分かりきったこと

「またデータ取ってるの?」
「ああ」

食堂で『偶然』私の隣に座った柳が蕎麦を啜る私を眺めている。
いつも通りの日常だ。
私は毎日食堂で昼食を食べる、柳も食堂で食べる。
そして柳は偶然私と同じメニューを注文し、一足先に二連で空いた席を見つけた私の隣に偶然他に席が空いていないから座る。
そしてデータ収集のため私の顔を穴があきそうな程眺めるのだ。

「私、柳のことまったく理解出来ないな」
「そうか、俺もまだお前のことは理解出来ていないから同じだな」
「毎日データ取ってるくせに……」

柳連二という奴は私のデータを真面目にとっているわけではない。
私は柳がデータ収集なんて二の次でただ私の顔を眺めているということを知っている。
そして柳が私のことを好きなことも知っていた。

「暇つぶしだからはかどらないんだ」
「へえ、素直に言えばいいのに……」
「どうした?」
「白々しい」

柳は私に自分の好意を知られていることを知っていた。
そんなのはお互いとっくの昔から知っている事実で柳が意図的に私の隣で昼食を食べているということも勿論分かっている。
それでも偶然ということにしておくのがルールなのだ。

「お前こそ素直になればいい」
「何が?」
「いや、なんでも」

フっと笑う余裕ありげな笑顔を崩してやりたい。
私はわざと柳のコップから水を飲んで柳を睨んだ。
柳は相変わらずの薄笑いで私の置いた水の量の減ってしまったコップで水を飲んだ。

「柳のそういうとこ嫌い」
「そうか」

私は柳が好きだった。
そして柳もそのことを知っている。
サイフ以外に入れるものもないのに食堂に通学用のリュックサックを背負っていき、面倒なのに二連の空席を探して空いた隣の席にリュックをのせておく私の姿は周りから見れば滑稽なもののように映っているのかもしれなかった。

「今日は蕎麦か、お前たちたまには別々のものを食べてみればいいのに」
「……偶然」
「蕎麦が食べたい気分だっただけだ」
「まだそんなこと言ってるんだ?
古畑は自分の好きなもの選んで食べるからいいかもしれないけど柳はキツくない?」

古畑の偏食に付き合わされて可哀想、邪気のない笑顔を浮かべながら言う幸村にうるさいと言えば大仰に肩をすくめられた。
さっさとどこかへ失せてくれればいいのに。
立海内では中学生どころか高校生でも知らない者は少ない幸村と柳が一カ所にいるというだけで視線を集めてしまうのだ、普段人前に立つようなことのない私はそれだけで居心地が悪く感じてしまう。
その上変声期を迎えてなお高く澄み切った幸村の声は大して張らなくてもよく響き、周りへ明確な意図を持った音として拡散していく。
自分への嫌みを見ず知らずの人間に聞かれ続けるのは我慢ならなかった。

「早く付き合っちゃえばいいのに」
「幸村、こんなところにいたのか」
「ああ聞いてよ真田、柳また穂積に合わせてメニュー選んでるんだよ」
「昼休みが終わってしまう早く食べてしまおう、席は向こうにとってある」
「へえ真田のくせに気が利くんだね」
「ほら」

渋い顔をして手を引く真田に、幸村は渋るような仕草を見せながらもついて行った。
やるじゃん真田、そう呟いてまた蕎麦を啜る。
真田があんな風に気を使えるとは思わなかった。
今の出来事は真田が気を使えることよりも、真田に気を使わせるほど気を使えない幸村の酷さを際だたせる出来事だったとは思うけど。

「蕎麦美味しいね」
「ああ、安いからといって馬鹿に出来ない味だ」

私と柳が両想いだが付き合っていなくて二人で一緒にいられる食事の時間を大切にしているということは真田に気を使わせるほど周りに浸透していることだ。
幸村のように付き合えばいいのにと言う人間もたくさんいる。

「簡単に言うけど簡単なことじゃない」
「確かに蕎麦代200円を稼ぐために親がそれなりに苦労していることは否定出来ない。
それを安いだなどと……軽はずみな発言だった、謝ろう」
「……私は柳のそういう大まじめなところが、」

