小説 | ナノ

湯で汗を落とせば、余計な思考やら、纏わりつく不快感。どうしようもない焦燥感やらが体を伝い、流れていくような錯覚を覚えていた。


不死川さんは、ここ最近はほとんど毎日、コウサクおじさんや、荒木のおじさんの畑を手伝っていたりだとか、沖田のお家の焼き物の手伝いをしていたり、はたまた、この集落のおばあさんやらおじいさんの小間使いのような何某を、一切合切断ることなく受けていた。
今日も、例のように畑へと出て行ったところであったが、帰ってから。食事を摂りながら。縁側で涼をとりながら。
昨夜の事が、まるで全くなかったかのように普通・・に過ごしておられた。

そう。
普通に、過ごしておられるのだ。
まったく。何一つ。私がここへ通っていた時と変わらない態度のまま、ただ悠然とそこへいらっしゃる。

私はこんなにも「今晩は一体どうなるのであろうか」と、「昨夜は失敗してしまった」だとか「次はどうすればいいのやら」だとか。
「お顔を見るのすら恥ずかしい」だとか。
全くもって普通に接することも出来ずにいるというのに、だ。

今とて、風呂桶に溜まった湯を見れば、「ここに先ほどまで不死川さんが浸かっておられたのやも知れない」そんなどうしようも無いことを考えると、湯をかけるのをためらう程であるというのに。だ。


なんとか湯浴みを終えれば、夏前特有のじっとりとした空気が、屋敷のあちらこちら開け放たれた扉から抜けていく。
そんな風が、肌を撫ぜていった。

行燈の仄かな明かりが揺らめくのが僅かに障子戸に映り、寝室がほの明るく灯っているのを、私は廊下の向こうから眺めていた。
この後、なんと声を掛けようか。
なんと出て行けばいいのであろうか。

まるでのぼせてしまったように、だんだんと茹だっていくのを誤魔化したくて、私はぎゅ、と目を瞑った。


そうこうしていても、時は経ってくれないものであるから、数歩、足を動かした後、私は目の前の扉を、恐る恐る開くことにした。

「…………い、頂き、ました」

すっかり日が長くなったこの時期では、時計があればもう直に夜を指し示そうか、という頃であろうに。まだまだ明るかった。
昼間ほどではないが、少なくとも、空の天辺から半分に漸く群青がかかり始めた。そのような、暗いと言い切るには明るく、明るいと言い切るには暗すぎる頃合いであろうか。

外廊下の柱へと体を預けておられたらしい不死川さんは、部屋の入口へと一瞥をくれた後、「おぅ」とだけ答えなさって、また外を眺めていらっしゃる。

「……外には、なにか、……おありですか?」
「いや」

一拍置き、「何もねぇ」と答えて下さる不死川さんのお背中は、こちらを向こうとはしない。

「なにか、飲まれますか?」
「……今は良ィ」

私は「そうですか」と返し、逡巡した。
お茶やらお酒が要ると仰って下さったら、ここを立てたのに。
このまま鏡台の方へと向かい、髪を梳かし始める事も出来る。きっと、不自然ではない。ただ、少し素っ気ないだろうか。
不死川さんのお傍で腰を落ち着けた方が良いのだろうか。夫婦って、どうするのが普通・・なのだろう。

「あ、あのぅ」と、私が声を上げたところで、不死川さんはご自身のすぐ隣へと、小さく音を立てて手を置かれた。
座れ、という事であろうか。

のろのろ、と言った音が正しそうな程に鈍間の足付きで、私は不死川さんの隣。足一歩分だけ後ろへと腰を下ろすことにした。

「んな緊張すんじゃねぇ」
「……す、すみませ、」
「こっちまで、照れんだろォ」

私の方へは、決してお顔を向ける事は無いが、私よりもずっと短い淡い色の髪から覗くお耳が、その髪色とは反対に、真っ赤に染まっておられる。
私は、頭の中までカッカと火照っていくのを感じていた。
不死川さんの、床へと置かれていた手が、ひたすらに長い影を伸ばしている。
その影は、よく見れば、私のものと混じっている。

