ラムネ、ビー玉、オレンジ

「明子ちゃん、レズなんだって」
「は?」

帰宅早々にシャワーを浴びて、未だに水の滴っている髪をタオルで拭う南を見上げて、夕食の準備を終えて一息つこうと座椅子に座っていた彼の母親がそんなことを言った。間抜けな声が出たのは、母親の言った言葉の意味が上手く理解出来なかったからだ。
母親が言うところの明子ちゃんというのは南の二つ年下の従妹だ。近所に住んでいるので兄妹のように育った。

「レズって、」
「女の子と付き合ってるんだってさ。今日昼間に姉さんが来たとき話してたのよ」
「へえ」

南は自分の母親と明子の母親が我が家の居間でどんな風に明子のことを話していなのかを想像してみた。明子の母親、つまり南の叔母である人はひどく神経質で、なかなか美人なのにいつも厳しい顔をしている。対する彼の母親は分かりやすく普通の中年女性といった感じで姉妹はあまり似ていない。
それでも二人に共通する要素が一点だけあった。それは尋常を好むという点だ。二人はとにかく常識に外れたことを嫌っている。そのせいなのか南は特別個性もなく地味に仕上がったのだが明子は違ったらしい。そしてそれは彼女たちにとっては面白いことではなかっただろう。

「女の子なのに女の子を好きだなんて気持ち悪いわよね。姉さんすごく落ち込んでたわ」

思ったとおりだ。南は母親が明子に不快感を示すことは想像できていた。
溜め息をついた彼の母親は扇風機の前に座った南に、

「気持ち悪いわよね」

再度念を押す様にそう尋ねる。その口調には有無を言わせぬようなところがあって、否定でもしたときには大不興を買うことはわかりきっていた。
南は母親と同じように溜め息をついて、

「……まあ」

小さく頷く、実際のところどう思っているかなんてこの場で言う必要はないと思った。
それでも先月会った時に春に入ったばかりの女子校での生活が本当に楽しいのだと言っていた明子の笑顔を思い出すと苦い気持ちが胸を満たした。

*****

……流石にもういないか。茜色に染まるグラウンドから無人の校門を見つめた南は、ほんの少しの寂しさを感じながら門に向かって歩いていた。
今日は部活後に、溜まっていた部誌に目を通したり、部室の整理をしていたせいで帰りが遅くなってしまったのだ。いつもなら南の部活が終わるのを待っていて一緒に下校している恋人にも、今日は遅くなるから先に帰ってくれと伝えてある。
南の恋人はどこか浮世離れした雰囲気がある変わり者なのだが、それ故なのか思ったことを正直に口に出来る人間だった。彼女のそんな性分には悩まされることもあれば、救われることもあって、南は自分の抱えている事柄について考えが停滞したときには彼女に話を聞いてもらうことにしている。今日は昨日母親から聞いた明子の話について彼女の言葉を聞きたいと思っていたのだが、部長としての仕事が滞ってしまっていたので残念だった。
エナメルバッグの肩紐の具合を直しながら門を出た瞬間、視界の中にプロレスラーのつけるようなマスクを被った人間が踊りでてきた。驚いた南が後退りをすると、謎のマスクマンは細い指をくねくねとうねらせながら彼ににじり寄ってくる。そのあまりにも異常な姿に悲鳴を上げそうになった南だが、ほどなくしてマスクマンが山吹の女子制服を着ていることに気付いたので落ち着きを取り戻した。そうして小さな溜め息をつきながら、呆れ声を出す。

「……どういうつもりなんだ」
「疲れた恋人を癒したくてさ、だから仕方なかったんですよね」

ふざけたマスクを取った南の恋人、古畑は感情の篭らない声でそんなことを言った。何が仕方なかったのかよく分からなかった南は苦笑しながら、少しも癒されていない旨を伝え、彼女が手に持ったマスクに視線を移す。

