皇帝ダリアの咲く頃に

皇帝ダリアの咲く頃に
「皇帝ダリアだ」
 公園の駐車場の片隅、澄んだ青空を背景に咲く花を指差すと、隣の男は緩慢に顔を上げた。十二月にしては柔らかな日の光を浴びた横顔が凛々しい。
「皇帝?」
 数秒遅れてまばたきをした真田は、花の名前なんてチューリップとたんぽぽくらいしか知らない。
 思えば、この男と自分の間には共通の趣味なんてものは一つもなかった。
 二人を繋いだのはただ一つ、テニスだけ。それなのに、就職と同時に真田がテニスをやめて、三十路を過ぎて俺がプロを引退した今になってもこうして時々は顔を合わせている。
「空に向かって堂々と咲いてる姿から名付けられたんだと思うよ」
「この時期になると時々見かけるが」
「こういう何気なく咲いてる花の一つ一つに名前があるなんてあまり意識しないだろ」
 男は静かに頷く。嘘や虚勢とは縁遠い男だ。そんなんで刑事の仕事がつとまるのか、と以前に尋ねたら、『仕事は別だ』と顔をしかめていた。
 散歩がてらに遊具のあるスペースまで足を進めると、ウィンドブレーカーを着込んだ子供達が遊具で遊んでいた。隣の緑地にはビーチバレーのコートが整備されているから、そこでの練習終わりにそのまま遊んでいるのかもしれない。
「中学生かな」
「高校生には見えんな」
 少年課にも詰めたことのある男が頷く。
「こう見ると案外幼く見えるね。真田はあの頃にはもう今とそう変わらない顔してたけど」
 どちらともなしにベンチに腰掛けて話を続ける。お互いそう無口なタイプでもないので、何もない場所でもそれなりに話は続く。
「母が驚いていたぞ。幸村は老けない、子供の頃とあまり変わらないと」
「若作りがバレたみたいで恥ずかしいな」
 先日数年ぶりに顔を合わせたその人の、優しい笑顔をたたえた面差しを思い浮かべる。少し皺は増えていたものの、背筋の伸びた凛とした立ち姿は、自分が幼かった頃と少しも変わらなかった。
「真田の家族はみんな姿勢がいいよね。左助くんも、背が伸びていたんで驚いたよ」
「全員剣道をしていたからな。母と父も道場で出会った」
 初耳だな、と返したとき、シーソーがタイヤを潰す音が耳に響いた。顔を上げると、中学生の男の子と女の子が向かい合ってそれにかけていた。
「あの子達はバレーかな」
 声をひそめて言うと、隣の男は頷いた。
「よく焼けているな」
「ほんとだ。今日は日差しが強いから」
 シーソーの座面の上、ぎっこんばったんと互い違いに持ち上がる二人は目の下を赤く染めていた。
「豆乳は本当に効くんだってば!」
「毎日飲んでんの?」
 座面同士の距離がひらいているせいか、性格によるものか、女の子の声は大きい。それに応じる男の子はどこか戸惑ったように顔をうつむけている。
「この半年くらい毎日。キャベツは効かなかったけど豆乳はすごいよ、板が小山になったし!」
 ああそういう話か。
「そういうことデカい声で言うなよっ」
 ぽんと跳ね上がった男の子の頬は、先程までよりも更に赤い。何照れてんのーと語尾を伸ばす女の子の声は笑みを含んでいた。
 つと、隣に視線をやると真田は冷めた目をして子供達を見つめていた。
「あれぐらいの年頃の頃、早く大人になりたくてたまらなかったな」
 大人って、もっといいものだと思ってた──そう続けると、男は立ち上がった。黒いセーターに包まれた背中をこちらに向けて歩き始める。
 それをゆっくり追いながら、ぶらりと垂れ下がった右手の人差し指に触れる。
「どうした」
 振り返った男の胸に、顔をうずめたくなった。

「煙草、やめてくれない。嫌いなんだ」
 眉をひそめながら言う俺に、隣の男は、「なんで? うまいのに」と煙を吐きかけてきた。
「体に悪い」