私はそんなに近くに居たのか、と、目をぱちくりとやりながら、不死川さんの左手へと、また視線を戻す。
違った。
不死川さんの手が伸びていたのだ。

「……体は。辛かねぇか」

そう仰った不死川さんは、未だ柱へと体を預けたままではあった。
だが、その手は私の膝の上、握りしめていた手の上へとかぶさっている。

「だ! 大丈夫、です!」
「ハ、元気だなァ」
「げ……んき、です、よぅ……」

そんな私をいつの間にやら見ておられた不死川さんは、目を緩く細めては「そうかィ」と言って、またお外を眺めはじめた。

するすると、元の位置へと戻っていった不死川さんの手は、手のひらである、というのに、変わらずごつごつとして、かさついていた。

季節は、そろそろじとッ、と暑くなってきている。
風が吹けば幾分かマシであるが、それでも、じめじめとしている。
だからだ。
きっと、だから。
だから、こんなにも体には熱が籠もるし、湯浴みの直後だというのに変に汗をかいてしまうのだ。

心の中で、そんな下らない言い訳をしながら、緩い風が揺らす、不死川さんの淡い髪を見た。

そこから僅かに覗く、少しばかり丸いお顔。けれど、着流しを纏っていてもありありとわかるほどに、私よりもずっと大きく、逞しく、堅いお体。
見ているだけだ。見ているだけであるというのに、胸が、きゅうッと絞られていく。

私は思わず、心臓の辺りを擦った。

「月が出てんなァ」

ぼう、と空を眺める不死川さんの隣。心臓をこれでもか、と高鳴らせながら、私も同じように空を見上げる。

視界の半分を埋めたお屋敷の屋根の影の向こう側。
まだほの明るい空の奥に、薄っすらと白い月がその姿を見せていた。

「出てます、ねぇ……明日辺りは真ん丸になりますかねぇ? あれ? 昨日は丸かったですか? もしかして帰り……あれ?
こっちが欠けているから、昨日が真ん丸だったんで…………」

思考がぱた、と止んだ。
それ以上何も言えなくなり、動けなくなった。
唇に触れたものが離れると同じ頃。
いつの間にか、私と向き合っていた不死川さんが、「なんとか言えェ」だとか、なんとか。
仰られていたが、「なんとか」というのは、一体全体なんなのであろうか。
引き結んだ唇へと歯を立てながら、私は口元を隠した。

「し、…………心臓が、持ちません…………」
「そりゃァ、困ったなァ」
「も、持ちません、ってば、ぁ」
「ん」
「う……! ……し、不死川さ、んッ!!」

不死川さんの赤いお耳が、酷く近い。

不死川さんが私の手を除けてしまったから、隠すものの無くなった私の唇へと、また、不死川さんの体の中で、きっと恐らく、一番柔い唇。それが、ふわふわと当たっては離れていった。

どきどきする。
頭が、がんがんと痛みそうなほどに脈を打っている。
私に覆いかぶさる不死川さんの手が、体が、触れるところ全部が、熱くて熱くて溶けてしまいそうだった。

怖い、と思う。
股をきゅ、と閉めた。

気が付けば、いつの間にか不死川さんの手が、優しく頭を撫でて下さっていた。
あぁ、やってしまった、と思う。

私は自分の体に腕を巻きつけ、明確に「拒否」を示し、不死川さんはそれを、きょと、とした顔で見られてから、薄い眉をこれでもか、と下げ、切なそうに笑ったのだ。

不死川さんは、何も仰らなかった。
けれど、夫婦生活二日目にして、夫からの誘いを断るだなんて。
頭の中に「どうしよう」が山と溢れてくる。

だけれど、どうしようもないのだ。
だって、あの夜は、あんまりにも恐ろしかったじゃないか。
あの夜は、あんまりにも怖かったじゃないか。
不死川さんに見下ろされながら、私はまた、下唇を噛んだ。


あんなに体が言う事を効かなくなることを、私は他に知らない。
まったく自分のものでは無いかのように、触れられた場所全部が熱を持ち、くすぐったくなり、ただ、手が触れているだけだというのに、頭の中がぐちゃぐちゃになっていった。

そのうち、何かが頭の中で、弾けて暴れまわるような。
自分ではどうとも処理のできない感覚が、身体全部まで駆け巡っていったのだ。

全部が、どうしようもなかった。
恐らく。
恐らく、だが。私はどうしようもなく感じ入ってしまっていたのだと、思うのだ。

どこから出ているのかわからなくなるほどにあられの無い声が漏れてしまうし、股が、漏らしたのかと見紛うほどに濡れてしまっていたのも分かる。
きっと、──そんなのおかしい。