「どうしたんだ、それ。まさか普段から持ち歩いてるわけでもないだろ」
「さっき友達と行った酒屋なんだかコンビニなんだか分かんない店でもらった」
「酒屋なんだかコンビニなんだから分からない店?」
「まあ酒屋かな、そこのオッサンめちゃくちゃプロレスが好きなの。そのくせ体弱いから夕方六時には店閉めるんだ」
「……それはコンビニじゃないだろ」
「佇まいがコンビニっぽいんだよ」

分かるでしょ、そう続けて古畑は首をかしげた。分かるわけない、そう答えた南が彼女の持っていた鞄を預かると、彼女が口笛を吹いてにんまりする。預かった鞄があまりにも軽かったので南は少し驚いた。

「おっとこまえー」
「……この鞄、何が入ってるんだ?」
「筆箱とケータイ、それから千石に貸してたアイドルのアルバム」
「教科書は、」
「そんなもんテスト前しか持って帰んないよ、軽くて嬉しいでしょ」
「馬鹿で不安だな」
「ショックだなあ」

呟いた台詞に反してさして傷ついた様子もない古畑は、手に持っていたマスクをぶらつかせながら歩みを進めている。話題が尽きてしまったのかそれ以上口を開く様子もなかった。南は彼女の長い睫毛が度々瞬くのを眺めながら口を開く。

「どうして先に帰らなかったんだ?」
「帰ろうとしたよ。友達にさ、一緒に帰ろって言ったらすっごい嬉しそうな顔で彼氏と別れたかーって言われてさ、残念ながら……今日は南くんが忙しいだけなのでしたって言ったら、すっごい嫌な顔して都合のいい奴だなって言われちゃった」
「それは……まあ、そうかもしれないな」

最近付き合い悪いぞ――先日東方にそんなことを言われたばかりの南にとっても胸の痛い話だった。

「まあ実際にはそんな気にしてる感じじゃなかったんだけどね。それでもこれからは週の半分くらいは南くんのこと待つのやめるね」
「ああ、分かった」
「別れってさ、こうやって始まるのかもよ。少しずつ一緒に帰る日が減ってって、口数も減ってって、なんか気まずくなってって」

古畑が足を止めて体を南の方へ向けた。黒目がちな瞳が南を見上げる。夕日のせいで顔色が読み取れないので、南には彼女が今どんな心境でこんな言葉を連ねているかは分からなかった。

「好きだよ」
「は?」
「いや、南くんが変な顔してたから」
「あんなこと言われたら誰でもそうなるだろ」
「私はならないよ。たぶん笑っちゃうと思う。だって私、南くんと別れるつもりなんて少しもないんだもん。馬鹿だから、ずっと一緒にいられると思っちゃう。南くんはさっき私が馬鹿で不安だって言ったけどさ、こう言われると馬鹿でよかったって安心するでしょ?」
「……まあ、そうだな」
「だから私は馬鹿でいいよ。その方が恋も長続きすると思うし」

古畑がふふんと得意気に笑った。それから南くんが変な顔をしてくれて嬉しかっただなどとつまらないこと言う。南はがっくりと肩を落として、本日二度目となる溜め息をついた。古畑には振り回されてばかりいる。

「でさ、話戻るんだけど結局そのまま帰らなかったのには理由があるんだ。さっき酒屋に行った話したでしょ?」
「ああ、コンビニ風の佇まいの酒屋か」
「そうそう。なんで酒屋なんか行ったかって言うと、酒屋の前に不良中学生がたむろってるのが見えたからでね。友達と歩いててジベタリアンの不良を見つけた私は思っちゃったわけっすよ」
「何を?」
「不良近くで見たいなって」
「……いや、いくらでも見れるだろ」

最近部を辞めたばかりの銀髪の男を思い浮かべた南がそう言うと、古畑は分かってないなあとぼやいた。しょぼい不良は見慣れてないんだもんと笑う。

「それで近づいていったら絵に描いたような不良学生だったから笑っちゃってさ、そしたら不良すごい怒って大ピンチだった」
「……それは古畑が悪いだろ」
「うん。怪我がなくて良かったよ」
「それでどうしたんだ? 謝ったのか」
「いや、困ってたら遠くに亜久津くんがいるの見つけたから、チンピラ王子ーって叫んで来てもらった」
「亜久津怒ってただろ」
「うん。すっごい怖い顔してこっちに向かってくるもんだから不良たちそれだけでビビってどっか行っちゃった。めでたしめでたし」

