短編集
夜の憂鬱
ガヤガヤとした店の中で、ひときわガヤガヤとしたこの一室。
その隅の方を私はキープしてずぅっとジョッキを傾けて、箸で食べ物をつかんでは口に放り込んでを繰り返している。
下らない。
とか、そんなことをこの歳になってまで言うつもりもない。
こういう集まりだと、解ってもいたし、まぁつまり、合コンなんて、こんなもんだ。っていう。
開催してくださった先輩には悪いけれど、一々人の神経を逆撫でしてくる斜め向かいの男たちに割いてやる時間は私には無い、と早々に判断して今日は食事に時間をつぎ込むことにした。
「ねぇ、きみは?えーと、名前ちゃんだっけ??恋愛に何を求めてるタイプ?」
その問題の、一番苛立つやつがにやにやとこちらを見て笑っている。
横に座る先輩達のためにも、空気を壊さないようにできる限り優秀な解答を模索したけれど、ひたすらジョッキを傾けていた頭で弾き出せた答えは、大して気の聞いたことのひとつも弾き出してはくれなかった。
「……結婚したい人かどうか、見る時間だと、思ってますから、そーいうの」
「ふぅーん。したいんだぁ。なんで?」
「………、子供が、欲しくて」
私の言葉を聞いて、自分の横に座っている汚い金髪とニタリと笑いあい、こそこそと話し始めた。
左手の人差し指と、親指がわっかを作り、そこに右手の人差し指を入れる。そんなジェスチャ。
ケラケラと大きな声で笑うその二人の男達によって、その席はしん、と静まり返った。
先輩達の計らいで、5人ずつ揃えられた男女。
先輩達のお眼鏡に叶った食事たちは、それなりの見映えと、それなりの味を提供してくれている。
私はそれだけで良かった。
本当は、男なんて欲しくもなかったけれど、
「彼氏でもつくったら、その硬い頭も治るわぁ!」
なんて高らかに笑う声で私はここに座して居るわけだけれども。
ほら、こんなだから要らないのよ。
と、自分がずぅっと馬鹿にされる側の人間だったからこそ染み付いたその思考を発揮させていた。
空気を読んでか読まずか、未だに下卑たことをやめない男たちは、しまいにはその手作りのわっかに舌を突っ込む動作をして
「やりたいのォ?」
なんて笑っている。やはり、とてつもなく下らない。
何処か遠くで
「オイ、」とかなんとか、鋭い音が走った気もしたけれど、
とってもお酒で気持ちよくなった私にはその音がゴングに聞こえた訳で。
ぱちぱちと大きな音をあげてにこやかに拍手。
それだけで少し場が和んで、先輩達はにこやかにまた食事へと戻ろうとした。けれど、生憎それを気遣う余裕は既に出来上がったこの私と言う酔っぱらいによってまた氷点下へと落ちる。
「あははっ!そうでちゅねぇ!坊やもそうやって産まれてきまちたねぇ!」
「……はァ?」
「やだ、ママとパパの愛の結晶なんでしょう?良かったですね!でっかい図体になれて!」
うふふと笑いながら私は食事を再開。
テーブルの下で、私の太股に当てられていたその男の足はようやっと引っ込み、静かな食事の時間。
たらふく飲み食いした私は横に居た先輩に
「気持ち悪くなってきたので、吐く前に帰りまぁーす!」
と、来たときよりもずっと上機嫌で鞄を引っ付かんで、先輩に数千円を握らせ、この個室のために設えられた障子扉をスパンと開けて、
「お邪魔しましたぁ!」
と頭を下げ、個室の扉を閉め直す。
お手洗いに行って、店から出ようとしたときには、先ほどの個室から、またけたたましい迄の笑い声が響いていた。
店を出て、少し肌寒い夜に向かって酒臭い吐息をはきかけた。
「よォ」
かけられた声のもとへ目をやると、先ほどの個室で見た、はじめの方に挨拶をしていた、つまり私と正反対の席に座っていた、がらの悪い白髪がそこに居た。
私の言葉で体よく抜け出してきたのか、それとも場の雰囲気を壊した私に苦情を言いに来たのか。
解らないけれど、何度でも言う。酔っぱらいには、怖いものなどないのだ。
「なんですかぁ、お誘いですかぁ?素面の時にお願いできますぅ?今、私酔ってるんでぇ、」
なんて、あの男と大差ないニヤニヤとした酷い顔を作っている。
「バァカ。酔ってんだろ。送ってく」
そう、静かに言ったその人の言葉に、先程までの不快感は消えて。
「要らないです。戻ったらどうですか」
酷く冷静な音が口から落ちた。
「戻らねぇよ。数あわせで来てんだ。お前が抜けンなら、義理は果たしたろォ」
そう笑った男の顔は、さっきよりまでずっと幼くて、何だか笑えた。
「私ダメなんですよね。あー言うの。苦手」
ついついこぼれた本音を、取り繕うこともせずに、駅までの道をならんで歩く事にした。