──不死川さんに触れられると、おかしくなる。

私は純粋に、怖かった。

「そ、その、……き、今日は、その!! ……ご、ごめんなさぃ……」
「いや、……昨夜は、つい……カッとなった。やり過ぎた」
「いえ! ……大丈夫……です……」
「そうかィ」

不死川さんは体を起こし、ただ優しく私の頭を撫でた。

「き、今日だけ、そのぅ、……」
「いや、怖がらせた」
「……ごめんなさい」
「もう謝んなァ」
「で、でも、」

未だまごつく私へ、不死川さんはまた眉を下げて笑いながら「寝るか」と仰られる。

私は部屋の中へと戻っていかれた不死川さんのお背中を眺めて、それからようやく、身体を起こした。




その次の夜も、そのまた次の夜も。
私は曖昧な態度を取り、用事をやり、とっとと寝入った事にし、何かと誤魔化しては、不死川さんとの夜を避けていた。

あんなにも、いっそ焦がれていたはずの不死川さんの姿を見ると、今ではどうしようも無い罪悪感やら焦燥感に捕らわれてしまうものであるから、「ごめんなさい」の気持ちをたっぷりと込めて、夜のお食事は出来る限りに手をかけた。
洗濯はいつもの倍は擦り上げて、ぴかぴかに。
屋敷の中も、埃一つ許さない。と言わんばかりの気概でもって掃除をした。

そのうち、不死川さんは夜、私の湯上りを待たずに眠っておられるようになり、私はそのお背中をただ、申し訳なく思いながら眺めている日が過ぎていった。






そんな折であった。

「ごめんくださぁあい!!」と、昼過ぎに少しばかり乱暴に叩かれた門を開けに行くと、須磨ちゃんが居た。
「……す、須磨ちゃん!!」
「わぁい!! 名前ちゃぁあん!!」
「わ!!」

ぎゅうと飛びつき、抱き着いた須磨ちゃんを支えきれず、私は須磨ちゃんとともに、どッと砂の上へと倒れ込んだ。

須磨ちゃんと会ったのは、それこそ祝言の日以来ではあるから、然程経っていないが、こうして、きちんと二人きりで会うのはいつぶりであったであろうか。

「あの日はちっとも話せなかったから、天元様に着いてきちゃいましたぁ!」にこ、と笑った須磨ちゃんはそう言ったが、宇髄様の姿は近くには無い。

私と須磨ちゃんは体を起こしながら、お互いに着いた砂埃やらを払い落としていった。

***


「宇髄様……来られないですね?」

湯呑みを須磨ちゃんへと出した奥座敷から、私は中庭を覗き込んだ。
確か、前はここから忽然と姿を消すように居なくなったのだ。宇髄様は。
なら、ここから現れる事も考えられる。そう思っていたためだ。

「あ! 不死川さんを連れて夕飯食べてくるから、今日は二人で居ろって! 積もる話もあるからって言ってたんですよぉ!」
「それは、……ふふ、素敵ですねぇ」

ぱちンと手を合わせた須磨ちゃんの言葉で、不死川さんと宇髄様の三人で、いつか飲んだ夜。
その日の不死川さんの威張っていない肩のなだらかな傾斜を思い起こせた私の口元は、勝手にゆるゆると緩んでいった。

「だから、ここは私たちは私たちだけで楽しみましょうねぇ」

悪い笑みを浮かべた須磨ちゃんの手が、持ってきた風呂敷の中へと入り込み、そのうち、一つの包みが姿を現した。

その包みは、あまりに背の高い、銀座の百貨店が軒を連ねはじめる中、唯一、未だ低いお屋根を貫き、昔ながらの暖簾を引っ下げた、言わずと知れた名店のものである。
経木に焼き入れられた刻印。そこから、これ見よがしにもサルトリイバラが顔を覗かせている。

「こんなものを持ってきたんですよぉ!」
「そ、れはッ! ……お、お……大島屋!!!」
「私! 名前ちゃんの好物を聞き及んでいるんですよぉ!!」
「あ、抗えないですッ!!」

須磨ちゃんが「一緒に食べましょう!」と持ってきてくれた、件の大島屋。そこの葛餅。
それが、須磨ちゃんの手によって、私の口へとやってきてしまった。
やってきてしまっては、もう抗えず、ぷるん、と揺れる半透明の、宝石と見紛う程の塊が、とうとう私の口の中で、たゆんと揺れた。

