短編 鬼 | ナノ

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空がどんよりと

がらりと年季を感じさせる濃い色の玄関扉が開き、中からは品の良さそうな母と変わらない、もしかするともう少し歳がいっているだろうか。という頃合いの女性が顔を出した。
綺麗に団子に結われた後ろ髪は乱れ一つ無く、さらりと羽織られた黒の上着。その下方にふんだんに入ったコマや毬の柄が鮮やかで女性の肌の白さやら上品さを引き立たせているのが良く分かった。
想像していたよりも、ずっと柔しい笑顔がそこにはあり、私はようやっと息を吐き出せた。

「ただいまァ」

実弘君が声をかけると、軽く頭を下げたその女性は私にまたにこりと笑いかける。

「初めまして、実弘の母です」
「あ、の、あの、はじめまして!わたし、」
「とりあえず入らねェ?」
「そうね!」

そういって、パチンと手を合わせた実弘君のお母様は「さ、さ、入って!」と私の背中を軽く押し入れてから玄関扉を閉めた。

「あ、あ、の!お邪魔します!その、これ、皆さまで是非!」

袋から出した羊羹の詰め合わせを手渡していると、「まぁだンなとこでやってんのかよォ」なんてそそくさと奥へと行ってしまった実弘君が顔をひょこっと覗かせる。
全部が木でつくられていて、そこかしこにある大きな窓のついた扉が外と中を隔てている。
照明が少ないからだろうか。廊下は薄暗く、少しひんやりと感じる。
居間だ、という部屋に通された。
天井も少し高く、廊下に比べると比較的明るいかもしれない。

「あら?実弘は?」

実弘君のお母様が中で寛ぎ、新聞を開いている男の人へと声をかけた。

「ああ、婆さんのところだよ。婆さんがまた実弘を連れてっちまった」
「まぁ!……ならちょっといらしてくれる?」
「あ、はい!」

私はその男性、恐らく実弘君のお父さんであろう人に、ぺこ、と頭を下げてから実弘君のお母様の背中を追った。

通された奥座敷は、なんだか少し独特な匂いが漂っている。
少しだけ甘く、それでいてこざっぱりとした。けれどただの木だとか畳のにおいだとか。そういったものとは違う、不思議な匂い。
室内に人は居ない。けれど、開け放たれたこれもガラス窓の入った引き戸の向こう。外に面した明るい廊下に座布団を敷き、部屋に背中を向ける実弘君と老齢の着物を着た女性の姿があった。