「なに、セーイチってまさか長生きしたいの」
 意外だわぁ、と溢したそいつは吸い始めたばかりのそれを灰皿になすって消してしなだれかかってくる。腕を首に回されて、キスを求められているのだと分かっても、何故だかそういう気分になれなかった。
「早死にでもいいけど、死ぬ前に長く入院するのは嫌なんだ」
「ふぅん」
 興味なさげに返して、男は俺の腹をひっかく。
「もっかいシよ」
「もう勃たない」
「嘘つき、強いくせに」
  シよシよ、と一度はしまったモノをボクサーから引っ張り出される。先端を口に含まれると、真っ向から拒絶する気も起きなくなった。年下のセックスフレンドはいつだって猫のように気ままだ。
「挿れる気しないならこっちでもいいし」
 半勃ちのペニスを支えていた指が、尻の皮膚の表面を撫でる。やらしげな動きをしたそれが後孔の色の濃い部分に触れたとき、
「それくらいにしなよ」
 その手を取って体を反転させる。
 乱れたシーツに背中を預けた男の首筋に歯を立てると、「あっ」小さな嬌声が聞こえた。
「俺はタチ専門。君だってこんなオジサンには挿れたくないだろ」
「えーそれは自分下げすぎ。セーイチの尻ならいつでも挿れたいよ」
 諦め悪く下腹部に手を伸ばしてくるのを片手で軽く制する。
「いつか機会があればね」
 額にキスを落としてやると若い男は、「絶対口にはしてくれないんだから」と唇を尖らせた。

 二十年ほど前、真田と唇を重ねたことがある。杏色の夕映えに染まった病室で、何を言うでもなくむっつり押し黙った男に、『こっち、顔近づけて』とせがんだ。
 病室独特の消毒液の匂いに、なんの疑いもなく顔を覗き込んできた男の汗の匂いが混じったとき、皮膚の表面は妙に冷めていた。そのくせ心臓は激しく拍動していて、頭突きのような勢いで唇を寄せた。
 キスと呼ぶには拙すぎるそれを受け止めた真田は、『そんなに激しく動くと体に障る』と、こちらを真っ直ぐに見据えてそっと体を離した。
『こんなのなんてことないよ』
 そう返した俺の声の震えに、真田はきっと気付いていたはずだ。分かった上でなんの反応も返さなかった。
 明日も来る、そう言った男の背中に、もう来るなとよほど返してやりたかった。だけどそれが出来ない内に幸村は退院して、立海は三連覇を逃し、いつしか俺たちの進路は分かたれた。
「待たせたか」
 壁際にかけられたハンガーを男が取る音で、三十路の現実に引き戻された。
「なにか頼んだか」
「まだ何も」
 座敷の席は個室になっていたが、隣の客との間を隔てるのは障子一枚きりだった。後ろめたい関係でもないのに自然と小声になって、「瓶ビールでいい」と尋ねると男は小さく頷いた。
「アサヒ中瓶で、グラスは二つつけてください。あと銀杏と、コチの刺身。唐揚げもいる?」
「ああ」
「じゃあ唐揚げもお願いします」
 薄く笑いかけると、ベージュのマスクをつけた六十絡みのおばちゃん店員は、「あらいい男ね」と言いながら去っていった。
「相変わらず女性ウケがいいな」
「女の人にウケても仕方ないよ」
「それもそうだな」
 ゲイだということは殊更に隠していない。海外に拠点があった頃、恋人と半同棲生活を送っていたのを雑誌に撮られたから、それ以降は開き直って生活している。
「俺も髭とか生やしたらもっと男ウケするのかな」
「ウケたいのか」
「そろそろちゃんとした相手も見つけたいし、選択肢は多いに越したことはないだろ」
 そこで瓶ビールとお通しが届いた。お互いに手酌でグラスに注いで、カチリとそれを合わせる。一口飲んで、
「お前も伸ばしてみれば。ますますモテると思うよ」
「四課でもあるまいし、許されるか」
「じゃあマル暴になったら伸ばしてみてよ。お前のひげ面、見てみたい」
