短編 鬼 | ナノ

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イチニツイテ4

いくら経験がない私でも、彼がした事が最低な事はわかる。
けれど、彼が胡蝶さんを思い煩っていた事を理解した上でならこういうリスクヘッジもすべきだった。
そう、終わってからなら理解できた。
これで無くなるのだと思っていた焦燥感も、劣等感も、どういう訳か腹の中で今にも暴れだしそうなくらいに轟々と音が鳴りそうな程。
彼が一途?とんでもない。
彼はこちらの一声で女をオナホにできるんじゃないか。
私と同族だわ。
その事実が、びっくりするくらいに胸を裂く。
彼氏に、本当になってもらおうと、今日誘ったわけでは無い。
今日、私は彼と同じような気持ちだった。
誰でも、抱いてくれるなら良かった。
私こそ、通り魔みたいなものだ。
彼を責める権利も理由もない。最低だと誹る理由もつもりもない。
でも、どうしようもない虚しさがぐらぐらと脳を占めていく。
どうすれば良いのか、もうわからない。本当に思うのは、私にペニスがついて居たら、お金出してでも何回もセックスしたんじゃないだろうかな、っていう浅はかな考え。
ついてないからわかりはしないけれど。

ペニスにくっつけたゴムを引き抜いて縛る不死川さんを、豆電球の薄暗がりでぼう、と見守る。
ゴミ箱にでも入れたいんだろう。
少しだけきょろきょろとして、
こちらに圧し掛かるように電気のスイッチを探している。
布団のシーツを引っ掴んで、引き寄せてから電気をつけてやる。

「……」
「……なんですか」

まじか、っていうのはこういう時に使うのが正しい、と改めて実感。
ゴムの外側に着いた血液が、私の股が裂けたことを表している。
それから、彼は少しだけ驚いた顔をして私を見てベッドに腰を掛け直した。

「……」
「何か言ってくださいよ、いつもああなんですか」
「ちげェ」

何の事を言っているのか理解したのだろう、顔をしかめた。

「そうですか、なら良かったです。……まさかとは思いますが、今付き合っている人って、
「居ねぇよ」

不貞腐れたように、手のひらに顎を乗せて立てた膝にその腕を乗せる。
筋肉質だと、どのようなポーズでも様になって羨ましい限りである。

「私、今日の事はオナニーだと思ってるんで、……でもあなたに彼女がもしも居たら、私最低だったから。……居なくてよかった」
「そぉかィ」

ゴミ箱を見つけたのか、頬杖をついているのとは逆の手に収められていたゴムをポイ、と放り投げた。
放物線を描いたそれが綺麗にストンとゴミ箱にシュートされて、なんだかそれすらも腹が立つ。
生理前だったかしら、なんてどこかで考えながらも彼の口調が崩れている事に気が付いた。
そう、居酒屋で飲んでいた時と同じ口調。思っていた三倍はやんちゃな口調だったから、実はこっそり笑ったんだった。
今はどうにも笑えそうにない。

「帰ります?シャワー使います?」
「……シャワー借りてもいいかァ」
「どうぞ、ご自由に使ってください」

ベッドから追い出してシャワーに向かった背中を見送ってから、痛む股もそのままに、そのへんにあったTシャツを着て、パンツだけ何とかかんとか足を通す。
ベッドのシーツを取っ払ってゴミ袋にぶち込んでからベランダに放り出した。
しっかりと赤い跡があちらこちらについていたから、見られなくて良かったと思う。
まぁ、きっとばれてるんだろうけれど。プライド的なあれの話だから、もう良い。

冷蔵庫からビールを取り出して、ぐび、と喉を鳴らす。
多分、ビールには鎮静効果があって、これを飲むことでその日あった嫌なことを忘れられるようにできているんだ。
知らないけれど。
少なくとも、私はそう。
二本目をあけて、そのままの勢いで流し込んで一気に腹に入れていく。
忘れてしまえ。
ぜーんぶ全部。この一週間にあった事全部。
昇進の面談の結果はまだ出てないし、友人に子供なんて出来ていない。デートなんてしていない。今日の事も、明日には、無かった事になっている。
私の処女が消え去っている、ただそれだけ。その結果だけが残っていれば、もうそれでいい。後はいつも道理、「やめてやる」そう喚きながらまたがむしゃらに仕事に励めばいい。
四本目をあけたところで、後ろから伸びてきた手に阻まれた。