「悪かったな。あんまり知ってる奴じゃねェけど、多分女の前だからってんで調子のってたンだろ」
そう、面倒臭そうに言いながら、私よりずっと大きな革靴で、道端に転がる石を蹴飛ばした。
「私も、大人げなかったです。もう20も越えてるし、落ち着かないとなんでしょうけど、」
なんて言いながら顔を揉む。
浮腫んでいる気がして、仕方ない。
「なァ、」
と、後ろからかけられた声に、振り返ると、何だか気まずそうに立ち止まり、こちらを苦々しい顔で見ていたその人は、言いにくそうに自分の足と、それから私の顔に、視線をさ迷わせて、ふぅ、と息を吐いた。
ガシガシと、革の鞄を引っ付かんだのとは反対の手で頭をかき、
薄く傷の入った顔をこちらに向けた。
「名前、もっかい教えて。」
「……名前だけ?」
「ん、連絡先もォ」
その言葉がなんだかかわいくて、
「名字名前です。あなたは?」
「不死川。不死川実弥」
時折つくる、鋭い視線に穿たれた。
「よぉし、不死川さん、飲み直しに行きましょう!」
誘われるままに入ったホテルの一室で、ぐらぐらと、揺れる頭と格闘。
「そういうつもりじゃねェから、」
とは言われたものの、不死川さんは、今シャワーを浴びていて。
酔っぱらいに怖いものはないと、言ったけれど、言ったけれども、今は怖い。
なぜ入ったのか、とつい15分前の己を呪いたくなって、誤魔化すためにも、部屋に備え付けられたでっかいテレビを操作する。
つけた途端に漏れだした大きな女性の喘ぎ声に辟易としながらも、適当な番組を選んでいく。
今私が推しに推しているお笑いコンビがコントをしていて、それにぼうっと視線を送った。
程無くして戻ってきた不死川さんは、
「ン」
とかなんとか言いながら、鍛え上げられた腹筋と雄っぱいをさらけ出して、お水を給仕してくれる。
あ、その雄っぱいは大好物です。ごっつぁんです。
とかなんとか、下らないことを考えながら、ありがたくお水を頂く。
「ありがとうございます。」
正直、どんな経緯でここに来たのかとてつもなく朧気なせいで、私は強く出られないでいる。
兎に角、こんなところに入ったあげく、唇のひとつもやる気はないから、今日は手痛い出費が嵩むなぁ。と、それだけ。
「…………」
「……」
ベッドに二人で腰掛けながら、どちらとも決定的な言葉を出すこともなく、芸人の言葉に耳をすます。
丁度、やっているネタが、先程の苛つく男たちの事のようで、思わず笑い声が漏れた。
「っふふ、」
横を見ると、同じように肩を震わせる不死川さんがいて、目を合わせて笑ってしまった。
「やっばい!んふふ、だって、あの時の顔、めっちゃ間抜けで、ふふふふっ」
「や、あれは……クソ、笑いとまんねェ」
すっかり酔って、頭も痛いのにたくさん笑ったから、なおさらしんどくなって、とうとう体を後ろに倒した。
「ふぅ、ヤバイなぁ。……先輩怒るかなぁ??」
「いや、あいつらも大概失礼だったろ」
優しく慰めてはくれるものの、私の職場に彼が居るわけでもないので、あまり慰めにはならず。
「……来週、行きたくないなぁ。」
「明日休み?」
「んー。そうですよぉ。だから、飲み過ぎましたぁ」
尋ねてきた不死川さんは、じっとこちらを見下ろしていて、大して寝顔に自信の欠片ももてない私は顔を背けて、背中を見せた。
「やだなぁ。先輩、今度こそって、燃えてたなぁ」
「マジかよ。そんな本気?」
「20後半の女は怖い、らしいですよ」
良かったですね。狙われなくて。
とかなんとか。
「……なァ、」
そう言って、呼びかけられたのを尻目に、私は夢の中へと墜ちてしまった。
次にめが覚めたときには、体は布団に綺麗にしまわれていて、靴が床に脱ぎ捨てられている。
服はジャケットだけ脱いだ、そのままで、横から聞こえる寝息に耳をそばたてた。
「……まじかぁ」
とても、律儀な人らしい。
据え膳レベルの女に手も出さず、布団にも潜らず眠っている男に、その辺に置いてあるブランケットをかけてやり、ギトギトの頭をシャワーで流す事にした。
幾分かさっぱりしてシャワールームから出ると、顔を洗い終えたらしいその人は
「はよォ」
と、たいしてやる気のない声をだしている。
私は浮腫んでいるであろう己の顔を、酷く呪った。
しっかりと不死川実弥その人を見ると、ずっとずっとどタイプで。
つまり、だ。据え膳食べれば良かったなぁ。と、私も思ったわけで。
「なァ、今から出掛けねェ?」
「……ご飯が食べたい。」
「ハッ、色気ねぇなァ」
笑ったその人に惚れてしまったっていう。