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幼馴染のシェーディと彼女。ふたりはずっと変わらないのに、ふたりの周りは目紛しく変わっていく シェーディ、エイト / Splatoon(comic) | 名前変換 | 初出20240107

ふたりでひとつ


 ふたりはよく似ていた。
 きれいに切り揃えられたゲソに、特徴的なキャップ。一見、同じイカのように見える。しかしふたりは、ただ家が近所なだけの、幼馴染だった。
 片方はガール。なまえという。
 もう片方は、ボーイ。シェーディという。
 あまりにも似ているので、8桀のシェーディがふたりいる、という噂が流れたことがある。噂のからくりは前述の通りである。しかし謎が解けても、ふたりへの注目はさらに増すばかりだった。なぜなら。

「えっ、付き合ってないのか?」

 周囲に響くミツアミの声に、8ビットは「声でけーよ!」と窘めた。「ご、ご、ご、ごめん……!」焦りながらミツアミは謝る。周りの生き物たちは一瞬だけミツアミたちのことを見たが、声を潜めるふたりを確認するや否や、何事も無かったかのようにそれぞれの日常へと戻っていった。
「……付き合っているものだと……」
 小声のまま、ミツアミは会話を続ける。ナワバリバトルに合流すればいつもふたりでチームを組んでいたし、一緒にバイトに行く姿も見られている。シミラールックとしか思えない服装やゲソ型。ミツアミはふたりのことをよく知らないが、よく知らないのに、確実に付き合っていると思わせた睦まじさが、シェーディとなまえからは漂っていた。
「あー、ムズムズする! やめよこんな話」
 8ビットは話を早々に切り上げた。ミツアミは未だどぎまぎしながらブキ屋のほうを見遣る。店に入っていったふたりを見て、「本当に仲良しカップルなんだな」と口走った二分前のことを、ミツアミはまだまだ信じていたかった。
 だって、こんなにもお似合いなのに。

 それより練習付き合えよ、と8ビットは言う。早くブルーチームにリベンジしたいんだよ。苛苛を滲ませた8ビットに半ば引っ張られるようにして、ミツアミはロビーへと続く階段を登る。ぐいぐいと引かれ移りゆく視界の端に、よく知るひとを捉えた気がする。が、そのことを話すと8ビットを余計苛つかせてしまいそうだったから、黙って彼女についていった。



