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初出202008

Thunderclouds


2

 アロワナモールのガチエリア、敵陣左高の壁裏にビーコンが置かれている。敵の前線が下がったと同時に、彼らは真っ先にそのビーコンを破壊しに行った。
「ここのビーコン、敵からしたらまあアクセスしやすいんだよなあ」
 N-ZAP85を持ったボーイは余裕そうにそのビーコンを壊した。インクアーマー対策で対物攻撃力アップのギアを積むのが当たり前になっている昨今、その恩恵で、対物を積んでいる前衛陣は対ビーコン意識も高まっている。「上手に隠したつもりなんだろうけど……」インク一発で、ビーコンはいとも容易く消えてしまった。
 優越感に浸ろうと口角を上げたその時、キュルルというチャージ音がボーイの耳を掠めた。一瞬で我に返り、どう動くべきかの判断に移ろうとしたが、彼は完全に手遅れになっており、正面から激しいインクの圧を何発も当てられてしまう。リスポーン待機時間のあいだ、もどかしくキルカメラを見る。鋭い目をしたクーゲルシュライバーが、先ほど自分が壊したビーコンの付近にまたビーコンを設置するのが見えた。ついでに、口を動かすのも。
「あ、ま、い、な……クソッ!」
 クーゲルシュライバーの一言から、あのビーコンが罠だったことに気付くのに時間は掛からなかった。復活するまでにまだ時間はたっぷりあり、その憎きクーゲルシュライバーの名前も確認することができた。
 ヴィンテージ。
 対戦する前に気付くべきだった。最近X界隈を騒がせている、あのクーゲルじゃないか。
 彼の中で、悔しさよりも絶望が上回る。どうしたら、あんな奴のいる試合に勝てるのか。どうしたら。どうし、たら……。

「アレ、みーんな引っかかるよねー」
 相手を三落ちさせ、すっかり静まり返った前線で、センプクもせずチューイングガムを膨らませながらレッドソールが言った。「ヴィンテージのヤラシービーコン」
「特にアーマー持ちな。強気だから、罠だって思わないんだよな」
 ダブルエッグもセンプクを解き、クアッドホッパーをくるくる手遊びさせながらレッドソールの言葉に応えた。言えてる、とレッドソールは言って、惰性で塗りを拡げる。相手はまだ来る様子がない。おそらく、スペシャルを貯めて打開に備えているのだろう。
「手を抜くな。エリアはスペシャルを貯められたら一気に逆境になることくらい、わかってるだろ。オメガを見習え」
 後ろからヴィンテージが二人を諌める。オメガは敵陣の壁裏に張り付き、降りてきた相手の背後をとる用意をすでに始めていた。
「だあってー、オメガひとりで四枚持ってくんだもーん」
 レッドソールはわかりやすくむくれて見せる。ダブルエッグも、「正直、この相手は格下すぎだぜ。ちょっと対面しただけでわかる、俺らへの対策出来てなさ過ぎ」と文句を垂れる。ヴィンテージもそのことはわかっていたが、問題の本質はそこではなく、鋭い目付きをさらに鋭くさせるだけだった。「いいから、舐めプは辞めろ」
 これ以上ヴィンテージを怒らせてもろくなことがない。二人は、はいはい、と言ってセンプクし、前に上がっていった。しかし、やはりその待機は徒労に終わった。結局、オメガがキル数を稼いでノックアウトしてしまったからだ。

 Xブラッドは、今や敵なしだった。リーグマッチに潜っては必ずゴールドメダルに達し、ランキング入りも果たしていた。その中でも特にヴィンテージは、個人でもぐんぐん戦績を伸ばしていた。ガチマッチの情報を少しでも調べれば、彼の名前を容易く知ることができた。
「クーゲルシュライバー募集?」
 次の試合の時間帯まで時間を持て余した彼らは、ロビー前で時間を潰していた。ロビー前には簡易的な選手募集掲示板があり、彼らはこれを延々と眺めてはああだこうだ言っていた。といっても、話しているのは主に口数の多い例の二人で、静かな二人、特にヴィンテージに至っては殆ど聴いているだけだった。
「ブキ指定で募集かけてるのも珍しいよねー」
「文字数限られてるからな」
 ダブルエッグの言うとおり、募集掲示板には文字数の限りがある。掲示数が多いためである。そのため、こちらエンジョイとか、ガチとか、自身のウデマエしか書かない者が多い。
「ね、ヴィンテージ、募集されてるよ」
「ペアリグかー。ヴィンテージは趣味じゃねえよな」
「お遊び組が来たりなんかしたらサイアクだもんね」
 話しかけられるも、ヴィンテージはふんと鼻を鳴らして、結局話には入らずじまいだった。