「実弘」
「あァ、悪ィ」

実弘君のお母さんは声を張り、実弘君を呼ぶ。
いつもの通り長い睫毛をばさりと落として瞬きながら実弘君は振り返り、立ち上がってこちらにやって来てから私の手を引いた。

「お袋たちにはまた後で紹介する、先に婆さんにでもいいかァ?」
「ええ、ならお昼を食べながらお話を聞きましょうか」
「頼む」

実弘君はお母さんにそう言って、また私の手を軽く引く。

「じゃ、また後でね」
「あ、お手伝いを……」
「良いのよ、おばあちゃんの相手をよろしくね」
「はい」

にこ、と人すきのする笑みを浮かべた実弘君のお母さんは部屋を後にして、私は実弘君の隣に並ぶ。

「ばあさん」

おばあさんの右耳に手をかざし、実弘君は少しだけ声を張った。

「ん?……実弘かい、……なんかあったんか」

とても柔らかい声が、この上なくゆっくりとした音で実弘君と変わらないくらいに真っ白な髪を結ったおばあさんの口から出る。

「紹介、してェ、人が、いる」

実弘君は一言ずつ声を区切りながら大きな声で話しているから、もしかしなくともこの女性は耳があまり良くは無いのかもしれない。

「……へぇ、実弘に。女の子かい?」
「ン、そう。今日、挨拶に、来てる」
「おや、目出度いねぇ、お嫁さんかぇ」

おばあさんの言葉に、実弘君は口を開いてから矢張り閉じ直して、首の裏を撫でつけた。それから私へと視線を向け、またおばあさんの耳元で声をかける。

「そう」
「いいねぇ」

きっと、私の顔は真っ赤になっているだろう。心臓も煩い程に鳴っているのは、普段実弘君がそういった話もしないからだ。
好きだとか、愛している、だとか。大切だ、とか。そういった実弘君の気持ちを私に話してくれた事なんて数えられるほどしかない。
なんだか、やっと今になって実感が湧いてきた。そっか、そっか。私、実弘君の奥さんになるんだ。
そう思うと、頬だって凄く熱いし、口も上手く開きそうには無いけれど、実弘君に倣って出来るだけゆっくりと大きな声で名前を告げた。

「こんにちは、名字名前 と、言います。よろしく、お願いします」

おばあさんはゆっくりと私の方へと顔を向け、くり、とした大きな目を半分ほどにしならせてから、庭へと向けていた脚をおもむろに畳んでその前に指をつく。

「わ、!お、おばあさま!」
「実弘を、よろしく、おねがいします」
「無理すんなァ」

おばあさんの背中に手を添えながら、実弘君は声をかけている。
おばあさんはまた顔を上げたかと思うと、実弘君のお母さんによく似た人すきのする笑みを浮かべてから

「お義母さんに、似てるわねぇ」とこぼす。
「お袋にィ?……似てねェだろォ」

実弘君は私をきょとんとした顔で見てから、そう呟いたけれど、おばあさんは私を見て、また口角を上げた。

「よぉく似てる」

そう言って実弘君の肩を使いながら立ち上がったおばあさんは、部屋に置かれた箪笥の中から一冊の本を取り出し、実弘君へと渡す。
ぱら、と音を立てて本を開くと、丁度その本の真ん中あたり。喉に挟まれた写真が出てきた。

「わ、すげェ」実弘君の驚いた、とでもいうような声が上がり、おばあさんの皺のたくさん刻まれた指がすっかりと赤茶けた写真を指さした。

「これが、実弘のひいじいさん」
「婆さんの旦那かァ」

実弘君の言葉に笑みを深くしたおばあさんは、震える指先でもう一枚の写真を引っ張り上げる。

「わ!」

今度は声を上げたのは私だった。
私に似ている、だとかではなく、実弘君そのものと言っても過言では無い程に似た風貌の着物を着た男性が、赤ちゃんを抱いてこちらを睨みつけるように見ている。
その隣に居る女性は対象的に、この上なく幸せだとでも言うように柔く微笑み、その男性の二の腕あたりに手を添えていた。

「実弘君、そっくり!」
「……傷まで一緒じゃねェ?」

実弘君のごつごつとした指がその写真の向こうの顔をなぞる。

「よう、似とるやろ」

にこ、と笑うおばあさんの言葉を確かめるように私はもう一度写真を見た。
正直なところを言うとこの写真の女性は目を細めて笑っているから、よくわからないのだけれど似ている、と言われればそうなのかな?と思う程度だ。
それよりも、実弘君の方がこの写真の男性と瓜二つと言ってしまっても良いかもしれない。
傷に至ってもそっくり同じなのだ。