「俺はお前のひげ面は見たくないぞ」
「案外悪くないと思うんだけどな」
 真田も“そう”だと知ったのは、プロを引退して帰国してからだった。
 友人に誘われて訪れた中野のメンズオンリーのバーの入り口で真田とすれ違った。いかにもネコ専といった具合の若い優男に腕を掴まれた真田は、俺と目が合うと、「久しぶりだな」とだけ言って、挨拶もそこそこに去って行ってしまった。
「去年中野のバーですれ違っただろ。あのときの子、まだ続いてるの」
 何気ない風を装って尋ねたとき、足の指先がむず痒くなった。親指と人差し指をもぞもぞと動かしていると、「一度きりだ」苦い声が返ってきた。
 そういうタイプなんだ。そういうときもある、お前もそうだろう。俺は二度とか三度とかそれ以降とか、普通にあるよ。普通か。うん、普通。
 本当は、普通の定義なんてよく分からないけど。
 真田に特別な相手がいないのは本当らしい。
 酒に誘って飲み過ぎて部屋に泊まったことは数えきれないけど、そこに他の人間の生活の気配を感じたことはなかった。それどころか、真田の部屋からは真田の気配すらも感じられない。寝に帰るだけだ、と言った部屋のベッドを、毎回俺に明け渡してくれる。
 薄いタオルケットを体にかけてソファに転がる男に、「こっちに来たら」と言いそびれて一年。あのとき唇が触れたのには意味があった、と言いそびれて十九年。口に出せなかった言葉ばかりが胸の内側に積み重なって、本当の心は積雪の中に埋れていく。
 コチの刺身がきた。ハマチにした方がよかったかなと言う俺に、「お前の好きなものでいい」と返した真田は、魚よりも肉を好んだ。
「うまいな」
 白く透き通った身をポン酢に絡めて食んで、真田は呟いた。その箸を持つ指の長いのに俺は見惚れる。
「真田は、箸の持ち方が綺麗だね」
 グラスが空になる。今度は真田が注いでくれる。
「そう褒めても何も出んぞ」
「一晩くらい付き合ってくれてもいいのに」
 冗談のような本気のような口調で言うと真田は箸をおいて体勢を崩した。動いたシャツの布地の裏、鎖骨の上に赤黒い鬱血が見える。
 迂闊だ、らしくもない。
「はい、唐揚げね」
「アサヒもう一本ください」
 唐揚げと引き換えにおかわりを頼んで、肉と共に塩のこんもり盛られた皿を真田の席の前に寄せる。
「お前も食わんか。最近痩せたぞ」
「食べるよ。お前に心配される謂れもない」
 キスマークの一つや二つ見つけたくらいで拗ねるほど青くもないので、よく揚がった大きなものにレモンを絞って箸で取る。一口齧り付くと、肉汁がじゅうっと溢れた。居酒屋らしい大衆的な味の唐揚げだ。
「今日って休みだった?」
「午後からはな」
「さっきまで人に会ってただろ」
 痕ついてるよ、と指摘してやると男は緩慢な仕草でシャツのボタンを上に持ち上げた。
「恋人ってわけでもないんだろ」
 グラスを傾けながら頷く。表情は崩さない。ああお前のそういうところが、俺は──。
「午前の仕事終わり、俺に会うまでの間にわざわざ済ませてくるなんて余程溜まってるの? 刑事ってやっぱり忙しいんだね」
「そういう言い方をするな、らしくもない」
 品がない、とでも言いたげなのに無性に腹が立った。真田は時々、俺に対して自分の中の幸村精市像を押し付けようとする。
「お前のそういうところが嫌いだよ」
 言いながら机の下で、足を伸ばす。真田の分厚いデニムの下に包まれた膝の皿をつま先で撫でる。
 行儀が悪いと言ったきり、男は阻まない。
 唐揚げを嚥下してビールを一口含み、足裏を男の内腿に進ませる。随分長い足だな、とか嫌味の一つも言われるかと思ったけど真田は二つ目の唐揚げに手を伸ばした。余裕の態度が癪に触る。
「この店にはよく来るのか」