 今日もあいつは連絡を返してくれない。
 もやもやと考え込みながら、エイトはバンカラ街を歩いていた。対抗戦の相手にと、シェーディのチームを熱心に誘い始めて早一週間。シェーディからの返事は、僅か二回のみだった。一回目の返事は、「その日は空いてない」。その次は二日ほど開いて、「確認したら連絡する」だった。
 それから四日が経つ。
 催促していいよな? エイトは考える。四日目だぞ? 三日過ぎたから構わないよな? 律儀な彼にとってこの三日間は、待つ側の義務として守りたい期間だったが、座して待つには些か長過ぎた。決めた、ブキのメンテが終わったら連絡入れよう。エイトは決意し、苛つきと一緒に携帯電話をポケットに仕舞う。そして、カンブリアームズのドアを開ける。
 カランコロン。
 適度にクーラーが効いた店内がエイトを歓迎する。サマー・シーズンが始まったばかりで、店内はそれなりに混み合っていた。試し打ち場では新ブキであるフィンセントを振り回しているイカタコたちがいる。エイトは店の中を軽く見回しながらも、ほとんど脇目も振らずセルフメンテのコーナーへ向かった。すると、よく見知った後ろ姿が見えた。
 墨色のシェーディングキャップ。帽子の下から覗く、よく切り添えられたゲソ。
 あいつだ! シェーディだ!
 エイトは瞬時に確信を持ち、小走りで近寄ると「やあ、奇遇だね」と話しかけた。しかし、目当てのイカは一向に振り向かない。メンテナンスに夢中になっているのか? エイトはむっとして、彼の肩に手をかけた。彼は少し身体を揺らし、くるっと首を回した。
「どちら様……?」
 振り向いたイカは……シェーディではなかった。初めて会うガールだ。凛とした声に、白い肌。驚いて目を丸くしているが、シェーディほどではない。戸惑いがちに揺れる瞳に、今度はエイトのほうが動揺してしまう。肩に触れていた手をすぐさま下ろす。
「申し訳ない。人違いだったみたいだ」
 頭を下げながらエイトは謝った。間違えただけでなく、きっと、怒りの感情が手を伝って届いてしまっていただろうから。無関係な相手に苛々をぶつけたなんて、いい迷惑である。頭を下げるついでによく見たら、フクやクツはシェーディとは違うものを身につけている。……全然別人じゃないか。幾ら後ろ姿が似ているからって……エイトは、自分の早合点が途端に恥ずかしくなった。
 しかし目の前のガールは、エイトの感じている羞恥なんてなんのその、ぱっと明るく笑ってみせた。
「そうなんだ。実はね、間違われることには慣れてるの。だから、全然へいきだよ。気にしないでね」
 ガールは、メンテのテーブルからわかばシューターを持ち上げると、「きみもここを使うの? もう終わったから、ここどうぞ」と場所まで空けてくれた。エイトはやや気後れしながら「ありがとう」と言い、空いた場所に収まる。.96ガロンを取り出し、ドライバーで螺子を緩める。しかし、目が、自分の視線が、再びガールを追ってしまう。ガールは微笑んだまま、どうしたの? と言いたげに首を傾げている。
「なまえ。終わったか?」
 試し打ち場の入り口の方から声がする。なまえと呼ばれたガールがぱっと振り返った。その視線を追いかけるように、エイトもそちらを向いた。そこに居たのは、墨色のシェーディングキャップを被り、よく切り添えられたゲソを帽子の下から覗かせた、……
「シェーディ!」
 エイトの目当ての人物だった。シェーディはエイトに気づくと「……あー」と気まずそうに言った。エイトは詰め寄りたかったが、盗難の多いバンカラ街である、ブキをテーブルの上に置いて離れるわけにもいかなかった。エイトの様子を見て逃げられることに気づいたシェーディは、二、三歩後退りし駆け出したかと思うと、店の外へ出て行ってしまった。追って、なまえも続く。
 エイトは、あっという間にひとりきりになった。
 テーブルの上の.96ガロンを見詰める。苛々はどこかへ吹き飛んでいた。シェーディが意外と気まずさを覚えていたのを知れたこともあるが、エイトの頭の中は全く別のことで占められていた。
 あの子の名前、なまえっていうんだ……。



 なまえは急いで店を出て、あたりを見回した。そこまで差が開いていたわけでもないし、シェーディは俊足でもない。が、彼の姿は見当たらなかった。街中はいろんな生物でごった返していて、視認性が悪い。かつ、なまえは視力が低かった。しょうがない、後で合流しようか……と思っていたところ、後ろから何者かに手首を掴まれる。シェーディだった。
「あ……後ろにいたんだ」
 店のドアの脇に待機していたらしい。「追いかけてこなさそうだったからな」多少の気まずさを表情に浮かべながら、シェーディは歩き出した。なまえもそれについてゆく。
「ナワバリはユノハナの後にナンプラー」
「オープンは?」
「ヤグラ。マサバにスメーシー」
 バトルのスケジュール表を見ながらふたりは階段を登る。ナワバリ、暑そう。なまえが言う。たしかに場所柄、渓谷や遺跡はいつもカンカン照りだった。
「じゃあ、ヤグラだな」
 にっと、シェーディが笑う。それからロビーで受付を済ませて、彼らはオープンマッチへと向かった。

 似ているふたりの戦術は真逆である。
 わかばシューターを持つなまえは、前線荒らしだ。自陣付近はとにかく足場を塗り、死んでも塗りが残るようにする。相手陣営へ抜けた後は、グレートバリアを張って前線を押し上げる。とにかくちょこまかと動き回るのが好きで、それは単に目が悪いから、身体ごと動かなければならないことにも起因している。
 シェーディは、百発百中のリッターだった。なまえが炙り出した相手をとにかく射抜く。「塗らせない」ことで、塗りの弱さをカバーしている。塗りはなまえが綺麗にやってのけるし、必要なキルは全て請け負っている。
 そういうわけで、真逆なふたりは相性がよかった。ふたりが一緒に組んだときは、とかく負け知らずだった。しかし現実とは無情なもので、実力を測るソロマッチとなると話が変わってくる。シェーディはどんどん位を上げていくのに対し、なまえは「一般層より上手」程度の計測値しか取れなかった。だからなまえは、「シェーディがいつもキャリーしてくれているんだ」と思い込んでいる。
 違うのに。シェーディは心からそう思っている。