どうしようもなく好きだなあ。

「大嫌い」
「そうか、俺もお前のことは好きではない」
「あっそ」

こんな状態なのに付き合えるわけないじゃん。
男女交際というのはどちらかが好意を伝えて初めて成立するものだ。
お互いの好意に気づいているのに好きの一言も言えない私たちからしたら道行くカップルはとてもレベルの高い存在に思える。

「難しいなあ」
「本当にな」

このまま次のステップに進めないなんて嫌なのに。


*****


「柳が告白されてたよ」
「彼はモテるからね、珍しくもない」
「他人事みたいに言うんだね、気にしてないみたい」
「……」

気にしてないわけないじゃん、分かってるくせに……。
涼しげな顔をして笑う幸村には殺意さえ覚えるけど、無言を決め込む。
下手に反応すれば逆に喜ばれることは目に見えてるし……。
休み時間よっぽど暇なのか幸村は私によくちょっかいをかける。
私が動揺するようなことをわざわざ言って反応を楽しむのが好きらしい、しかもそのためのネタはだいたい柳のことだからタチが悪い。
何で幸村と同じクラスになってしまったんだろう、何で柳と同じクラスじゃなかったんだろう。
クラス分けは運命まで分けるのかもしれない。

「黙り込まないでよ、退屈じゃん」
「幸村の暇つぶしに付き合うような気分じゃない」
「病み上がりなんだから少しは優しくしてよ。
柳が告白された話だけどさ、そういうの実際にはどう思うの?
自分は好かれてるからってどんと構えていられるもんなの?」
「……そんなわけないじゃん、普通に不安だし」
「なんでー? 好かれてるのは分かってるんでしょ?」
「分かってるけど柳はきっと私が柳のこと好きなほど私のこと好きじゃないもん」
「柳は古畑のことすごく好きだと思うよ。
いつも柳の方が古畑に合わせてるじゃないか」

そうだといいけど、呟きながら幸村に視線を移す。
意外にも天然だというウェーブのかかった髪を撫でつけながら口を尖らせる幸村はそこいらの女生徒よりも可愛らしい。
そういえば柳が、精市はあんな見た目だが話し言葉は大雑把で無神経だからがっかりする女生徒が後を絶たないとかなんとか言ってたっけ?
女子より可愛い見た目して女子より可愛い性格してたらそれこそがっかりじゃん、なんて私なんかは思うんだけど彼を恋愛対象として見ている子は可愛くて綺麗な男の子を期待してるからがっかりするのかな?

「古畑」
「なに?」
「柳は本当に古畑が好きだよ、さっきの告白だって断ってた」
「……うん」

幸村の声は心にゆっくり浸透して、堅くなっていた心を和らげる。
個性派揃いの立海大を纏めあげるだけあって大雑把なようでいて人心を掴むのは得意なようだ。
柳との時間を邪魔されたときは腹立たしく思うが基本的に幸村と話すことが私は嫌いじゃない。
会話をするだけでこんなにも気が楽になる相手もそうはいないだろう。
幸村のような友達を持てた私は少しだけ幸せなのかもしれない。


*****


放課後の食堂は危険だ。
水でも飲んで帰ろうと軽い気持ちで立ち寄ったら最後その場にいた友達との会話で時間を浪費してしまう。
幸村と違い良識ある女友達は昼食時に話しかけてくることはない。
柳と二人の時間を邪魔しないように気を使ってくれているのだ。
明日の日替わりランチの話に始まり、立海大から来た教育実習生がカッコいいらしいという話、後半半分以上はずっと恋の話をしている。
女は食べ物と色恋の話だけすれば生きていけるなんて、初めて聞いたときは大げさだと思ったけどこのままいくらでも時間を潰せそうだと思ってしまうあたりそのこともあながち嘘だとは言えないかもしれない。

「今ちょうどテニス部の練習終わった頃だね」
「そうなんだ、テニス部に好きな人でもいるの?」

切れ長の瞳をした長身の男の姿を思い浮かべながら首を傾げる。
柳だったら困るな、友達と好きな相手取り合うなんて絶対無理だ。

「なにとぼけてんのーテニス部に好きな人がいるのは真理佳でしょ」
「え、あーうん。そうだよ」
「行ってきなさい、今行ったら着替えして部室出てくるとこだろうから」
「えっちょっと待って、押さないでって」