「初めてだよ。安くて美味しいわりに個室があるからいいって話は聞いてた」
 真田の唇が、唐揚げの油で光っている。俺の視線に気づいたのか、男は手元のおしぼりでそれをぬぐって、俺を見据えた。
「っ」
 内腿を気ままに弄っていた足を掴まれて、親指と人差し指の境目のあたりをひっかかれた。そのまま靴下を脱がされて、甲から足首にかけてを撫でさすられる。
「冷えているな」
「汚いよ」
「左手だ」
 全く正当性のない言い訳を吐いた真田は、しばらく俺の足を撫で回していた。ゆるゆると皮膚の表面だけを攫われて、もどかしさに息が詰まる。
 それでも俺は何でもないふりをして箸を動かし続けた。
 旬を逃したマゴチの薄い身に、柚子の香りをはらんだポン酢を絡めて口に含む。弾力のあるそれを前歯で噛みしめながら、右足に触れる男の指の感触を意識して、今日しかない、と不意に思った。
「さなだ」
「どうした」
 男の指が離れていく。思いがけず強かったポン酢の酸味で、鼻の奥がツンとする。
「このあとセックスしない」
 十九年前から言いそびれていた言葉に俺が唯一好いた男は──。

 部屋に辿りつくまでに、雨が降り出した。
「もう逃げられないね」
 冗談めかしてリビングに足を踏み入れた俺に、
「元よりそのつもりはない」
「潔いね」
「今更怖気付いたか」
 心の中を見透かすように言った男がゆっくりと距離を詰めてくる。手を取られ抱きすくめらかけたところで、胸を押して、
「こういうのってムードも大切だろ。ワインでも飲まない?」
「一度その気になっているものを遮るのが利口だとは思えないが」
 構わずに耳輪を食んだ男は、俺が想像しているよりもずっと沢山の相手と経験しているのかもしれない。
「っ」
 窓を打つ雨の音に、真田の湿った吐息が混ざる。ずっと求めていたはずの生々しい粘膜の感触を、恐ろしいと思ってしまうのはなぜだろう。
「真田はセックスが好き?」
 無駄話ばかりして水をさそうとする俺に呆れたのか、真田の体は離れていった。
「嫌いなことに時間を割くほど刑事は暇じゃない」
 それじゃあ俺のことは、と尋ねたら、男は迷うこともなく、「好きだ」と答えてくれそうな気がした。
「支配欲とか、征服欲とかそういう日常生活では満たされない欲望が満たされるのが気持ち良いんだよね」
 テニスはその全てを満たしてくれたけど、俺はもう前線に立つプレイヤーじゃない。身体中の血の冷めきるような勝負の世界から降りたとき、遠い昔に置き去りにしていた幼馴染の男への欲望が表出してきた。
「先にシャワーを浴びてくる」
 なんでも飲んでいいから、と声をかけたが男はその場に立ち尽くしている。緩慢な所作でこちらを射抜いた瞳には、尻込みしそうになるくらいに色がなかった。

 タクシーからエントランスまでの距離を少し歩いただけなのに、最近おろしたばかりの黒い靴下は冷たい水気を含んで足裏に張り付いていた。廊下に不快な足跡を残したそれを指先で摘んで洗濯機の中に放り込んでから、風呂上がりに体に塗っているオイルを手に取る。
「慣らした方がいいのかな」
 吐き出した息が呟きになって、流し始めたシャワーの音に溶け込んでいく。今まで自分がしてきたように、受け手の穴を解す真田の姿を想像する。受け入れる側の立場を当然のものとして活受できるネコの男達のようには俺はきっと振る舞えない。そういうことはしたことがないから。
 真田に、ヴァージンだと知られるのは嫌だ。お前のために残していたんだと言ったら、いい歳して何を言う、ときっと笑われる。いや、笑ってくれるならまだいいが、あの真面目な男のことだから、必要以上に気負って責任を取ると言い出しかねない。
「ふふ」
 愉快なような、恐ろしいような妄想に耽っている内に浴室に湯気が立ちはじめた。残った衣服を脱ぎ捨てて、中に入る。
