夏の約束
1/1
ゴージャス・マリコには負ける気はしねぇけれど…
「海司!これ、お土産リストね!」
「絶対絶対忘れちゃダメよ?」
「今年の夏こそ、いい男を捕まえるんだからー!」
「「「きゃーーーっ!!!」」」
コイツらには、永遠に敵わねー気がする…
「疲れた…」
蝉よりうるさい姉貴たちをなんとか追い出す事に成功して、ごろんと床に転がった。
無駄に体力削られた、本当はこんなことしてる場合じゃねーんだけど…
積み上がったダンボールの向こう、窓の外は眩しい太陽。
この夏が終わったら、俺は日本を発つ。
姉貴たちは旅行と勘違いしているみたいだけど…
「海司クーン、飯行こうぜ」
「あ、俺は…」
「いいだろ?満腹軒、“冷やし中華はじめました”ってなってたし」
就業後、そらさんに引きずられるようにして満腹軒に連れて行かれた。
通い慣れた店先には、確かに件の貼り紙が揺れていて。
「そらさん、冷やし中華にするんスか?」
「いんや、チャーシュー麺と餃子。半チャー頼むか悩ましいトコロ」
「ちょ…」
そらさんはいつもと変わらず、カウンターの向こう、中華鍋を振るおやっさんもいつもと変わらず。
定位置となったこのちょっと古びたカウンターに、あと何回座ることができるのか…
「イギリスってさぁ、今暑いの?」
「同じ北半球ですからね、季節は一緒みたいっス」
「ふーん…。はい、酢」
「どーも…」
そらさんは熱い、うまいと喚きながら運ばれてきたチャーシュー麺を啜る。
小さくため息を吐いて箸を割り、俺も湯気を上げるどんぶりに向き合う。
「ひょうさー、…っひゃんら…」
「そらさん、何言ってるか分かんないっス」
「んぐ…っ。今日さー、夏子ちゃん来たよ」
「…そうっすか」
しばらくはありつけないだろう貴重な満腹軒の餃子だけど、元々遅い箸が、更に重くなった。
揺れる長い髪、幼い頃の面影を残す屈託のない笑顔。
『海司っ!』
鈴が転がるような、明るく耳障りのいい俺を呼ぶ声。
夏子への淡い恋心を自覚したその直後に、渡英の話がでた。
SPとして高みを目指すにはまたとないチャンス。
もっと強くなるために、必ず夏子を守るために、俺はイギリス行きを決めた。
期間は、未定。
「必ず帰るから待ってろ!とか男らしーく言っちゃってキスのひとつでもしちゃったー?このこのーっ!」
「…しませんよ」
「あれ?海司…?」
慌てて否定したりもせず淡々とラーメンを食べる俺を、予想外だとそらさんが見つめる。
『イギリス、行くの?』
『…ああ』
『そっか…』
責めるでも問い詰めるでもなく、ただ確認するだけの冷静な声音。
誰かから俺の渡英を聞いたらしい夏子の瞳には、俺と同じ色が見られたけれど…
「待ってろなんて言えないっすよ」
「海司…」
ラーメン、伸びますよ、と促して、黙々と麺を啜る。
そらさんはそれ以上、何も言わなかった。
俺だって待ってろと言いたい、信じて待ってろと縛りたい。
イギリス行きを訊ねた夏子が俺の一言を待っているのにも気付いたけれど。
何かあってもすぐに駆けつけてやれない、涙を拭うことも頭を撫でてやることも抱きしめてやることもできない。
鳥は閉じ込められるより、自由に空を飛ぶのが似合う。
悲しい想いだけをさせちまうのが分かってるのに。
待ってろ、だなんて…
夏物最終セールに付き合って、と笑う夏子に、しょーがねーなーと頷いた。
賑わう街、喉を流れる汗、湿度の高い日本の夏。
「あ、このスカートかわいい…」
「…丈、短くねーか?」
「大丈夫、海司がいなくなった頃に着るから」
「何だよそれ」
「…荷造り、終わった?」
「ああ、大体な」
「そ…」
海司は荷物持ちに丁度いいから、だなんてどっかの三姉妹みたいなこと言って人を呼び出したくせに、結局夏子は何も買わなかった。
迫る夕暮れ、少なくなる会話。
どちらからともなく同じ方向へと足を向ける。
ガキの頃日が暮れるまで散々遊んだ公園は、今日は誰の姿もなく。
「ブランコ、押してやろうか」
「子どもじゃないよ。でも…」
「ん?」
「すべり台ーっ!今日は私が勝つーっ!」
「あ!おいっ!」
べーっ、と舌を出して駆け出した夏子を追って、石造りのすべり台を逆から登る。
トンネルもついている山の形をしたそれは裾野が広く頂上は狭くて、子どもの頃はどっちが先にてっぺんを取るか競争をしていて。
「あれ?あんまり高くない?」
「そりゃ、ガキの視界と違うだろ」
かつては2人で登っても余裕があったここも、大人になれば当然狭くて。
静かに風が吹いて、夏子の髪を俺の目の前で揺らす。
「今日は登れた!海司の手を借りないで」
にっこり笑う夏子から、甘い匂いがする。
そういや昔は、途中で滑って登れなくてべそかいた夏子の手を引いてやったっけ…
また明日も遊ぼうね!と、小さな小指を絡ませた日は、遠い。
目を眇める俺、夏子は遠くを見ながら話を続ける。
「海司はいつも先に行っちゃうんだけど、待って、って言うとしょーがねーなーって手を出してくれて…」
海司、と、呟くように俺を呼ぶ。
懐かしさを湛えていた夏子の瞳に、不意に違う色が混じる。
滅多に見れない、悲しみに濡れた…
「夏子…」
「待ってろ、は、言ってくれないの?」
「…」
「海司のばかっ!」
煮え切らない俺を残し、登る用の階段を駆け下りて夏子は去っていく。
長い髪が、寂しげに揺れる。
あー、くそっ…
がしがしと頭をかき回す。
泣いてた、な…
昔から夏子の涙に弱かった、何でもするから泣き止んでくれと切に願った。
けれど笑っていて欲しいのに、ガキの俺はいつも夏子を泣かせてばかりだった。
大人になって守る術を身につけて、好きな女に笑ってて欲しくて笑顔を守りたくて強さを求めた。
だから一時は離れることを選んで、イギリス行きを決めた。
なのに離れることでなく、一言を言えねーだけで泣かせるなんて…
――バカだな、俺は。
反省は後でする、まだ手の届くところにいる頬を濡らす涙を拭ってやれる。
同じ北半球って言っても日本とイギリスは遠い。
けれど俺はもう子どもじゃない、夏子も俺に手を引かれてばかり、泣いてばかりじゃない。
俺たちなら、距離を越えられる。
「夏子…っ」
揺るぎない確信、告げるべき言葉を大きくなった手のひらにきつく握りしめて駆け出す。
惚れた女を笑顔にするため、すっかり日の落ちた公園を迷いなく抜け出した。
End.
Byゆり