それはめでたいのか。珍妙な呼び方をされた亜久津が彼女に対してどんな振る舞いをしたのかと想像した南はうすら寒い思いをした。とはいえ見たところ彼女に殴られたような跡はないので亜久津が暴力をふるったとも思えなかったが。

「亜久津くんは女の子に暴力をふるえるような人じゃないよ、南くんだって分かってるでしょ」
「……それもそうだな」

南は最近マネージャーから正部員になった後輩が亜久津によく懐いていたことを思い出して頬を緩めた。それと同時に一瞬でも亜久津を疑ってしまった自分を恥ずかしくも思った。

「亜久津くんは王子様だからね、本当はすごく優しい……んだと思う」
「王子様?」
「うん、私のじゃないけどね。だって私の王子様は南くんだもん」
「そ、そうか」

珍しく現実味のない台詞を吐いた彼女の表情は優しい色をはらんでいた。南は話の流れ上仕方がなかったこととはいえ、恋人に王子に例えられることなど想像もしていなかったので動揺し、視線を泳がせる。そんな南の様子を隣で眺めていた彼女はくすくす笑いながら話を続けた。

「亜久津くんは私たちが困ってたんだってことを察したみたいで、あまり怒ってなかったんだ。私は亜久津くんにお礼を言って、酒屋さんで瓶に入ったラムネを二本買って渡したの」
「どうして二本買ったんだ?」
「亜久津くんにはそれを一緒に飲む相手がいるでしょ」

更に笑みを深めた古畑は南の顔をじっと見つめる。南は亜久津がラムネを一緒に飲む相手について、思い当たる節がないわけではなかった。亜久津には中学生の息子がいるとは思えないような若い母親がいたはずだ。彼女が言うラムネを一緒に飲む相手とはあの母親のことだろう。

「そんなことをしてる内に南くんが学校を出るような時間になったから山吹に戻ってきたの」
「友達に呆れられたんじゃないか」
「うん、けどラムネを奢ってあげたら許してくれた」
「単純だな」
「それがいいとこなの」

自分の友人について語る古畑の表情は柔らかく、南は彼女のそんな表情を眺めながら、いい友達がいるようでよかったと父親のようなことを思うのだった。そうして彼女の話に区切れがついたことを確認すると自分から口を開いた。

「そういえば、古畑に聞いてもらいたい話があるんだ」
「別れ話?」
「そんなわけないだろ。もしもそんな話になるとしても持ちかけるのは古畑からだと思うぞ」

南は古畑の奔放な性格を好いていたが、それと同時に彼女がその奔放さ故にいつか自分のようなつまらない人間に飽きてしまうのではないかと不安に思ってもいた。しかし、そんな南の不安を彼女はあっけらかんとした態度で一蹴する。

「それはないでしょ、大好きだし。それで、南くんの話ってなに?」
「従妹が……女なんだが、女と付き合ってるらしいんだ」
「へえ」

古畑は特に驚いた様子もなく呟いて、大きく黒目がちな瞳で南を捉えながら、

「タチ? ネコ?」

などと問うた。彼女が変わり者であることは重々に承知していた南だが、その反応は予想に反したものだったらしくほんの少し動揺する。

「分かんないかな。まあどっちでもいいかも。それで、南くんは?」
「俺?」
「南くんはどう思ったの? その子がレズビアンだって聞いて」
「……母さんと叔母さんは気持ち悪がってるみたいなんだけどな」

古畑の眉がぴくりと動いた。唇は真一文字に引き結ばれている。

「俺はどうとも思わなかった。いいとも思わないし、悪いとも思わない。ただ、」
「お母さんと叔母さんが従妹ちんのことを気持ち悪いって言うのは不快だったんでしょ?」
「よく分かるな」
「分かるよ、だって私も南くんと一緒だもん。いいとも悪いとも思わない。でも大切な人が恋愛をしていて、それを気持ち悪いって言う人間がいるのはヤダよ。不愉快だよ」
「……だよな」