 壁に手をついて背中に熱い湯をかぶると、いくらか冷静になってきた。
 これから真田とセックスをする、改めて自分に言い聞かせると恥ずかしさがこみあげてきた。真田とは、三十年近くもただの友達をやってきて、下手したらお互いの家族よりも長い時間を過ごしてきた。そんな男とセックス……なんだそれそんなことしていいのか。
 混乱する頭にまともに湯を浴びて、あー頭まで濡らしたら乾かすのに時間がかかるのにとかなんとか考える内、余裕ぶった男の顔が頭によぎって段々腹が立ってきた。
 昔はもっと童貞臭くて可愛いかったのに、いつの間にあんな百戦錬磨のバリタチ野郎みたいな雰囲気になったんだあいつは。俺はシャワーを浴びたあと、どんな顔してリビングに出ていけばいいのかも分かんないって言うのに。
 ああもう、これ以上考えるのはやめだ。シャワールームのドアを開いて、脱衣所の棚に置き去りにしていたスマホを引っ掴む。
『少し準備があるからベッドルームで待っててくれ』
 手早く入力して送信してしまうともう腹が決まった。
 後ろの準備をするべくオイルを手に取ったとき、今まで抱いてきた男達にしっかりと前戯をしていた自分を褒めてやりたくなった。

 髪の先までしっかりと乾かしてから戻ると、薄暗なベッドルームの片隅で男の影が滲んだ。
「明かり、つけて待ってればよかったのに」
 居た堪れなかったんだろうなと想像しながらベッドサイドのスツールに琥珀色の液体で満たされたショットグラスを置く。
「飲ませて」
 ベッドに腰掛ける男の膝にまとわりつきながら言うと、「ウイスキーか」と髪を撫でられた。
「媚薬だよ。一口飲んだら我をなくしちゃうくらい強いの」
 怪しい薬なら摘発する、とグラスを持ち上げた真田は、それが眉唾だとしっかり理解した上で、俺のつまらない余興に付き合ってくれようとしている。
「お前とはもっと別の形で、」
「それ以上言ったらもう二度と会わない」
 嘘だった。何を言われたって、されたって、この男を切ることだけはありえない。
 男の膝を撫でさすっていた腕を引かれた、目線が揃ったとき、真田はグラスの中の“薬”を口に含んだ。
「ん、む」
 二秒と間をあけずに、真田の厚みのある唇が俺のそれに重なった。熱く、甘い液体と共に、湿りけを帯びた舌が口の中に侵入してくる。
 腰に回された腕に膝の上に誘われて、緩慢に足を開いて跨ぐと、キスが更に深くなった。喉の奥に流れていったものはただのウイスキーのはずなのに、頭の芯が溶けそうになる。
 俺の上顎や歯列を念入りになぞる真田の舌は、想像の中のそれよりも長くて、だけど妄想していた通りに厚みがある。
 焼いて塩をかけて食べたら美味いだろうな、なんて考えていたら、顔を引き剥がされて、
「集中しろ」
 低い声だった。
「ちゃんと集中してたよ」
「つまらんことを考えている顔をしていた」
「緊張してただけ」
「そんなタマか」
 俺の腰から背中にかけてを、真田は順繰りに撫でさすっていく。
「今のが人生で二回目のキスだったって言ったらどうする」
「一緒に暮らしていた相手がいたんだろう」
「許したのは体だけかもよ。唇は、心の入り口だから」
 小さく笑った俺に、「どちらでもいい」と返した真田の顔が怖かった。よくないくせに、怯えているのを隠して言うと、もう一度唇が寄せられた。今度は優しく、触れるだけ。なのに肩を抱く腕の力は強い。
「っ、はぁ」
 ようやく唇が離れたかと思うと、まじまじと見つめられる。
「やっぱりやめようか」
 今更恥ずかしいよ、と続けると、体が反転してシーツの上に押し倒された。
 ここまで来てやめられるか、と首筋に噛み付いてきた男の吐息は荒い。食われると思った。このまま食らい尽くしてくれ、とも。
