その手を引いて



呼吸をするのは苦手だ。

いつも苦しくなってやめてしまいたくなる。けれど、たった一分酸素を送り込むのをやめてしまうだけで、もっともっと苦しくなる。
だから、どうしたらいいんんだろうって、いつもいつも考ていた。


俺とあなたを遮る透明な板は、視覚には大した影響を及ぼさないくせに、触れればはっきりと存在を示す。太陽の日差しを音を立てそうな勢いで噛みしめながら、あろうことかそれを使って緑色の体を金色に光らせる葉っぱたち。手入れされている中庭で、ポツンと音も立てず横たわる人工物に彼が触れた。
拾い上げ、口をぱくぱくと開け閉めするがこの距離の上に窓が閉められてるんじゃ声なんて聞こえるはずもない。
にしても律儀なモンだ、誰かが捨てたペットボトルをわざわざ拾うなんて。あれ、あの人掃除屋さんだっけ?違う気がしたんだけど。

あの日から、もう一月近く経った。
はじめ一週間ほどは彼を見かけなくなり、やめてしまったんだろうか、まぁそれが頭の正常なやつのすることだと思った。けれど、事件から8日目の昼休み、『読書週間』とかなんとかいうどうでもいい行事のために借りた『ダイアモンドが降る夜』という本を返しに来た時に、彼を見つけてしまった。
めったに…というかほぼ全くと言っていいほど利用しない図書室から中庭が見えるなんて知らなかった。ちなみに俺とあの人が出会った中庭ではない。うちの高校には中庭とか、庭園とかがたくさんある。なにが違うのかは俺には分からないが。
…というか、俺は一体なにをしているんだろう。誰か教えてくれ。何故俺は今まで全然利用しなかった図書室なんかに入り浸り、窓際の1番外の見晴らしがいい席に座っているのだろうか。

…まぁ、理由はわかってるんですけど。

(あ、また笑った)

あの人は本当によく笑う。
へらへらへらへらと。…なにが楽しいのやら俺には理解しかねるが。
踏み付けてしまいそうな場所で流れる春風に逆らわず揺れる黄色い花に、彼は思わず口元を上げる。反対にとろんと垂れさせた目尻から流れた涙を思い出した。

あぁ、すきだなぁ、と。

染み渡るように切り付けるように、痛いくらいに強い感情が全身を飲み込む。

好きだ


その手を引いて
許されるなら声も出さずにふたりだけでどこかに逃げたい。荷物はいらない呼吸もしない。ただ走って、貴方と笑えるまで



あの日のことを、彼は忘れたがっているだろう。俺のことを、堪らなく恨んでいるだろう。
それでも俺は、この人を好きだ。

指先がばちばちと光を放つような
胸元ががたがたと揺れ動くような
足元がふわふわと浮かび上がるような
そんな感覚に苛まれる。

貴方がすきだと、
全身が叫んでる。


「っ!」
どぐん、と聞いたことのない重い鼓動が鳴った。
一瞬頭のどっかがショートした気がする。次の休みには外出届を出して病院に行くべきだろうか。
調べて貰うのは使い物にならない脳なのか、ロックコンサートのようにドンドンと激し過ぎるリズムを刻む心臓なのか、どっちだろう。
たかだか目が合ったくらいで硬直するなんて、俺も随分と純情になったもんだ。

彼はぺこり、と頭を下げた。
俺も同じ動作をする。

やはり顔は覚えていないらしい。そのまま立ち去ってしまった。暗かったし、それに、彼はきっと忘れることに全力だっただろうから。

やはり貴方は馬鹿だ。
相手の顔をきっちり覚えて復讐でもなんでもしてしまえばいいのに、忘れてしまうなんて。
…でもそれは正しい行為だ。

「…俺は、記憶に残ることすらできない」

少し格好つけたセリフをこぼす。
せめて恨んでくれたら。そんな期待も叶わないのだから。

幸せの逃げるため息をして立ち上がり、カモフラージュ用に所持していたとある本を返しに本棚へ向かう。

何気なく手にとったその本は"スカイブルーは目に染みる"という本だった。"ダイアモンドが降る夜に"という本は、その長い長い物語でひたすら片思いをし続ける主人公・努(つとむ)が、最後のページであっさりとフラれるというストーリーだった。そのラストが何だかすごく面白く感じて、違う話も読んでみようかと思い立ちカモフラージュ用を同作者の本に決めたのだ。

