結婚しようか



それはあんまりにも唐突で、
ごくごく事前の会話の中に紛れ込んだ猛獣で、
だってもっとあるだろ、こんな、コンビニの前で肉まん食いながら言わなくても、さ。

「なに、言って」
「え、…イヤ?」

彼の長めの茶髪が悲しそうになびいた。ずくり、と胸のあたりをえぐられたような音が耳の裏側で響いて、くらりとアスファルトが34.5度に傾く。
「嫌、とかじゃないだろ、だって」
喉の奥がぶるると携帯のバイブのように震えた。じゃりっ、と革靴の裏と硬いアスファルトが互いに体を撫であって生み出す音が耳をついて、後ずさっていたことに気付く。
「俺は、男だし、お前も」
「それ、5年も付き合った相手に今さら言うか?」
ねぇ、って俺を呼ぶ。
そうか、5年。もう5年も経ったのか。
そりゃあ男と女の付き合いなんだとしたら、結婚ってまぁまぁ自然な流れなのかもしれない。互いに一の位を四捨五入すれば30になる年齢になって、親から『恋人はいないの』なんて将来を心配されることも増えてきた。けど、違うだろ、俺とお前は。
「できない、だろ。したいかどうかじゃなくて。できない」
「なんで」
「なんで、って…そういう法律、だろ」
「外国にはそういう制度があるとこいくらでもあるし、日本だったら、養子縁組とかさ。方法はあるだろ」
「ばかか」

ずきずきする。
頭の真ん中あたりが擦り傷を負ったように痛い。
「ばかって、なんだよ」
「だって、あるだろ、世間体とか。もうガキじゃないんだから」
「あのな、」

「男なんだよ」

自分で発した言葉がくるりと回れ右して突進してくる。
こころがえぐられるおとがした。

「直樹」
彼が呼ぶ。

「俺が女だったら、喜べたのかもしれないけど、」

女になりたいなんて、思ったことがなかった。
自分が好意を抱くのが男だけなのだということに気付いたのはも随分前だけど、女になりたいとは思わなかった。男と男なら、男と女の関係よりもずっとずっと強く繋がれる気がしていた。

「ばかだな、
お前が女だったらこんなに好きになってない」

その言葉が合図だったかのように、音も立てずに涙が一直線に全力疾走で駆けていく。

「入籍とか、親の催促とか、世間体とか、どうでもいいんだよ、オレはさ。」
この年になって人前で泣くなんて、恥ずかしすぎて顔も上げられない。しょっぱくなった酸素をぐす、と汚い音で吸い込む。
「ただ、お前を束縛する権利が欲しいだけ」

俺たちの中には、口約束しか存在しない。
5年間恋人をやってきたとはいえ、そんな契約書は存在しないし、はたから見れば仲のいい友人同士でしかない写真が数枚あるというだけだ。
明確さなんてあるはずのない俺と彼なのに、俺は求めて、寂しがって、嫉妬して、あいした。
「はは、ばかだな、そんなことしたら、将来じじいとじじいになったとき地獄だろ。」
「いいじゃん、おもしろくて。介護してやるよ」
「おもしろくねぇよ、何にも」

キスをされた。
「ダメ?」
周りには誰もいなかった。ほっとした。
「ダメ、だろ」
「じゃあ直樹はオレがほかのヤツにとられるの怖くねぇの?」

彼の問いは、空気中に分散しじんじんと鈍い揺れを発生した。
「オレは怖いよ、気持ちだけじゃ、足んないんだよ」

キスをするたび、
ぶっきらぼうに愛をささやくたび、
甘ったるく愛をささやかれるたび、
体を寄せ合うたび、

この幸福の終わりはいつだろうかと指を折って数えた。

「男同士ってゴールないだろ、中間地点も、スタートだって、ない」
「このままじゃだめなのかよ!」
「ダメだよ」

前も後ろも見えない場所で足踏み。それは確かに逃げなのかも知れないけど。「お前とオレがおっさんになってもじーさんになっても、…一生好きでいるって約束」
「…むりだろ」
「…かもね」
「プロポーズしといて頼りねぇな、」

それは、その人は自分のモノだと宣言する人類史上唯一の方法で、
その権利は俺にはないと思っていたのだけど。

「しかたねーな」
「おう」

「…結婚しようか」


 



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