この手を伸ばして



闇色の空が、ぱくりと街を飲み込んだ。
きらり、きらり、と数え切れない星々が自己主張するように違った光り方をしてみせる。彼らが輝く度、どくどくと刻まれる俺の鼓動が速くなっていく気がした。目を見開いたまま恐ろしく綺麗な月を見ていると、自分が自分でないような、ここは学園の中庭などではなく、全く別の世界のような、そんな錯覚がした。

ぐっと手を伸ばす。
夜空へ。真っ暗な液体、が俺の手の平をじんわり包んでいるのが見えるのに触覚はそれを察知しない。数え切れない空の星を拾い集めたいけど不可能らしかった。
この手を伸ばして、届かぬ距離に光があった。

「こら、君」

「えっ」

無音の世界に突然現れたその声に驚いて声をあげてしまった。触れることのない白い光りが俺の顔を照らす。逆光で、うまく相手の顔は見えなかった。

「消灯時間は過ぎているよ。駄目じゃないか」
「あ、すみません」

口調だけでわかる。きっとこの人は優しい人なんだろうと。

「…どうしたんだ?なんか悩み事か?」
「違います」

よくもまあそんなこと、初対面の人間にはっきりと聞けるなぁ、と俺はすごく単純に尊敬した。もし悩みがあったとしても言うわけがないのに。
「寒くないかい」
「えぇ、大丈夫です。すみません」
腰掛けていたベンチから立ち上がる。
「何してたんだ?」
「…空を、みてました」
「へぇ」
彼はライトの光りを低くして顔を上げた。

「うわぁ、綺麗だね」

そんなふうに笑った彼には、きっと心がはっきりとあるんだろうなと思った。

「これは魅入っちゃうなぁ」
「………」
ぞくりとした。星と月の狂気な美しさを吸い込んだ彼の瞳がすぅっと細くなって、輝きを増したから。

「こんなにちゃんと夜空をみたのなんていつぶりかな」

彼は俺を寮室に返すのをすっかり忘れて、あんまりたのしそうにしていた。
「…もったいない」
「そうだね、こんなに綺麗ならもっとちゃんと見るべきだった」

そうじゃなかった。
夜空なんか見なくていい。俺には俺なんかには光輝く真昼間のスカイブルーは目に強すぎて見れなかっただけで。

「…壊したい」
「え?」

黒い空に撒かれた無数のダイヤに見取れていた彼が俺を見る。

あぁ、あなたから光を奪った。あなたの瞳に映るのは真っ黒に汚れた僕だけだ。あなたも僕の様に汚れてはくれないか。
そして一緒に夜になろう。

彼の手を引く。わ、と彼が驚きの声を道端に転がした。

「あんたを壊したいって言ったんだ」

月のライトが気前よくこっちを向いて俺に見開いた彼の瞳を見せた。

「な、」

青い帽子に青い制服。なんとなく察していたが彼は警備員らしかった。
栗色の柔らかそうな髪がさらさらと天の川のように波を打つ。

「や、やめないか、君っ」

がた、がたん。俺に引き倒される様にベンチに背中をつけてしまった彼は彼なりにもがいて見せるがそれくらい押さえ付けられないことはなかった。

「っ…!?ん、…!」

彼の唇はひどく渇いていた。見た目二十歳程なのに、もう少し歳なのだろうか。
震える舌に噛み付けば全身がびくりと大きく跳ねる。引きずり出したシャツの隙間から手を差し込み胸の尖りを優しく撫でれば甘い吐息が俺の髪に絡まった。
「ぁ…っ、…!やめ…っ!」
自分の立場を気にしているのだろうか。俺への気遣いでもしているんだろうか。大して大きく抵抗もされず俺は彼の下部に手をやることに成功した。

「っめ、やめ、ろ」

だんだんと口調が男らしくなっていく。容姿も童顔ではなく凛々しかったし、身長も高かった。俺のような高校生ごときに女のように扱われるというのはどういう心境なんだろうな。

「お前、いい加減、に…しろっ!」

バキッと漫画やドラマくらいでしか聞かないような非現実的な音声が俺の聴覚を支配する。
(…痛い)「は、はぁ…っ」
(痛い)

びりり、びりり。と静電気が長く続くようなそんな鈍い痛み。口の中がしょっぱくて苦い。きっとどこか切れて血が出ているんだ。

「いいの」
「っ…え…?」
「俺を殴っていいの、お兄さん警備員さんでしょ?」
「…ッ正当防衛、…だ」
「へぇ、あぁ、そうか、お兄さん拷姦されかけたんだもんね、俺に、高校生、に」
「っ」