「お、おいしい…………」
「いっただきまぁす!! …………お、……美味しい!! こ、これッ! 美味しいですね! 名前ちゃん!!」

須磨ちゃんは息を呑み、私は力強く頷いた。

「も、もう、ッこれは涙失くしては食せませんよぅ……!!」
「わぁん! 本当においしいですぅ!!」

________
_____
__

お茶が、もう何杯目かも分からなくなり、不死川さんの分であった筈の葛餅も、私と須磨ちゃんの腹へと収まってしまった頃。
須磨ちゃんはニコ、と笑いながら言う。

「その後、どうですかぁ!?」
「その後、は、……そうですね、…………幸せです」

手の中で湯呑を回す。
中身がほとんど無くなっているものであるから、何が起こることもなく、ただ部屋の外からやってくる光を反射していた。
そう。
何が、起こることもなく。

まるで、私と不死川さんのように、だ。

「良かったですぅ」と、何度も言ってくれる須磨ちゃんに、「ありがとう」と、口を開きかけた時。
須磨ちゃんが先に口を開いた。

「でもそろそろ、悩みが出る頃じゃありませんかぁ?」
「…………そ、それは、……その、……」

須磨ちゃんの言葉に一瞬たじろぐが、の事など、早々人に話す事でもないと思う。
それに、これは悩み、という訳ではないだろう。
飽く迄も、私が勝手に怖がり、愚図ついた結果なだけで。
私がなんとかしなくてはならない事だ。

そこまで考えてから顔を上げれば、須磨ちゃんはニッコリと笑いながら一言だけ「葛餅、食べましたよねぇ」と言った。

「そ! ……それは、酷いですよぅ!」
「だって名前ちゃん、言わないじゃないですかぁ!」
「だ! って!! い、言いにくいことだって、有るじゃないですかぁ!」
「大丈夫です! 任せて下さい! 須磨は口が固いんですからッ!」

どんッ、と私よりも立派で魅力的な胸を叩いた須磨ちゃんは、「さぁ!」と迫ってきたものだから、と、それを言い訳にさせてもらい、私はもごもごと口を開いた。



不死川さんとはここ数日、いっそあまり言葉を交わせておらず、今朝なんかは「おはようございます」「ご飯の用意が出来てます」「行ってらっしゃいませ」くらいのものであった。とか。
その理由が、私の罪悪感からである、だとか。
もごもごと、順を追ったものではない。むしろ、遡っていくように、おずおずと、須磨ちゃんの相槌に合わせて行くように伝えていく。

例えば、その罪悪感の出処が、私の"恐怖心"からである、とか。
例えば、その恐怖心は、に訪れるのだ、とか。
例えば、それが、夫婦生活・・・・の際、であるとか。

私が口を閉じれば、しンとした室内では、いつの間にか須磨ちゃんの相槌すら失せていた。そんなことにいまさら気付き、私は慌てて手を横へとぶんぶん振り回す。

「す、須磨ちゃん! 誤解しないで下さいねッ! 不死川さんはいつもお優しいんですよ!」
「し、不死川さん…………!?」
「あの、ぅ、え! と、……さ、………………実弥、さん……」

目をぐりぐりと大きく開く須磨ちゃんは、そのうち畳をばしンばしンと叩き始めた。

「やっぱりムカつきますぅ!! あンの男ォ!!! それ! あの男のせいですよぉ!!
この須磨が成敗してやりたいですぅ!!! んうぅ!!
釈然としませんんん!!」
「す、須磨ちゃん!! お、落ち着いて……!」

慌てふためく私を尻目に、須磨ちゃんは静かに息を吐く。

「……でも、そうですか」と、呟いた後、「深刻ですねぇ……」と続けた。
私はその言葉に、頭を殴られる心地がする。
深刻。
深刻なのか。
やっぱり、そうなのか。
夫婦生活、と銘打つくらいのことだ。夫婦には、きっと必要不可欠なものなのか。

ただ、須磨ちゃんの言うように、原因は前の夫にある、とは思わなかった。
そもそも、あの頃は痛いばかりだった。
痛みの、耐え方は学んだもの。
だからそんなことが怖いのでは無かった。

「何が怖いんですか」須磨ちゃんは言う。
「…………そ、その……」
「受け入れるのが怖いんですか? それとも、組み敷かれるのが? そもそも、近くにいるのがですか?」
「…………そ、そのぅ、…………く、組み敷かれる、までは、そのぅ、へ、平気…………で……そのぅ」