 湿った空気が熱を帯び、焦れったい初夏の雨が開けた。Xブラッドは、大きな大会を控えていた。しかし雨の間は屋内ステージでのマッチや練習予約が込み合っていて、思うように練習ができなかった。場所の予約をするために、ヴィンテージは早朝からロビーに並ぶ。ロビー前には、すでに長めの列が形成されていた。
 場所の予約をするときは、ヴィンテージは大抵ひとりで来た。仲間に役目を託すこともなかった。ヴィンテージが声掛けをして結成したチームだ。そういう事務仕事は、全部自分が請け負うべきだと考えているのである。仲間の人生を背負う責任や思い遣りは、ヴィンテージなりに持ち合わせていた。彼が仲間に厳しいのは、仲間の本来の力を信じているからこそだった。それが三人の仲間たちに伝わっているかどうかは、また別問題である。
 分厚い雲が追いやられた空は、高く、広く、また澄んでいた。夏のインクは、いつも水っぽい。ゆるく飛沫をあげる夏のインクを見ると、ちょうどそのころ出会ったあの稲妻を、よく思い出してしまう。鮮明でいて、だんだんとピントが合わなくなってきており、古い写真のように色褪せつつある。ゆっくりと、心の隅へ押し流され始めている。自身の中に僅かに残る幼稚な思い出とともに、間もなく堆積されてしまうだろうとヴィンテージは思う。
 予約待ちの列に並び、一向に進まない受付の順番を待つ。選手募集掲示板の前まで来た。この掲示板は循環が早い。大量の募集案件が押し寄せては、すぐに流れていく。クーゲルシュライバー募集、がまたあった。理想の相手に出会えなかったのだろうか。そもそも別の人かもしれない。きっと、これもまたすぐ流されるのだろう。ケルビン525デコ募集、を送ったら、偶然にもなまえが来たりしないだろうか、とヴィンテージは思った。来るかもしれない。ケルビンを選ぶ人は、そんなに多くはないからだ。しかし、それで顔をあわせて、いったいどうすればいいというのだろう? 音信不通の理由さえ、わからないというのに? そこまで考えて、ヴィンテージは自身の前に殆ど人が居ないことに気付き、慌てて列を詰めた。

 こんな風にヴィンテージが早起きをして色んなものを犠牲にした上で得た練習場だが、遅刻をしてくる不届き者がいた。想像に難くないが、Xブラッドの不真面目といえばダブルエッグである。
「まあまあまあ初めてじゃないんだしさ? ダブルエッグって最初っからこうじゃん?」
 ゲソを結い直しながらレッドソールが場を宥める。確かにそうだった。寧ろ、彼は最初に断言していた。「俺を誘うのはいいけど、俺を縛ろうとするのはナシだぜ」彼はわりと片手間でバトルに勤しんでいるタイプのイカで、何ならバトルよりバスケのほうが好きだと言わんばかりに、彼のスケジュール帳はバスケの予定でいっぱいだった。
 確かにそうだ、とヴィンテージも思った。しかし、ヴィンテージはヴィンテージで、この練習のために誰より準備してきている。その熱量と釣り合わない事態に、怒りが隠せないのは当然だった。
 落ち着け、と歯止めをかけるのはオメガだった。
「居ない者に怒ってもしょうがない。居る者だけで練習するのが懸命だ」
 その通りだったので、仕方なくそうした。結局、その日は遅刻どころか無断欠席だった。