 よくシェーディに間違われるのも、シェーディが8傑として注目を集めているからであることをなまえは理解していた。「あのひとって、誰だったの?」受付てもらったヤグラの全バトルスケジュールを終えた後、ロビーでスポーツドリンクを飲みながら、なまえはシェーディに訊ねた。
「誰のことだ? マッチングで知り合いでも引いていたか?」
「ううん、バトルの前。ブキ屋さんで会ったひと」
「……ああ……あれは、エイトだ」
「エイトって……8傑の?」
「なんだ、気づいてなかった?」
 あまり世間に興味がないなまえらしいといえばそうだった。8傑のエイト。文字列は知っていたが、顔と名前が今初めてリンクした。
「エイトさんと、何かあったの?」
「チーム対抗戦。申し込まれてて、返事を先延ばしにしてた」
「あー、それは、よくないね」
「そうだね。でも、対抗戦の気分じゃないから」
 ここ最近、シェーディとなまえはほぼ毎日一緒にいた。バトルをしたり、バイトにいったり。普通にただ夜ご飯を食べるだけの日もあった。チームの練習は欠かさずに行っているようだったが……。余暇で対抗戦のことをうっかり考えないように、わたしとの予定を詰め込んだのかもしれない。なまえはそう解釈することにした。
「まあ、そろそろ返事をしないとな……」
 シェーディは退屈そうに言い、ドリンクを飲み干した。バトルは好きだ。強さを追い求めることも好きだ。しかしなにより、なまえと一緒にいる方が楽しいのだ。シェーディの想いは、今日も心の内に留められる。



 胸がどきどきする。バトル終わりに立ち寄ったカフェでアイスコーヒーを飲みながら、エイトは気持ちを落ち着かせようとした。しかしどうしてもそわそわが止まらなかった。なまえのことが、気になって仕方ない。
 彼女が立ち去ってから、エイトはほとんど正気を失っていた。その状態でブキのメンテがうまくいくわけもなく、その後のバトルでは最中にネジが一本弾け飛んでしまった。インクは漏れるわ、ただでさえブレやすい.96ガロンの弾が更にブレるわ、大惨事だった。フェス前だからレートを上げておきたいのに……下がってしまった成績を見ながらエイトは焦りを覚えるが、その焦りはなまえへの想いに勝ることはなかった。
 ペールブルーのインクカラーだった。キャップから僅かに覗くゲソの色をエイトは思い出す。ああいう色が好きなのかな……。
 空想に耽けるエイトに、携帯電話が新着メールの通知を報せる。エイトは画面を見た。シェーディからの返事だ。
「三日後の正午にロビーで」
 相変わらず簡素なメールだった。遅くなってごめんとか当日はよろしくとかもないなんて、とエイトは思ったが、不思議と苛立ちは湧いてこなかった。シェーディの向う側にはなまえがいる。エイトにとってシェーディは、今やちょうどよい対抗戦相手というだけでなく、なまえとの希少なハブなのだ。まるでなまえから連絡がきたみたいに、エイトの気持ちは浮き足立っていた。
 にしても、妹にも同じ格好させてるなんて、シェーディにも変な趣味があったものだね。
 からからと氷の音を立て、エイトはコーヒーを飲み干した。あらぬ勘違いを、本当のことと信じきって。