古畑の意見が自分と同じものだったことに驚いた南は安堵の表情を浮かべた。しかし、彼女はでも――と漏らし、その場で足を止めた。

「不快だけど仕方ないとも思うよ。そういう反応をとる人だっているに決まってる……従妹ちんは従妹ちんのお母さんに自分がレズビアンだってことがバレないようにもっと注意するべきだったよ」
「そう……なのか」
「そうだよ。従妹ちんのお母さんはさ、気持ち悪いって言うよりショックだったんだと思うよ。だって私だってもしも自分が産んだ子供がそうだったらショックだもん、南くんはどう?
ショックうけない?」
「……そうだな、自分の子供だったらショックかもしれない」
「でしょ。そうなんだよ、それが普通なんだよ。だからと言って女が女を好きになったり、男が男を好きになったりするのが悪いことだってわけじゃない。従妹ちんは罪悪感を抱く必要はないと思う。だから南くん、次に従妹ちんに会ったとき従妹ちんに元気がなかったら言ってあげてよ、お前は何も悪くないって」

古畑は真剣そのものといった様子でそんなことを言う。南はこくりと頷いて、明子がレズビアンだと知ってしまったときの明子の母親の気持ちや、その後明子に対して彼女が吐いたであろう言葉について考えてみた。

「従妹ちゃんのお母さんはきっと従妹ちゃんにそうは言えないと思うから……周りの人が言ってあげないといけないんだよ。まあ、何を言われても気にしないような心臓の強い相手になら言う必要ないんだけどね」
「あいつはきっとそんなに強くはないな」
「そっか……そうだよね、私達より年下なんだもんね。南くん、支えてあげてね」
「ああ」

南は古畑にこのことについて話してみてよかったと思ったが、彼女の表情はどこか暗く淀んでいた。どうかしたのか、と問うと彼女は困ったように笑って、首を横に振る。

「なんでもない……ただ、友達のことを思い出してただけ」
「友達がどうかしたのか?」
「私の小学生のときからの友達にも、同性が好きな子がいるの。けどその子はすぐに自分のことを追い詰める性質で、自分は悪いんだ悪いんだって思い込んじゃうんだ。私はその子が悪いなんて少しも思わないのに、アンタなんにも悪くないよって言ってあげたいのに……相談してくれないから、自分がそうだって必死に隠そうとするから何にも言ってあげられない……」

古畑の瞳が潤んで、涙がオレンジ色に輝いた。南がハンカチを差し出すと、彼女はそれで涙を拭ってごめんねと呟く。

「謝るなよ、古畑は友達のことを思って泣いただけだろ」
「南くんは優しいね、そういうとこ大好きだよ」
「俺は古畑の正直なところが好きだ」
「……変なの」

小さく吹き出す古畑は少し元気を取り戻した様子だったが、その瞳は依然涙に濡れていた。

「南くん、私の鞄あけてみて」

言われるがままに鞄をあけてみると、中で中身の入ったラムネ瓶が倒れているのが見えた。それを取り出して、これか?
と尋ねると、古畑は満足気に微笑んで、それあげる――と呟く。

「もう温くなってるかもしれないけど」
「いや、大丈夫だ。古畑は飲まなくてもいいのか?」
「私はさっき飲んだからいいよ」

熱のない声で言う古畑はポケットに手をつっこんで何かを探るような動きをしている。南はそれを横目に見ながら親指で瓶の中にビー玉を落としこんだ。炭酸の抜ける音がして、同時に鼻腔を懐かしい薫りがくすぐる。思えば中学生になってからラムネを飲んだような記憶がない。