いつの間にか、前のめりになっていた須磨ちゃんは、静かに頷く。

「き、」
「き?」

須磨ちゃんの声が、部屋に響いた。
そろそろ、いつもであれば夕餉の支度をする頃である、というのに、生憎私のお腹はお茶と餅でいっぱいであるし、不死川さんは今晩は都合も悪く・・・・・不要なのであるという。
逃げ場が無かった。

「そ、その!」
「その?」
「き、………………気持ち良すぎてッ!!」
「えッ!?」

須磨ちゃんは大きな音を立てて口元を手で覆った。

「だ、だから、……あ、頭が……おかしくなるの!
わ、私ッ、変なんですよぅ!」

あんまりの羞恥に耳まで熱く熱く熱を持つ。
恐らく、とんでもなく真っ赤であろう顔も手で隠した。

また、しンとした空気が流れ、そのうち「ずずッ」と、須磨ちゃんのお茶を啜ったのであろう音が響いた。

は、気持ち良いものじゃないですか?」
「そ、そう、なんですか……? そ、その、初めてで……」
「そうですねぇ、慣れちゃえば受け入れられると思うんですが」

そう言った須磨ちゃんはすっくと立ち上がり、「私、良い考えがありますよぉ!!」と、勢い良く手を合わせ、ニコッと音が立ちそうなほどの笑みを作った。

「え……と、……………はい!」
「期待してて下さいねぇ!
それはそうと、それ・・以外では、不死川さんと、どう・・ですかぁ?」
「ど、どう、って言うのは……?」

新たにお茶請けとして出した、いつか不死川さんが買ってくださった金平糖を、須磨さんは「ぼりッ」と噛み砕く。

「ちゃんと"お話し"出来てます? 名前ちゃんは、もう、辛いとか苦しいとか、無いですか?」
「無いです。
でもその分、不死川さんが……面倒を被っているかも知れないです。
私……鈍くさいので、きっと不死川さんに、たくさん不便をかけているし、ご不満に思われていることは、多いと思います。
でも、お優しいから、……不死川さんは、文句を一つも言いません」

須磨ちゃんの湯呑へ、新しくお茶を注ぎながら、私は言葉を続ける。

「それどころか、こうして欲しいとか、ああして欲しいとか。それも無いんです。
だめですねぇ、……私、やっぱり妻として、きっと頼りないんです。しっかりしなくちゃ」
「……名前ちゃんは?」
「へ?」
「名前ちゃんは、それをちゃんと伝えられてますか?」

須磨ちゃんの言葉に私の口がぱかッと開き、閉まらなくなってしまった。

「私は天元様に、今日は落雁が食べたいですぅ、って、言うんです」
「え、と……そう、なんですか、」
「天元様に、今日は須磨と二人だけで寝てくださいって、言うんです」

あっけらかんと言う須磨ちゃんの言葉に、厭らしさを感じることは無い。
けれど、私は到底言って来なかった言葉だ。

「恥ずかしく、無いんですか」

私の言葉に、須磨ちゃんは「どうして?」と笑う。

「だって、例えば、その、一緒に寝て欲しいって、言うのは、……その、」
「名前ちゃんったら、恥ずかしがり屋さんですね」
「普通……と、思ってたんですけれど、そうなんですかねぇ」
「これはね、天元様との約束なんです」

須磨ちゃんはそう言って、少し頬を染めて笑った。

「私は天元様に思った事を思った時に伝えるんです。そうしたら、天元様も、辛いときは辛い、嬉しいときは嬉しい。幸せなときは、幸せって。そう教えてくださるんですよぉ」
「……素敵」
「そうでしょう?」

そう笑った須磨ちゃんは、一等愛らしかった。

「ね、名前ちゃんは大戸屋の落雁食べましたか?」
「須磨ちゃんは? 私、あれは高くて手が出せずなんですよぅ」
「今度は大戸屋さんに行ってきますねぇ!」

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そうして有り難いことにも、翌日。
宇髄様の遣いだと言う鎹鴉さんからの手紙と、筋肉質な鼠さんの持ってきてくださったに、私は絶句した。

重厚な真っ黒の漆塗りが美しい木箱には、紫と金糸の豪奢な紐が括り付けてあった。
それを開き、その全容を見せたに、私は目眩を覚えていたのだ。

いわゆる、男性のものを模したそれ・・である。
つまり、張方・・であったのだ。

須磨ちゃんの「慣れちゃえば良いんですよぉ!」の言葉の意味を、私はここに来てやっと理解したのだ。


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