 次の練習日には、ダブルエッグも参加した。しかし、特に前回の無断欠席に詫びをいれる様子はなく、いつもの調子でへらへらと笑いふざけていた。ヴィンテージは集合してからというものの、苛苛したように腕組をして無言を貫き、指で腕を小刻みに叩いていた。このままではヴィンテージの怒りがじきに爆発してしまう、と察したオメガは、前回はなぜ欠席だったのかをさりげなく訊ねた。浮かれたダブルエッグはヴィンテージの様子に気がつくはずもなく、いやイカップル杯がさ、と言い始めた。
「知り合いの知り合いのマニューバーの女の子に誘われたんだよ。行ったらかわいい女の子でさー、盛り上がっちゃって、デートすることになってそれで練習サボっちまったわ。メンゴ」
 これには常に気を乱さないオメガも溜息をつき、さすがのレッドソールも引いた。
「うわー、ホント軟派、あたしめっちゃきらーい」
「ンだよ、お前らこういうの誘ったって出ねえだろ」
 たまには出たいじゃん、とダブルエッグが抗議するも、「きらいって言ってんのはそこじゃないし、それにアンタに誘われるから行かないんだよ」「同感だ」女子たちの視線は厳しかった。手厳しいな、とダブルエッグは焦燥しているようだったが、省みる様子はなかった。
 そしてオメガの努力も虚しく、ヴィンテージの我慢は限界に達した。脳天気なダブルエッグにも勿論のこと、イカップル杯、マニューバー……ヴィンテージにとって、思い出したくないことばかりだった。
「帰れ」
 しずかに怒りが噴出する。場が凍りついた。ダブルエッグが、訊き返そうとする。しかしそれよりも早くヴィンテージはダブルエッグに近づき、胸ぐらを乱暴に掴んだ。レッドソールの甲高い悲鳴が聴こえた。
「……ってえな……何すんだよ……」
「お前こそ、何を考えているんだ? 自分のしたことと、してこなかったことを、一度でも振り返ってみたか?」
「は……サボった話? 言ったろーが、俺は縛られんのはごめんだって」
「なら、もう来なくていい。お前は今日からXブラッドじゃない。ただのクアッドホッパーだ」
 ヴィンテージは勢いをつけてダブルエッグを突き放した。ダブルエッグは襟元を正しながら、つまらなさそうに笑い「そうさせてもらうぜ」と言って背中を向けた。
「いいのか?」
 オメガが声をかける。「大会前だが」
「いい」
 ヴィンテージは苛立ちに任せ大きく息を吐きながら答えた。オメガは、ヴィンテージがいいなら、とそれ以上は言わなかった。賑やかしのレッドソールだけは、気まずい思いを抱いていた。あたしってなんでこういうときに限って、気の利いた言葉で戯けられないのかなあ、と物静かな二人を見ながら、心の中でもやもやと考えるのだった。



「で、どうすんの? ひとり欠けてるんだけど?」
 三人だけの練習を終え、水分補給をしているところだった。Bバスパークの脇にある公園の、だだっ広い芝生の脇にある鉄製のベンチ。レッドソールとオメガは、ベンチに座る。暑い夏が過ぎ空気が温くなってもなお日差しが強い。そのせいで、ベンチが熱かった。まだ夏なのかもしれないと錯覚してしまうほどに。
 イオンウォーターの独特の甘みでさえヴィンテージを苛つかせた。しかし口の中が空になり、ベンチに座る仲間の顔を見遣ると、その苛つきは自己満なのだということに気がついた。棘のある言葉の割にいつになく心配げなレッドソールと、芝生の遠くを眺める瞳に翳りがあるオメガが、ヴィンテージの視界を埋めつくしたからだ。ひとり欠けてるんだけど、どうするの。本当にその通りだ。これから、どうすればいいというのだろう? ヴィンテージの苛つきは、ふたりの人生を巻き込んでしまった。
「気にしなくていい」
 ぽつり、オメガが呟いた。ヴィンテージは反射的に彼女を見る。「ダブルエッグの態度に相応しい応酬だった。わたしたちも、彼の態度には辟易していたから」
「まあ、うん、そうよ。よく言ってくれたなって、思ってはいるよ」
 レッドソールも、ペットボトルを膝の上で跳ねらせながらオメガに同意した。ヴィンテージは、静かに俯く。
「すまなかった」
「わかってる。わかってるよ」