 三日後になった。
 当日、もしかしたらなまえにも会えるかもしれない。エイトはその可能性に淡い期待を抱いていたが、その日やってきたのはシェーディとチームメンバー三名のみだった。エイトはちょっとだけ落胆したが、まあいい、会う方法はこれだけじゃないと頭を切り替えた。
 予約していたゴンズイ地区で、ナワバリとガチルール四種の計五試合を行う。結果は三勝二敗で、エイトのチームが勝ち越した。最後にお互いの試合の感想を言い合う。あれだけ乗り気でなかったシェーディも、バトルの話となると饒舌になるのだから不思議である。
 そんな流れで、わりといい空気で対抗戦を終えることができた。集まりは解散し、その日のスケジュールをすべて終えた、はずだった。エイトはシェーディをすかさず引き止め、シェーディは読めないポーカーフェイスを浮かべながら振り返った。
「何」
 丸い両眼に捉えられ、まるでスコープに睨まれている感覚を得る。エイトは怯まないようにしながら、「この間のブキ屋でのことなんだけど」と話を切り出した。
「なまえって子と一緒にいたよね。その子に会いたいんだけど、連絡先を教えてくれないかな?」
「理由による」
「ただ、会いたいだけだよ」
 シェーディは瞬きのひとつもしなかった。エイトは、焦らないように気をつける。嘘は何一つ言っていない。ただ、会いたいだけなんだ。そりゃあ、下心は勿論あるけれど。
「この後来るけど、会う?」
「え? この後?」
「バイトしに。三人で行く?」
 あ、うん……。エイトは戸惑いながらも同意した。こんな風になるとはまったく想定していなかったし、よもやシェーディとバイトに赴く日がくるとは。受け止めきれない展開と彼女に会える嬉しさでエイトは胸を高鳴らせて、歩幅など合わせる気のないシェーディの後を素直についていった。



 ああ、ホント、イライラする。8ビットは、飲み物と共に紙コップに入っていた氷を口に放り込むと、ガリガリと噛み砕いた。目の前には惚けるエイトがいて、隣には苦笑いのミツアミがいる。ここはバンカラ街のファストフード店。
 8傑たちは、次のフェスの運営を任されていた。ある時まではわりと過疎を貫いていたバンカラ街だったが、昨今はフェスに参加する生き物の数が格段に増えてきていて、取り纏める存在が必要になってきたのである。取り纏め役は力のあるものが買って出た方が何かと都合がいい……若者から絶大な人気を集めるすりみ連合を筆頭に、インフルエンサー的に注目を集める8傑も引き入れられたわけであるが、会合に集まったのは僅か三名のみであった。
「3傑じゃん」
 8ビットは顔ぶれを見た瞬間に呆れ返った。こういったことにも一切手を抜かない彼女は、纏う雰囲気に対して真面目だった。ミツアミは仲間意識が強く、呼べば大抵快く来てくれる。エイトは元の性格か育ちか、取り纏めたがりなので、こういう機会があれば必ず居る。しかし他のメンバーといえば、約束を好まない者ばかりだった。
 たとえ三人のみでも、話合いさえできればまだ良かったのだ。「シェーディの妹をデートに誘いたいんだけど、どうしたらいいかな?」仕切り屋のエイトの恋愛相談が始まったばかりに、8ビットの機嫌は底に落ち、ミツアミはどちらにもつきようがなく苦笑でやり過ごしていた。
「知らねえよ、勝手に誘えよそんなん!」
「ボディーガードが固いんだよ……」
 エイトは困ったように笑う、が、その顔は本当に困ったひとの笑みではなかった。彼女のことを考えるだけで幸せなんだ、と言いたげな笑みだった。
「なあ、シェーディって妹が居たのか?」
 一歩出遅れているミツアミが小さな声で8ビットに訊く。「察しろし」と小突き付きで返され、「……ああ!」と気付いた。エイトは、なまえのことを、シェーディの妹だと思い込んでるんだ。ミツアミにも、その気持ちはわからないでもない。しかし同時に、エイトがこのことを知ったらどんなに落ち込むだろう……と心配にもなった。
「この間、一緒にバイトに行ったんだ……シェーディも居たけど」
 聞いてもないのに、エイトによるエピソードトークが始まる。「よかったじゃないか」ミツアミは素直に感想を述べた。「ああ……彼女、何色のツナギを着ていたと思う? 深い青色のツナギだったんだ! オレもそのツナギ目指してバイト頑張ろうかな……」夢見がちである。因みに、シェーディも同じ色のツナギを着ていたそうなので、晴れてエイトもそのツナギを手に入れた時には、仲良し三人組が誕生することになる。
「エイトがその子のこと好きっていうのはさあ……」
 黙って聞いていた8ビットが口を挟む。
「や、やめてくれないか。照れる」
「うっぜえ……そういうのいいから。で、エイトが好きなのは、ほんとはシェーディなんじゃないの。その子のことが好きなんじゃなくて」
「は!? それは無い! それは……無い……はず」慌てふためいてエイトは否定する。しかし、言いながら懐疑的になってきたのか、「無い……そうなのか? オレは本当はシェーディのことを……」と最後は首を捻っていた。
「迷っ、てんじゃ、ねえよ!」
 8ビットは、テーブルの上に散らばっていた三人分のストローの袋を集めて、ぐしゃぐしゃと丸めてエイトに投げつけた。緩く結合されたそれはたいして飛ばず、エイトの肩に当たりソファに落ちた。エイトはストローのゴミのことなど気にもかけず、「オレはなまえのことが……」とぶつぶつ呟いていた。
 さて、なんの話をしていたのだっけ。ミツアミは、それぞれの殻にこもり会話がなくなってしまった8ビットとエイトを交互に見て、ぼんやりと思い返した。そうだ、エイトはあの子をデートに誘いたいんだ。……それじゃあ。
「みんなでオープンに行くのはどうかな?」
 ミツアミの提案に、エイトはぱっと顔をあげた。練りに練った案という訳でもなく、どちらかといえば短絡的な部類に入る提案だったが、考えてもみなかったのかエイトの表情は明るい。8ビットだけは、アタシはパス、と早々に誘いから降りていたけれど。
「誰が行く? ミツアミと、オレと、なまえと……」
「あー。そこはシェーディじゃないか?」
「シェーディ」
「だって……その子の連絡先、知ってる?」
 知らない。エイトは小さく答えた。この間バイトに行った時、聞きそびれてしまったのだ。厳密には、聞こうとしたらタイミングよくシェーディに遮られてしまった。索敵でき次第即座に仕留めるリッター使いは、シタゴコロを見抜くのも上手いようである。
 しかしシェーディに連絡を入れたところで、既読無視されるのは目に見えている。なので、エイトはミツアミに一つ借りを作った。シェーディには、ミツアミから連絡を入れる。