「お義父さんは、鬼狩りを、していてね」
「おにがり」

私は同じ言葉を繰り返し、実弘君を見る。
実弘君は半目になって、「ばあさん」とおばあさんを釘を刺すように呼んだ。

「あら、まだ怖いんけ?」
「そうじゃねェ、そう言う、話は、今度、なァ」
「そうやなぁ、今度なぁ」

実弘君は私に首を振って見せ「ノッてきたらいっつもこの話しすんだよォ」なんて柔らかい目をして笑い、また手元の写真に視線を落とした。

「似てっかァ?」
「実弘君?」
「いや、俺は似てんだろォ、どう見たってこの人の血だァ」

少し肩を揺らして笑う実弘君の気持ちが私も分かってしまった。

「ふふっ、実弘君って、タイムトラベル出来たの?」
「あと三年後くらいにしてんのかもなァ」

クツクツと笑った実弘君に、私は小さく不満気な声を落とした。

「えぇー、じゃあ、浮気だ」
「冗談だろォ」
「わかってるよ」

ふふ、と笑っていると、「実弘」と今度は実弘君のお母さんの声がして「皆で食事にしましょうか」とお母さんが顔を出す。

「今行くゥ」
「おばあさんも、今日は足、大丈夫ですか」

お母さんの声に、「私もいこうねぇ」とおばあさんは頷かれて、実弘君の腕を借りながら居間のローテーブルへと一脚だけ備え付けてある椅子へと腰を下ろされた。
畳みの敷き詰められた居間のテーブルには所狭しと実弘君と私の好物が並んでいて、お手伝いをやっぱり出来ればよかった、と言う少しの後悔と同じくらい、もしかしたらもっと。お母さんが私の好物を知っているくらいには実弘君が私の話をしているんだ、と温かいもので胸がいっぱいになってしまう。
食事の席ではあったけれど、実弘君はお父さんとお母さんに私を紹介してくれて、にこ、と変わらず人すきの笑みを浮かべるお母さんと、幾度か静かに頷くお父さんへ、私は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
少しばかり緊張しながら食べた食事の味なんかは本当のところはあまりわからなかったけれど、終始にこやかに話しかけてくださる実弘君のお母さんが凄く素敵な方だと言う事が染みる。
こんな素敵な方がお母さんだったら、実弘君みたいな素敵な男性に育つのも何だか「わかる!」という気がしてくると言うものだ。
実弘君のお母さんと並んでお皿を洗っていると、先ほど奥座敷の方で嗅いだ匂いがふわ、と鼻腔を擽った。

「あら」

実弘君のお母さんも気が付いたらしく、珍しいわね、と呟いた。

「とても、不思議な香りですね」
「おばあさんがね、日が暮れると仏間でお香を焚くのよ」
「そうなんですね!」
「毎日、焚いてくださってね。こうしていれば、皆安全なのよ、なんて言うんですよ」

くすくすと笑う実弘君のお母さんは笑う。

「私が焚きますよ、って言うんだけどね、私が生きている間は私の仕事です、って言うんだもの」
「おばあさんが皆さんの安全を守ってくださっているんですね!」
「そうね」

にこ、と笑う実弘君のお母さんから大皿を受け取り、布巾で拭いていく。

「あれ、でもまだ日は暮れていないですよね」
「そうねぇ、実弘とちょっと見てきてくれるかしら」
「はい、あ、でもこれ」
「やっておくから、お願いしても良いかしら」

実弘君のお母さんの言葉に従うことにして、私はさっきまで皆で食事をしていた居間にひょこ、と顔を出す。
体を投げ出すようにもたげた実弘君はみかんを剥きながら頬張るお父さんの隣でぼう、とテレビを見ていた。
どっ、と笑い声がテレビから流れるのと同時に、実弘君のお父さんが「今のは面白い」と真顔で言って「そぉかァ?」と実弘君は静かに呟く。

「あの、歓談中ごめんなさい、実弘君」
「ん?どしたァ」

サッと立ち上がってやって来てくれた実弘君に事情を説明して、仏間がどこかだけ教えて欲しい、と言うと、

「親父、ちょっくら行ってくらァ」と歩き始めた。

「あ、でもお父さんとお話ししてたんでしょ?」
「別にどってことねェよ」

そう言う実弘君の後を着いて歩いていくと、段々と匂いが濃くなってくる。

「開けんぞォ」

そう声をかけて、一際奥まった一室の扉を実弘君は開いて、案の定そこでお仏壇に手を合わせていたおばあさんの隣に腰を下ろした。
それからおばあさんの行動をなぞるように手を合わせるものだから、私もその隣で脚を畳んで手をあわせた。

