡部さんには悪いが、実際には跡部さんに蜜柑の皮の剥き方に関する一般論(そうとも言えないかもしれないが)を示そうとして皮を剥いてしまったものの、俺の舌が蜜柑の甘味を求めてはいなかったので跡部さんに厄介払いをしただけだ。
何も特別なことなんてない。

「甘いな」

蜜柑を一房口に含んだ跡部さんはしみじみ呟いた。
そんな跡部さんの様子にほんの少し心を和ませた俺が表情を緩めると、

「一房やる」

そう言って無理やりに蜜柑を食わされる。
そもそもこの蜜柑は我が家にあったもので、更に言えば俺が剥いたものなのに何故跡部さんにこうも偉そうにされなければいけないのかはよく分からなかったが、それでも口内でじんわりと広がる蜜柑の甘さはそう不快なものではなかった。
去年の正月、一年生だった俺は何をしていたのだろうか。不意にそんなことを考えたが、はっきりとは思い出せなかった。
きっと跡部さんが傍にいるせいだろうと思う。
この人の傍にいることが当たり前になった今ではこの人がいなかった頃のことはよくは思い出せなくなっているのだ。
つまるところ、この人は俺にとってかけがいのない人間だ。
……それなら、跡部さんにとって俺の存在はどんなものなんだろうか。
恋人、後輩、そう言ってしまえばそれまでだ。
どちらも替えがきくんだから。

「跡部さん」

それを確かめたくて名前を呼んだ。

「なんだ、美味いか?」
「まあ、美味いです」
「そうか、そうだろうな。俺様の蜜柑だからな」
「……どうしてあなたが得意気なんですか、俺の剥いた蜜柑でしょう」
「若は俺の物だからな」
「は?」
「お前は俺様の物だ」
「どこのジャイアンですか、俺は物じゃない」

苛立ったような表情を作って跡部さんから顔を背けた。
それでも、

「耳が赤いぞ」

必死に隠そうとしている弱みも、跡部さんには見抜かれてしまう。
……その鋭さはテニス以外では発揮しないでほしい。

「俺は……本当に怒っているんですよ」

苦し紛れな台詞を吐けば跡部さんは喉で笑った。

「そうだな……物扱いじゃ怒るのも無理ねえか、それならお前は俺様の一部だ。それでいいだろ?」
「……よく、」
「あーん?」
「……モチを焼いてきます。食べますよね?」
「焼き餅か、庶民文化だな」
「……金持ちでも餅は食うでしょうに」

立ち上がる俺を見上げる跡部さんがもう一度笑った。
ここで跡部さんの余裕を崩せないようでは下克上なんて一生出来ないに違いない。
しかし跡部さんの余裕を崩す言葉などそう簡単に思いつくはずもなく、諦めの溜め息を漏らした俺は餅を焼く網がどこにしまわれているのか思案し始めた。
跡部さんのことは一旦意識の外へ追いやってしまう。
そうして考えている内に去年、そしてそれ以前の正月についてとあることを思い出した。
それは俺は正月に餅を自分で焼いたことがないということ。例年餅は母親か祖母が焼いたものを食べるだけだった。

「跡部さんが正月を国内で過ごすのが初めてなのと同じように、俺も正月を家族以外の人間と過ごすのは初めてです」

唐突に口を開いた俺に跡部さんは軽く面食らった様子だった。
カゴから取り出そうとしていたらしい蜜柑がコタツの上を転がっている。

「あなたと二人きりで過ごす正月もそう悪いもんじゃないですね」
「ハッ、そうかよ」

珍しく素っ気ない言葉を返した跡部さんがコタツの上の蜜柑を手に取る。
網探しを始めるためにその場を離れようとした俺はそこで気付いてしまった。
跡部さんの髪の隙間からのぞく耳の頭がほんのり赤く染まっていることに。

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