謙也に期待しない財前

「おー」

 手の平を軽く掲げて近づいてきておいて、こちらがそれに応じようとすると、後ろに控えているマネージャーに声をかける――財前光の恋人、忍足謙也はそういう男だった。

『好きです。付き合ってください』

 二人の関係は財前の熱のない告白をきっかけに始まった。無表情かつ、飾り気のない言葉で、自分の好意を伝えた財前が、その実緊張から足を震えさせていたことに謙也は気付かなかったに違いない。

『ああ、そうなんや。ええよ』

 相手が男であるにも関わらず、謙也は驚くほどあっさりと彼からの告白を受け入れた。しかしそれに続けて、今は彼女おらへんし、などと言われたときには財前は謙也に気持ちを伝えたことを深く後悔した。しかし彼を想うが故に今の話はなかったことにしてくださいと言うことは出来なかった。財前は謙也のことを本気で好いていた。しかし謙也の方はどうだったのだろうか、彼は後輩としての財前光のことを可愛がってはいたのだろうが、財前のことを恋愛対象としては見ていなかったに違いない。自身で呟いた言葉通り、彼は告白されたタイミングに恋人がいなかったからというだけの理由で財前の気持ちを受け入れたのだろう。そして彼の感情が恋愛をする上でのそれに至っていないが故に彼等の付き合いに甘い雰囲気は一切なく、あくまで他の後輩に接するのと同じように、またはそれよりも僅かに冷たく財前に接する謙也と、彼を好いていながらも遠慮からろくに感情を行動に表せない財前が存在するのであった。
 財前は男で、だからこそ女と付き合うのと同じ感覚で彼と付き合えるはずもないのだが、謙也はどうやらそれがよく分かっていなかったらしい。女にするのと同じように軽い気持ちで告白を受け入れて、しかしそれからひと月程が経った今日では恋人としての財前光の扱いに困っているようでもあった。

(――始めから期待なんてしとらんかったけど)

 財前は謙也がそういう男であると知りながら彼を好きになったのだ。男との付き合いも器用にこなせるような彼を求めていたわけではない。それにしても、

(アンタは不誠実が過ぎるやろ)

 練習試合を眺めるでもなくつっ立っている財前のすぐ傍で、彼の恋人は今年入学してきたばかりの一年マネと談笑を始めている。黒目がちで可愛らしい彼女が自分に惚れていると察せられないでもないだろうに吐息が触れてしまいそうなくらいの距離で彼女と会話を交わす彼は財前の存在を認識していないのだろうか。もっとも、認識していようがいまいが彼が酷い男であることに変わりはないのだが。

「謙也先輩って彼女さんはいらっしゃるんですか?」

 一年マネが宝石のような瞳を小さく揺らした。どうやら緊張しているらしくハーフパンツから伸びた子供らしく頼りのない細い足が震えていた。

(可愛い奴……)

 もしも自分がゲイでなければランドセルを下ろしたばかりの愛らしい彼女に想われる彼を羨ましいと感じることもあったのだろうか、何の益にもならない想像をする財前は、彼女に対する彼の返答を聞きたくないがためにその場を離れようとした。

(恋人がおるやなんて言うはずがない。この人はそういう人や)

「恋人? おるで、ひと月くらい前から付きあっとる」
「は?」
「財前? どないしたん?」

 想像とは異なっていた謙也の返答に、思わず間抜けな声を上げると、怪訝な表情を浮かべた彼がこちらに視線を向ける。それに付随してあからさまに表情を曇らせた一年マネの視線もこちらへ向いた。

「いや……先輩彼女なんておらんやろ」
「恋人やって言うてるやろ。……財前、お前案外面倒な奴やな」
「それはアンタが日頃からっ、」
「あのー……喧嘩は、やめてください」

 彼女は気がつけば自分の存在も忘れて痴話喧嘩を始めかけていた二人の元へ割って入ると、か細い声で二人のそれを制した。

「……その、私が変なことを聞いたせいですよね。すみません」
「いや、俺が話に割って入ったんが悪かった」

 やから気にせんでええで、不器用ながらに優しい先輩の顔をして返すものの、顔が可愛いうえに性格まで可愛げのある彼女に対していい感情を抱くことは出来そうになかった。

(もっとクソみたいな女やったらええのに)

 性根の腐ったことを思う財前の隣りで、体を縮こまらせた彼女は俯いていた。小さく震える肩は驚く程に小さい。

「お前、ほんまにかわええなあ」

 そんな彼女の頭に手を伸ばした謙也は、彼女のさらさらとした髪の毛をくしゃくしゃになるまで撫でてそんなことを言った。彼女の白い肌が朱に染まる。財前は胸がざらつくのを感じながら、彼らから目を逸らした。

「可愛くなんて……」
「いや可愛いやろ。な、財前」

(なんで俺にそんな話振んねん……)

「……まあ、可愛いんとちゃいます?」

 本来であれば可愛くないと答えたいところだが、三百六十度どこから見ても可愛らしい後輩に辛辣な言葉を吐く勇気のない財前はしぶしぶそう答えた。

「せやろ? なんや妹が出来たみたいな気分になんねん」
「は? 妹?」
「小学生みたいで可愛いやろ」

(ああ、そうやったんか……)

 謙也はもともと自分より二つも歳下の、ついこの間までは小学生だった彼女のことを恋愛対象としては見ていなかったのだ。だからこそ財前がすぐ傍にいても何も気遣うことなく彼女を愛でたのだろう。もしかすると彼は彼女から好意を向けられていることにも気がついていないのかもしれない。つまるところ財前は的はずれな嫉妬をして勝手に傷ついていたに過ぎないということになる。

「……あほらし」
「何が?」

 財前の呟きに対して怪訝な表情を浮かべる謙也は、自分が彼に恋愛対象として見られていないことを知った彼女が肩を落としていることには気付いていないのだろう。

「先輩はもう少し気遣いっちゅーもんを覚えた方がええっちゅー話」
「はあ?」
「まあ、俺はハナから謙也さんに期待なんてしとりませんでしたけど」

 そうだ、始めから分かっていたじゃないか。彼は女や恋人に対して繊細な気遣いが出来るような人間ではないのだ。それなのに、彼の心ない言動のひとつひとつに一喜一憂してしまうのは、財前が彼に“恋”をしているからなのだ。


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