 最近、なまえが人気だ。
 ミツアミからの誘いのメールを見て、シェーディがまず最初に思ったことはそれだった。上位勢でもアイドル的なプレーヤーでもない、ただのわかば使いのなまえが。彼女は、ただの、オレの幼馴染だ。そう、ただの……。
 隣で寝っ転がっているなまえを見る。そろそろ日が暮れて夜がやってくる。ユノハナ渓谷で星空観察をしようと言い出したのは、どちらからだっけ。なまえはきらきらしたものと自然が好きで、シェーディは遠くを見るのが好きだったから。その誘いは畏まった提案をどちらからしたわけでなく、会話の流れで決まったことだった。今日、サーモンランの後に、星空を見に行こうね。
 ふたりだけの天体ショー、なまえは完全にピクニック気分だった。冷たい飲み物を水筒に詰めて、軽食のサンドイッチも拵えている。しっとりと水分を含んだ温い空気が、夏であることを彼らに思い知らせる。
「バイト、疲れた?」
 瞼が少し重そうななまえに、シェーディはやさしく訊ねる。「ちょっと」なまえは気だるそうに微笑む。「今日はタワーが多かったよね」
 あちこちに湧いたタワーを倒しになまえが奔走していたのはシェーディもよく知っている。その大きな瞳は、いつだってなまえを捉えていた。
 彼女を独占していたい。でも、彼にはその権限がない。告白する勇気が、彼にはなかった。仮に恋人になれたとしても、支配するような愛し方を彼は選びたくなかった。それは理性に拠るものだった。しかし、本心は真逆をいっている。
 なまえが鼻歌をうたう。春風とぺトリコール。もう夏の入りだというのに、なまえの歌声は生き生きとフレッシュで、ここだけまだ春であるかのように錯覚させる。
「なあ、なまえ」
 なまえの歌がやむ。明後日はオープンマッチに行かないか。エイトとミツアミって子と、オレとなまえとで。
 なまえは快諾し、またメロディを口ずさむ。