食堂から力いっぱい私を追い出そうとする力に一応の抵抗をするが相手は本気のようですぐにテニスコート側の出口に追いやられた。
自分の中に柳に会いに行きたいという気持ちがあるから彼女の強いとは言えない力に抵抗出来ないんだということは充分理解してるけど重たい足は動かない。
このまま家に帰ろうそう決めて俯いていた顔をあげ正面を見た。

「あ……柳」
「古畑か今日は遅いんだな」

口をポカンとあけたまま頷くと柳が小さく笑った。
そんなに面白い顔をしていたんだろうか、急に恥ずかしくなった私はこの状況を作り出した友人に助けを求めようと振り返ったけど先程までそこに立っていたその子の姿は既になく近くにゴミ箱が何個か置いてあるだけだった。
酷い……おいていかれたことに少なからずショックを受けながら柳に視線を戻す。
相変わらず穏やかな表情を浮かべている柳だけど口を開く気配はない。
何か話さないと……会話の糸口を必死に探す私は先程の幸村との会話を思い出していた。

「告白されたんだって?」
「ああ」
「……」
「断ったぞ」
「分かってるけど、何で断ったの?
可愛くなかった? それともよく知らない子だった?」

言い切って深呼吸する。
喉を通る空気が冷たくてカラカラした。
私のことが好きだから断ったんでしょう?
自意識過剰にそう言うことが出来たら私たちの関係は変わるのに……。

「容姿は優れていたし、クラスが一緒の親しい相手だった」
「へーそっか、可愛いんだ」
「お前ほどじゃない」
「可愛いと思ってくれてるんだ……。
というか突然どうしたの?」

いつもの柳なら、ああとか言って流して会話が終わっちゃうところなのに。
ちらりと見上げた柳の瞳は真剣そのもので私は好きになりたてのころのようにドキドキした。

「突然でもなんでもないだろう、いつもそれなりの態度を示している。
それは古畑も周りもよく分かっているはずだ」
「私だってそれなりの態度示してる。
だけど勇気がないから踏み込めない、柳が踏み込んでくれるの待ってるだけのチキンな自分にうんざりして、自分に自信なくなってもっとチキンになっちゃうの……」
「悪循環だな」
「悪循環です……」

爪が食い込んで痛いほど拳を握りしめる。
自分が情けないチキン女だってことは充分理解していたけどいざ口に出すと胸の奥で火花が散ったみたいに苦しい。
だいたい馬鹿みたいじゃないか、私たちは誰もが認める両想いで毎日一緒にお昼食べたりしちゃって、それなのに付き合ってないなんて、告白するのに勇気を要するなんて……きっと周りからは酷く滑稽に見えているに違いない。

「その悪循環俺が断ち切ってやろうか」
「断ち切るって、な……」

いきなり抱きしめられて呼吸が止まりそうになった。
背の高い柳が体を折り曲げて私の耳元で囁く。

「好きだ」
「……知ってる」

知ってる、知ってた。
ずっと前からそんなの知ってる。
だけど実際口に出して言われるのとそのことを知ってるだけとは全然違う……そんなの知らなかった。
顔熱いし、心臓は痛いくらい鳴ってる。
あーなんか言わないと、気の利いたこととか。

「柳」
「なんだ?」
「私の方が柳のこと好きだよ」
「……いや、俺の方が好きだな」
「じゃあ同じくらいでいいや」

って何だこのバカップルみたいなやりとり……!
幸せだけど嬉しいけど正直気持ち悪い。

「古畑は小さいな」
「何を今更……分かりきってたことじゃん」
「……」

頭を撫でられた。
何その笑顔、小さいからって馬鹿にしてるの?
それとも両思いだって分かりきってるのに足踏みしてた私が分かりきってたことなんて言うから笑えちゃったの?
少し苛々した。だけど柳がこれからは精市に邪魔されることもないな、なんて嬉しそうに言うからすぐに許した。
幸村は平気で邪魔すると思うけど。



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