セックスを要求する幸村

 午前中に買ってもらったばかりのワンピースをはためかせて学校の敷地に踏み込む。今日は日曜日で、現在の時刻は午後一時前、テニス部の午後練はぎりぎり始まっていない。テニスコートが見えてくると、心が落ち着かなくなって、俺は走り始めた。しかし五メートル程進んだところで今の自分の服装を思い出して立ち止まる。ワンピースの丈はひざ上だ。これじゃあ気軽にスキップも出来ない。ジャージを着てたってそんなことしないけど。
 俺の体が女のそれになったのはひと月程前だ。高校に入学して、今年こそはテッペン取ってやるって意気込んでいたところでこれだ。女の体では勿論男子テニス部では活動出来ない。テクニックはあっても力は弱まっているし、リーチも男のときより格段に短くなっているから今までは楽に勝てていた相手にもあっさりと負けるようになった。
 呆然とする俺に、すぐに元に戻るだなんて根拠のないことを言った真田も、最近では俺のことを女のように扱う。酷い話だ。神の子だなんて呼ばれていたこともあるけど、俺は自分が神に愛されているとは思えなかった。中学生の時にはいきなり病気にかかって、半年以上も入院したきりだったし、全国大会決勝では一年生に負けるし、挙げ句の果てには女になったから皆に混じってテニスは出来ません、元に戻れるかどうかも分かりません、だなんておちょくられているとしか思えない。
 天は人に二物を与えないなんて言葉があるけど、テニスの才能を与えられても、こんな目に合うのなら何の意味もない。女の体にはお似合いのこの綺麗な顔だっていらない。俺は普通にテニスをプレイすることの出来る体がほしい。俺がこんな体になって、地団駄を踏んでいる間にも真田や他の皆は上へ上へ登り続けているんだと思うと不安で仕方がない。ことテニスに関しては誰よりも自信を持って生きてきた俺が、周りに置き去りにされることを恐れているとはきっと誰も想像していないに違いなかった。
 コートにたどり着いた俺を迎えたのは休憩中の部員たちの生ぬるい視線だ。体が女になったからと言って、服装までそれらしくする必要なんてないじゃないか――そんな声が聞こえてくる。声の主に視線をやると、中学に入学したときから今に至るまで俺をやっかみ続けてきたひとつ年上の先輩と目があった。余裕ぶった笑顔を向けると、硬直した先輩が震える声で「元々ああいう趣味があったんじゃねえのか、あいつ」と更に憎たらしいことを言う。一々揉めていてもキリがないので、視線を逸らして歩を進める。俺はあんなつまらない男から憎まれ口を聞くためにここを訪れたわけじゃない。

「真田」

 目当ての男に声をかける。一人きりで立ってテニスコートを見つめていた男が俺に視線を向けるのを見計らって、ワンピースの裾を軽くつまんでみせる。

「これ似合ってるかな? 自分ではかなりイケてると思ってるんだけど」
「……そう言われたら似合わんとは言えんだろう」
「似合わないと思ってるみたいだ」
「似合わないとは思われていないと自信を持っているような言い方だな」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってるんだよ、神に選ばれし男だぞ」

 今は女だろう、そう言った真田は俺の手首を引いて自分の傍に立たせた。俺は真田が、周りに聞こえるような声で話したくないからそうするのだと分からない程愚かじゃないけど、真田の手が自分の肌に触れたというその事実だけで息が止まりそうになった。馬鹿馬鹿しいことに、俺はこの男のことが好きだ。愛していると言ってもいい。

「神の子、か。……ふ、お前の親は随分と子供に厳しいんだな」
「それ、さっき考えてた。綺麗な顔なんていらないから俺は健康な男の体が欲しいよ。この言い回し、少しいやらしくないか」
「知らん」

 そう言ってその場を去ろうとする真田の手首を思わず掴む。足の動きを止めて俺の方を振り返った真田は、迷惑げな表情を浮かべていた。もうすぐ午後の練習が始まるからだ。あっさり手を離した俺が「練習が終わったら一緒に帰ろう。ここで待ってるよ」と言うと、首を横に振る。

「何時間かかると思っているんだ。用もないなら早く帰れ」
「俺だってテニスがしたい」
「そう思うのならジャージを着てくればいいだろう」
「ジャージを着てたってお前たちの中には混ざれないじゃないか」
「だから帰れと言っているんだ」
「せめて見るだけでもっていう気持ちが分からないのか」
「……勝手にしろ」