 クローゼットの中を漁り、なまえは今日着ていくフクを選ぶ。どっちのシャツにしようかな。夏だからやっぱり半袖Tシャツ? それとも少し肌寒いからイカセーラーにしようかな。悩んで、イカセーラーにした。そっちのほうが、自分らしい気がしたから。
 今日はシェーディの友だちとオープンマッチに行く日だ。最近シェーディの交友の輪に混ぜてもらえて、なまえは嬉しかった。仲よしの女の子の友だちとエンジョイなナワバリに行くのも楽しいけど、やっぱりシェーディと共闘するバトルが一番好きだ。闘ってる、という感じがして。それに、友だちに紹介してくれるってことは、自分のバトルの腕がシェーディからして恥ずかしくないレベルってことだと思うから。なまえにとってこれほど誇らしいことはなかった。
 イカセーラーを着て鏡の前に立ち、シェーディングキャップを被る。シェーディが通販で購入したこのギアは、誤って二つ購入されたことをきっかけに、その片割れがなまえの元に流れ着いた。お揃いのギアだが、ついている効果は全く違う。シェーディはメイン効率アップを付け、なまえは復活短縮を積んだ。
 なまえはいつも通りにキャップを被り、定刻より前に家を出た。シェーディを拾っていかないと。気乗りしない用事のときはいつも、びっくりするくらい時間にルーズだから。

 ふたりがロビーの前に辿り着くと、そこにはすでにエイトが居た。エイトは見目そっくりのふたりを見つけると、こっちだよと言いたげに手招きをする。なまえは小さく会釈をして微笑んだ。シェーディはポーカーフェイスを貫いた。
 近づいてくるなまえを見て、エイトはうっとりと瞳を揺らした。可愛すぎる。遠目に見たらあの憎たらしい兄とそっくりだけど、シェーディとなまえは決して顔立ちまで似てはおらず、なまえは白い肌と桃色の頬が可愛らしいガールだった。まあ、そもそも彼らは兄妹ではないのだが。
「こんにちは。なまえ」
「エイトさん、こんにちは。バイトぶりだね」
「ああ、この間はどうもありがとう。オレは普段はバイトに行かないんだけど、きみと行ったバイトが印象深くて、あれから少しずつバイトに行くようになったよ」
 そうなんだね、と驚いたあと、なまえはやわらかく微笑んだ。恋に落ちるとは、こういうことを言うのだろう! エイトは突き落とされるようなときめきに襲われた。もう、とっくに恋に落ちているというのに。
 ミツアミが集合時間の三分前にやって来るまで、エイトとなまえは雑談をした。シェーディは聞き耳を立てながらバトルのスケジュールを見遣った。エリアか……。自分が脳内でつぶやく声と、「そうなんだね」なまえが談笑する声がぶつかる。ミツアミがやってきて、少し安心した。なまえの笑顔を向けられる頻度が、分散されるからだ。
 人付き合いの上手ななまえは、エイトはもちろんミツアミともすぐ打ち解けた。受付でオープンマッチに登録すると、海女美術大学へ移動する。シェーディはスポナーに潜るとき、エイトがなまえの隣に並ぼうとするのをさり気なく遮る。エイトの向こう側で、ミツアミが少し気まずそうに目配せした。

