医者リン×看護師エド(♀)1


 日没間際、日勤を終えたエドワードが病棟を出た所で彼に出会ったのは偶然だった。
 上下ブルーのスクラブの上に真っ白な白衣を着た黒髪の医師は院内用PHSを胸ポケットにしまいながらエドワードに向かって真っ直ぐ走ってくる。しかしそれは偶然だったし、勿論エドワードに会うためでも無かった。
「エド!丁度良かっタ!」
「リン!」
 それでもエドワードは次のリンの言葉が予想出来た。
「ゴメン、今日遅れル!」
「おう、いってこい!」
 エドワードの脇を駆け抜けて行く背中に聞こえたのか、一度振り返って再度『ゴメン』と手を上げる仕草に『さっさと行けよ』と追い払う真似をする。
 たったそれだけのやり取り。
 長身の長い足で走る白衣はあっと言う間に見えなくなった。



 腕時計を見て、店の予約時間を思い出してみる。「遅れル」と言ったからにはリンは時間には来ないだろう。2人だけの予定ならば予約の時間をずらしたり別の店を予約したりするのは日常茶飯事だが、今日はそうもいかなかった。
 リンが選んでくれたベージュのシフォンワンピースの裾を無為に手で払い、吐いた溜め息も払い落としてからきゅっと顔を上げてエドワードは歩き出した。







「それで。あの男はまだ来ないのか」
「うるせえな、仕事だっつってんだろ」
 この店に入ってから何度このやり取りをしただろう。料理を下げられる度に加えて飲み物を注がれた後、今はメインを下げられてデザートを残すのみなので5回は同じセリフを聞いた事になる。
(ボケ老人かっつーの!)
 回を増す毎に焦りから苛立ちに変わってきたエドワードに比べ、対するホーエンハイムが徐々に安堵してくる様子なのもエドワードの気分を逆撫でする。
 愛妻を亡くす前から、亡くしてからはより一層目に入れても痛くない程溺愛し大切にしてきた愛娘とその恋人から改まって「話がある」と言われた父親としては、今日が断罪の日では無くなりそうだと胸を撫で下ろしているのだろう。――それどころか、また一つ難癖を付けられると喜んでいるのか。そう思ったらエドワードの感情は一気にホーエンハイムへの反発心に沸き上がった。

「全く、人と約束の一つも守れない男がろくな奴とは思えんな」
「……………っ、手前が!リンの何を知ってんだよ、この!!もうろくジジイがー!!!!!!!」

 席を立ち上がり椅子を蹴倒してエドワードは叫んだ。欧州暮らしの染み付いたホーエンハイムに合わせてリンが予約をしたフレンチレストランは、他の客もウエイターも皆一様に静まり返ってしまったが沸点を超えてしまったエドワードには気付くべくも無かった。
「リンは仕事だって言ってんだろ!人の命を預かる重要な仕事だ!!むしろ褒めろバーカ!!」
「父に向かってバカとは何だ!お前より優先する仕事があるという男にお前を幸せに出来るとは思えんと言っているんだ!」
「患者から見たら担当医の代わりはいねぇんだよ!手前との約束なんざまた組めばいいだろうがアホ!!」
「父に向かってアホとは何だ!俺は!俺との約束の反故を言ってるんじゃない!お前との約束を守れない男で良いのかと言っているんだ!」
「良いわけあるか!」


 リンとの約束なんて、リンの様子で今日は駄目なんだなと解るようになってしまった。予約や予定をずらす事を当たり前に考える様になっていた。
 そんなのきっと、本当は自然な事じゃないのに。
 ホーエンハイムに言い返せない悔しさに、下ろした拳でワンピースを握り締めるしか出来なかった。


(リン…リン、何で来ねぇんだよ!)



「遅くなっタ、ゴメン」


「リン!?」
「ホーエンハイムさんモ、遅れて申し訳ありませんでしタ」
「む。あ、あぁ」

 エドワードの背後から突如現れた男は、息も絶え絶えだった。形振り構わず出来る限り急いで来てくれたのだろう。それでも黒い上下のスーツとタイ無しでも綺麗な形のダークグレーのシャツはエドワードと先日選んだ物だった。


「俺は自分の仕事に責任と誇りを持ってまス」


 エドワードの肩に置いた手に込めた力と同じ位の力強さでリンはホーエンハイムを見据えた。
 リンとの予定が約束通りいかない事なんていくらでもあった。それでも、その度リンは惰性で謝ったりはしなかったし、埋め合わせは必ずしてくれたし、エドワードを蔑ろにした事はただの一度も無かった。
 約束を違えて欲しい訳ではない。だからといって、仕事を捨てて来たりその後をなあなあにするようだったら、エドワードだってリンを選んだりはしなかった。



「それでモ、エドワードさんに代わる物なんて俺にはありませン」



 するりと細い腰に回された腕は、力の入ったままにエドワードの軽い身体を自然と引き寄せた。



「だからエドワードさんを僕にくださイ」



 深々と頭を下げた男に、父親は憮然と「………好きにしろ」と言うしか無かった。
「どうせ俺が何と言おうともエドワードは聞かんだろう」
 顔を上げたリンがホーエンハイムを見ようとも、寂し気な父親は幸福な若い2人を見ようとはしなかった。
「エドワードさんはそう言いましたけド、」
 身体を起こして改めてエドワードを引き寄せたリンが苦笑しながら言うのを、エドワードは仕方なしに引き継いだ。
「ホーエンハイムの許可がねぇと駄目だって言ったのはリンだぜ」
 2人の方へゆるりと向いたホーエンハイムの表情はもう反対の意思をしてはいなかった。
「エドワードが俺の事を『父さん』と呼ぶまで君にも呼ばれるつもりはないからな」
 ただ形ばかり、意固地な父親の振りを貫いた。



 幸福な2人は後日詫びにレストランを訪れた際、父親が愛妻の名前を呼びながら男泣きしていた事をウエイターから聞かされる事となる。




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