8
*
そうっと頬を撫でられる感触にふわりと意識が覚醒する。
シーツに投げ出されたように横たわるエドワードの鎖骨に唇が触れた。軽いキスを落とした場所に肉付きの薄い頬を乗せ、そのまま身体を重ねるように全身で触れてくる。力の入らない腕を懸命に持ち上げて顎の下の黒い頭を抱き締めたら、ながい腕が背中に回り抱き締め返された。
あぁ、リンだ。
あの長身が自分の身体に寝そべったら重いはずだと思う。エドワードに体重を掛けないように身体を重ねてくるやさしさが愛しかった。
身じろげば肌と肌が触れ合うのが恥ずかしい。こんな恥ずかしい思い、リンとでなきゃ耐えられない。
「…リン」
「……ン、なニ?」
「もう絶対オレ、こんなこと、お前以外とはしない」
リンが顔を上げてエドワードの顔を驚いたように見返してくる。
「……絶対別れないってこト?」
「お前以外と付き合うことがあっても、しない」
「何かビミョー」と笑いながらもリンは嬉しそうにエドワードの首筋に鼻を埋めてくる。くすぐったい。先程の情事の最中にも同じようなことをされたと思い出し、リンはここに顔を寄せるのが好きなんだなと気付いた。犬のような仕草にほっと和みつつ黒い髪をぽんぽんと撫でてやれば、さらに犬さながら首に鼻を擦りつけてくる。
いとしい。
この部屋に入って来た時にエドワードが開けた窓から夕方の風が爽やかにそよいでくる。先程までの茹だるような熱情が嘘のように、驚くほど穏やかな想いだった。
黒い頭に顎を乗せるように顔を寄せて抱き締める。
リンへの想いの名前をエドワードはまだよく判っていなかった。それでも。
きっと、もう、こんな風にひとを想うことは、お前以外にはいない。
「リン」
「うン、何?」
「オレさ、お前に付き合おうって言われたとき、お前が言う『好き』が何なのかわかんなかった。
ただ、お前にもし『嫌い』って言われたの想像したらもう絶対やだなと思って、それよりマシだなってことしかわかんなかった。
だから、オレ、お前のことどんな風に思ってるのか今まで自分でもよくわかんなかったんだ」
リンがエドワードの肌に頬を乗せたまま少し笑った。かかる息がくすぐったくて少し肩を竦める。
「うン、じゃア、今はどんな風に想ってくれてるノ?」
手の中の黒髪を撫でてみる。今まで触ったことは無かったけれどいつでもさらさらと風になびいて見えていた長髪は、少し汗ばんでしっとりとした感触だった。運動をした後の子供のように。
「もしお前にきらわれることがあったとしても、オレはこの想いを忘れない」
笑われるかな、と思った。
しかしエドワードの予想に反してゆっくりと上げられたリンの顔は少し怒っていた。漆黒の瞳に自分の顔が映っているのを見て、いつも笑みの形に細められているリンの眼がしかと開いていることに気が付いた。笑われるつもりだったので笑って言ったつもりだったが、リンの瞳に映る自分の顔は思ったよりも真剣で、さらにリンの顔をよくよく見れば怒っているのではなかった。
エドワードが黒瞳から眼を放せないでいるとリンは急に表情を変えて身体を伸び上げてきた。触れるだけでも深く絡め合うでもない、唇で唇を食むようなキスをじっくりとされる。真摯な顔を見せていたリンはエドワードが瞳を閉じる直前、普段隠している雄を色濃く見せつける顔をしていた。
「デ、何で今更ちゅーで赤くなっちゃうかナ」
犬のようで、子供のようで、真摯な男の官能的な顔に照れて真っ赤になるエドワードに、リンは「カワイイ」と笑って言った。
* * *
ローカル線だというのに電車内は人で埋まっていた。皆一様に少し大きめの荷物を手にしているのでほぼ全員といって良い割合の人間が終点へかけて点在する同じ目的地へ行くのだろう。この電車は海岸沿いに浜辺を走る。朝早くともすでに陽が高いこの季節は特に海水浴に行く若者で賑わっていた。
カーブで揺れた拍子にエドワードの片足がぐらっと浮いた。その足が着地する前にリンがすかさず荷物を持っていない方の腕を伸ばし、後ろから腰に手を回して二の腕で細い肩を支える。
「大丈夫エド?」
「お、おう」
近くなった距離にエドワードが逃げ出す前にリンはそっと身体を退いてやった。エドワードが公共の場で近付くのを嫌がるのは、それほど恥ずかしがっているのだともう知っているから。触れ合うのは2人切りのときの距離、だから。
「…何ニヤニヤしてんだよ」
「してないヨ」
「嘘、してるって」
「バカップル、ウ・ザ・い!」
リンが上目使いで睨んでくる金瞳を堪能していると、同行者の女の子から低く呪いの声を掛けられた。楽しい楽しいちょっと遠出のデートだが、2人だけではない。
「ウィンリィ、ほっときなよ」
「何言ってんのよアル!ほっといたらつけあがるわよ!大体あたしはエドと2人で来るつもりだったのにー!!」
「いやそれはないよ」
「いやそれはないヨ」
ウィンリィの言葉に間髪入れずに発せられた男2人のステレオ発言にウィンリィが嫌そうな顔をする。
「そんなこと言われたら俺だってエドと2人で来たかったヨ?」
「いやそれもないよ」
「いやそれもねぇよ」
リンの惚気に間髪入れずに発言をしたのは、アルフォンスだけではなかった。
「ちょッ!アルに否定されるのはわかるけド、エド!?」
ショックを受けて途端に2人分の荷物を重く感じたリンに向けて、腹いせとばかりにウィンリィが笑った。大きな笑い声にも注目を集めたりはしない、車内は皆それぞれ同様に目的地へ向けて高揚しているのだ。アルフォンスの隣でリンを見ない振りで視界に入れるエドワードの困った顔はほのかに赤かった。
高い日差しが照りつける、夏の日。リンとエドワードが付き合ってから2ヶ月が経とうとしていた。
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