つれない態度に、恋をした

衣擦れの音とともに色素の薄い髪がさらさらと揺れるのを横目に見ていた。
跡部が二百人の部員を束ねる部長の座を継ぐ者として選んだ後輩は、自分が次期部長に選ばれたと知らされてからもそれまでと少しも変わらない態度で跡部に接した。
先輩への敬意など忘れ去ったかのような憎まれ口も、跡部の試合を見る探るような鋭い視線も、少しも変わらずに今まで通りだ。
それなのに、今日の日吉は少し違った。
部活後、珍しく樺地を連れ立たずに部室に残った跡部と、普段なら古武術の稽古のためにさっさと着替えて家に帰ってしまうところを自主練のために日が暮れるまでテニスコートに残っていた日吉、偶然着替えの時間が被って珍しく二人きりになったというのに日吉は終始黙ったままだった。
憎まれ口を叩かないのはもちろん、跡部に視線を合わせることすらしない。
あまりにも静かな日吉が気になって、普段なら見られる側の跡部の方が日吉の様子を盗み見してしまう位だった。
普段より心なしか緩慢に着替える日吉の横顔には感情の動きがない。
初めは一本一本が細い、糸のような髪の毛に向けていた視線を跡部は徐々に下ろしていく。
まずは瞳、それから一文字に結ばれた薄い唇……ただの一度だけ、あの唇に自分の唇を重ねたことがある。
もう半年も前のことだ。
今日のように部活終わりに日吉と二人きりになったあの日、異性としか唇を重ねたことのなかった跡部が唐突に日吉の唇を奪った理由は跡部自身にも未だに分からない。
ただあの瞬間、どうしようもなく日吉とキスがしたいと思ったのだ。
着替えを終えてジャージの入ったエナメルを抱えようとしていた日吉はあまりにも突飛すぎる跡部の行動に戸惑い、切れ長の瞳を見開いていた。
それでもすぐに動揺を隠し、「お先に失礼します」などと言って部室を出て行ってしまった日吉は次の日に顔を合わせたときには不自然な程にいつも通りだった。
自分から動いたはずの跡部自身が昨日のことは夢だったのだろうか、なんて疑ってしまうくらいに。
思えばあれ以来日吉と二人きりになることはなかった。
今日が半年ぶりだ。
あの日の話題を振る機会は今日を逃せばもうないだろう。
黙りこくったまま着替えを終えようとしている日吉に跡部は手を伸ばした。
指先が髪の毛に触れる、すんでのところで日吉は跡部から距離を置いた。
それから何事もなかったかのようにエナメルを持って、半年前と同じように言うのだ。

「お先に失礼します」

跡部が触れることの出来なかった髪を揺らして、日吉は背を向けた。
釈然としなかったこの半年間を否定するかのように一歩足を踏み出す。
呼びとめなければ、そう思うと同時に跡部はこんなことも考える。
呼びとめてどうするというのだ、と。
自分はそんなにもあの日一回きりのキスにこだわるのか、と。
唇を重ねる相手なんていくらでもいるのに、日吉と一度だけ交わしたキスにこうも拘るのはなぜなのかと考えた。
案外簡単に答えが出てしまって、跡部は苦笑する。
それでも次の瞬間には普段通りの不敵な笑みを浮かべてどんどん遠のいていく日吉の手首をしっかりと掴むのだ。

「またキスされるとでも思ったのか?」

耳元で囁けば、一瞬の間を置いて日吉が鼻で笑った。
自分より背の高い跡部を軽く睨みつける。

「跡部部長と二人きりだと息が詰まるからさっさと出て行こうとしただけですよ」

そんなことも分からないんですか、とでも言いたげだった。

「そのわりには随分時間をかけて着替えてたじゃねーか。
本当は俺様にキスされるのを待ってたんだろうが」
「不快勘違いはよして下さい」

眉間の皺を深めた日吉は自分の手首を掴む跡部の手を振り払おうとするがそれは叶わず、逆に跡部に更に強く手首を引かれて距離を詰められる。
そのときに一瞬固まった日吉の表情を見て満足げに微笑んだ跡部はあいた方の手の平を日吉の後頭部に這わせながら、

「ハッ、たかがキスにびびってんじゃねえよ」

そんなことを言った。
その瞬間跡部の唇に何か柔らかいものが触れる感触があった。
それが日吉の唇であると跡部が気づくのにはそう時間はかからなかったが、日吉がなぜ自分から跡部に唇を重ねてきたのかは分からない。
触れるだけのキスを終え、ようやく跡部から数歩距離を置いた日吉は向日に見せるような人を小馬鹿にした笑みを浮かべ跡部を正面から見据える。

「あなたとのキスなんかで俺がびびるはずがないでしょう」

キスの後だとは思えない表情でそんなことを言った日吉は今度こそ本当に部室を出て行った。
残された跡部は日吉の触れた唇に指を這わせながら、いつも以上につんけんしていた日吉の態度を想う。
プライドの高い奴だと思う、自分位に……もしかしたらそれ以上かもしれない。
しかしそんな日吉だから自分は次期部長に奴を選んだのだ。
簡単には軸のブレない日吉なら二百人の部員を、自分の色を損ねずにまとめることが出来るだろう。

「次はいつだろうな」

少しも柔化しない態度をますます愛おしく想う。
次にキスをするときは半年前のように自分から攻めよう、そう決めた跡部は唇を軽くぶつけただけだった日吉の不器用なキスを思い出して鼻で笑う。
クソ生意気な後輩に大人のいろはを教えてやろうと胸に決めた。

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