「目出度いからねぇ」

柔らかいおばあさんの声が、静かに響く。

「お義母さんとお父さんに報告してたんだよ、実弘が、お嫁さん連れて来たよ、って」
「ん」

どこか照れくさそうに、おばあさんを見た実弘君は、おばあさんとは反対に座っている私をちら、と見てからもう一度何もなかったとでも言いたげにお仏壇を見る。

「お義母さんがねぇ、ずっと、焚いてはったんよ」
「そうなんですね」
「お義父さんがしてたんですって、こうしていたら、鬼がこないから、って」

また「鬼」だ。
どうにもおばあさんが冗談を言っているようにも見えない。その上さっき写真で見た、実弘君そっくりのあの男の人を「お義父さん」と呼んだおばあさんの言葉からして、恐らくあの人がしていたこと、と言う事で間違いが無いのだろう。
どうにも、実弘君と同じ顔をしたあの男の人が、冗談を言うタイプだと想像も出来ない。
その上、あんなに傷だらけであったのだし、何かそういった事でもあったのだろうか。
そうは言っても、どうにも「鬼」だなんて御伽噺にしか出ても来ない空想の生き物を信じる事も出来なくて、実弘君をちらりと見る。
実弘君はただぼう、とお仏壇を眺めていた。

「鬼……」
「熊か何かと間違えてんだろォ」

私の言葉を拾った実弘君は、静かにそういった。
お仏壇から、ずっと焚かれたお香の煙が燻って天井へと伸びていく。


そのうち家じゅうにお香の匂いが広がっていく頃には実弘君が「そろそろ帰るわァ」とお母さんとお父さんに言われて、お母さんとおばあさんとお茶を飲みながらの実弘君の幼少のお話しは幕を閉じる事になる。

「また来てね、」

と実弘君のお母さんに見送られて玄関を出たところで、突然目の前の景色が歪んだ。
ぐる、と玄関のすぐ脇から顔を覗かせる庭に植えてある綺麗な花が、まるで暴れているかのような錯覚を起こすほどに視界が揺れ、私を支えてくれた実弘君の声に応える事も出来ない。

「オイ!どうしたァ!!?名前!名前!!」
「大丈夫!?名前ちゃん!」

実弘君のお母さんの言葉にも返事も出来ないまま、私は一度強く目を閉じた。
ずっと遠くから、またあのお香の匂いがやって来ている気がした。

□□□□■

そぅ、と目を開けると、もうあの酷い眩暈は無かった。
無かったけれど、隣にあったはずの実弘君の姿も無い。
直ぐ傍で私の腕を擦ってくださっていた実弘君のお母さんのぬくもりも、あのお香の匂いも無かった。

私は静かに首を回し、あたりを見渡す。

「実弘君?」

帰って来る言葉も、音も無い。
玄関を出た向こうに見えていた門も、庭もあるけれど、あの庭を彩っていた花が無い。
良く見ると、門も玄関の扉も私が今日見たものよりもずっと新しいものに見える。

「実弘君、……お母さん……おばあさん、……」

呼びかけても応えるものは何一つとして無い。

どうしよう、と私はそこに立ち尽くす。
ただ茫然とここに立ち尽くしている。どうなっているんだろう。
どうすれば良いんだろう。ここは一体、何処なんだろう。
私どうしちゃったんだろう!
実弘君はどこに行ったんだろう、お母さんの姿が無い。
どうしよう!

きょろきょろと、ただあたりを見渡す。
先ほど確認したのと変わることの無い、殺風景な庭と明るい色の門が見えるだけだ。
どうしたらいいんだろう!
口元を手で押さえた時。目の前の門が外側から開き、真っ白な頭が顔を覗かせた。
言葉通り、真っ白な頭だ。
その下には、着物に包んでいるらしい比較的大柄な体があり、その手には何か紙が握り込まれている。
男だ。

実弘君と同じような頭をした、着物の男がそこには居る。

「……実弘君?」

男は応えない。
ただ、ゆっくりと顔を上げていく。
その全部が見えた時に、私は今日おばあさんに見せて頂いたあの写真の中の男の人を、思い出していた。

「実弘君?」


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