かああっと音を出しそうな勢いで彼の顔が赤く染まった。
(可愛いなあ)俺にはないものをあなたは持ち過ぎてる。

「き、君こそ」
「しゅうや」
「え」
「俺の名前」

瞳をうろつく黒い丸はごろごろ転がって、ときどき怖いくらい綺麗に光る。下の名前だけ教えたのは彼の綺麗な声で俺を呼んで欲しかったから。

「しゅう、や、くんは」
「うん」

ふわりと体があったまる感覚がした。錯覚だけど。

「なんで、こんな、こと」

聞いてどうすんだこの人は。
「さぁ?」
ぺろ、と舌なめずりをすればびりっ、ぱりぱりと舐めた部分に痛みが走る。
「あ、ごめ…」
俺はそんなに大きなリアクションをとっていただろうか。心底申し訳なさそうに彼が俺に詰め寄る。
「あ、正当防衛とは云えやりすぎた…?過剰防衛ってやつ、かな?ごめ、あの、」
(馬鹿か)

「すきだから」
「は?」

きょとん、とどこかが鳴った。おいおいそれはラブコメ専用だろうに。

「あんたがすきだからだよ」
「な、っにを、言っ…て」

真っ直ぐ見つめられての愛の告白はいかほどか。
「だから、だよ、だから、きすしてさわった」
「ば、ばか、からかうな」
「からかってねぇ」

そうからかってはない。
ただ嘘をついてるだけ。
「…っだ、だからっ…て」
朱色の頬を月明かりが照らし出す。

「すき」
「!」
彼にもう一度キスをした。
ぴく、と体が跳ねたけど、口づけに対してはそれらしい抵抗もしてこない。

(馬鹿だなぁ)
さすがにベルト外しにかかったら声を上げたけど。

「っ!?な、なにする…っ」
「壊す」
「えっ…!?なに、を」
「あんたの全部」

あんたの思考
あんたの理性
あんたの同情
あんたの希望
あんたの愛情
あんたのプライド
あんたの優しさ
あんたの、光

「一緒に、おかしくなろうよ」
「っや、ぁ…っんん、ふ、だめ、だめだっ…てば、ぁ」
「…"だめ"?"嫌"じゃなくて?」
「ッ」

俺に核心を突かれこれ以上ないくらい赤くなる彼に思わずくすくすと笑みがこぼれる。

「嫌じゃないんだ」
「ち、ちが」

彼の声が特別高かったりはしない。普通に男らしい声だけど、イイとこを探るような手つきで体に触れれば自然と高めの甘い声を漏らす。

「っ」
「いや、あ、嫌だ、」

俺に言われたことの影響も大きかっただろうけど、彼は狂ったように「嫌、やだ、嫌だ、いや」と何度となく繰り返しては降り注ぐ快感に喘いだ。

黒い夜が飲み込んだ中庭
「っぁ、ぅく…ッ」
ぎらつく月や星
「は、っあ!や、嫌っだ、やめ、ぁあ…!」
男を抱くには未熟なサイズのベンチの上
「ぁ、っは、いや、あっ…はぁ、んっ――!」

俺はただただ、綺麗な彼を犯した。









ばちんっと漫画やドラマくらいでしか聞かないような非現実的な音声が俺の聴覚を支配する。…ってデジャヴュ?
「っ、はぁ、おま、えっ」
「泣かないでよ。あんたが泣くと俺も悲しい」
「っ嘘、つき、あんな、ことして」
「気持ち良かっただろ?」
「ば、っなに」
かぁ、と彼の頬が染まる。
(かわいい)
そんなこと思ったのなんて、いつぶりだろうか。

「すきなんだよあんたが」

嘘のはずだった。
「すき」
感情なんてかけらも入れたつもりはないのに
「…す、」
何度も口から出してしまった偽りが、外からじんわり溶け入って
本当の想いになる。

「…好きだ」
「えっ…」

綺麗に笑う貴方が
俺と真逆な貴方が
全てに優しい貴方が

「す…っ」
たった数十分だけの付き合いだというのに、
彼の生い立ちをなにもかも知り尽くしたような
数十年も片想いをしていたような
そんな甘くて重い『好き』が溢れ出して止まらない。

「ごめ…ん…?」
「…っ」
心が軋む音がした。
はじめて聞いた音だった。

「……って」
「…え?」
「俺のこと、すきなだけ殴っていいよ。そしたら逃げていいから」

俺の声はどんな色をしていただろう。

「わかった」

彼の声は白だ。
何物にも染まらない、凛とした純白。
「…ごめん」

彼は数発俺にビンタを食らわせた。時折唇を噛み締めて、情事の最中を思い出しているようだった。
いたくてあつかった


そして別れ際乱れた姿の彼は言う

「二度と…こんなことするなよ…!」

彼は本当に馬鹿な人間だった
俺は本当に愚かな人間だった
それは初めての恋だった
たった一夜の恋だった。


「…好き、だ」

誰にも聞こえない告白だ。
壊したかったのは一瞬で、すぐに貴方に魅せられた。
染まりたかった、貴方とおんなじ白色に。

「名前…聞くの忘れてた」


ぐっと手を伸ばす。
夜空へ。真っ暗な液体が、俺の手の平をじんわり包んでいるのが見えるのに触覚はそれを察知しない。数え切れない空の星を拾い集めたいけど不可能らしかった。

闇夜に貴方の背中はない。

この手を伸ばして、
届かぬ距離に貴方が居た。



 



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