「飲み過ぎだし、ペースも早すぎんだろぉがァ」
「大丈夫ですよ、別に、死にはしないでしょ。不死川さんの事はこれで無かったことになるんですよ、忘れられる。」

手を押しのけようとして力を入れているはずなのに、力は入らないし、不死川さんが抑えているからビールも煽れないし。
飲みたいのに、飲めないからだ、それだけだ。
頭が、芯を持ったように熱い。
どうして、誰も私を見てくれないんだろう。
認めて欲しいんじゃない、本当は、昇進なんてどうでも良い。確かに、肩書も、お給料アップも魅力的だし、ないよりあった方が良い。
でも、そうじゃない。
私は、置いて行かれるのが、寂しいんだ。きっと。
誰にも気が付かれずに、老いてだけ行って私はぽつんと一人それが、ありありと見えて怖い、そう、きっと。
だから、誰かに私を見て欲しいんだ、見ていて欲しいんだ。
気が付いたら、ぽろぽろと涙が零れてくる。

「酷いですよねぇ、こっちはこんなに求めてるのに、本気じゃねぇならそこをどけよ、って、」
「……そぉだなァ」

ビールを抑えていただけの手が、私の手から缶を取り上げていく。

「私に、くれって、」
「……」

真後ろの、ほど近いところから、ぐびび、と喉に流し込む音が聞こえ始めた。
私のだぞ、飲むんじゃねぇよ。

「どうせ、私よりそこに執着してないんだから、そこをくれって、」
「……そぉ、かもなァ」
「それができないなら、ペニスくれよって、」
「そ、……ハァ?!」

カン、ととびきり軽い音が響いて、中身が空っぽになったことを教えてくる。
私はまたビールを冷蔵庫から二本取り出して、不死川さんの腕を引っ張りながらベッドへと向かう。

「私はね!!もう、7回!!7回よ!!主任候補まで上がって、下ろされてるの!!何が問題!?誰よりも成果は上げたわ!!!上司受けは……それなりだとは思うけれど、……誰よりもやる気があるって言いきれた!!
酷いじゃない!私の何が足りないの?!足りないものが、ペニスだとしか思えないの!!」
「お、オウ」
「めんどくさいわね、ええ面倒で結構よ!私は色恋も友情も全部全部、仕事の次!それで良かったし、それで成果もあったんだから今でも正しかったと思うわ!!それでも、毎回聞かれるの!!『結婚する気はありますか?』『妊娠、出産予定は?』『お相手はいます?』全部、ノーよ!毎回、そう、言ってるじゃない!!三年半よ!!
この年頃の!!女の!!!三年!!半!!!」

ビールを煽る私を、不死川さんは止めることはもうしなくって、これ幸いと酔っ払いのテンションで全部ぶちまけていく。

「そしたら、一緒に独身貴族で居ようねって、唯一の独身だったヤツもさっさと子供作りやがって!お前の『約束』って一体なんだよ?!約束は破るためにあるんです、ってか?やかましいわ!!
カナエちゃんに男紹介してくれって言ったら、なんだよ、あんたの事好きな奴じゃん?!無神経な事、してんじゃねぇよ!!私にとばっちり来てんだわ!!お前ら私をどうしたいの?!親からの結婚コールもうんざりだわ!!相手居るなら、してんだわ!!!それもこれも、ペニスついてたら全部解決なんだわ!」

肩を震わせる不死川さんはどうやら笑っているらしい。

「笑ってんじゃねぇわ!!あんたも、たいっがい、失礼だからな!!なぁにが、胡蝶、だよ!切なそうに呼びやがって!!そういうプレイなら、よそでやれよ!!」
「悪かった、それは、マジでェ」
「悪かった、で済んだら、警察は、要らんのよ、」