今度の物語は"ダイアモンドが降る夜に"の主人公の親友の話だった。容姿に恵まれ性格も明るい彼・幸(こう)は長く付き合う彼女がいたが、最初の数ページほどでフラれてしまう。努に相談をしながら様々な女と恋愛をする。そんな話だ。まだ最後まで読んでないけど。
正直、またフラれればいいのにと思っている。恋愛はうまくいかないことのほうが多いだろ、たぶん。よく知らないが。
まぁ、とりあえずオレは絶賛片思い中なわけだが。というか、100%叶わないのに、これは恋というジャンルに分類されてもいいものだろうか。うーん、難しい。

ひたすらに長い廊下を、目的地もなく歩く。


「しゅうや?」

ほとんど無意識に、びくっと肩が跳ねあがった。
脳の反応なんかよりも早く体が振り返り、俺を呼んだ人物を確認する。
「さぁ…わかんないな…」
わしゃ、と彼は黒いくせっ毛をかき回し、困ったように眉をへの字にした。

見知らぬ人間。
なぜか自分のことではないと知るとほっとする。そういえばあの日、俺は彼に自分の名を伝えた。偽名でもなんでもよかったはずなのに、いや本来偽名ですら告げる意味がない。
なのに俺はきちんと自分の下の名前を名乗り、彼に呼ばせた。
(一夜の思い出…ってか)

とりあえず教室へでも向かおうと右足の裏を地面から軽く浮か

「そうか、ありがとう」

(っ!?)
体内にあった謎の電流が不思議なことになぜか弾けた。バリバリバリと体中を組まなく駆け抜け、ドドドと恐ろしく速く心臓が血液をポンプ式に巡らせる。彼は俺の体ごと鼓膜を揺らしたようだ。
その声に覚えがあった、なんてもんじゃない。毎晩毎朝その声を思い出し狂いそうな自分を押さえ込むのが日課になっているんだから。黒髪の男の影で見えていなかった人。ぴりぴりと空気が痛い。あの人だ。
(なんで、くそ、だめだ)

あの人を見ると俺はだめになる。彼とのことはなかったことにするべきだとだれもが思うだろうに、たった一度、しかも無理矢理に抱いた男にこんなに焦がれているなんて馬鹿みたいで言葉がでない。

「あ、ねぇ」
「っ!」

あの人が声をかける。
俺に。

(どうする、声はだめだ、声を聞かれたらだめだ)
ザリ、と思わず後ずさった。
「君、しゅうやって生徒知らないかな…?君と同じくらいの身長なんだけど」
詰め寄って来た彼は、紛れも無くあの日オレが恋に落ちた男で。こんなにも近くで、こんなにも明るい場所でこの人を見たのが初めてだったから思わず声をあげそうになる。とにかくその場を離れよう、と声は発さぬまま彼に向かって首を振ってその場を収める。
「えっ」
返事もしない俺の態度にさすがのお人好しも驚いたのか、彼は変な声を出した。くすくすと笑うのは胸の内だけにして、俺は彼の横を通ろうと右足を前に出した。

「修也!」

ふざけんな、と誰ともなく、叫んでやりたくなった。
「お前、数学の課題だしてねーだろ、津々見めちゃくちゃ怒ってたぞ!」
今名を呼ばれたのは間違いなくこの俺で、彼が探していたのも俺で、彼に酷いことをしたのも俺で

彼に恋をしているのも俺で。

「しゅうや、って君が」

「…ごめんなさい」

彼は怯えたように目を見張って、俺の謝罪をきいた。
なにをしたってこの罪が俺の体からはがれ落ちることはないというのに、俺は彼に謝りたくて仕方ない。たった一度の言葉に俺の心らしきものはうっすらと溶ける。

どうしてどうしてどうして。
どうしてあんなことしてしまったんだ、って。
そんな馬鹿なことを何度も。

「…待って!」


彼の言葉が俺の背中に突き刺さって、ようやく自分が走り出していたことに気づく。

待てるはずあるかよ、どこまでお人よしなんだあんた。ほんと、どこまで?教えて欲しい。

「しゅうやくん!」
(!)

