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三度目のキス



「おい、なんでその女をかばうんだ」

吸血鬼達の集うクラブで、氷川は他の吸血鬼達と対峙していた。
氷川の背後には女が身を隠すようにして立っていた。

氷川と女には、ただ少し面識があっただけだ。
ほんの2〜3回、短い言葉を交わしただけ。
それでも0と1とでは全く違うように、
赤の他人と見知った相手とではやはり違うのだ。
ましてや、ある種の好感を持っていた相手となれば。









以前、とあるDVDショップで二人は出会っていた。
ちょうど氷川が買い求めに来たボクシングの名勝負集のDVD-BOXの、
最後のひとつを名前が先に手にとって眺めていたのだ。

パッケージの裏を熟読していた名前は、
氷川の視線に気づくと顔をあげた。

「あ、もしかしてコレですか?」

手に持ったDVD−BOXを目線で指し示す。

「お好きなんですか、ボクシング」
「あぁ、わりと……」

氷川が曖昧に頷くと、名前は屈託のない笑みを浮かべた。

「このDVD-BOX、ちょっと高いけどレナードもハグラーも
 デュランもメイウェーザーも観られて、お得ですよねえ。
 最近なかなか売ってるところがなくって、ここでやっと出会えた」

名前は心底嬉しそうだった。

「あ、でも、あなたもこれ買いに来たんですよね?
 どうしよう、最後の1セットみたい」

商品棚のスポーツという仕切りの中にある
DVDの背を確認するように端まで目で追いながら、
困ったように名前が言った。

「そっちが先に手に取ったんだから、俺は別に……」

辞退する氷川を、名前は真正面からジッと見つめた。

「そうだ、じゃあ私が買って、良かったらお貸ししますよ」
「別にそこまで……」
「でもそれじゃ悪いから、あなたさえ迷惑じゃなかったら、ね?」

氷川は半ば強引に引き渡しの日を約束させられ、
後日実際に待ち合わせ場所で会い、DVDを渡された。
そしてまた一週間後に返すために待ち合わせて会った。
カフェでお茶を飲みながら、DVDを観た感想をお互いに語りあった。

自分の他に、ましてや女で、好きな格闘技の話を
ここまで語ることができる相手に氷川はこれまで出会ったことがなかった。
思いがけず「楽しい」と感じたし、いきいきとした様子の名前を
魅力的であるとも思った。


しかしそれきりだった。
たった3度会っただけだ。連絡先すら交換せず、
次にまた会う約束もせず、DVDの貸し借りをしただけで終わった。
そこで縁が切れていたはずだった。









「これは俺が目をつけてた獲物だ。
 おまえらはそこらに転がってる他の獲物で我慢しろ」

威嚇するような目付きで凄む氷川は殺気に満ちていた。
彼とやり合って無傷で済む者はここには一人もいないだろう。

「チッ、好きにしろよ」

背の高い坊主頭の男がクイッと顎を持ち上げると、
それを合図に背後に控えていた他の男達は離れて行った。

「あの……氷川さん……?」

わけがわからず、怯えたような目で名前が氷川を見上げていた。

「出るぞ」

名前の背を押して、クラブの外へ連れ出した。





「どういうことなの?」

あたりはすでに暗くなっていた。
氷川の黒いスーツが闇に溶けるように錯覚してしまうほど、
氷川には夜が似合っていた。

「どうしてあんな所に居たんだ」

名前の問いには答えずに、逆に問い返した。

「あのサングラスの人に腕をつかまれて連れてこられたの。
 ねえそれよりどういうことなの?
 あの人たちは何なの?教えて氷川さん」

名前は軽い錯乱状態にあるようで、
すがるように氷川の腕にしがみついた。

どうせもう二度と会うこともないと思っていた。
どうこうするつもりもなかったので電話番号すら尋ねなかった。
なのに氷川は「終わった」と感じた。
自分の正体を知られて、恐れ、忌み嫌われて
名前はもう永遠に自分に笑いかけることはないだろうと、
絶望にも似た心境だった。
そんな気持ちを抱く自分を、馬鹿馬鹿しいと自嘲することもできなかった。



「どういうことって……見たままだ。
 俺は吸血鬼と呼ばれるやつで、おまえら人間を食っているんだ」

開き直って、氷川は冷酷に映る笑みを浮かべた。
通わぬ心なら、いっそ冷たく閉ざしてくれた方が良い。
しかし名前が見せた反応は、戸惑いだった。

「あなたにもう一度会いたくて、あのDVDショップや
 一緒に入ったカフェに何度も足を運んで
 それでもずっと会えなかったのに、
 こんな形で再会するなんて……」

悲しむべきか、憤りを覚えるべきか、計りかねている。

氷川の胸に、小さな波紋が広がる。

「だけど、やっぱり会えて嬉しいって気持ちもあるの。
 私……頭では駄目ってわかってるのに……
 氷川さんの顔を見たら、やっぱり嬉しいって思って……」

小さな波紋が大きく広がり、氷川の中に確信が芽生えた。
自分は名前を愛おしく思っているのだという確信が。

「私、どうしたら……」

言い終えぬうちに、名前の華奢な肩は
氷川の腕の中におさまっていた。


「俺についてこいよ」

耳の近くで氷川の低く囁くような声。
直接脳に響くような、逆らえないような、声だった。

顔を上げると、二人の視線はぶつかった。
何かを失わない限り、二人に未来などない。
だけど大きな代償を払ってでも価値があると思えた。

どちらが先に目を閉じたのか、
いつの間にか唇は重なっていた。
氷川の髪が名前の頬にかかる。
男の髪にしては細くサラッとした感触だった。

「名前」

呼ばれて、名前が呼び返そうとすると、再び唇が塞がれた。

すれ違う人が好奇の目を向けるのを感じたけれど、
名前にとってそんなことはどうでも良かった。
氷川の熱い舌が名前の舌をからめとる、
それが今世界で最も大切なことにさえ思えた。

「私、あなたについていきます、氷川さん」

少しだけ唇を離し告げると、
氷川は目を細めて名前を見つめた。

そして名前の全てを引き受けると誓うように、
三度目のキスをした。




(あとがき)
本編では氷川の名前は出ていないので、タイトルではホストざむらい表記にしましたが、
本文でホストざむらいではあんまりなので氷川表記にしました。
需要がありそうだったら続編を裏で書くつもりです。



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