もう涙が止まらなくて、「悔しい、」そう言いながら、ぼろぼろと泣いた。

「……苦労してんだなァ」
「同情は要らんわ、ビール」
「だぁから、ちょっとはペース落とせってェ、」
「それこそ、要らんわ」

プリプリと怒りながら、トイレに行ってまたビールを片手に戻る。
少しだけ、眉を下げながらパンツ一枚だけを纏った不死川さんにブランケットを投げつけた。

「ン、サンキュ。」
「……言えばいいのに。砕けて、スッキリしたら良いのに」
「言わねぇわァ」

目を軽く伏せてからぽつぽつと、語り始めたのは部長の事。

「……悲鳴嶼さんには、弟が昔世話ンなってなァ」
「あぁ、身内がねぇ、……そうかぁ」
「頭も上がらねぇし、悲鳴嶼さんは、良い人だァ……俺よりもアイツの事幸せにも出来ンだろうなァ」

くしゃりと髪をかき上げる不死川さんの髪に溜まった水滴が、時折かかる。
冷たいなぁ、とごろりと転がって、ベッドのサイドチェストから取り出したフェイスタオルも投げつけておく。

「そんなの、言い訳だよ。本気で取りに行かなかったんでしょ」
「……」
「相手が居る居ないなんて、この際婚約、……もうあれだ、結婚してなきゃ関係無いわ。仮に付き合ってる人間だったとしても、選ぶのは彼女じゃん」
「お前、逞しいなァ」

クツクツと受け取ったフェイスタオルで頭を拭きあげながら笑う不死川さんはどこか寂しそうに見える。

「好きだって言って、困らせればいいんだ。だって、こっちはカナエちゃん好きになって困ってんだもん」
「それ、はまた違ぇだろォ」
「私が助けてあげようか、もう!」
「要らねェし、うぜェ」

我が物顔でビールを取りに行った不死川さんの手には、二つ、缶が握られていて「ン」と差し出してくるものだから、ありがたく受け取った。

「冷蔵庫、ビールしか入ってねぇ」
「毎食、作る時間もないくらいには頑張ってたんですぅ。不死川さんも、カナエちゃんの恋愛相談なんか乗るからいけないんだわ」
「……不毛だよなァ、お前も」
「不死川さんはフラれてスッキリすれば、案外次にいけるし、上手くいきそうな気もするけどね」

そう言うと、ゆるゆると揺れた目がこちらを覗く。

「……私は、こうやって何度フラれても、みっともなく縋りついてるから、……次の行き方も、他の探し方も、わかんないや」
「それは仕事のハナシだろぉがァ、」
「変わんないよ。決めるのは結局人だから」
「そんなモンかァ?」
「知らないけど。そうじゃない?」

二人で黙ってビールを傾けた。

「悪かったなァ、初めてだったんだろォ」
「みじめだからやめて。こっちこそ、通り魔みたいなことした」
「それに乗ったのは俺の意志だろぉがァ、」
「でも、やっぱり不死川さんは良い人だった。カナエちゃんの言うとおりだ。」

きょとん、とした顔がこちらを見ている。

「ハァ?」
「普通、こんなビッチみたいな女、終わったらサッサと服着て玄関開けて出ていけばそれで全部おしまいにできたのに」
「いや、お前俺の連絡先も共通の知人も居んだから、それこそやべェだろォ」
「そんなもん?」
「だなァ」

くつくつと、不死川さんの鳴らす喉の音が、存外軽やかでどこか安心する。
せっかく良い人なんだから、極力彼みたいな人が傷つくような世の中でなければ良い、とか何とか考える。
それくらいには頭がぼうっとしている。

「あー、もう無理、飲めない。」
「結構飲んでたからなァ、」
「布団半分いる?かえる?」
「辿り着ける自信ねェ」
「はは、あしたって、……なんようびだっけ」
「お前、今寝かけてんだろォ、……危機感とか、いろいろどぉなってんだよォ」




朝、否、昼に差し掛かるころ、二人そろって中途半端にベッドにもたれ掛かって眠っていて、何方ともなく起き上がり

「あたま、いったい、」
「お前が、あんなに飲ますからこっちもやべェわァ」

まるで旧知の友人みたいな会話がこぼれ出て、私はほんの少しだけ救われたような気持になってしまうのだ。

不死川実弥
彼は思っていたよりもずっと完璧じゃなくて、かっこよくもなくて。
ただの優しくて自己犠牲の精神強めの頑固で兄気質な面倒見の良い、立場も弁えられるそれでいてちょっとばかり最低な、……つまり、人間味のあるカッコいい人だった。

そんな私達は、未だにスタートラインには立てずにいる。


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