ぶぁ、と顔から蒸気があがる。あほかあんた、名前なんか呼んでんじゃねぇよ…!
同じ動作をリピートする両足ががたがたと泣くようにギブアップ宣言をする。足が両手をあげて降参、ってそれはさすがに日本語変だ。
「ねぇ!」
右手だけ同じ空間に一時停止してその反動でびちんと体ごとブレーキがかかる。
(ちょ、手…!)
手なんか掴んでる、この人どこまでお人よしなんだってさっきも言ったか。

「待ってよ、きちんと話したいんだ」

凜としていた。
あんまりその言葉が当てはまり過ぎてほかの言葉で飾り付けることも憚(はばか)れるほどにだ。
(あんた、俺が怖くないのか)
そう聞きたいのに聞けない。俺の声を聞くのは嫌だろうから。
「どうしてあんな、こと」
(声、震えてんぞ)

触れられている手首が彼の体温を奪ってじくじく熱をあげる。
いい加減にしてくれ。俺はもう貴方に関わるべきじゃない。

「…腹がたったから」
「え…」
「それだけです。謝ったところで許されないこっだし。貴方の気が済むなら事実を教師にでも言えばいい。学校だってやめます」
とかなんとか、やめたら路頭に迷うであろうなにもできない高校生(ガキ)が言った。
「ちが…俺はやめてほしいとかそんなんじゃない」
ずぐん、彼が声を発するたびに胸の辺りが貫かれたような音をあげる。それはまるで某ヒーローがヒーローでいられる時間を示すタイマーのようで、俺が正常人のふりをできるタイムリミットへ向かう足音だった。

「どうしてあんなことをしたのか聞いてるんだ、理由が知りたくて、どうして腹がたったのかとか」
「なんでそんなこと聞くんです」
「だ、だって俺は被害者なんだから知る権利くらい…」
そう言ってから彼は今さら気が付いた自分の失言にばっと顔をあげる。
"被害者"
その通り。言うなれば俺は"加害者"。…あれこの漢字イキルカチナシ、って読むんだっけ?

「あ、いやちが」

「…失礼します」

その手を払った。
彼を縛り付けてしまいたくなる俺の恋を止めるために。狂った俺の感情を伝えるってのは一緒に狂ってくださいって頭下げるのと同じ。馬鹿か、そんなこと好きな相手に言えるかよ。
仮に手を伸ばしたら届く距離に貴方がいたとして。俺は両腕を引きちぎったって貴方を捕まえたりしない。何故って貴方は俺とは違うから。

歩みを進め彼から離れる。
彼にとってはたかだか一夜のことだったのかも知れないと思った。俺がしたことは大きな大きな罪だけど、時間が治すような傷なのかも知れないと。

それなのに
貴方の傷は治って行くのに
俺の肌に焼き付いた恋は消えない

さようなら愛しい人
また出会うことがあるならどうか、互いに互いのわからぬ来世かその先でお願いしたい。真っ白の運命の糸を焦がすようなこの恋で赤にして、それからざっくり切り捨てる。
結ばれない運命を大事に抱きしめて生きようか



「き、きみにとってはたった一度のことだったのかも知れない」

ふるえるこえがおれの歩行機能を奪う

「でも俺には、君の告白が本物にしか思えなかった、」

恋ってのはどういうことをいうのだろうかと、考えたのは貴方を好きになってからだった
思考回路がショートして、いつでも貴方の顔が浮かんでる。笑えるくらい、貴方ばかりの日々になる。
幸せになれぬはずの悪役が恋をすることで、良いもんになったりするのだろうか


「随分ずるいんだね、俺はこの数週間毎日君のことを考えてたのに」


もし、もし仮に手をのばせば届く距離に貴方がいたら、
抱きしめてもいいですかありったけの俺の全部で貴方を愛すから


「え!?ちょ、しゅうやく」
「黙って」

冷えた俺に貴方が溶け込む。どろどろになってひとつになったりして。
腕の中の温もりが泣きたくなるほど愛おしい


その手を引いて
許されるなら声も出さずにふたりだけでどこかに逃げよう。荷物はいらない呼吸もしない。ただ走って、貴方が笑えるまで

「好きだ…」

指先がばちばちと光を放つような
胸元ががたがたと揺れ動くような
足元がふわふわと浮かび上がるような
そんな感覚に苛まれる。

貴方がすきだと、
全身が叫んでる。

呼吸をするのは大の苦手だ。
いつも苦しくなってやめてしまいたくなる。けれど、たった一分酸素を送り込むのをやめてしまうだけで、もっともっと苦しくなる。だから、どうしたらいいんんだろうって、いつもいつも考ていた。
そして気づいた。呼吸は考えてするもんなんかじゃないって。呼吸なんてのは"生きる"をあとから追ってくるオマケ程度の価値しかないお遊びなんだって。
呼吸がうまくできなかったのはうまく"生きる"ができなかったからだ。
名前もしらない愛おしい人。聞こえますかこの鼓動。この呼吸。みんな貴方にささぐラブレターみたいなもんなんですよ。

ねぇ、
許して欲しいなんて言わないからどうか
俺の涙を止めてはくれないか




END



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