「頼むからそのまま、優しくしないでくれ」
 皮膚に食い込んでいた歯の力が緩む。口内の熱さと、焦げ付くような痛みが失われて、喉の奥からみっともない声が漏れた。
「お前が受け入れる側でいいのか」
 優しくしないでと頼んだのに、気遣わしげな表情を浮かべる男に腹が立つ。
「やだよお前のに挿れるなんて、引きちぎられそうだ」
 そっちしたことないんだろ、と尋ねると、男は首を縦に振った。真田の全てを知った人間がいないことに安心する。
「俺のはもう慣らしてるから」
 言いながら手早く寝巻きのスウェットのズボンとボクサーをずり下ろして、膝をかかえて足を開いて見せる。
 無言のままの男の視線が、俺のあられもない中心に注がれる。顔から火が出そうなくらいに恥ずかしいのに、半勃ちのそこが萎える気配はなかった。
「綺麗だな」
「はぁ! っ、んん」
 似合わない台詞に動揺して瞬きをしている内に、ペニスが生温い感触に包まれた。
「っ、……そんなとこ、舐めなくていいからっ、あ」
 嫌だ嫌だ、と頭を振って見せても男は退かなかった。俺のを綺麗だと言った口で、驚きのあまり縮みかけたそこを躊躇いもなく根本まで咥え込んでいる。
「あっ、あっ」
 じゅるりと唾液の絡む音の生々しさに耳を塞ぐ。根元から亀頭のくびれにかけてゆっくりと抜き去っていきながら頬の内側で圧をかけられる。
「だめっ、きもちいいっ」
 一人喘いでも、入念にカリ首を舐める男からの返事はない。段差を舌で押し込まれながら、根本を無骨な手で扱かれると下腹部がひくひくと震えた。
 今まで何人もの男に同じことをさせたのに、真田が相手だと本当に媚薬でも飲んだみたいに神経が過敏になるのがおかしかった。
「っ……ふっ、うぅ」
 分厚い舌が亀頭の表面を丹念に舐める、耳を塞いでいてもそこが発するぐちゅぐちゅというやらしげな水音は鳴り止まない。
「はっ、あっ……アッ」
 ペニスを咥える角度を深くしたり、浅くしたり、一番敏感な裏筋を強い力でぐりぐりと刺激されて、逃れたいのに腰骨を掴まれているので叶わない。気がつけば完璧な形になった俺のペニスの行く末は、完全に真田に握られている。
 俺のモノを舐めることに夢中になりすぎて酸素を失った真田が、鼻ですっと息を吸う。
「ん」
 下腹部に生温い空気の感触、僅かに漏れた声に居た堪れなくなって、瞼を伏せた。
「俺はっ……お前にこんなこと、させたくないっ……!」
 半分泣き出しそうな声で言うと、肉の壁に包まれていたペニスがちゅぽんと音を立てて外気に晒された。拍子抜けするほどあっさりと解放されて目線を落とすと、こちらをまっすぐに見据える目とかち合った。
「俺がしたくてしている。お前のだからこうしたい」
 他の人間にもしているくせにもっともらしいことを言う男が憎たらしい。
 再び含まれたそこのイイ部分を、真田は的確に辿る。よその人間に鍛えられた技を、俺の体に行使する。本当にたまらない。やめてくれ、やめてほしいと思うのに、そんなことはしない真田でいてほしかったのに、浅ましい俺の体は快楽を求めて小刻みに震える。
「う……ううっ、あっ」
 念入りにペニスを愛撫する真田は、時々口を離しても息継ぎをするだけで、いいかとも、そろそろかとも、聞いてくれない。
「薬のっ、せいだから……」
 強がりみたいに言うと、眉間に皺が寄った。負けず嫌いな男だからかえって燃えたのかもしれない。遊ばせていた右手で、俺の内腿をつねる。滲むような痛みすらも快楽に繋がって、俺はますます激しく喘いだ。
 真田の口がペニスから離れる。
「痛かったら言え」
 愛想もない声。こちらの顔を見上げた男は、それだけ言うと再び唾液でテラテラ光るそれを口に含んだ。