 溜息をついた真田が俺に背を向ける。どうしようもなく虚しくなってきた俺は、買ったばかりのワンピースが汚れるのも構わずに地面に腰を下ろした。
 見てみろよ、真田。俺は本物の女の子になんてなれやしないんだ。


*


 二人きりの帰り道は気まずい。それは男だった頃から変わらない。俺が真田のことを好いているからだ。だけど真田はヘテロだから、俺を受け入れられない。
 結局練習が終わるまで座ったまま待っていた俺に、真田は意外な程に優しい声で「帰るぞ」と言った。俺は途中まで一緒に変えれれば十分だったのに、どうやら家まで送ってくれるつもりらしい。おそらく真田は昼のつまらない諍いのことで気に病んでいる。

「ねえ、真田」
「なんだ」
「手が繋ぎたい」

 ふざけるなって怒られるかと思ったけど、真田は黙って俺の手を握った。辺りはもう薄暗いから、真田がどんな顔をしているのかは分からない。だけどまあ、笑顔じゃないことだけは確かだ。

「……男の体のときに同じことを言っても、お前は俺の手を握ってくれた」
「つまらないことを聞くな」
「そうだね、分かりきった質問だ。こんなこと聞いたって意味が無い。お前は男と手を繋げる男じゃない。今は俺のことを女扱いしてるから、こんなサービスしてくれてるんだ」
「嫌味な言い方をするんだな。俺がお前を女扱いするのがそんなに不満か」
「……俺は、お前に手を繋いでもらえて嬉しい。だけどこんな体になって、テニスの神様に見捨てられたような気分になってるのに、お前にまで「お前はもう俺とは同じ土俵には立てない」とでも言うような態度取られて……平気なはずないだろ」

 真田の手を握る手に力がこもった。男だった頃に比べたらずっとずっと弱くなった俺の全力の握力だ。

「お前がどれだけ悩んでいるかは知らんが、俺がお前を女のように扱うのは不自然でもなんでもないだろう。お前が入院していたとき、俺はお前を病人として扱った。あのときもお前は俺に不満を持っていたのか」
「……覚えてない」
「あのときの俺はお前が必ず退院してコートに戻ってくると信じていた。それは今も変わらん」
「だから今回もこの扱いを受け入れろって言うのか」
「そうは言わん。俺は自分の考えを口にしただけだ」

 そう言われるとすべてがどうでもよくなって、俺は肩を落とした。

「……早く男に戻りたい。俺はコートに立ってる自分が好きなんだ」
「俺もコートに立っているお前は嫌いじゃない」
「ベッドに横たわってる俺は好きじゃなかったのか」
「質問の意味が分からん」
「テニスが出来ない俺は好きじゃないのか」
「……どうだろうな」
「知ってると思うけど、俺はお前のことが好きだよ。あわよくばお前とセックスがしたいと思ってる」
「公道だぞ」
「だれも聞いてない」
「お前は俺の顔が好きだろ。俺みたいな顔をした女も好きなはずだ。だから今の俺のことはテニスのことはまあ置いといても嫌いじゃない」
「だからどうした」

 たぶん今、手汗がすごいと思う。ひとつ深呼吸をして、口を開いた。

「抱いてくれ。お前が俺が元の体に戻るって信じてるのと同じように、俺も自分が元の体に戻るって信じてるから、ヘテロのお前が俺を抱けるチャンスは今しかないぞ」
「ば、」
「あ、駄目だ。やっぱり抱かれたくない。一度抱かれたら有頂天になって、もう男には戻りたくなくなるかもしれないから」
「……お前は、ときどき頭が悪いな」
「神の子が凡人と同じ思考でどうする。まあ、俺は差別されてるみたいに感じるから神の子なんて呼び名好きじゃないんだけど。そんなことはどうでもいいか」
「今はどうでもいい」
「手を離してくれ」

 自由になった体を真田の目の前に滑りこませる。

「キスして」
「……出来ない」
「どうして? 女の俺になら出来るだろ」
「虚しくはないのか」
「虚しいに決まってる。男の体じゃ手も握ってもらえないって分かってるんだから。それでも一瞬の温もりが欲しいんだ。
ずっと一緒にいるんだから俺が場の雰囲気に酔いやすいことくらい知ってるだろ。暗い道にお前と二人きりで、自分の体は女で……こんなチャンスは二度とないかもしれないって、思ったら……思ったら、キスくらいされたいと思ってもバチは当たらない」