 それから時計の針はなかなか進まなかった。太陽はまだ高く昇り、夕方にもまだ遠い。帰る口実なんてなかった。彼らは、これからどうするのか話さなければならなかった。
「ひとりだけ、声をかけたいひとがいる」
 ふと思いついたように、しかし心の底では既に決まっていたことであるかのように、ヴィンテージは口火を切った。レッドソールは所在無い不安な表情をすこしゆるめ、「じゃあ、そのひとにかけあってみるんだ?」と問う。ヴィンテージの答えは、沈黙だった。
「なによ、かけあわないの?」
 オメガは静かにヴィンテージを見遣る。しかし、沈黙。口に出してみたものの、どう答えたものか、そこから先については全く考えていなかったのだ。
「言ってくれないか。でないと、わたしたちはどうすることもできない」
 我慢強いオメガでさえも、止まってしまった会話の続きを急かした。ヴィンテージは重い口を開き、「……つまらない話になる」と言った。「でも、聞いて欲しい。……仲間には」
「まあ、柄じゃないけどさ。聞くよ。あんたの話したいことなら」
 少し恥ずかしそうに答えたレッドソールの言葉に、オメガも黙って頷いた。いつものXブラッドの雰囲気とはまるで違う雰囲気だった。まるで違うが、なぜか初めてではない気が、ヴィンテージにはしていた。もともときっと、こういうチームなのだ。それを知るきっかけが、今だったというだけで。
「そのひととは……S+のときに、出会った」
 ヴィンテージは慎重に、言葉を選ぶようにして、ぽつり、ぽつりと話し始めた。「衝撃的なまでに強いひとだ。彼女はケルビン525デコを使っていて、出会ったその日は大雨で、雷がずっと鳴り響いていた」
 オメガとレッドソールは、あ、と思った。そして、互いがそう思ったことも、瞬時に目配せして気づいた。しかし、それ以上のリアクションはしなかった。ヴィンテージが今から話そうとしていることの腰を折るわけにはいかないと直感したのである。なにしろ、絶対に明かされないと思っていた雷の秘密が、今まさに紐解かれようとしていたのだから。
「感銘を受けたんだ。俺にXの……強さを極める夢を見せてくれた」
 ヴィンテージは自身の掌を見つめ、手応えを見い出すように握りしめた。自分の手だけだったら掴めなかったであろう、強さという抽象的な概念の確かさを。手を引き一緒に飛び込んでくれた、眩しい彼女の残像を。
「彼女とは何度もリーグマッチに行った」
 そう、約束せずとも、何度も。約束なんて、要らなかった。
「駆け引きになったときの手数の多さや、それらの手の内もよく知っている」
 夢中になって、ずっと見ていたからだ。
「だから、今この場にいてほしいのは、彼女だ。彼女しか、いないんだ」

 ここまで聞いたレッドソールの感想は、ああそのひとはガールなんだ、ということだった。そう表せば単純な言葉だが、彼の熱量の強さは相手がガールだからなのだという仮説を立てるなら、その言葉の意味は複雑になる。
 ヴィンテージは変わらない静かな語り口調のまま、「初めに言った通りだが、そのひととは残念ながら連絡がとれない」と言って話を結んだ。こういうことに鈍いオメガは、「なぜだ?」とすぐさま話を繋いだ。
「そこまでの絆があって、なぜ連絡がとれない?」
「ちょっと、オメガ……それ聞くのは野暮だってば」
「そうなのか? それはそれとして、連絡がとれないなら、打つ手なしじゃないか?」
 オメガとしては、純粋な疑問だったのかもしれない。ヴィンテージとそのひととの男女間の仲を色々と察したレッドソールは慌てて止めるが、一方でオメガの言い分はその通りで、連絡が取れないのであれば今の話はまったく意味を成さないことになってしまう。
「そうだな、今のは忘れてくれ」
 幼なじみの反応は予想通りだったのか、ヴィンテージはレッドソールの焦燥をよそに冷静そのものだった。しかしその瞳や表情には寂しさの色が滲んでいた。そこそこの付き合いであるレッドソールが、一瞬で我に帰る程度には。
 あ、これは止めなきゃ。レッドソールは、思った。そう思うや否や、「いや、待って。忘れていいわけなくない? いや、忘れちゃ駄目なんじゃない?」反射的に言葉を発していた。
 色々と、あったのだろうとは思う。しかしヴィンテージの表情をみたら、忘れるの選択肢は誤りだとも、レッドソールは思った。絶対に後悔するし、そもそも、忘れられるはずがない。なぜって、ヴィンテージが真面目でまっすぐであることくらい、重々承知しているから。
「とにかく、そのひとしかいないんでしょ? だったら答えは簡単で、どうやったら連絡とれるようになるか考えるしかないじゃん!」
 レッドソールの力説に、合理的なオメガも「それもそうだな」と同意した。ヴィンテージだけはふたりの勢いを他所に「でも、どうやって……?」などと言っている。
「あんたねえ、それは自分主導で考えなさいよ!」
 いつもの毅然とした態度とは一変して歯切れの悪すぎるヴィンテージに、レッドソールはついに痺れを切らした。苛々としたものの、多少の狼狽を見せるヴィンテージの様子は目に新しく、ヴィンテージもふつうのボーイなんだなほんとうは、と心の中でそっと思う。
 オメガは相変わらず飄々としている。ふたりの間で交わされている会話の内容に、ついていく気はないようだ。暫く黙って考え込んだのち、ふとこんなことを言い放った。
「いいじゃないか。連絡手段はともかく、わたしは賛成だ。少なくとも、ダブルエッグよりはマトモそうだからな、そのひとは」
 それを聴いたふたりは、理解が遅れ一瞬押し黙る。しかし意味を把握し、溢れ出る笑いを堪える地獄に苦労することになるのは、そのすぐ後のことである。