 準備が整いバトルが開始した。
 なまえはそのまま右に寄り、道を作りながら突き進んでいった。他の三人は中央から降り、シェーディは自陣を半チャージで素早く塗っていく。それを見たミツアミは高台付近を曲射で狙う。エイトは、必然的に左側に寄った。本来であれば……色んな意味で、右側に行きたかった。なまえがいるのもあるし、そうでなくてもエイトの海女美初動は大抵右だ。左は自分のブキと思考ではどうも攻めにくい……しかしまあ、仕方がない。スプリンクラーを足下に配置しながら、耐久してチャンスを狙っていくことにした。
 しばらくは塗り合いが続き、四対四の拮抗が続く。相手のボールドの勢いに押されて、エイトは少し前線を下げた。すると、背中スレスレに何か複雑な形状のものが当たる。振り向くと、そこには発動したばかりのホップソナーがあり、自陣の物陰からちらりとスコープが見えた。エイトは、この代物が自分に投げつけられたとしか思えなかった。
 わざと? エイトは、口の動きだけでシェーディに文句を言う。
 スコープではっきりと読み取ったであろうシェーディは、ただ口角を上げ、すばしっこいボールドを撃ち抜いた。
 四対三、人数有利になる。シェーディにとって、オレは囮ってワケだね。エイトはシェーディを振り切り、中央高台に登ることにした。するとミツアミが一足先に登っていることに気づいて、すぐ足を止めた。中衛はポジションが被りがちだ。
 ミツアミが広範囲を塗り、エリアが確保される。じゃあ、オレは右に行くか? 潜伏しながら戦況を見ていると、後ろからとんとんと背中を叩かれる。
 なまえだ。
 思わず潜伏を解いた。なまえも人型に戻り、左側のスロープ前にインクを飛ばす。「エイトさん、よかったらついてきて」そう強気に笑うなまえのゲソは、キャップの下でゆらゆらと光り輝いていた。そしてなまえは再び潜伏すると、スロープ前でイカロールを決め素早く登っていく。
 わかばのスペシャルは。エイトが記憶の断片を引っ張り出すのと同時に、なまえはグレートバリアを発動した。
 驚いた相手側は、自陣を散り散りに動いていく。ケルビンとリールガンは中央に降り、ジェットスイーパーは高台へ一時避難し、復活したボールドは手前処理で残った。ミツアミが中央高台から自陣へ戻るのが見える。しかしそれを捉えられたのは、ほんの一瞬のみ。エイトは、なまえとボールドの対面をバリアの中から援護射撃する。ボールドとなまえがすばしっこく応戦している。ジェットスイーパーは依然として安全地帯からインクを垂らしている。バリアが切れたら不利になるのは此方だ。エイトは狭まっていくバリアで身を守りながらボールドの行き先を予測して弾を打っていく。.96ガロンから放たれる重い一撃がボールドの足を掠る。足を取られ動きが止まったボールドは、なまえに距離を詰められリスポーンしていった。
 安心するのも束の間だ。バリアを懸命に壊しにかかっていたジェットスイーパーがついになまえたちの防壁を取っ払った。相手は狙いをなまえに定める。なまえは翻り、インクに潜った。
「練習不足だな」そう勝ち誇ったように言ったのは、エイトだった。エイトのゲソは光で揺らめいている。「こっちを咄嗟に狙えないならね!」
 スペシャルを発動したエイトは、キューインキでなまえを狙うインクを吸い込み始めた。ジェットスイーパーは踵を返して撤退していく。
 あ、うしろ……!
 相手陣営のケルビンとリールガンが、エイトの後ろを狙うように自陣の右側から迫ってきていた。こっちはふたりだよ! なまえはアピールするように姿を見せて、塗りを入れていく。でも。中央に降りていったはずの彼らが、またリスポーンから上がってきているということは……。なまえがちらりと後ろに目をやると、中央高台で堂々とスコープを覗いているシェーディがいた。
 そこからノックアウトまで、一瞬だった。

 組まれていた試合が一通り終わると、なまえは言い様のないほどの感動を覚えながらロビーを後にした。このひとたち、強すぎる。シェーディはもちろんだけれど、ミツアミも、そしてエイトも。一度前線を上げたら、もうノックアウトが確定するのである。やっぱり有名なひとには有名たる理由があるのだ、となまえはしみじみ思った。
 しかしなまえも弱いわけではなかった。エイトはしきりに「きみみたいな前線、オレはすごくやりやすいよ」と褒めていた。試合と試合の合間のちょっとした待ち時間のときに、彼は言葉尻を変えながらも何度も褒めた。誰にどう評されようと彼女はこのやり方を変えるつもりはなかったのだが、そう言われると嬉しいものである。
 ロビーから出た後も、エイトは真っ先になまえに駆け寄った。そして言葉を交わす前に、メモ紙をひとつ手渡す。戸惑いながら受け取ったなまえの表情をうっとりと眺めたかと思うと、身を翻して後ろの方にいたシェーディとミツアミに手を振った。
「楽しかったよ、ありがとう。それじゃあ、また!」

 なまえは受け取ったメモ紙を見た。「連絡先、渡しておくね。またオープン行こう。xxx-xxxx-xx エイト」

 ミツアミは手を振り返し、シェーディはただスコープでエイトの去り際を観察した。彼のスコープはそのままなまえを捉え、なまえの手元を覗く。流石に文字までは読めない。が、類推できないほど世間知らずでもないつもりだ。
「いいのか?」
 遠慮がちにミツアミから問われる。「良いも、悪いも……」シェーディはそう答え始めるが、二の句を継げない。スコープに入り込んだなまえの頬にすこし赤みが差している様子を見たら、とてもじゃないけど、平常心を保つことなどできなかった。