 あからさまに戸惑う真田の頬に手の平を添える。このまま背伸びをすればずっと欲しかった男の唇に触れられるのに、足に力が入らない。

「……駄目だ」

 そう呟いて歩き出す。無言の真田がすぐ後ろをついてきている。
 今の俺は煩悩の塊だ。真田とキスがしたい。セックスがしたい。だけどそれは男の体のときじゃないと意味がない。今の俺は本当の俺じゃないからだ。

「俺がこんな体になったのはお前のせいだと思う。俺は毎晩お前とやらしいことがしたいって考えてたから」
「話が繋がってないぞ」
「繋がってるよ。俺はお前とセックスがしたい、だけどお前は男とはセックスが出来ない。俺は何度か女になりたいと思ったことがある。女になったら今までと同じようにテニスが出来なくなるなんて考えもしていなかったからね」
「訳が分からん」
「男が女になるなんてこと普通に考えればありえないんだからそこに理路整然とした説明を加えるのなんて不可能に決まってる」
「それはそうだが……」
「女になってお前に抱かれたいって思ってたけど、いざなってみると最悪だよ。女の子って面倒くさいんだ。スカート履いてたらあぐらもかけないし、気がついたら股から血が出てたりするし、俺には向いてない。セックスだって、俺は尻の穴でしたい。テニスは出来なくなるし、女になってよかったことなんて一つもなかった。
だけどこれ以上悩んでたって仕方がない。俺は元に戻るために前向きになろうと思う。というわけで真田、」

 歩いているうちに家が見えてきた。買ってやったばかりのワンピースを汚した俺を、母親は叱るだろうか。

「用があるのなら早く言え。もう着くぞ」
「そんなの分かってる。……なあ真田、お前は俺に早く元の姿に戻ってほしいと思ってるだろ」
「当たり前だ」
「お前、俺に勝ち逃げされたと思ってるんだろ。まあ、それはいい。俺に元に戻って欲しいのなら約束してほしいことがある」
「なんだ」
「俺が男の体に戻ったら抱いてやるって約束してほしい」
「無茶を言うな」
「無茶なんて言ってない。お前が男を抱けないのは倫理的な問題だろ。男の俺相手に勃たないからヤれないわけじゃない」
「どうしてお前はそう開けっぴろげなんだ……」
「元々こういう性格なんだよ。知ってるだろ。とにかく俺は、お前が男に戻ったら抱いてくれると約束してくれるのなら元に戻れる気がする」
「気がするだけだろう」
「もしも戻らなかったら何もしなくていいんだぞ。約束くらいしてくれてもいいだろ」
「俺はお前を幸せにはしてやれん」

 なにが幸せにはしてやれん、だ。腹が立つ。俺は真田に幸せにしてもらいたいなんて、不相応なことを願ったことは一度もないのに。

「俺はお前に俺の人生を背負えとは言ってない。一回ナニ貸せって言ってるだけなんだぞ」
「下品なことを言うなっ」
「言わせたくないなら早くしてくれ」

 そう言って俺は小指を差し出した。自分に厳しい真田は一度交わした約束は決して破れない。それを知っているから、真田が俺と同じように小指を立てたとき、心臓が固まりそうになった。小指はまだからみ合っていない。

「……お前は、本気なのか」
「本気だよ。今の俺の頭の中にはテニスのこととセックスのことしかない」
「幸村……俺は、お前をどうしたらいいのか分からん」
「簡単だろ。今ここで小指を絡ませ合って、俺が元に戻ったら嫌々セックスして、あとは普通に接すればいい」

 真田の小指の爪の先が指先に触れた。あと数センチで俺は真田との一日ベッドイン券をゲット出来る。

「……好きだ」
「え、」

 不可解な言葉で鼓膜が震えた瞬間、真田の長い小指が俺のそれに巻き付いた。細い指に絡んだ温もりはすぐに俺の元を離れていく。

「早く元に戻れ」
「お、れと早くセックスしたいとか?」

 冗談のつもりで言ったのに声が震える。真田がいやに真剣な顔をして俺を見つめているからだ。

「……約束を果たしたあとにどうするのかは追々話し合って決めればいい」
「話合ってって、ちょっと……意味が、」

 戸惑う俺に背を向けた真田が歩き出す。その背中が普段より大きく見えたのは、俺の背が縮んでいるせいだけじゃない気がした。

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