「なに、をっ……ううっ、ん」
 未だローションの粘りけを残した後孔に真田の太い指が押し入ってきた。ぐっぐっと、内側を押し込まれながらも、先走りを零す鈴口を舌でなじられる。
「ああっあ……」
 つい数十分前に自分の手で慣らしたとはいえ、そこに異物を挿れるのはほとんど初めてだった。
 躊躇いもなく内側のしこりを撫でられて、「アアッ」と半分叫ぶような嬌声が漏れる。その間もペニスに対する奉仕は止まない。前と後ろを同時に刺激される快感の凄まじさに、足の指が無意識の内に伸びる。
「っ……いやだ、さなだっ……きもちよすぎて、こわい」
 必死に訴えると、前だけは解放された。
「うしろも、ぬいて……」
 掠れた声で懇願すると、
「抜いて欲しそうには見えないが」
 意地悪く指を動かしてくる。ぐぽぐぽと、空気を含んだ下品な音が部屋に響く。オイルを含んでヌラヌラとした入り口に、二本目の指が添えられた。
「増やすぞ」
 いちいち言わなくていいのに、律儀な男は俺が頷くのを待ってから二本目の指を挿入した。一本目が入ってきたときよりもすんなりと、真田の長い指は奥に進んでいく。
「あっ」
「案外狭いな」
「久しぶりだからっ、ぁ」
 初めてだなんて言えるはずがない。つまらない嘘を看破した様子も見せずに、真田は手隙の左手の指でで俺の腹の筋をなぞる。
「筋肉のついた人間は狭いことが多い」
「……あっそ」
 その何気ない言葉がどれだけ俺の心を削ぐのか、お前は知らないだろうな。
 腹の筋を撫でていた指が、とろけ落ちた先走りをすくい上げる。何か植物の蜜みたいに透明なそれを口に含んだ真田が、ちらりとこちらを見上げたとき、俺は何もかもを捨て去りたくなった。
 初めて唇を重ねたあの瞬間まで、こいつは間違いなく自分のものだと思っていた。
「また何か考えているな」
「今度はつまらないことじゃないよ」
「そうか」
 ゆっくりと下がった男の顎の先に、極々短く髭が生え始めているのを見た。随分遠くに来たもんだ、そんなことを思っていると、指の動きが激しくなる。
「っ……!」
 束ねた状態で押し込まれた二本の指に腹側をなぞられる。
「あっ、ああ……なか、とける」
 絶え間なく嬌声を漏らし続ける俺の内側のしこりを、真田は執拗に責め続ける。
 なぁお前、前戯がねちっこいって言われないかとか、つまらないことを口に出して茶化してやりたいのにそれも叶わない。
「うっ……あっ、あんっ」
 こんなの初めてなのに。なんでこんなに気持ちいいんだろう。なんでもっと欲しくなるんだろう。さっき飲んだ液体は、本物の媚薬だったんだろうか。
「ぁ、ゆび、もう一本……挿れて、いっぱい、ほしい……っ」
 膝を抱く腕に力を込め直して懇願すると、真田はゆっくり顔を上げた。内側をぐずぐずに溶かしていた指が抜けて、起き上がってきた体が俺の上にのしかかる。
「もっと……は、むん」
 たっぷりと舌の絡むキスが落ちてきた。さっきまで俺のペニスをいたぶっていた真田の唇が、喘ぎすぎて湿り気を帯びた下唇を挟み込む。
「む、ん……」
 ずっとこれを望んでいたはずなのに、無骨な男には似合わない所作の一つ一つをこいつに教えた人間のことを思うと素直に喜べなかった。
「んっ……んん──っ、!」
 長いキスを終えて気がつくと、指とは全く異なる質量を伴った何かがぐずぐずの入り口に押し当てられていた。
「まっ、て……」
「もう待てん」
「い、ゃ……あっ、あああ!」
 内臓ごと一気にもっていかれそうな勢いで奥まで穿たれた。鈍い痛みと、圧迫感で生理的に流れた涙を真田が舐めとる。
「っ、似合わないこと、するなっ」
 カリの先が最奥にぐりぐりと押し当てられる。苦しさに目を細めた俺の前髪をかき分けながら、真田は落ち着き払った声で言う。