「懐かしいでしょ」
「ああ」

小さく頷いて唇を瓶の縁につける。そのままゆっくりと瓶を傾けるとやはり懐かしい味がした。キンキンに冷えているわけではないがなかなかに美味い。

「ラムネ屋も此頃出来て別荘地」

隣を歩いていた古畑が不意に口を開いた。南がなんだそれと問うと、俳句だよと返される。南は彼女の呟いたその俳句には聞き覚えがなかった。更に言えば有名な俳人が作ったにしてはあまりにも稚拙なもののように思えたので、その俳句は彼女が即興で作ったものなのだろうと結論づける。

「あまり上手くはないな」

正直な感想を漏らすと、古畑は小さく吹き出してでしょ? と言った。私もそう思うよ、と続けて前髪を弄る。

「大体ここは別荘地じゃないし、これを買ったのはラムネ屋じゃなくて酒屋なんだろ」
「うん、でもこの俳句はこれでいいんだと思うよ。ここは別荘地じゃないけど、この俳句が作られたのはきっと別荘地だろうから」
「ん? 古畑が作った俳句じゃないのか」
「違うよ? 正岡子規が作ったちゃんとした俳句」
「そうなのか?」

それにしては稚拙なように思えるのだが、俳句に詳しい人間なら素晴らしいものだと言うのだろうか。

「なんかしょぼいって思った?」
「まあ」
「私も思ったよ。小学生のときに国語の授業で使った本に載ってた俳句なんだけどどう考えてもしょぼいよなーって思って、少し笑った。だけど、」
「だけど?」
「嫌いじゃないんだ、この大したことない俳句。だってこれを呟くと思い出すんだもん。小学生のときの楽しかったこと、いっぱい」

どこか遠い目をして沈みかけの夕日を見つめる古畑は再びポケットに手を突っ込んで今度こそ何かを握りこんだ。そのまま更に語り続ける。

「小学生のときってさ、本当にアホだったから夏休みもずーっと遊ぶことしか考えてなかったよね。私は外で遊ぶのが好きだったから毎日外に出て仲の良かった友達と遊んでた。それで遊び疲れたらあの酒屋でラムネを買って飲んだんだ。瓶の中のビー玉を取り出したくて瓶の入り口から必死になって指つっこんで、友達も同じことしてて、だけど結局そんな方法じゃ取れないから、」

そこまで言った古畑は握りこんでいた手をひらいた。手のひらの上に一つのビー玉が載っている。

「最後には瓶を割って取り出すの」
「……まさか割ったのか」
「昔ほどアホじゃないからガラス片は始末したよ」
「当たり前だ」
「南くんは割らなかった?」
「俺はお前みたく派手じゃなかったからな」

そう言って苦笑した南に、だと思ったよと返した古畑は笑いを堪えるような顔をしていた。南くんて期待を裏切らないね、とも付け足される。

「派手だったのかどうかはわかんないけど、とにかく私も友達もビー玉のために瓶を割っちゃうようなアホの子供だったのに、片方は十年も経たない内に友達に恋愛相談も出来ないような辛気くさい奴になっちゃって、もう片方は未だにビー玉目当てに瓶を割ってる。人生ってよく分かんないね」

古畑はそこまで言うと手のひらに載せていたビー玉を指でつまみ上げて夕日に透かした。透明なビー玉がオレンジ色の光を宿して煌く。

「俳句しょうもねえって言って笑って、ビー玉を手に入れられたのが嬉しくて笑って、オレンジに光ったビー玉が綺麗だから笑って……あのときは本当に楽しかった。けど、」

再びビー玉を握りこんだ古畑が南を見つめる。夕焼け色に染まった頬は柔らかく緩んでいた。

「南くんが傍にいてくれるから私は今日も幸せなんだ。ありがとう」
「ど、どういたしまして」
「なんでどもるの?」
「なんでだろうな……しいて言うなら、」

古畑が幸せをくれたからかな、決死の思いでクサい言葉を呟けば、古畑はしばらく目を丸くしてから、

「なにそれ、南くんぽくなくて素敵だね」

普段の南を否定するようなことを言って笑う。南は軸のブレない彼女の言葉にどうしようもないやるせなさを感じつつも、これもまた幸せなのだと諦めて笑った。



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