ネガティヴ幸村

 テニスに出会わなければ自分はどんな風に生きていたんだろう? ときたまそんな想像をすることがある。テニスプレイヤーとしてはそれなりの実力を持っていて、神の子などという大仰な冠までかぶらされている俺だけど、きっとテニスをしていなければどこにでもいる普通の中学生になっていたに違いない。本来であれば人に注目されることも、人の上に立つことも好きじゃない俺にはそんな人生の方が向いていたのかもしれないとも思う。今だって強気になれるのはコートに立ったときばかり、平素の俺は何の変哲もない男子中学生だ。

「幸村」

 鼓膜を震わせるのは子供の頃から聞き馴染んだ男の声だ。ぼんやりした顔をして歩く俺が気になったらしい。だけど俺はその呼び掛けを無視して歩調を早める。すると半歩後ろを歩く真田の歩調も俺に合わせて早まった。それだけのことが少し嬉しい。
 部活を引退してからの俺はほんの少しだけ真田に冷たくなった。テニスが絡まないときの真田は無口で、不器用で、だから俺の態度が変化した理由を尋ねたりはしない。ただただ静かに俺の傍にいてくれる。俺は真田のそういう殊勝なところが嫌いだった。

「ねえ、真田」
「なんだ?」
「もう俺の傍にいてくれなくてもいいよ」

 俺たちはもう部長と副部長じゃないんだから、いつでも互いがすぐ傍にいるなんておかしいんだ。下校を共にする理由もない。

「家の方角が一緒だろう」
「真田の家はうちよりもっと遠いだろ。自転車で来ればいいのに」
「……幸村、お前は俺と離れたい理由でもあるのか」

 そんなのないよ、なんとなく。真田はたぶん俺がそう言うと思ってる。だけど違うんだ。理由ならきちんとあるんだよ。俺はお前のことが好きで好きで仕方ないから、お前の傍にこれ以上いたくないんだ。

「もう部活も引退したし、常に一緒にいる理由もないだろ」

 本当の理由なんて話せるはずもないから俺は適当なことを言った。

「傍にいる理由もなければ離れる理由もない。高校に入ればまたテニス部に入るんだろ」
「そうだけど……」
「中学に入るまでもそうだっただろう」

 そうだね、そうだった。初めて出会ったあの日から俺の隣りにはお前がいるのが当たり前だった。小学校だって違ったのに、テニスがあったから俺たちは繋がった。俺はいつでも自分の近くにいたお前を自然と好きになって、だけどお前は俺のことをただの幼馴染だとしか思ってない。俺がお前に自分が想うのと同じように俺のことを想ってほしいと願うのは俺のエゴかもしれないけど、それでもお前が頑なに諦めた俺の傍を離れようとしないのはお前のエゴだろ。お前は頑固だし、察しが悪いから俺が本当の理由を語るまで俺にまとわりつくつもりなのかもしれないけど、俺は、そう簡単には、

「幸村は俺のことを嫌っているのか」
「っ……」

そう簡単にはお前への好意を打ち明けたりはしない。出来ないんだ。していいはずがない。なのにどうしてお前はそんなことを言うんだよ。

「それを肯定したら真田は俺の傍を離れてくれるの?」

 震える声で尋ねたら真田は眉間に皺を寄せて俯いた。真田、なあ真田そんな顔するなよ。俺だって本当はお前と離れたくないんだ。お前と離れたら死ぬほど後悔することだって分かってる。だけどさ、真田、お前の傍にいられたらそれだけで幸せだよなんて風にはもう思えないんだよ。俺はお前のことが好きで好きで仕方ないからどうしてもお前に見返りを求めてしまうんだ。

「もしもテニスを始めなかったら、俺はお前と出会わずにすんだんだろうな」

 真田は気が付かないだろうけど、今のは殆ど告白だ。お前は特別だよって言ってるのと同じ、例えば仁王なんかを相手に同じ台詞を吐くはずはないんだから。

「俺にはテニスをしない幸村は想像出来ん」

 しばらくの沈黙ののち口を開いた真田はそんなことを言った。

「……真田には想像出来なくても俺はときどき思うんだよ、テニスなんか始めなければよかったって」
「俺は幸村のテニスが好きだ」
「っ……お前がそういうことを言うから俺はテニスをやめたくなる。お前はテニスプレイヤーとして自分のライバルである俺しか認めてはくれない」

 ああ、なんて馬鹿なことを言ってしまったんだろうか。ここまで言ってしまったらさすがの真田も気が付くはずだ。俺のどうしようもない熱情に。

「幸村、お前は案外察しが悪いんだな」
「察し……そんなことお前には言われたくない」
「ライバルとしてのお前しか求めていないのであれば、何も部活外の時間を共にする必要はない。同じ学校へ進学する必要もなかっただろうな」

 静かに言葉を紡ぐ真田から逃げだしたくて、思わず駆け出しそうになった俺の手首を真田の大きな手が掴んだ。

「幸村、俺は一人の人間としてのお前が好きだ」
「好きって、」

 どういう意味なんだよ、真田。俺はどうしようもなく悲観主義だから、都合のいい勘違いをしそうになる自分を必死に抑制しようとしてる。お前の言う『好きだ』の意味を噛み砕いて考えてみようとは思えないんだ。

「俺は、真田の言う通り察しが悪いのかもしれない」

 だから真田、もしもお前の言った『好きだ』という言葉に特別な意味があったとしても俺はその意味には気付けない。言葉は俺みたいな面倒な人間の前では役に立たないんだ。つまり真田、万に一つの可能性でお前が俺に特別な感情を抱いているのだとしたら、その気持ちは言葉じゃなくて行動で示してほしい。手首を握られるくらいじゃ少しも足りないんだ、なあ、

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