「お前の中身が無駄になるのは嫌だ」
「意味わかん、なっ……あっ、アアッ」
 殺し文句に陶酔する暇さえ与えられずに、激しい抜き差しが始まる。高いカリの段差が、肉を押し分けるように入り口から最奥を行き来する。
「っ、ああっ──も、やだ……どこ、きもちいいか分かんないっ」
 長いストロークの間中、全部が気持ち良くて、俺は半狂乱になった。初めてなのに。痛いはずなのに。こんなに気持ちいいなんて、絶対におかしい。
「っ、ぅ……あれ、くすり、本物だった?」
「知るか」
 呆れている風でもなく返した男は俺の体をきつく抱きすくめた。挿入が深くなって、体の内側はまた快感を拾う。大きな波のようなうねりが肉の中をいったりきたりして、呼吸をするのもままならない。
 ぎゅうぎゅうと収縮を続ける内側を絡めとるようにピストンを続ける真田が、「イってもいいぞ」と耳元で囁いた。その声の低さに、下腹部がひくひくと震える。
「っ……お前の声、きらいだ、」
「俺はお前の声が好きだ」
「しらな、っ──アアッ」
 もっと聞かせろ、と最奥に杭を打たれて、甲高い悲鳴が漏れる。こんな声少しも良くないのに、なんでお前は。
「も、ほんとに……イっく、イく、イく──!」
 自分でもどうしようもなくなって叫んだとき、耳たぶを舌で絡めとられた。生々しい水音に鼓膜が犯されて、睾丸が引き締まる。真田の太過ぎるモノが、とろけきった肉の浅い部分を強く擦り上げた。
「ぁ……」
 頭の中が真っ白になる。イった。イってる。なのに、真田の腰の動きは止まらない。
 波打つ肉をかき分けるように真田のピストンは続く。ぐじゅっぐじゅっと肉と肉がぶつかって、お互いの境目も分からなくなる。
「イったばっかなのに……っ」
「手加減されたいのか」
 らしくもないな、と足元を見るような男の舌が耳の内側を犯す。そんなとこ汚い、と顔を横に振ると、今度は耳たぶに噛みつかれた。
「っ……い、たっ……」
「狭くなったな」
 非情な男は、俺の内側の被虐性愛を引き摺り出してぐちゃぐちゃにする。もうやめてなんて今のタイミングで言おうものなら、何時間でもナカに居座られる気がした。
「あっ」
 言葉通りに引き締まった肉の壁を鋭い抜き差しでえぐった男は、舌を出せと俺に命じた。数秒の逡巡の末おずおずとそれに従うと、今度はそれを嬉々として唇と舌で嬲る。
「あ、はっ……」
 真面目な話、真田はどこでこんなことを覚えてきたんだろう。もしも生まれつきこういう性癖を伴っていたとしたら、俺の見立てが甘かったと言わざるを得ない。
 余所ごとを考えていると、内腿のあたりを張られた。
「っ……」
 弾けるような痛みによって、吐精後のペニスに芯が灯った。内側におさまった真田のモノをきつく締め上げる。
「く」
 男も流石に限界が近いのか、低くくぐもった声が降ってきた。
「ぁ……さなだ、さなだっ」
 大きく体を揺すぶられて、男の名前を何度も呼ぶ。真田が女の子じゃなくて良かった。結婚して、苗字が変わったって、俺はこいつのことを他の名前だなんて呼びたくない。
「おれのナカ、どう……っ、あ」
 悪くない、あたりが妥当な返事だなと思っていたのに、真田は困ったように目を細めて俺の唇に触れるだけのキスを落とした。何回目だろう。もう数える気力もない。
「あっ……っ、ああっ」
 口の中から、それを受け入れているアナまで全部がひっくり返ってしまいそうな重たいピストンに襲われて、俺は体をのけぞらせた。
「っ、しにそう」
 無意識の内に零すと、「許すか」と呻いた男は俺の内側に吐精した。

 

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