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アニメ設定 社会人 伊集院炎山 / ロックマンエグゼ | 名前変換 | 初出20230604

苺とローズ


 夏至を手前にして、随分と日中が長くなった。なまえはやらなければならない仕事を早めに終わらせ、すぐにデスクを後にした。今日はどうしても、行きたいところがあるのだ。まあ、オフィスには結局戻ってくるのだけれど。歩き慣れた社内の通路を通りながら、彼に送るメールの文面を考える。降りのエレベーターに乗ったら、PETを出してメールを送った。メール、見てくれるかな。一応、彼のスケジュールは確認してあった。たまたま手隙らしい……こんなすてきな日に! いつだって偶然を奇跡と信じたいなまえは、エレベーターのドアが開いた瞬間、閃いたように走り出した。

「十九時、そっちに行くね。帰らないで待っていてね」



 炎山様。
 タイピングをする手を、はたと止めた。炎山が一瞥をくれるのを確認したブルースは、「私用のアドレス宛にメールです。みょうじなまえから」と報告した。炎山は内容を確かめると、ふ、と息を漏らすように微笑んだ。一度パソコンをスリープにし、デスクから離れる。コーヒーメーカーからボトルを外し、水を補充する。
「お願いしていいか?」マグカップをふたつ置き、ブルースの様子を伺う。「ディカフェで、ひとつはラテにしてやってくれ。十九時ちょうどに間に合うように」
「勿論です」
 ブルースはワイヤレスの通り道をゆき、コーヒーメーカーの電脳で仕事を始める。
 ふたたびデスクに戻って、手をつけていた要件定義資料を眺める。集中できないことは判っていても……この時間を、結局は持て余してしまうと思ったから。ふと窓の外に視線をやると、暮れかかった空が、やわらかなピンクと青のグラデーションを作り上げていた。

 副社長室に、PETによる認証キーが通される。ピ、という無機質な音とともに、なまえは現れた。
「お疲れ様」
「お疲れ」
「いつ来ても、ちょっと悪いことしてる気分になっちゃうんだよね」
 PETを仕舞いながら、なまえは困ったように笑う。「あ、いい匂い」すぐにぱっと表情を変えると、炎山の休憩用スペースを見遣る。「コーヒー?」
「ちょうど入ったところだ」
 炎山は椅子を引きながら、なまえを手招きする。自然な流れでなまえの荷物を貰うと、ビニル袋が擦れる音がした。
「なんだ? これは」
 持ち上げて、よく観察する。半透明な袋に、白い箱。どうみても、洋菓子店のそれである。なまえは残念そうに「あー」と笑った。
「もっと、じゃじゃーんって、したかったのに。炎山がすぐに荷物を持ってくれるってこと、すっかり忘れてた」
「ケーキか?」
「開けてみて」
 なまえの荷物は、炎山の鞄のすぐ隣に置かれた。洋菓子店の包を開けると、そこには苺のショートケーキがあった。カットケーキではなく、円柱型だった。ふたつ、ある。
「ブルースのいれてくれるコーヒー、久々だなあ」
 なまえはしみじみと香りを楽しんでいる。炎山は皿を二枚取り出し、うやうやしくケーキを乗せた。
「今日って、ストロベリームーンなの」なまえが嬉しそうに言う。「六月の満月。すてきでしょ?」
 昔から星空などが好きななまえらしい発想だ。そんななまえが星空よりも好きなものは、スイーツである。花より団子とはよく言ったもので、その慣用句はそのままぴたりとなまえに当てはまってしまう。早く食べよう、となまえは炎山を誘う。
「その前に」
 炎山は、自分のデスクへ向かう。戻ってくる時には、何かを後ろ手に隠していた。
「代わりに言っていいぞ。じゃじゃーん、だったか?」
「え、あ、え? じゃ、じゃじゃーん……?」
 ぱっと差し出されたのは、一輪の薔薇だった。なまえは、目を丸くしている。
「六月の満月は、ローズムーンとも言うそうだな」
 何が起きているか判らない様子のなまえに、炎山は補足をする。
「なんだ……わたしが、びっくりさせようって思ってたのにな」
 彼女の頬がほんのり紅潮しているのは、メイクの所為だけではなさそうだ。おずおずと受け取るなまえを見て、炎山は満足そうに微笑んだ。



 つかの間のティータイムを過ごしていると、大きな窓に映る空の様子が様変わりしてくる。やわらかなセレニティーから、群青の星空へ。苺を最後の一口にしたなまえは、窓に寄って月を探した。コーヒーで口の中の甘さを誤魔化した後、炎山も窓に近づく。赤みを帯びた月が煌々と輝いていた。
「炎山みたい」なまえが言う。「赤くて、きれい」

「最近、こういう、ゆっくりした時間が作れなかったな」
「うん。わたしも忙しかったんだ」
「今やっているプロジェクトは、もう大詰めか?」
「再来月で終わる予定だよ」
「……ありがとう。じゃあ、そのあたりを目処にして、これからのことを話そう」
「これからのこと?」
「……住まいを同じにするとか、籍を入れるとか、そういうことだ」
 なまえは、またどきどきと胸が高鳴ってしまう。わかりやすく顔を赤くし、目を泳がせているなまえの手を、そっと炎山が取る。そしてなまえが顔を上げたときに、「おれたちは、もっと一緒にいる時間が必要だと思うんだ」と言った。

 ……空いていたスケジュールも。見越していたように用意していたプレゼントも。わたしが来ることも全部予想してたってことなのかな、と、うるさい鼓動に悩まされながらなまえは考え込んでしまう。
 いつでもひらりと交わされてしまう、意外に鈍いなまえへのアプローチとして、幾つものチャンスを仕掛け、うまくいった一回がたまたま今日だったということを、炎山はこの先も告げる気はない。